日本被団協に平和賞に関する社説・コラム(2024年10月12・13日・12月10・11・12・13日)

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日本被団協の田中熙巳さんは「核兵器は人類と共存させてはならない」と訴えた=10日、オスロ(共同)
 
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ノーベル平和賞の授賞式で賞状とメダルを授与された日本被団協代表委員の(右から)箕牧智之さん、田中重光さん、田中熙巳さん=10日、オスロ(共同)

(2024年12月13日『新潟日報』-「日報抄」)
 
 列車は、札幌市の「平和」という駅に入った。北海道に雪が舞った日だった。ここでホームに降りた。駅から続く陸橋を渡ると、目指す建物があった
▼「ノーモア・ヒバクシャ会館」がこぢんまりと立っている。展示された白黒写真が訴えかけてくる。息絶えた女性、放心の目、人であるのかすぐには見分けがつかない被写体。広島と長崎の実相は核兵器のむごさを伝え、戦争はもうごめんだと訴える
▼原爆資料を展示する施設が北海道にあることを知らなかった。被爆者が多く移り住んだのが北海道なのだという。なぜ多いのか。理由を突き詰めることはできていないが「逃げて逃げて逃げて来た」との証言がある。被爆したことを話せぬ人もいた
▼会館はそういう苦しみを抱えた人たちのよりどころでもあるのだ。国内外3万人余の善意によって建設された。このごろは会員の高齢化に伴い、平和を発信する活動をどう継続させるかに頭を悩ませてきた
▼そんなときに差し込んだ光がノーベル平和賞受賞の知らせだった。受賞した「被団協」と呼ばれる日本原水爆被害者団体協議会に北海道の組織も所属している。「えっ」という感嘆が北海道でも上がったそうだ
▼今回の受賞を機に会館に看板を掲げると教わった。記す文言は「核兵器も戦争もない世界を、ともに」。唯一の戦争被爆国である日本だけでなく、との願いを込めた「ともに」であり、続く世代とも手を携える「ともに」であろう。切なるメッセージを本県でも受け止めたい。

ノーベル平和賞演説 被爆者の危機感に応えよ(2024年12月12日『河北新報』-「社説」)
 
 地球上には直ちに発射できる核弾頭が4000発あり、広島、長崎の数千倍もの被害が今すぐにでも現出し得る。
 危機的な現状に想像力を働かせ、「人類が核兵器で自滅することのないよう」共に立ち上がろうと呼びかけた。
 力強いメッセージが、核兵器廃絶への推進力となるよう唯一の戦争被爆国として果たすべき役割を考えたい。
 世界に向け原爆被害の実相を伝えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に10日、ノーベル平和賞が授与され、代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)が受賞演説を行った。
 13歳の時に長崎で被爆した田中さんは「人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまだった」と被爆地の惨状を振り返り、「たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと感じた」と述べた。
 被団協の主たる受賞理由は非人道的な核兵器を二度と使ってはならないという「核のタブー」の確立に貢献したことだとされる。
 田中さんは演説で核による威嚇を繰り返すロシアなどを非難した上で、「『核のタブー』が壊されようとしている」と警鐘を鳴らした。
 被団協は1956年8月の結成以来、「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に核兵器の恐ろしさを国内外で訴え続けた。特徴的なのは、核兵器の保有が敵国による攻撃を防ぐとする核抑止論を明確に否定し、核兵器を「絶対悪」とする立場だ。
 地道な活動は世界に共感を広げ、2017年に国連総会で採択された核兵器禁止条約として結実した。核兵器を非人道兵器とし、開発や使用、保有を全面禁止する内容だ。
 しかし、被爆者の願いとは裏腹に核兵器を巡る世界の状況は混迷の度を増している。
 核兵器禁止条約は21年に発効し、署名国も90を越す国・地域に広がったが、核保有国や米国の「核の傘」に下にある日本は参加していない。
 地球上には今なお1万2000発を超える核弾頭が存在し、核軍縮の枠組みさえ、崩壊の危機に直面している。
 米ロ間の核軍縮合意は新戦略兵器削減条約(新START)だけで、それも26年2月に期限切れとなる。
 大国間の軍備管理が機能不全となる中、中国は核戦力を増強し、米国もこれに対抗する流れが強まっている。
 ノーベル賞委員会のフリードネス委員長は授賞式のスピーチで「核兵器のない世界への道のりが長く困難であっても、私たちは被団協から学ぶべきだ。決して諦めてはならない」と訴えた。
 被爆者の平均年齢は85歳を超えている。政府は核兵器禁止条約の批准、締約国会議へのオブザーバー参加に向け具体的な検討を急ぐべきだ。
 来年は終戦80年。幾多の戦争被害者がつないできた平和への願いの重さを改めて胸に刻まなくてはなるまい。

国際社会と核兵器 被爆者の声を廃絶の糧に(2024年12月12日『毎日新聞』-「社説」)
 
 核のリスクはかつてなく高まっている。国際社会は未来に対する責任を共有しなければならない。
 「人類が核で自滅することのないように」。ノーベル平和賞授賞式で日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(てるみ)さんは警鐘を鳴らした。
 世界の指導者が耳を傾けるべき被爆者の言葉である。
 ウクライナ攻撃を続けるロシアは核の脅しを繰り返し、使用のハードルを下げている。中国は長射程の戦略核を増強し、北朝鮮は戦術核の開発に乗り出す。
 いずれの国も核戦力を重要な軍事戦略に位置付ける。
 これに対し、米国は3カ国に同時に対抗できる態勢を検討するという。通常兵器の強化に加え、核弾頭の配備増も視野に入れる。
 懸念を増大させているのが、大統領に復帰するトランプ氏だ。1期目では、イランの核開発を制限する核合意から離脱し、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄した。
 核戦力の強化を宣言し、北朝鮮への核攻撃すら示唆した。危機感を強めた議会は大統領の核使用権限を制限しようとした。
 強硬姿勢に変化はない。大統領が核使用を命じても糾弾されるべきではないと主張する。地下核実験を再開するとの観測も流れる。
 負の連鎖を断ち切るには、対話で解決策を探るほかにない。
 米露間の軍縮条約である新戦略兵器削減条約(新START)は、次期政権発足から約1年後の2026年2月に期限を迎える。
 延長で合意し、核兵器の配備を増やさないようにすることが欠かせない。
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ノーベル平和賞の授賞式を前に記念撮影する日本被団協の田中熙巳代表委員(前列中央)とメンバーら=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影
 国際社会の取り組みも重要だ。今秋の国連総会では、核戦争が人類と地球に与える被害を予測する専門家パネルの設置が決まった。
 その甚大さを想像し、各国首脳が話し合えば、使ってはならないという「核のタブー」を共有できるはずだ。
 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に続く被団協の平和賞受賞は草の根の力を見せつけた。廃絶の世論をさらに広げたい。
 「歯止めなき核の世界」の現実を「核なき世界」の理念に引き戻す。それを後押しするのが唯一の戦争被爆国である日本の責務だ。

ノーベル平和賞 被爆者の訴えにどう応えるか(2024年12月12日『読売新聞』-「社説」)
 
 世界が注目する舞台でヒバクシャ自らが壮絶な体験を語り、核兵器が再び使われようとしている現状に憤りを示した。
 日本をはじめとする国際社会は、悲痛な訴えにどう応え、核廃絶を進められるのか、行動を問われている。
 ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーの首都オスロで開かれた。被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」が受賞し、代表として田中熙巳さんが記念講演を行った。
 田中さんは13歳の時に長崎市で被爆した。誰からの手当てもなく苦しむ人々を目撃した体験を紹介し、「戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと強く感じた」と語った。
 ウクライナを侵略するロシアのプーチン大統領が核の脅しを繰り返していることについても言及し、淡々とした口調を保ちながらも「限りない悔しさと憤りを覚える」と訴えた。
 広島、長崎への原爆投下から来年で80年を迎え、被爆者は高齢化が進んでいる。田中さんも92歳で、会場には車いすで入ったが、約20分の演説は立って行い、草稿にはなかった言葉も盛り込んだ。
 核の恐ろしさを知る者として、自分の言葉で核廃絶を訴えねばならないという強い使命感からだろう。演説を終えた田中さんには聴衆から大きな拍手が寄せられ、世界のメディアが中継した。
 被爆の実相を伝えることを通じて、核使用を許さないという国際世論の形成に貢献し、核廃絶を呼びかけてきた地道な活動に光が当たった意義は大きい。改めて敬意を表したい。
 だが、被爆者らの思いとは裏腹に、世界では近年、核兵器が再び使用される危険性がかつてなく高まっている。
 プーチン大統領は、核兵器を使用する条件を緩和した。さらに、核弾頭も搭載可能な新型の中距離弾道ミサイルを、ウクライナ戦線に投入した。
 北朝鮮はロシアに兵士を派遣する見返りに、核・ミサイル技術の提供を得ようとしている。中国は核弾頭を増やし、核戦力の増強を急ピッチで進めている。
 核兵器を二度と使ってはならないという「核のタブー」を改めて確認する必要性がある。
 特に日本は、核の恐怖で自国に有利な状況を作り出そうとする国々に囲まれている。核兵器がもたらす残酷な現実を知る被爆国として、各国と連携し、核保有国に自制を促さねばならない。

平和賞を機に核廃絶に弾みを(2024年12月12日『日本経済新聞』-「社説」)
 
 核の非人道性を、人類に改めて強く訴えかけるスピーチだった。日本政府は被爆者の思いを背に、核廃絶への国際世論をリードしなければならない。
 ノルウェー・オスロでノーベル平和賞の授賞式が開かれ、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中熙巳さん(92)が演説に立った。
 長崎で被爆した田中さんは、自身の凄惨な体験を交えつつ「直ちに発射できる核弾頭が4千発もある」「核のタブーが壊されようとしている」と訴えた。一言一言に、核が再び使用されかねないという憤りと危機感がにじんだ。
 「人類が自滅することがないように。核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」。胸を打つ演説だった。
 田中さんが指摘したように、情勢は厳しい。ロシアは核の脅しを繰り返し、北朝鮮や中国でも核戦力の増強が進む。多くの指導者が、核の恐ろしさをかつてないほど軽んじているようにみえる。
 だが、こうした流れを食い止めることこそ、唯一の戦争被爆国である日本の役割であり責任であろう。それは米国の核の傘の下にあっても変わるまい。政府は核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加を含め、より積極的、実効的な一歩を踏み出すべきだ。
 広島平和記念資料館の入場者数は今年度、過去最多だった前年度よりさらに1割以上多いペースという。熱心に見入る外国人来館者が目立つ。昨今の核の脅威と無関係ではあるまい。関心が高まっている機会を生かすことが大切だ。
 被爆地では外国人向けの被爆体験講話や、地元高校生らによる英語の観光ガイドといった取り組みが進む。こうした活動を一層充実させ、対外発信力を高めたい。SNSや人工知能(AI)の積極活用も求められよう。
 「次の世代の皆さんに期待します」。田中さんは核廃絶運動の継承を、被爆者でない次代に託した。いまを生きる全ての人に向けられた言葉だと、胸に刻みたい。

「平和」の願いはなお遠く、授賞式に臨んだ被団協(2024年12月12日『産経新聞』-「産経抄」)
 
 ダイナマイトを生んだノーベルは、財をなすと同時に「死の商人」の汚名を負った。「私は平和的思想の促進のため、死後に多額の基金を残す」。世の平和に尽くす人々に賞を―と遺書には記したものの、効果には懐疑的だったようだ。
▼先の言葉に続け、こう述べたという。「戦争は状況がそれを不可能にするまで、これまで通り続くだろう」。その予言をなぞるように、世界は2度の大戦を含め度重なる戦火にさらされてきた。ヒトラーやスターリンら独裁者が、平和賞に推薦される皮肉な過去もあった。
▼人類は地上から戦火を絶てぬまま、今日を迎えている。2009年の平和賞も、いまとなっては苦い味わいしかない。「核兵器なき世界」を掲げて受賞したオバマ米大統領(当時)だが、自国と同盟国の安全を踏まえ、核廃絶には向かわなかった。
▼今年の平和賞に選ばれた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が、授賞式に臨んだ。会の結成から68年。被爆体験を語り、核兵器の廃絶を訴え続け、たどり着いた受賞である。代表者の演説と鳴りやまない拍手に、胸を打たれた人は多いだろう。
▼とはいえ、ロシアや北朝鮮などの専制国家による核使用の懸念は尽きない。この瞬間に、使用可能な数千発の核弾頭が空をにらむ現実もある。確かな核抑止力なくして、安全保障も平和も語れない。今年1月に発表された人類の「終末時計」は前年と同じ残り90秒だった。
▼1986年に平和賞を受けたユダヤ人作家、エリ・ヴィーゼルの言葉がある。「平和は神から人間への賜り物ではなく、人間同士の贈り物だ」。理性、自制、共感、配慮…。思いつく限りの「贈り物」を数え上げ、それでもなお、ノーベルの予言を覆す明日は遠い。

被団協に平和賞 核廃絶の思い継ぎ、広げたい(2024年12月12日『京都新聞』-「社説」)
 
 「人類が核兵器で自滅することのないように」。同じ悲惨な苦しみを二度と、誰にも味わわせてはならないという全身全霊の訴えは、世界の多くの人々に響いたはずだ。
 被爆の実相を伝え、核兵器廃絶の運動を広げてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に、今年のノーベル平和賞が贈られた。
 広島、長崎への米国の原爆投下から来年の80年を目前にしながら、相次ぐ紛争と対立から核兵器の脅威はいまだ世界を覆い、むしろ高まっている。
 ノルウェーの首都オスロで受賞し、演説に立った被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)は、核兵器使用の脅しが公然と語られる現状に「限りないくやしさと憤りを覚える」と厳しく批判した。
 ボタン一つで人間社会を破壊する核兵器の危機は差し迫っている。そのリスクを共有し、なくす確かな道筋と、責任ある行動につなげていかねばならない。
 核問題での平和賞は、「核なき世界」を掲げた2009年のオバマ米大統領、17年の非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に続く。
 被害者にも加害者にも
 フリードネス・ノーベル賞委員長は、授賞理由で「核兵器は二度と使われてはならない理由を、身をもって立証してきた」と評価した。その献身で大戦後の世界に根付いてきた「核のタブー」がいま「圧力にさらされている」とする。
 核の非人道性を体現する被爆者の訴えに改めて光を当て、歯止めを守ろうとしたといえよう。
 田中さんの演説には胸を打たれた。被爆した長崎の一面の焼土と、親族5人を含む大勢の無残な死を目の当たりにした壮絶な13歳時の体験を語った。その年の末までに広島、長崎で計20万人超が死亡、生き残った40万人余りの被爆者も病苦と生活苦、差別にあえぎ、後遺症は今も続く…。
 1発でもこれほどの惨劇をもたらしたのに、世界で現在「直ちに発射できる核弾頭が4千発もある。広島や長崎の数百倍、数千倍の被害が起きる」とし、その異常性を強調した。「いつ被害者になるか、加害者にもなるかもしれない」との問いかけは、いまを生きる人に自分ごととして切迫感を印象づけたに違いない。
 高まる核使用リスク
 田中さんらが身を削って紡いできた核のタブーは大きく揺らいでいる。
 核兵器国とその同盟国が依存を深める「核抑止」は、核戦力を恐れて相手が攻撃を思いとどまるという仮定に基づく。保有国トップの理性に頼る危うさは、もはや瀬戸際を迎えているのではないか。
 ウクライナへの侵攻を続けるロシアのプーチン大統領は、核使用を辞さないと威嚇を繰り返す。先月には、核兵器を使う条件を拡大・緩和する核ドクトリンの改定版に署名し、脅しの危険水準が一段引き上げられた。
 中東でもイスラエルの閣僚が核使用に言及し、ロシアとの軍事協力で北朝鮮は核・ミサイル開発を加速。中国の核戦力強化に対し、米国などは「使える核兵器」と呼ばれる小型核開発を進めている。
 こうした指導者の暴走や偶発の事態で、人類は破滅に至る。
 田中さんが訴えた「核兵器は人類と共存できない」「一発たりとも持ってはいけない」という核廃絶こそ、恐怖の悪循環から決別できる「現実論」であることを正面から受け止めるべきだ。
 核禁条約への参加を
 その切なる思いから、被爆者らが国連や平和会議などで訴え広げた核廃絶世論の一つの結実が、核保有や使用、開発を初めて違法化する「核兵器禁止条約」である。21年に発効し、73カ国・地域の批准に広がっている。
 ところが、日本政府は米国の核の傘に頼る同盟体制の否定になるとして、参加に背を向け続ける。昨年の先進7カ国首脳会議(広島サミット)でも核抑止論を正当化し、内外の失望を招いた。
 石破茂首相も被団協の受賞に祝意を示す一方、「核抑止は必要」と繰り返す。ただ、きのうの国会では、西側同盟国でも条約締約国会議にオブザーバー参加しているドイツの主張や議論状況を検証するとし、含みも持たせた。
 核兵器の不拡散体制や軍縮の条約・交渉の停滞や後退が続く中、唯一の戦争被爆国として核兵器国と非保有国の「橋渡し役」を自任するなら、参加へ踏み出すことを求めたい。
 命ある限りと訴えてきた被爆者も平均年齢は85歳を超え、語り部が減少して地域団体の活動縮小や解散も相次いでいる。
 「被爆者なき時代」の足音が確実に近づく中、生身の証人たちの体験を、次の世代に引き継いでいくことも今回の平和賞の大きなテーマである。
 田中さんは、積み重ねた証言を記録、保存し、活用する運動を世界で広げ、それぞれの政府の核政策を変えさせる力になることへの期待を示した。
 決して諦めずに核廃絶のうねりを広げた被爆者たちの信念と粘り強さを、核なき世界への希望につなぎたい。

平和賞受賞演説/世界に届け被爆者の願い(2024年12月12日『神戸新聞』-「社説」)
 
 世界に被爆の実相を伝えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が授与された。ノルウェー・オスロであった授賞式で、被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)が演説し、大きな拍手が送られた。改めて被爆者の苦難の歩みに思いを寄せ、「核なき世界」実現に日本が果たす役割を胸に刻みたい。
 田中さんは1945年8月9日、13歳の時に長崎で被爆した。一発の原爆は身内5人を無残な姿に変え、命を奪った。「人間の死とは言えないありさまだった。戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと強く感じた」
 生き残った被爆者たちは「占領軍に沈黙を強いられ、日本政府からも見放され、孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けた」。
 「核兵器の廃絶」と、「原爆被害に対する国の補償」を求めて被団協が結成されたのは被爆後11年を経た56年8月10日。「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救う」との結成宣言は、長く地道な証言活動の原動力となった。
 目標達成は途上にある。2021年、核兵器を全面的に違法化する核兵器禁止条約が発効したが、米国の「核の傘」に依存する日本政府は参加せず、被団協が求める締約国会議へのオブザーバー参加も見送っている。石破茂首相は10日の衆院予算委員会で「オブザーバーにどんな役割が果たせるか、検討する」と言及した。来年3月の第3回会議への参加を視野に踏み込んだ議論を求める。
 国家賠償を一貫して拒む政府を、田中さんは「死者に対する償いは全くしていない」と強く非難した。
 ノーベル賞委員会は、核使用は二度と許されないとする「核のタブー」形成への被団協の貢献を評価した。だが、世界にはなお1万2千発の核弾頭が存在し、ロシアやイスラエルなど核を脅しに使う保有国がある。田中さんは「悔しさと憤りを覚える」とし、「核兵器を一発たりとも持ってはいけないというのが心からの願いだ」と強調した。あらゆる機会を生かしてその願いを届け世界を動かすのは、唯一の戦争被爆国である日本の責務ではないか。
 被爆から80年、「被爆者なき時代」が迫る。田中さんは「皆さんが工夫して(運動を)築いていくのを期待する」とし、各国で「原爆体験の証言の場」を開くよう提案した。
 核のリスクが高まる中、「核も戦争もない世界」の実現は人類共通の願いである。田中さんは最後に、核保有国とその同盟国の政策を変えさせるのは「市民の力」だと訴えた。「人類が核兵器で自滅することのないように」。その言葉を真摯(しんし)に受け止め、一人一人が行動する時だ。

核廃絶のバトン(2024年12月12日『中国新聞』-「天風録」)
 
 南米に伝わる民話がある。森の火事で動物たちが逃げ惑う中、1羽のハチドリが川から水をすくい、1滴ずつ炎に落としていく。笑われても「私は、私にできることをする」と
▲広島市の平和記念公園近くにあるカフェ「ハチドリ舎」の由来である。おととい夜は若者ら20人が集い、日本被団協へのノーベル平和賞授賞式の中継を見守った。店内を包んだのは喜びや感動だけではない。核廃絶に向け、自分に何ができるのか。ヒントを探る熱意に満ちていた
▲広島で核問題を考える若者の団体が企画した。代表の一人、田中美穂さんは「被爆者任せでなく、私たちの問題として向き合う」と誓う。15歳の男子高校生は言った。「広島で育ったのに、原爆を知らないことが分かった」。新たな継承の芽だろう
▲昨今の情勢を見れば、核なき世界への道のりは遠く険しい。「核には核を」の論理が幅を利かせる。だが被爆者が逆境でも望みを捨てず声を上げ、行動を続けてきたことを忘れてはなるまい。引き継ぐべきものは多い
▲ノーベル賞委員長は被爆者を「世界が必要としている光」とたたえた。か細い光、ひとしずくの水でいい。私たちも核廃絶のバトンを継ぐ一員である。

【平和賞授与】核廃絶への決意を共に(2024年12月12日『高知新聞』-「社説」)
 
 ウクライナや中東など世界各地で戦火が絶えない。核兵器の脅威が増す中、被爆者が発したメッセージは重い。
 日本全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が授与された。核使用は二度と許されないという「核のタブー」の確立が評価された。
 被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さんは受賞演説で、核使用のリスクが現実味を帯びている現状に「限りない悔しさと憤りを覚える」とし、「核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけない」と訴えた。
 被団協は広島と長崎への原爆投下から11年後の1956年に設立された。終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の報道規制で被爆者の被害の実態は長く隠されていたが、54年の高知県船籍の漁船も周辺海域で多数操業していたビキニ環礁水爆実験を機に反核運動が活発化し、長崎で結成大会が開かれた。
 結成宣言は「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」とうたう。原爆被害への国家補償と核兵器廃絶を活動の柱に据え、被爆者は国内外で体験を語り、被爆の実相と核兵器の非人道性を証言し続けた。
 2016年からは核廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」を展開。こうした地道な活動が実を結び、核兵器を全面的に違法化する核兵器禁止条約が17年に採択された。市民レベルから始まった運動は世界的に大きな広がりを見せている。
 ただ、先行きは楽観視できる状況ではない。来年は被爆から80年を迎える。被爆者は高齢化し、証言を直接聞ける時間はそれほど多くない。被爆体験を次世代につなぐ取り組みを一層進める必要がある。
 一方で核兵器の脅威はかつてないほど高まっている。今年の世界の核弾頭総数は約1万2千発。昨年から微減したが、運用可能分に限れば微増だった。核保有国は核戦力の維持や増強を進める。
 19年に米国はロシアとの中距離核戦力(INF)廃棄条約から離脱した。22年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議もロシアのウクライナ侵攻が影響して決裂した。
 先月にはロシアのプーチン大統領が核兵器使用の条件を拡大・緩和する核ドクトリンの改定版に署名。核使用のハードルが下がりかねず、警戒感が強まっている。
 唯一の戦争被爆国である日本政府が国際社会で果たす役割は大きいはずだが、その動きは鈍い。
 日本政府は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任するにもかかわらず、安全保障面で米国の核の傘に依存する。核禁条約にも参加せず、被爆者の怒りと失望を招いている。
 被団協の受賞を核保有国は真摯(しんし)に受け止めなければならない。同時に、日本政府も責任を果たす具体的な道筋を再考するべきだ。
 来年3月には第3回締約国会議が開かれる。被団協側が求めているオブザーバー参加にどう対応するか、まずはその姿勢が問われている。

平和賞の演説 被爆者の言葉胸に刻もう(2024年12月12日『西日本新聞』-「社説」)
 
 ひとたび核兵器を使うとどうなるか。被爆者が身をもって証言し、賛同の輪を広げたからこそ、世界は80年近く核の惨禍に遭わずに済んだ。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の功績にノーベル平和賞が贈られた。この機に「核なき世界」への誓いを新たにしたい。
 ノルウェーのオスロで授賞式があり、代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)が演説した。母親と目の当たりにした長崎市中心部の惨状を詳細に語り、被団協の歩みを振り返った。
 「核兵器は人類と共存できない」。田中さんの言葉は説得力を帯びて伝わったのだろう。演説が終わると、会場の人たちは立ち上がって大きな拍手を送った。この共感が核廃絶へのうねりを起こす力になると信じたい。
 1956年に結成された被団協は「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に、国内外で証言活動を続けてきた。非人道的な核兵器は使ってはならないという「核のタブー」の確立に貢献したことが高く評価された。
 授賞式に出席した被爆者17人はいずれも高齢である。
 広島と長崎で被爆した人の平均年齢は85歳を超えた。全国の被爆者は今年3月末で10万6825人となり、前年度より7千人近く減った。かつて全都道府県に組織された被爆者団体は、11県で解散、あるいは活動を休止した。
 被爆2世や若い世代が被爆体験を継承するようになったのは心強い。被爆者も「命ある限り」と奮闘しているが、核廃絶の道は険しい。
 ロシアによるウクライナ侵攻、パレスチナ自治区ガザでの戦闘は続き、世界で核兵器使用の危機が高まっている。
 核の使用を示唆して他国を脅す指導者もいる。「小型兵器なら使ってもいい」「戦争を早く終わらせるためなら仕方がない」。独善的な言動を許してはならない。
 ストックホルム国際平和研究所の推計によると、世界の核弾頭数は今年1月時点で1万2121発に上る。総数が減少する半面、使用可能な弾頭数は増えている。
 地球上に核兵器が存在する限り、使われる危険があると被団協は訴えてきた。世界の指導者は今こそ、被爆者の証言と警告に耳を傾けてもらいたい。
 核弾頭の約9割を保有する米国とロシアは、両国間で唯一残る核軍縮合意である新戦略兵器削減条約(新START)を更新すべきだ。2026年に失効しても、核保有数を増やしてはならない。英国やフランス、中国などの保有国も同調してほしい。
 核兵器禁止条約には今年9月までに94カ国・地域が署名した。米国の「核の傘」に依存する日本は、核保有国が参加していないことを理由に背を向けたままだ。
 被団協の願いに応え、来年3月の締約国会議にオブザーバーで参加すべきだ。それが戦争被爆国の責務だろう。

被団協平和賞演説 核廃絶の決意発信した(2024年12月12日『琉球新報』-「社説」) 
 
 核廃絶と被爆者救済の訴えに国際社会は真摯に向き合わなければならない。とりわけ日本は唯一の戦争被爆国として核廃絶に向け先導的役割を果たすべきである。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が授与された。代表委員の田中熙巳(てるみ)さんは受賞演説で、ロシアによる核威嚇、イスラエルの閣僚による核兵器使用への言及について「市民の犠牲に加えて『核のタブー』が壊されようとしていることに限りない悔しさと憤りを覚える」と述べた。
 数万人もの人命を一瞬で奪い、その後も放射能被害が被爆者の心身をむしばむ。残虐な兵器であるゆえ、為政者は「核のボタン」を押してはならない。この「核のタブー」が揺らいでいることへの危機感を表明したのである。
 同様に、フリードネス・ノーベル賞委員長も、被団協の平和賞受賞理由に「核のタブー」確立への貢献を挙げつつ、核使用が現実味を帯びていることに危機感を示した。
 授賞式が「核のタブー」を守り、核廃絶の決意を発信する場となった意義は大きい。
 核威嚇は国際社会に対する許しがたい脅しである。核抑止力の均衡ではなく核廃絶による平和構築こそが国際社会が目指すべき姿だ。身を持って核兵器の恐怖を知る被爆者らの言葉を核保有国は重く受け止めるべきである。
 被団協が発足したのは1956年である。背景には54年3月に起きた「第五福竜丸事件」を契機とした原水爆反対運動の高まりがあった。
 被団協が掲げる基本要求は核兵器の廃絶と原爆被害への国家補償である。この運動が「核のタブー」の確立につながった。被団協が提案し、各国の被爆者団体に広がった「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は2017年の核兵器禁止条約に結実した。
 しかし、被団協が掲げる要求と距離を置いているのが、他ならぬ被爆国日本であることは極めて残念である。
 日本政府は依然として核兵器禁止条約に批准していない。被爆地である広島市、長崎市が求めている核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加にも明確な態度を示していない。そればかりか石破茂首相は米国と日本の「核共有」に言及した。核抑止力への執着は被爆国の取るべき態度ではない。
 受賞講演の中で田中さんは「何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けている」と述べた。この訴えを政府は無視してはならない。
 被団協の平和賞受賞は、核戦争回避への努力と核廃絶への決意を国際社会に強く迫るメッセージとなった。政府はこのメッセージを受け止め、締約国会議へのオブザーバー参加と条約批准に踏み切るべきである。そのことが被爆国の責務である。

平和賞の演説 世界は被爆者の声を聞け(2024年12月11日『北海道新聞』-「社説」)
 
 広島・長崎の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)へのノーベル平和賞の授賞式が行われた。
 代表委員の田中熙巳さんは受賞演説で、被団協の核廃絶の取り組みによって、核が二度と使用されてはならないという「核のタブー」の形成に大きな役割を果たしたと強調した。
 だが核を巡る情勢は厳しさを増す一方だ。ウクライナを侵攻するロシアは核の威嚇を繰り返し、事実上の核保有国イスラエルの閣僚が核使用に言及した。
 田中さんはタブーが崩されようとしていることに危機感を示した。核保有国とその同盟国の市民に「核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っている」と訴えた。
 国際社会は被団協の願いに耳を傾け、核の危険性を真剣に考えなければならない。来年の被爆80年を控え、今こそ核兵器なき世界に歩みを進める時だ。
 被団協は1956年に結成された。原爆被害への国家補償と核兵器廃絶を二つの柱に掲げ、多くの被爆者が心身を削りながら国連などで核廃絶を唱えた。
 被爆体験に根ざした切実な訴えは少しずつ浸透し、核軍拡の歯止めに役割を果たしたと言える。それが結実したのが3年前に発効した核兵器禁止条約だ。開発から使用、威嚇まで禁じる。
 許し難いのは被団協の受賞決定後、ロシアのプーチン大統領がウクライナや欧米を威嚇するため、核兵器の使用基準を引き下げたことだ。
 米国のトランプ次期大統領が核軍縮に消極的なことも懸念される。第1次政権では、米ソ間で発効した中距離核戦力(INF)廃棄条約を破棄した。米ロ間に唯一残る核軍縮枠組みの新戦略兵器削減条約(新START)の延長にも難色を示した。
 世界の核弾頭の9割を米ロが占める。中国も米ロと互角の核戦力を目指して増強している。
 核保有国は歯止めなき軍拡が人類を破滅させかねないことを真剣に受け止めねばならない。
 日本政府は、米国の核を含む戦力で日本を守る拡大抑止の必要性を強調している。被爆者が切望する核兵器禁止条約にも背を向けたままだ。石破茂首相は次回締約国会議へのオブザーバー参加に慎重姿勢を崩さない。
 唯一の戦争被爆国としての責務を放棄しているに等しい。
 被爆者の平均年齢は85歳を超えた。被爆の実相をどう継承するかは喫緊の課題だ。
 核廃絶に向けた具体的な取り組みは待ったなしである。

平和賞の演説 世界は被爆者の声を聞け(2024年12月11日『北海道新聞』-「社説」)
 
 広島・長崎の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)へのノーベル平和賞の授賞式が行われた。
 代表委員の田中熙巳さんは受賞演説で、被団協の核廃絶の取り組みによって、核が二度と使用されてはならないという「核のタブー」の形成に大きな役割を果たしたと強調した。
 だが核を巡る情勢は厳しさを増す一方だ。ウクライナを侵攻するロシアは核の威嚇を繰り返し、事実上の核保有国イスラエルの閣僚が核使用に言及した。
 田中さんはタブーが崩されようとしていることに危機感を示した。核保有国とその同盟国の市民に「核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っている」と訴えた。
 国際社会は被団協の願いに耳を傾け、核の危険性を真剣に考えなければならない。来年の被爆80年を控え、今こそ核兵器なき世界に歩みを進める時だ。
 被団協は1956年に結成された。原爆被害への国家補償と核兵器廃絶を二つの柱に掲げ、多くの被爆者が心身を削りながら国連などで核廃絶を唱えた。
 被爆体験に根ざした切実な訴えは少しずつ浸透し、核軍拡の歯止めに役割を果たしたと言える。それが結実したのが3年前に発効した核兵器禁止条約だ。開発から使用、威嚇まで禁じる。
 許し難いのは被団協の受賞決定後、ロシアのプーチン大統領がウクライナや欧米を威嚇するため、核兵器の使用基準を引き下げたことだ。
 米国のトランプ次期大統領が核軍縮に消極的なことも懸念される。第1次政権では、米ソ間で発効した中距離核戦力(INF)廃棄条約を破棄した。米ロ間に唯一残る核軍縮枠組みの新戦略兵器削減条約(新START)の延長にも難色を示した。
 世界の核弾頭の9割を米ロが占める。中国も米ロと互角の核戦力を目指して増強している。
 核保有国は歯止めなき軍拡が人類を破滅させかねないことを真剣に受け止めねばならない。
 日本政府は、米国の核を含む戦力で日本を守る拡大抑止の必要性を強調している。被爆者が切望する核兵器禁止条約にも背を向けたままだ。石破茂首相は次回締約国会議へのオブザーバー参加に慎重姿勢を崩さない。
 唯一の戦争被爆国としての責務を放棄しているに等しい。
 被爆者の平均年齢は85歳を超えた。被爆の実相をどう継承するかは喫緊の課題だ。
 核廃絶に向けた具体的な取り組みは待ったなしである。

核兵器廃絶は人類の課題/ノーベル平和賞授賞式(2024年12月11日『東奥日報』-「時論」/『山形新聞』ー「社説」/『茨城新聞・山陰中央新報・佐賀新聞』-「論説」)
 
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞授賞式が、ノルウェー・オスロで開かれた。人類史上で唯一、核兵器で被爆した当事者として「ふたたび被爆者をつくるな」と核廃絶を訴え続けた努力が世界に認められた。心から祝意を送りたい。
 被団協は長く平和賞候補に挙げられていたが、2017年に「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が受賞したことで、その可能性はなくなったとの見方が大勢だった。今回の授賞は、国際情勢がそれだけ危機的で「核兵器使用は許されない」というノーベル賞委員会の強いメッセージと言える。
 被団協の運動は被爆後すぐに始まったわけではない。結成は1945年の広島・長崎への原爆投下から11年後だった。52年の日本の独立まで連合国軍総司令部(GHQ)によるプレスコード(報道規制)で、むごたらしい被害の実態はわずかしか伝えられなかった。
 54年、米国の水爆実験で漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被ばくするビキニ事件が起き、反核運動が高揚。翌55年に広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、さらに56年、長崎での被団協結成につながった。
 「今日までだまって、うつむいて、わかれわかれに、生き残ってきた私たちが、もうだまっておれないで手をつないで立ち上がろうとして集まった」。結成宣言は、こううたった。
 被爆者健康手帳の交付や手当支給、医療費無料化などを実現。2003年に始めた原爆症認定集団訴訟では勝訴を続け、認定要件の拡大を国に認めさせるなど上げた成果は大きかった。
 初代代表委員で「核と人類は共存できない」との信念を貫いた森滝市郎さん。82年に国連で「ノーモア・ヒバクシャ」と演説した山口仙二さん。2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で「地球上に1発も核兵器を残してはならない」と訴えた谷口稜曄さん。16年に広島を訪問したオバマ米大統領と対面し、核廃絶への思いを伝えた坪井直さん。
 こうしたリーダーが引っ張ると同時に、多くの被爆者や支援者の地道な取り組みがあったからこそ、運動は続いてきた。
 被団協運動の最大の柱は「核兵器廃絶」。だが現実は厳しい。米ロ、米中など核保有国の対立は深刻化。ロシアは核兵器使用のハードルを下げ脅威が増している。米国の「核の傘」の下にいる日本にとっても、核兵器禁止条約への参加は克服すべき課題だ。
 被爆者の平均年齢は85歳を超え、被団協の地方組織で活動を停止するところが増えている。一方、今回オスロを訪れた「高校生平和大使」や、20~30歳代の活動が裾野を広げている。ノーベル賞委員会も授賞理由で「日本の新たな世代は被爆者の経験とメッセージを引き継いでいる」と高く評価した。被爆者だけでなく、関わった全ての人たちが受賞したと言ってもいい。
 被団協代表委員の田中熙巳さんは核兵器廃絶は「人類の課題だ」と述べている。「核兵器では絶対に命を守ることができない。皆さんの未来は皆さんで切り開いていくんだと伝えたい」。この言葉を胸に刻み、一人一人が戦争や核兵器の問題を考える。そのことが今回の平和賞の意義をさらに高めることにつながる。

死んだ兄と自分を取り違えた新聞の訃報に…(2024年12月11日『毎日新聞』-「余録」)
 
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女性初のノーベル平和賞受賞者でノーベルとも親交があった平和活動家のベルタ・フォン・ズットナー=オーストリア大使館提供
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オスロ郊外の空港に到着し、取材に応じる日本被団協代表団の(手前から)田中熙巳さん、箕牧智之さん、田中重光さん=2024年12月8日、共同
 死んだ兄と自分を取り違えた新聞の訃報に「死の商人」の見出しがあった――。ダイナマイトを発明したノーベルが平和賞を作ったきっかけとされる逸話だが、確たる証拠はないという。より確かなのは元秘書のオーストリア人女性の影響だ
▲反戦小説「武器を捨てよ!」(1889年)で名声を得て平和運動にまい進したベルタ・フォン・ズットナー。晩年まで交流したノーベルは死の3年前に「普遍の平和に貢献した男性か女性への賞」を創設する考えを伝えた
キャプチャ
▲1905年に女性初の平和賞を受賞し、第一次大戦直前に亡くなった。飛行機の誕生で空も戦場になると警鐘を鳴らした予言的評論「空の野蛮化」は2度の大戦で現実化した。広島と長崎への原爆投下は究極の姿だ
▲日本原水爆被害者団体協議会へのノーベル平和賞の授賞式がオスロで行われた。長崎で被爆した代表委員の田中熙巳(てるみ)さんは受賞演説で「核兵器も戦争もない世界」に向けた協力を訴えた。過去の平和活動家たちの思いと重なる
▲「欧州が廃虚と失敗の見本となるか。危機を回避し、平和と法の時代に入るか」。約120年前に世界大戦回避を求めたズットナーの願いはかなわなかった
▲核戦争を回避できなければ人類の失敗だ。「思想は決して滅びず目的が達成されるまでさすらい続ける」。ズットナーをたたえた同郷の作家、ツバイクの言葉だ。田中さんが求めた「原爆体験者の証言の場」を通じ、被爆者の思いが世界へ若い世代へと広がることに希望を託したい。

被団協平和賞演説 核廃絶の願い世界に届け(2024年12月11日『新潟日報』-「社説」)
 
 世界各地で戦火が上がる中で発信された力強いメッセージだ。核なき世界へ。平和な世界を。被爆者の思いを受け止め、声を大にして訴え続けることが、唯一の戦争被爆国である日本の責務だ。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)へのノーベル平和賞の授賞式が10日、ノルウェーの首都オスロで行われ、代表委員の田中煕巳(てるみ)さんが演説した。
 13歳の時に長崎で被爆した田中さんは、目にした被爆地の惨状を振り返り、「人間の死とはとても言えないありさまだった。戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じた」と語った。
 今も1万2千発の核弾頭が存在していると指弾し、「核のタブーが壊されようとしていることに限りない悔しさと憤りを覚える」と強調した。
 「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張ろう」と呼びかけ、演説を終えた。
 つらい被爆の経験を乗り越えて核廃絶運動に取り組んできた田中さんの訴えは、多くの人々の心を打つものだった。
 被団協は1956年8月の結成以来、「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に核兵器の廃絶を国内外に訴えてきた。
 被爆の実相を伝える証言活動に力を入れ、多くの被爆者が国連など国際舞台で演説を重ねた。
 原爆の後遺症や世間の偏見などに苦しみながらも世界の平和のために力を尽くした先人の努力に思いをはせ、ノーベル平和賞の重みをかみしめたい。
 しかし、世界では核の脅威が高まっているのが現実だ。
 ウクライナやパレスチナ自治区ガザなどで上がった戦火はやむ気配がなく、今も多くの人々の命が失われている。
 ロシアのプーチン大統領は、核による威嚇を繰り返している。
 ロシアと米国の対立などで核兵器削減の交渉は停滞し、核軍拡競争は加速する懸念さえある。
 だからこそ目指したいのは、今回の被団協のノーベル平和賞受賞を、世界を核廃絶に向かわせる契機とすることだ。
 日本政府の役割は大きい。核なき世界に向けて国際社会の議論をけん引することは、被爆国としての使命といえる。
 73カ国・地域が批准している核兵器禁止条約への批准、条約締約国会議へのオブザーバー参加を前向きに検討すべきだ。
 田中さんは演説で、原爆で亡くなった人に対する補償をしてこなかった日本政府の姿勢を重ねて指摘し、批判した。
 被爆者の平均年齢は85歳を超えている。恐ろしい被爆体験を次の世代に伝承していかなければならない。核兵器は絶対に使ってはならない。その思いを私たち一人一人が改めて胸に刻みたい。

被団協とノーベル賞 核廃絶、理想ではなく現実に(2024年12月11日『中国新聞』-「社説」)
 
 広島と長崎の原爆の惨禍を証言し、「ふたたび被爆者をつくるな」と国際社会に核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協にきのう、ノーベル平和賞が贈られた。
 非人道的な殺りくの手段である核兵器を二度と使ってはならないとする「核のタブー」の確立に貢献したことが評価された。
 その歩みをたたえる授賞である。心から祝意を送りたい。とはいえ、喜んでばかりはいられない。ノルウェー・オスロでの授賞式で代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)が「『核のタブー』が壊されようとしていることに限りない口惜(くや)しさと憤りを覚える」と訴えたことは重い。
 ◆核のリスク高く
 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルが続ける中東での戦争などで、核のリスクはかつてなく高いレベルにある。被団協が平和賞に選ばれた意味を深く認識したい。
 平和賞には、これまでも核廃絶や核軍縮・不拡散に貢献した個人や団体が選ばれてきた。非核三原則の表明などで1974年に佐藤栄作元首相が選ばれた。被団協は日本から2例目の受賞となる。
 被爆60年の2005年は国際原子力機関(IAEA)とエルバラダイ事務局長、09年には「核兵器のない世界」を唱えた原爆投下国米国のオバマ大統領が受賞した。
 17年には核兵器禁止条約の制定に貢献した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))が輝いた。その活動を通じ、「ヒバクシャ」の国際的な認知度は高まった。一方で、長らく候補に挙げられてきた被団協の受賞の可能性はなくなったとの見方が大勢だった。
 核兵器禁止条約は21年、発効にこぎつけ、締約国も90を超す国・地域に広がった。だが、核保有国や、米国が差し掛ける核の傘の下にいる日本などは参加していない。
 ウクライナや中東で核保有国が核の脅しを伴って攻撃を続ける。米国と対立する中国は核弾頭の増産を急ぎ、北朝鮮はロシアと関係を強化しミサイル開発に余念がない。
 ◆「重要な警告だ」
 今回の授賞は、国際情勢がそれだけ危機的で「核の使用は許されない」というノルウェー・ノーベル賞委員会の強いメッセージと言える。フリードネス委員長がスピーチで「(平和賞授与のたび)核兵器に対する警告を発してきた。今年、この警告は例年よりも重要だ」と言及したことが示している。
 スピーチは被団協の姿勢にも光を当てた。「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」と決意して立ち上がり、どんな困難にぶつかっても核廃絶と国家補償の旗を下ろさなかった。被爆者自身による究明で、人間性を奪う核被害の実態を明らかにしてきた。
 初代代表委員で「核と人類は共存できない」と唱えた森滝市郎さんをはじめ、理論や情念で運動をけん引したリーダーの存在があった。同時に、被爆者や支援者の地道な活動があったからこそ運動は続いた。全ての被爆者と関わった人々の受賞といえよう。
 ◆若い世代に託す
 田中さんは演説の最後に、被爆証言を聞く機会を各国で設けてもらうよう呼びかけた。核保有国とその同盟国の政府の核政策を変えさせるのは市民の力であると強調し、「人類が核兵器で自滅することがないように」と。
 前日の記者会見では、次世代に託す気持ちを「核兵器で何が起きるのかを伝えていきたい。皆さんの未来は皆さんで切り開いていくんだと伝えたい」と語っていた。この言葉を胸に刻みたい。核兵器も戦争もない世界を理想ではなく現実とするため、われわれは行動しなければならない。来年は被爆80年。老いを深める被爆者に頼れなくなる日は遠くない。

目に焼き付いた戦争(2024年12月11日『中国新聞』-「天風録」)
 
 関心が薄れていた人も多いだろう。シリア情勢に。アサド政権が崩壊した。半世紀以上続いた独裁体制。それを反体制派があっという間、10日ほどで打ち倒す。ロシアやイランから政権への軍事支援が薄れた隙を突いた
▲「うれしいが同時に恐ろしい。何が起きるか」。市民は話す。独裁者は去ったものの、周辺国の思惑も絡み、国の先行きは見えてこない。長い内戦に、イスラム国の介入もあった。住民も国土もすっかり疲弊している
▲「爆撃と戦争しか記憶にない」。命からがら逃れた難民も多い。昨年2月のトルコ・シリア大地震で両国の子ども700万人が被災した。内戦に災害。子どもたちが気がかりだ。瞳に映ってきたのは何だろう。大勢が憎み合い、殺し合う光景ではないか
▲ノルウェー・オスロの会場に、被爆者による「原爆の絵」が並ぶ。日本被団協のノーベル平和賞受賞に合わせて。あの日、被爆者の目に焼き付いた光景である。数え切れぬ遺体、電車の乗降口で黒焦げになった母子…
▲「貧者の核」がシリアには残されているらしい。開発費の安い化学兵器のことだ。子どもの目に映る戦争や兵器、絶望的な状況。私たちはいつ、消し去れるのだろ

頼んだよ(2024年12月11日『高知新聞』-「小社会」)
 
 古い本紙の記事を検索していると、高知県に住む被爆者の証言に出合う。手を止めたのは1975年の特集。まだ戦後30年。被爆者は若く、証言は生々しい。
 兵役で広島にいた40代男性らさまざまな人がいる。長崎出身で後に捕鯨船の船員だったご主人と結ばれ、高知市に住む女性も45歳。被爆時の地獄を語る。「人がものすごい格好で歩いていた。髪も服も焼けて男か女かわからない」「目玉が飛び出し、それを手で押さえている人もいた」
 被爆者は戦後も健康への不安や差別に苦しんだ。女性はこうも言う。「友人に死産した人が多い…子供は断念せざるを得なかった」
 80年、当時の厚生相の私的諮問機関が打ち出したのが「受忍論」だった。戦争被害は国民が等しく我慢すべきだとし、国家補償を否定した。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は核兵器の廃絶と国家補償を運動の柱に、傷ついた心身をさらして証言を続けてきた。
 被団協にノーベル平和賞が授与された。ただ、来年は戦後80年。被爆者の平均年齢は85歳を超え、全国で活動は岐路に立つ。核の使用をちらつかせる指導者が現れた世界。地獄と受忍を強いられる人々を再び出してはならない。
 過日、核廃絶を目指す団体代表理事、高橋悠太さんの記事があった。24歳。中高生の頃、被団協の代表委員だった故坪井直さんの証言を冊子にまとめた。坪井さんは「頼んだよ、若者」と握手したという。

被団協ノーベル平和賞演説 「核のタブー」を今こそ(2024年12月11日『沖縄タイムス』-「社説」)
 
 「『核のタブー』が崩されようとしていることに限りない口惜しさと怒りを覚える」
 ノーベル平和賞授賞式がノルウェーの首都オスロで開かれ、世界に被爆の実相を伝えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に平和賞授与された。
 授賞式の演説で被団協代表委員の田中熙巳さん(92)が強調したのは、今まさに世界は現実的な「核の脅威」にさらされているとの強い危機感だった。
 結成から68年。被団協はこれまで、二つの基本要求を掲げて運動を展開してきた。
 一つは、原爆被害は戦争を遂行した国が償わなければならないということ。そして二つ目は、核兵器は非人道的な殺りく兵器であり、人類とは共存させてはならないということだ。
 核兵器で被爆した当事者として「ノーモア・ヒバクシャ」を合言葉に核廃絶を訴える草の根の活動は、核兵器は二度と使われてはならないという「核のタブー」を世界に広める役割を果たした。
 一方、なおも世界には1万2千発の核弾頭が存在する。
 ロシアのプーチン大統領は先月、核攻撃に踏み切る際の軍事的脅威の条件を拡大する「核抑止力の国家政策指針」(核ドクトリン)の改定を承認した。
 イスラエルはパレスチナ自治区ガザに攻撃を続ける中、閣僚が核兵器の使用を口にした。
 戦争が広がり「核の脅し」はより現実味を増している。
■    ■
 田中さんは13歳の時に長崎の爆心地から3キロ余り離れた自宅で被爆した。爆撃機の音が聞こえると真っ白な光に体が包まれ、強烈な衝撃波が通り抜けたという。1発の原爆は身内5人の命を奪った。
 「その時の死にざまは人間の死とはとても言えないものだった。たとえ戦争といえども、こんな殺し方、傷つけ方をしてはいけない」
 広島や長崎への原爆投下から来年で80年となる。
 しかしいまだに被爆者への補償は十分とは言えない。
 特に長崎には国が定める被爆地域の外にいたため「被爆者」と認められず「被爆体験者」と呼ばれる人たちが多くいる。被爆者の認定制度を巡って今も司法の場で争われているのである。
 国は全面救済へ速やかに動くべきだ。
■    ■
 日本は米国の「核の傘」への依存を強め、唯一の戦争被爆国でありながら核兵器禁止条約に署名・批准していない。
 それどころか石破茂首相は就任前に寄稿した論文で、米国の核を日本で運用する「核共有」や核の「持ち込み」について議論する必要性に言及したのである。
 これでは政府が主張してきた「核軍縮」にも逆行することにならないか。
 地球上に存在する核弾頭のうち4千発は即座に発射可能とされる。廃絶こそを目指すべきだ。

ヒダンキョウの同志(2024年12月10日『中国新聞』-「天風録」)
 
 東京・夢の島の第五福竜丸展示館で1枚の寄せ書きを見たことがある。70年前のビキニ水爆実験で被曝(ひばく)した久保山愛吉さんの死を悼み、ある大学生協で働く有志が思いをつづった。若き日の田中熙巳(てるみ)さん(92)の名前が残る
▲久保山家に全国から届いた手紙の中にあった。長崎で被爆し、親族5人を失った田中さんは「近親を殺されたものとして」憤り、平和のため頑張ろうと誓っている。苦学して工学研究者となり、日本被団協の活動に携わっていく原点にほかならない
▲きょうノーベル平和賞の受賞演説に臨む。核廃絶を求める力強い言葉とともにヒダンキョウは世界に知られよう。日本原水爆被害者団体協議会。その名に「水」が入る意味はやはり重い
▲もう黙ってはいられないと広島と長崎の被爆者が運動に立ち上がったのもビキニ事件がきっかけ。後にヒバクシャが国際語となるのは原爆の被爆地と世界の核被害者が手を携えなければ、という危機感からでもあろう
▲度重なる米核実験で死の灰が降ったマーシャル諸島の人々。原爆開発に伴う健康被害を訴える米国の住民。韓国やブラジルなどで生きる在外被爆者…。ヒダンキョウの世界の同志もオスロに目を注ぐ。

日本被団協に平和賞 「核なき世界」実現の一歩に(2024年10月13日『河北新報』-「社説」)

 核の脅威が現実味を帯びる中、広島と長崎の被爆者による非核・反核活動が高く評価された。平和を守るために必要なのは、非人道的な核被害を伝える言葉と核兵器廃絶に向けた対話であり、核による抑止ではない。国際社会に向け、強い警鐘が鳴らされた。
 ノーベル平和賞に、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が決まった。ノーベル賞委員会は「核兵器が二度と使用されてはならないことを証言を通じて示した。並外れた努力は核のタブーの確立に大きく貢献した」と称賛した。
 被団協は、原爆投下の惨禍から立ち上がった人々が1956年に結成。「ノーモア・ヒバクシャ(ふたたび被爆者をつくるな)」を合言葉に、約70年にわたり核兵器廃絶を世界に訴えてきた。被爆者の方々に敬意を表したい。
 厚労省によると、被爆者健康手帳を持つ人の平均年齢は85歳超。被団協の地方組織は、山形を除く東北5県など36都道府県にあるが、活動継続や財政難が大きな課題だ。今回の受賞決定を機に、あらためて原爆の惨禍を語り継ぐ意義が注目されたことだろう。活動を支える輪を広げたい。
 ロシアのウクライナ侵攻や中東危機、中国や北朝鮮の核戦力増強など、世界の安全保障環境は厳しさを増す。核兵器開発は進み、核への依存が強まっている。
 核軍縮の枠組みも揺らぐ。2022年の「核拡散防止条約(NPT)」再検討会議は、ロシアの反対で最終文書を採択できなかった。26年に期限が切れる米ロ間の核軍縮合意「新戦略兵器削減条約(新START)」を巡っては、ロシアが履行停止を表明し、先行きは不透明だ。
 米国の「核の傘」の下にある日本でも、核廃絶を巡る議論は停滞気味だ。それどころか、石破茂首相は先月の自民党総裁選で、米国の核兵器を日本で運用する「核共有」を提起した。核保有の正当化であり、被団協が強い危機感を示したのは当然だろう。
 被団協は政府に対し、核兵器を全面的に違法化した「核兵器禁止条約」への参加を繰り返し求めている。前文に「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と明記する条約は、被団協の尽力なしに成立しなかった。
 だが、政府は核の保有国と非保有国との「橋渡し」を理由に応じる気配はない。締約国会議へのオブザーバー参加すらも拒んでいる。本来は積極的に関与し、対話を通して核廃絶に向けた道筋をつくるべきではないか。
 被団協の活動が世界の関心を集める中、15日に衆院選が公示される。条約参加に関しても、争点として論戦が深まることを期待する。
 政府は唯一の戦争被爆国として、国際社会で主導的な役割を果たす責務がある。被団協が訴えてきた「核なき世界」を現実とするための一歩を今こそ踏み出すべきだ。

(2024年10月13日『秋田魁新報』-「北斗星」)
 
 核を持たない国が、持っている国に対し、期限を切った上で、まずは半分に減らすよう提案する。その代わり自分たちは核を持たないと約束する―
▼日本にとっての積極的な国防とは、そうしたことを積極的に国連に働きかけ核保有国に核放棄を提案することなのではないか。思想家の故吉本隆明さんが共著「悪人正機」(新潮文庫)で述べている
▼ノーベル平和賞が被爆者らでつくる「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」に贈られることが決まり、冒頭の提案を思い起こした。ノーベル賞委員会の英断に快哉(かいさい)を叫んだ人は多かっただろう。核廃絶へのたゆまぬ歩みに光が当たった意義は極めて大きい
▼被爆者たちはそれぞれが受けた被害や差別に苦しみながらも勇気を奮って広島や長崎の惨状を伝え、核の恐ろしさを世界に訴え続けた。被爆の記憶が風化してしまわないよう、長年にわたり運動を展開してきた一人一人に頭が下がる思いだ
▼ただ現実を見れば、米国やロシアが世界の核弾頭の大半を保有し、中国などがそれに続く状況には変わりがない。近年はウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が核の使用をちらつかせるなど核廃絶に程遠い。加えて日本は核兵器禁止条約を批准していない
▼吉本さんは別の著書で、日本は平和憲法を持つ国として積極的に、かつ遠慮なしに核廃絶を主張したらいいとつづっている。それが、核を持たない大多数の国々が唯一の被爆国に求めている姿なのではないか。

伝え続ける「痛み」、被団協にノーベル平和賞(2024年10月13日『産経新聞』-「産経抄」)
 
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ノーベル平和賞に決まり、記者会見する被団協の田中熙巳さん(中央)ら=12日午後、東京都千代田区(斉藤佳憲撮影)
 長崎で被爆した山口仙二さんに『115500m2の皮膚』と題した著書がある。熱線に焼かれた皮膚を一人半畳(0・8平方メートル)と仮定し、長崎の犠牲者と負傷者を合わせるとその面積になるという。大人の皮膚は1畳分である。
▼山口さんは14歳で熱線を浴びた後、痛みに耐えかね何度も自死を図った。原爆が残したのは皮膚の傷だけではない。「刻みこまれた精神の傷はいやされない」と書いている。被爆者の痛みの総和を知るすべはない。だからこそ証言に耳を傾け、わが事として胸に刻む必要がある。
▼核兵器廃絶運動の先導者として、山口さんが国連軍縮特別総会に登壇したのは1982年である。顔などにケロイドの残る自身の写真を手に、「ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」と訴えた。苦しむのは自分たちで最後にしてほしい、と。
▼色あせぬ演説から42年、この知らせが世界を変える契機となるだろうか。山口さんが代表委員を務めたこともある日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が、今年のノーベル平和賞に選ばれた。核使用の脅威が現実味をもって語られる中での授与は世界への警鐘にほかなるまい。
▼ただし、被団協の「人類と核兵器は共存し得ない」との声をよそに、国際情勢が突きつける現実は厳しい。中露や北朝鮮は核戦力による威嚇で世界の緊張を高めている。これら専制国家に囲まれたわが国は、核抑止による備えを講じる必要がある。
▼「私の顔や手をよく見て下さい」。被爆者に刻まれた傷を、国連の場で示した山口さんもいまは亡い。被爆者が高齢化する中、次の世代が証言をどう語り継ぐかも問われている。唯一の被爆国であるわが国だからこそ、伝え続けねばならない「痛み」がある。

被団協ノーベル平和賞 核なき世界の誓い今こそ(2024年10月13日『琉球新報』-「社説」)
 
 「ノーモア・ヒバクシャ」―。地球上で核の脅威が増す中、広島、長崎の声に今一度世界が耳を傾ける時だ。
 今年のノーベル平和賞が、日本全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に授与されることが決まった。1956年の結成以来68年、原爆被害の当事者として核兵器の脅威と非人道性を証言し、国際社会の先頭に立ち核廃絶の運動を導いてきた。「核なき世界」を訴え続けた努力と崇高な精神に、改めて敬意を表する。
 日本は世界で唯一の戦争被爆国である。政府は被爆者団体と平和の誓いを共にし、核廃絶を主導する役割を果たさなければならない。各国が立場の違いを超え、核兵器の縮小・放棄で歩み寄る橋渡しをすることだ。
 しかし、日本政府は核廃絶に背を向けて、安全保障政策で米国の「核の傘」への依存を強めている。
 日米両政府は岸田政権時の7月に、核拡大抑止に関する外務・防衛担当閣僚会合を初めて開いた。石破茂首相は就任前の米保守系シンクタンクへの寄稿で、アジア版NATOを創設した上で「核の持ち込みや共有」を検討する必要性があると主張していた。
 石破首相は12日に被団協代表委員の田中煕巳(てるみ)さんへの電話で「究極的には核廃絶だと思っているが、現実的な対応をしていかねばならない」と述べ、核抑止力が必要との考え方を示したという。米国の核戦力と一体になることで、中国やロシア、北朝鮮など周辺の核保有国をけん制する戦略を主張したいのだろう。
 生きているうちに核のない世界の実現をと願う被爆者の思いをむげに扱う、あまりに非情な発言だ。被団協への賞授与によって世界の反核機運を高めたいと託したノーベル賞委員会の決定にも冷や水を浴びせるようなものだ。
 核抑止力を容認すれば必ず軍拡競争に陥る。世界は今、核兵器が使用されかねない瀬戸際にある。ロシアは核による脅しを繰り返し、北朝鮮やイランは核開発を進める。核使用に「必要悪」はない。原爆投下の地獄を知る国として、核兵器の一切を否定する立場を崩してはならない。
 米統治時代、沖縄には1300発の核兵器が配備・貯蔵されていた。日米の沖縄返還交渉では、沖縄への核の再持ち込みを認める密約を交わしていた。現在、米中対立の前線として南西諸島の要塞(ようさい)化が進む。沖縄にとって核の存在は過去のものではなく、脅威として色濃くなっている。
 核兵器の開発から使用までを全面禁止する核兵器禁止条約が2021年に発効した。この画期的な国際法に、肝心の日本が批准していない。締約国会議へのオブザーバー参加にさえ踏み出していない。
 戦後80年にさしかかり、被爆者が少なくなる中で体験継承の課題もある。核廃絶をただちに行動に移すことが政府に求められる。

被団協にノーベル平和賞 核廃絶 今こそ行動の時だ(2024年10月12日『北海道新聞』-「社説」)
 
 今年のノーベル平和賞は、日本全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に授与される。
 長年、核兵器廃絶運動を主導し、国内外で被爆の実相を証言する活動を続けてきた。
 その取り組みは核の非人道性を世界に知らしめ、人々の心を揺さぶった。それが核使用の歯止めとなり「核兵器なき世界」を目指す原動力となっている。
 被爆者たちの切実な願いが認められたことを喜びたい。
 世界は今、核廃絶の願いに逆行し、むしろ核戦争の危機が急速に高まっている。
 ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻後、核兵器の威嚇を繰り返し、中東の戦火も核戦争を招く恐れがある。中国や北朝鮮は核増強を続けている。
 被団協への授賞は、再び核の惨禍を招きかねない世界への警鐘にほかならない。
 日本は先の大戦下で広島と長崎に原爆を投下された唯一の戦争被爆国だ。政府は本来なら被団協と共に核なき世界を主導する責務がある。ところが最近は逆行する姿勢ばかりが際立つ。
 核軍縮の取り組みは喫緊の課題である。核なき世界に向けて今こそ日本が先頭に立つ時だ。
■被爆者の願い訴えた
 被団協は1956年に結成された。その2年前、米国の水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくし、これを機に、原水爆禁止運動が活発化した。
 結成宣言では「私たちの体験を通して人類の危機を救おう」と決意し「人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません」と訴えた。
 心身の傷痕をさらしながら国連や国際会議に代表を派遣して世界に呼びかけた。
 ノーベル賞委員会は「肉体的苦しみやつらい記憶を、平和への希望を育むことに生かした全ての被爆者に敬意を表したい」とたたえた。
 被爆者たちの「核は人類と決して共存できない」との訴えを忘れるわけにはいかない。
 草の根の取り組みは世界を動かした。その運動の成果が、核兵器の使用から保有まで全てを禁じた核兵器禁止条約だ。
 国連で2017年に採択され、その年のノーベル平和賞は被団協と共に条約制定に尽力した非政府組織(NGO)の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が受賞した。
 条約は21年に発効し、批准は70カ国・地域を超えた。
 核廃絶を求める声は確実に広がっている。それが現実だ。
■抑止論との決別急務
 ノーベル賞委員会は、被団協が核のタブー確立に大きく貢献したと評価した。実際に「使う」ことはもとより、使うと脅すことさえ許されないというのが国際規範になりつつある。
 プーチン大統領は、危険極まりない核の威嚇を続けて悪びれる様子もない。
 核は絶対悪だ。威嚇することさえタブーだという規範を確立する必要がある。
 世界にはなお1万2千発以上の核兵器がある。
 事実上の核保有国イスラエルと対立するイランが、核開発を加速させる懸念がある。中国は急速に核戦力を増強し、北朝鮮の核開発問題も解決の見通しが全く立たない。
 新冷戦と言われる中ロと米欧の相互不信が深まる中、核軍拡はとどまるところを知らない。
 核軍拡を支える抑止論は核を持つことで相手の攻撃を思いとどまらせる考え方だ。
 これでは核軍拡は際限がなく、誤情報や誤作動などの偶発的な核戦争のリスクは高くなるばかりだ。
 その先に待つのは人類の破滅でしかない。核抑止論との決別こそが急務である。
■日本は責務を果たせ
 日本の個人や団体への平和賞は、非核三原則の表明で74年に受賞した佐藤栄作元首相に次いで2例目だ。
 だが、その非核三原則が揺らいでいる。中国や北朝鮮の核増強に対抗して、石破茂首相は自民党総裁選で米国の核兵器を日本で運用する「核共有」や核の持ち込みを提起した。
 岸田文雄前首相は昨年、先進7カ国首脳会議(G7サミット)を広島で開催し、核抑止を肯定する文書を採択した。
 退任間際の今年7月には、米国と核抑止力を含む「拡大抑止」の強化に合意し、米国の「核の傘」への依存を深めた。
 被爆者が繰り返し求めてきた核兵器禁止条約にも、政府は一貫して背を向けている。
 これでは被爆国としての責務を果たすことなどできない。まずは核禁条約の次回締約国会議にオブザーバー参加することが、被団協の受賞決定に応える態度ではないか。
 来年は被爆80年の節目だ。被爆者の高齢化は進んでいる。核廃絶に向けた動きは待ったなしである。
 核なき世界を諦めてはならない。被団協の受賞決定を機に、改めて歩みを進める時だ。

「核なき世界」の一里塚に/被団協にノーベル平和賞(2024年10月12日『東奥日報』-「時論」/『山形新聞』ー「社説」/『茨城新聞・山陰中央新報・佐賀新聞』-「論説」)
 
 来年の被爆80年を前に、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が贈られる。日本人の絡む受賞は「非核三原則」提唱などで受賞した1974年の佐藤栄作元首相以来の快挙だ。
 
 平均年齢が85歳を超えた被爆者は、一貫して核廃絶を求め先頭に立ち続けてきた。核兵器禁止条約発効の立役者であり、79年間、核が使われなかった「不使用の継続」を可能にしてきたのも被爆者の存在があったからだ。今回のノーベル賞委員会の英断に最大限の賛辞を贈りたい。
 通常爆弾と違い、熱線や爆風の被害に加え、放射線によって生身の人間を骨の髄からむしばむのが核兵器の最大の特徴であり、その罪深さは語り尽くすことができない。
 放射線被害に今も苦しむ被爆者の存在はもちろん、原爆症発症の恐怖と絶えず背中合わせの人生を送ってきた多くの被爆者がいる。結婚や職業上の差別に直面した被爆者、「自分だけが生き延びてしまった」との負い目にさいなまれ、トラウマを抱える被爆者もいる。
 「被爆当時、兄は母のおなかの中にいた。原爆投下で重い十字架を背負うことになった」。母親の胎内で被爆し生後、重い障害に苦しんだ原爆小頭症の被爆者を兄に持つ広島市在住の長岡義夫さん(75)の言葉だ。
 長岡さんは小頭症の被爆者と家族、支援者でつくる「きのこ会」の会長で、兄の身の回りの世話や仲間の介護支援に日々奔走してきた。小頭症被爆者の中には、差別を恐れた親が姉妹を連れて家を出て行ったケースもある。
 「お母さんのおなかの中で被爆さえしなかったら、どんな人生を送っていたことか…」。長岡さんは無数の被爆者から尊厳を奪った核兵器を憎み、核廃絶を心から願う。
 同じ平和賞受賞者の佐藤栄作氏が唱えた「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則は日本の国是となった。それは唯一の被爆国としての必然的な帰結であった半面、冷戦後、日米の公文書が開示されるにつれて、その欺瞞(ぎまん)性が明らかになった。
 「非核三原則はナンセンス」「持ち込ませずは誤りだった」。佐藤氏の口から、こんな言葉が発せられていたことが公文書から判明したのだ。
 そして現在、安全保障環境の悪化を理由に一部政治家からは非核三原則の見直し論が聞かれる。石破茂首相も就任前、米国との核共有を選択肢とする考えを米シンクタンクへの寄稿で表明した。
 人間を虫けらのように殺りくし、放射線被害の憂いを残す核兵器は絶対悪だ。一度崩れたら未曽有の惨禍を招く核抑止に持続可能性はなく、核に依存しない安全保障の構築にこそ尽力すべきだ。
 石破首相は考えを改めると同時に、長崎の被爆体験者を含む核の被害者への支援を強化し、核兵器禁止条約締約国会議にもオブザーバー参加しなくてはならない。
 「核と人類は共存できない」。広島原爆で右目を失った哲学者、故森滝市郎氏の言葉を、人類全体がしっかりと胸に刻みたい。また被爆者の老いが進む中、核廃絶という使命を国民全体で背負っていきたい。被爆・戦争体験の風化が懸念される中、若い世代への継承を新たな国民運動に発展させることも重要だ。今回の受賞を人類が「核なき世界」に向かう大切な一里塚としなくてはならない。

ノーベル平和賞/核兵器廃絶へ大きな一歩に(2024年10月12日『福島民友新聞』-「社説」)
 
 核兵器廃絶を訴え続けた懸命な取り組みが、平和を希求する世界中の活動の力となってきた。授賞を「核なき世界」を実現する大きな一歩にしなければならない。
 広島、長崎の被爆者らでつくる全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」に、今年のノーベル平和賞が授与されることになった。日本の個人や団体への平和賞は、非核三原則を表明し、1974年に授賞した佐藤栄作元首相以来、50年ぶり2例目だ。
 56年に結成された被団協は、被爆体験の伝承や後遺症に苦しむ被爆者の救済に取り組むなどして、核兵器廃絶に向けた世界中の運動を先導してきた。「ふたたび被爆者をつくるな」との強い思いや訴えが、日本以外の新たな戦争被爆国を生まないことに大きく貢献してきたのは間違いない。
 ノーベル賞委員会は「肉体的苦しみやつらい記憶を、平和への希望や取り組みを育むことにささげた全ての被爆者に敬意を表したい」としている。被爆者らの長年にわたる活動が、高く評価された意義は大きい。
 東西冷戦の終結から長い時間が経過した今も、世界は核の脅威にさらされている。ロシアはウクライナ侵攻で核兵器使用の可能性をちらつかせ、中東では核保有国とされるイスラエル、核開発を続けるイランとの間で緊迫感が高まっている。中国は核戦力を強化し、北朝鮮も核開発に躍起だ。
 日本政府は核廃絶を唱える一方で、米国と共に核抑止力の強化を進めている。2017年に国連で採択された核兵器禁止条約については「核保有国を動かさないと現実は動かない」として参加に否定的な姿勢を崩していない。
 核廃絶への流れは逆行しているとの指摘があるなか、今回の授与は、核なき世界に向けた機運を高める狙いがあるとされる。日本政府は、唯一の戦争被爆国として核に依存しない安全保障を目指すとともに、保有国への働きかけを強め、核軍縮や核廃絶の流れを確かなものにする責務がある。
 原爆投下から来年で80年となる。被爆者の平均年齢は85歳を超え、2世も高齢化が進む。被団協は会員の減少で財政難に直面し、地方組織などは活動休止や解散などを余儀なくされている。次世代への継承は待ったなしの状況だ。
 「生き証人」である被爆者の悲惨な経験をどう後世に伝え、核廃絶に結びつけていくか。政府は当事者らの切実な声に真摯(しんし)に耳を傾け、被爆者らの活動を力強く支援し、切迫している多くの課題の解決に導いていくべきだ。

重いバトン(2024年10月12日『福島民友新聞』-「編集日記)
 
 原爆で命を奪われた父親が、図書館で働く娘の前に現れて言う。広島であんなにむごい別れが何万もあったことを覚えてもらうため、おまえは生かされている。「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」(「父と暮せば」新潮社)
▼この芝居の作者、井上ひさしは原爆の投下について「自分の作ったもので自分が存在しなくなるかもしれない。そうした構造が、あの瞬間に地球上に現れた」とも書き残している。だからこそ、被害を受けた日本人がその記憶をリレーしていかなければならないーと
▼あの日とは比べようもないほどの脅威をはらんだまま、核兵器は存在する。使用することを辞さないと言ってはばからない国の指導者もおり、再び惨禍が繰り返される恐れが高まっている。それが79年後の現実だ
▼被爆者が悲しい記憶を繰り返したどりながら、伝え続けるのは苦しい営為であり、これからもそうであるに違いない。そして、その全員がよわいを重ねている
▼核兵器の恐ろしさが世界に発信される以上に大切なのは、記憶のリレーをどう続けるかだろう。バトンの重みを誰かに任せてしまうのではなく、分かち合う契機に。

日本被団協に平和賞 高まる核リスクへの警鐘(2024年10月12日『毎日新聞』-「社説」)
 
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日本被団協のノーベル平和賞受賞を祝う電話に「ありがとうございます」と涙ぐみながら応じる、広島県原爆被害者団体協議会の箕牧智之理事長=広島市役所で2024年10月11日午後6時51分、安徳祐撮影
 非人道的な兵器が二度と使われることがないよう、誓いを新たにする契機としたい。
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ノーベル平和賞受賞決定を受け、記者会見した長崎原爆被災者協議会のメンバーら=長崎市で2024年10月11日午後8時22分、百田梨花撮影
 広島、長崎に投下された原子爆弾の被害者でつくる唯一の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)に、ノーベル平和賞が贈られることが決まった。
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日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まった後、原爆慰霊碑を訪れる人たち=広島市中区の平和記念公園で2024年10月11日午後6時45分、中村清雅撮影
 ノルウェーのノーベル賞委員会は「核兵器のない世界の実現に向け努力し、二度と使われてはならないと、証言を通じて示した。世界で幅広い運動を生み出し、核のタブー確立に大きく貢献した」と理由を説明した。
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来日したバラク・オバマ米大統領と握手をする坪井直・日本被団協代表委員(ともに当時)=広島市中区の平和記念公園で2016年5月27日午後6時6分、小関勉撮影
 受賞決定後、広島県被団協の箕牧智之理事長は「私たちが生きているうちに核兵器をなくしてください」と訴えた。
 人類が初めて核兵器の惨禍を経験してから間もなく80年となる。
 1945年8月、米軍の原爆投下で二つの都市は壊滅し、その年末までに21万人以上が亡くなった。生き残った人々も大けがをした。今も多くの被爆者が放射線の後遺症に苦しんでいる。
ヒバクシャの声世界に
 日本被団協は、太平洋のビキニ環礁で米国が実施した水爆実験により、日本の漁船員が被ばくして死亡したことを受け、56年に結成された。
 被爆者を支援するほか、体験を伝える「語り部」として世界各地を訪ねた。核廃絶に向けた国際的な署名活動にも取り組んだ。
 長年の活動で「ヒバクシャ」は世界の共通語となった。「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ」をスローガンに、市民レベルの動きは国際的に広がった。
 核兵器の非人道性についての認識が共有されるようになり、核兵器禁止条約に結実した。条約制定を推進したNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)には、2017年に平和賞が贈られた。
 今回の受賞決定は、核廃絶に向けた動きが後退し、核戦争のリスクが現実味を帯びつつある国際社会の現状への警鐘だ。
 ロシアは22年2月、隣国ウクライナに侵攻した。その秋にウクライナ軍が反攻すると、プーチン大統領は「領土が脅かされれば、あらゆる兵器を使う」と核の使用も辞さない姿勢を強調した。
 バイデン米大統領は「(62年の米ソ)キューバ危機以来の核の脅威に直面している」と警告した。
 中東では、事実上の核保有国であるイスラエルと核開発を進めるイランが報復合戦を繰り広げる。
 北朝鮮は2年前、核の先制使用もあり得るとの新たな政策を打ち出し、韓国への戦術核使用をちらつかせている。
 米ソ冷戦時代、世界の核兵器は増え続け、86年に約7万発に達した。その後の核軍縮交渉や冷戦終結などを受けて減少し、現在は1万2000発余だ。
日本が役割果たす時だ
 しかし、近年、大国は核軍縮から背を向け、核戦力の増強に転じている。
 19年にトランプ前米政権はロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱した。22年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議はロシアの反対で決裂した。
 米露は核戦力を軍事戦略の基盤に据え、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの更新を進める。中国の核兵器保有数は、現在の約500発から30年には1000発に倍増するとみられている。
 唯一の戦争被爆国として、日本が国際社会で果たす役割は大きいはずだ。にもかかわらず、政府の動きは鈍い。
 核兵器禁止条約に加盟しないだけでなく、締約国会議へのオブザーバー参加にも後ろ向きだ。
 「保有国と非保有国の懸け橋になる」ことを掲げながら、行動は伴っていない。東アジアの安全保障環境の悪化を理由に、米国の「核の傘」を含む抑止力の強化を推し進めている。
 広島市で昨年開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)は、「核兵器のない世界」を目標に掲げたが、「防衛目的の役割」を肯定し、被爆者を失望させた。
 被爆者の高齢化が進み、体験を語ることができる人は減っている。記憶を次世代にいかに継承していくかが課題だ。
 「ネバーギブアップ(決して諦めない)」。日本被団協の代表委員を務め、21年に亡くなった坪井直(すなお)さんの言葉である。
 政府は被爆者の思いを真摯(しんし)に受け止め、「核なき世界」の実現に向け、今こそ行動する時だ。

「魚屋殺すにや3日もいらぬ…(2024年10月11日『毎日新聞』-「余録」)
 
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水爆実験で被ばくした第五福竜丸を調べる米原爆傷害調査委員会(ABCC)のメンバー。原水爆実験中止を求める世論の盛り上がりをきっかけに日本被団協が結成された=静岡県焼津市で1954年3月20日、写真部員撮影
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日本被団協にノーベル平和賞を授与する理由を述べるノーベル賞委員会のフリードネス委員長=オスロで2024年10月11日、NTBロイター
 「魚屋殺すにや3日もいらぬビキニ灰降りやお陀仏(だぶつ)だ」。70年前、ビキニ環礁での米国の水爆実験で第五福竜丸が被ばくした事件でいち早く原水爆禁止の声を上げたのは鮮魚商たちだった
▲「痛いときは痛いと言おう。それが民主主義だ」。東京・築地市場で開かれた魚業者大会は原水爆実験の即時中止を決議。東京都杉並区では鮮魚商の妻の訴えが区を挙げた署名活動に結びつき、全国に広がった
▲その後の1年間に集まった署名は国内で3200万、世界では6億を超えた。こうした世論の盛り上がりを背景に1956年8月10日に結成されたのが日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)だ
▲「かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります」。結成宣言「世界への挨拶(あいさつ)」のとおり、世界に被爆者の体験を伝え、核廃絶を訴えてきた被団協にノーベル平和賞が授与されることが決まった
▲ビキニ水爆から70年。来年は広島、長崎への原爆投下から80年を迎える。近年、ニューヨークでの4万人デモの先頭に立った坪井直さんら被爆者の訃報を聞くことが増えた。平和賞は被爆の記憶を引き継ぐことを願う世界の声でもあるだろう
▲核大国ロシアのウクライナ侵攻以降、核兵器が再び使われる危険性が現実味を持って語られるが、決して許してはならない。今後は被爆国の姿勢が一層問われることになる。「意義深い」という言葉を裏付ける石破茂首相の行動が見たい。

ノーベル平和賞 核の脅し封じる契機としたい(2024年10月12日『読売新聞』-「社説」)
 
 ロシアによるウクライナ侵略で核の脅威がかつてなく高まる中、核兵器の廃絶を訴え続け、軍縮の機運を醸成してきたことが高く評価された。[PR]
 長年にわたる粘り強い活動が、世界に与えた影響は大きい。その栄誉を 称 たた えたい。
 日本の被爆者団体の全国組織である「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」が、ノーベル平和賞に決まった。
 ノルウェーのノーベル賞委員会は授賞理由について、「たゆまぬ努力により、核兵器の使用は道徳的に容認できない、という国際規範が形成された」と説明した。
 広島、長崎は来年、原爆投下から80年の節目となる。被爆者は高齢化し、被爆体験を肉声で伝える人は減っている。被害の実相を世界に伝え、後世に残していく活動が重みを増していることも、授賞につながったのではないか。
 被団協の結成は、1954年、米国による太平洋のビキニ環礁での水爆実験で日本の漁船「第五福竜丸」が 被曝 ひばく したことがきっかけとなった。その2年後、広島、長崎の被爆者を中心に発足した。
 その後、「ノーモア・ヒバクシャ」をスローガンに国内外で署名活動や請願を続けた。こうした活動が実り、95年には被爆者援護法が施行された。
 被団協が特に国際的な注目を集めたのは、2016年に米国の現職大統領として初めてオバマ氏が広島を訪れた時のことだ。
 被団協の代表委員だった坪井直さんと握手した場面は、原爆を落とした米国と被爆者との和解の象徴として、世界に発信された。坪井さんは21年に亡くなった。
 だが、核を巡る情勢はむしろ悪化している。ロシアによる威嚇に加え、中国は核弾頭を増やしている。北朝鮮の核・ミサイル開発もアジアの安全を脅かしている。
 特にロシアは核使用の可能性をほのめかし、また、イスラエルはイランの核施設攻撃の可能性を捨てていない。核の恐怖を、戦況を有利にするための手段に使う傾向が強まっている。
 今回の授賞決定は、こうした動きに対する重い警告の意味も込められているのではないか。
 日本は、核廃絶への努力をこれまで以上に積極的に進める責任を負ったといえる。
 特に日本は、核兵器の使用がどれほど残虐な被害を人類に及ぼすかを体験した立場にある。核使用を容認するかのような風潮を食い止めるための国際世論形成に向けて、先頭に立つべきだ。

ノーベル平和賞に結実した被爆者の訴え(2024年10月12日『日本経済新聞』-「社説」)
 
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原爆ドーム(広島市)と平和祈念像(長崎市)。ノーベル賞委員会は授賞理由を「核兵器が再び絶対に使われてはならないことを被爆者の証言を通じて示してきたこと」と説明し、すべての被爆者に敬意を表した
 唯一の戦争被爆国から粘り強く発信し続けてきた核廃絶の訴えが、大きな実を結ぶこととなった。今年のノーベル平和賞に、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた。
 ウクライナを侵略するロシアが核の脅しを繰り返し、中東でもイスラエルによるイランの核施設への攻撃が懸念されるなど、核兵器を巡る事態は緊迫の度を増している。そんなタイミングでの受賞である。これを好機ととらえねばならない。日本政府は改めて核廃絶への行動を急ぐべきである。
 1945年8月6日の広島と9日の長崎で起きた惨禍は、決して消すことのできない過ちとして人類史に刻まれた。
 日本被団協は56年8月に結成された。実体験だけが持ちうる迫真性、メッセージ性を支えに、被爆者たちは二度と核兵器を使わないよう、世界に訴え続けてきた。
 ノルウェーのノーベル賞委員会は授賞理由を「核兵器が再び絶対に使われてはならないことを被爆者の証言を通じて示してきたこと」などと説明し、全ての被爆者に敬意を表したいとした。
 まさに長年にわたる被爆者の思いを正面から受け止めたものといえる。日本被団協は「引き続き核廃絶を訴えていきたい」とした。心から喜びたい。
 もっとも先行きは楽観できない。来年は被爆から80年を迎える。授賞にあたって評価された「被爆者の証言」を直接聞くことができる時間は、もうわずかしか残されていない。被爆体験を次世代に継承する取り組みを、これまで以上に進めていかねばならない。
 ロシアのプーチン大統領は核兵器を使う条件を緩和するという。中国や北朝鮮を含め世界の核軍備支出は増加傾向にある。核兵器の使用は絶対に許されないという意識が低下してきていることを危惧せざるをえない情勢だ。
 核軍縮の動きが停滞する中、問われるのが日本政府の行動だ。今回の受賞をてこに、より積極的な役割を果たすべきだ。全ての核開発や使用を禁じる核兵器禁止条約へのオブザーバー参加をはじめ、あらゆる方策を探る必要がある。
 日本被団協は「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に運動を続けてきた。これからもその誓いは変わらない。唯一の戦争被爆国として、我々は一丸となって核なき世界を目指す努力を積み重ねていく必要がある。

被団協へ平和賞 核の脅威に対する警鐘だ(2024年10月12日『産経新聞』-「主張」)
 
キャプチャ
取材に応じるノーベル平和賞受賞が決まった被団協の工藤雅子事務室長=11日午後、東京都港区(鴨川一也撮影)
 核兵器廃絶を訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞が決まった。
 被団協は広島、長崎への原爆投下の被害者でつくる全国組織で、今年で結成68年だ。日本の個人や団体への平和賞は昭和49(1974)年の佐藤栄作元首相に次いで2例目である。佐藤氏の受賞理由には同氏が提唱した非核三原則が含まれている。
 ノーベル賞委員会は、被爆体験を語り継ぎ、核兵器のない世界を目指してきた被団協の活動を称(たた)えた。
被団協の受賞を喜びたい。
 世界は今、核兵器の脅威にさらされている。東西冷戦終結後、最も深刻な状況にある。
 ウクライナを侵略するロシアは自国が核兵器保有国であることを何度も誇示している。核兵器を運搬できる大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を重ねるが、これは米国を含むNATO(北大西洋条約機構)への核恫喝(どうかつ)だ。ウクライナやポーランドと国境を接する同盟国ベラルーシにロシア軍の戦術核兵器を配備した。ロシアが非核のウクライナを核兵器で攻撃する恐れは常にある。
 北朝鮮は国連安全保障理事会決議を無視して核・ミサイル戦力を強化してきた。北朝鮮は韓国への核攻撃の可能性まで口にし、日本列島越えの弾道ミサイル発射を繰り返してきた。
 中国は核戦力強化を急いでおり、2035年までに約1500発の核弾頭を保有する見通しだ。今年9月には、太平洋に向けてICBMの発射実験を行った。米国へのあからさまな核の威嚇である。
 これらの国々は日本と異なり戦争被爆国ではない。被団協が悲劇的な被爆体験を、日本のみならず世界の人々へ伝え、核兵器使用を諫(いさ)める空気を広めてきた意義は大きい。どの国の指導者であれ、核兵器を使用すれば全人類から非難されるリスクを高めるからである。
 ただし、ノーベル賞委員会が言うように世界で今、核兵器使用のタブーが損なわれかねない状況にあるのも事実だ。中露、北朝鮮という反日的な核保有の専制国家に囲まれた日本は、核兵器廃絶の理想を追求すると同時に、核抑止策を講ずることも欠かせない。二度と日本に、そして世界に、核兵器が使用されることがあってはならない。

ノーベル平和賞 被爆者の声を抑止力に(2024年10月12日『東京新聞』-「社説」)
 
 ノーベル平和賞の受賞者に、長年にわたり世界に向けて核廃絶を訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が決まった。世界各地で軍事侵攻や紛争が続き、核使用の脅威がかつてないほど高まる中、「ヒバクシャ」の声こそが抑止力だという、期待と希望のメッセージと受け止めたい。
 広島、長崎の被爆者の全国組織である被団協は、1956年の結成。国連の軍縮総会などで一貫して「被爆の実相」を世界に発信し「核廃絶」を訴え続けてきた。核兵器の使用と開発を非合法化する「核兵器禁止条約」の採択の際には、300万の署名を提出するなどして強力に後押しした。
 北朝鮮の金正恩総書記や、ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチン大統領は核使用の威嚇を繰り返す。核保有国とされるイスラエルと核開発を続けるイランが対立する中東情勢も緊張が高まっている。
 「私たちが望んでいるのは、核抑止でも核共有でもなく核廃絶。これしかない」とは、生後間もなく広島で被爆した男性の言葉だ。こんな局面だからこそ、核兵器の怖さと悲惨さを身にまとうヒバクシャの言葉は、なお重い。
 米国の「核の傘」の下にある日本は唯一の戦争被爆国として「核のない世界」を訴えながら、核兵器禁止条約への署名・批准を拒み続けている。被団協が求めてきた、批准国のような義務のない「オブザーバー参加」さえ見送り続けている。
 石破茂首相は外遊先のラオスで受賞決定の知らせを受けて「極めて意義深い」と述べた。真に「意義深く」するためには、まず国としてその思いを受け止め、被団協が成立の原動力になった核兵器禁止条約への参加に踏み切るべきだ。さらに、国の指定区域の外で被爆した「被爆体験者」を被爆者と認めて、すべてのヒバクシャに補償の道をひらくべきである。
 20歳の時に広島で被爆、大やけどを負い、重い原爆症を負いながら証言活動を繰り返し、ヒバクシャの象徴と言われた元代表委員の坪井直(すなお)さんは晩年、「核兵器が廃絶されるのをこの目で見たい。でも見られなくても、後世の人に必ず成し遂げてもらいたい」と語っていた。その口癖は「ネバーギブアップ」。今回の受賞を機に、あらためて、その思いを世界と共有したい。

被団協に平和賞 核廃絶へ日本の責務重く(2024年10月12日『信濃毎日新聞』-「社説」)
 
 核兵器の廃絶に向けた取り組みを国際社会に促す強いメッセージである。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が今年のノーベル平和賞に選ばれた。
 広島、長崎への原爆投下から79年。ノーベル賞委員会は、草の根の運動である被団協が、核兵器なき世界の実現のために尽力し、核兵器は二度と使われてはならないことを証言を通じて示してきたと授賞の理由を述べた。
 長年にわたる被爆者の訴えが国際社会を動かし、国際法として結実したのが核兵器禁止条約だ。非政府組織(NGO)と非核保有国が主導して2017年に国連で採択され、21年に発効した。
 取り返しのつかない惨禍をもたらす核兵器を絶対悪として否定し、保有や開発、威嚇を含め、核兵器に関わる一切の活動を禁止した。完全な廃絶こそが、再び使われないことを保証する唯一の方法だと条約は前文に記す。
 核戦争は今、紛れもない現実の脅威となっている。核保有国であるロシアやイスラエルが無謀な軍事行動に走り、国際社会はそれを止めることができていない。
 ロシアのプーチン大統領は、ウクライナへの侵攻当初から、核大国の力を誇示する言動を重ねてきた。イスラエルの閣僚は、ガザ地区への攻撃で核兵器を使うことも選択肢の一つだと公言した。
 一方で、米国はロシア、中国と対立を深め、互いに核戦力の増強を図る動きに歯止めがかからない。米ロの核軍縮の枠組みは細り、唯一残る新戦略兵器削減条約(新START)も、既にロシアが履行を停止した。
 1970年に発効した核拡散防止条約(NPT)は、核保有国が核軍縮の義務を果たさず、もはや瓦解(がかい)の瀬戸際にある。核禁止条約はその限界を補い、廃絶への歩みを前に進めるための条約だ。NPTを弱体化させるとして保有国が背を向けることに道理はない。
 被団協への授賞は、保有国だけでなく、日本政府の姿勢にも厳しい問いを突きつける。被爆国として核廃絶を率先する責務を負いながら、禁止条約に加わらず、締約国会議にオブザーバーとして参加することさえ拒んできた。
 政府は、核の力による抑止論に寄りかかり、米国の「核の傘」への依存を強めるばかりだ。むしろ核軍縮を阻む側にいる。
 表向き核廃絶を口にしながら、それに背く政府の姿勢を変えることは、主権者である私たちの責任だ。被団協の平和賞は、その行動を支える力になる。

被団協に平和賞 「核なき世界」へ大きな力(2024年10月12日『新潟日報』-「社説」)
 
 被爆者たちの核廃絶への強い思いと長年の取り組みが認められた。核廃絶を訴えてきた被爆者たちに敬意を表したい。
 被爆者の思いを核保有国をはじめ世界各国と共有し、核のない世界の実現に動きを強めていかねばならない。
 ノーベル賞委員会は11日、今年のノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」に授与すると発表した。
 日本の平和賞受賞は、非核三原則を表明し1974年に受賞した佐藤栄作元首相以来50年ぶりで、2例目の快挙だ。
 ◆長年の努力たたえる
 ノーベル賞委員会は「核兵器のない世界の実現に向け努力し、核兵器が二度と使用されてはならないことを証言を通じて示した」と授賞理由を述べた。
 「被爆者の証言は世界で幅広い核兵器反対運動を生み出し、定着に貢献してきた」とも語った。授賞を「核なき世界」に向けた機運を高めていく契機にしていかねばならない。
 原爆の恐ろしい実相を、改めて広く世界に知らしめることにもつなげたい。
 被団協は、被爆者らでつくる全国組織だ。
 米国による54年の太平洋・ビキニ環礁水爆実験をきっかけに56年8月に長崎市で開かれた第2回原水爆禁止世界大会の中で結成された。現在36都道府県の被爆者団体が参加している。
 結成以来68年間にわたって、「ふたたび被爆者をつくらない」ことを願い、国連や平和会議に代表団を派遣するなどして核廃絶に向けた運動をリードしている。原爆被害への国家による補償も訴えてきた。
 後遺症に苦しむ被爆者の救済や相談事業を行うほか、被爆の実態を国内外で証言するなど、地道な活動を続けている。
 草の根の運動が認められたことは喜ばしく、誇らしい。
 ノーベル賞委員会は2017年に、スイスに拠点を置く非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」にも平和賞を授与した。平和賞が核廃絶への運動を後押しする形になってきた。
 とはいえ、世界では、核の危機は一層高まっている。今回の決定は、核廃絶への流れが逆行していることへの強い危機感の表れとも取れる。
 被団協代表委員の田中煕巳さんは「うれしい」と述べる一方で「世界の核兵器の状況に危機感を持つ人が増えたからじゃないか。なぜ今、受賞が決まったのか考えてほしい」と述べた。
 ロシアのウクライナ侵攻で核の脅威が高まり、核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、ロシアの反対で決裂した。中国は核弾頭の大幅増強を図り、北朝鮮も保有しているとみられる。
 パレスチナ自治区ガザの戦闘を巡り、核保有国とされるイスラエルと核開発を続けるイランとの緊張が高まっている。
 ストックホルム国際平和研究所は22年、核使用のリスクは冷戦後「最高」と警告した。世界の核弾頭総数は今年1月時点で1万2121発になったと推計している。
 ノーベル賞委員会は「現代の核兵器は格段に威力を増している。数百万人を殺害でき、文明を破壊しかねない」と警鐘を鳴らしている。
 ◆活動の継承次世代へ
 核の使用は絶対にあってはならないことだ。核廃絶に向け、唯一の戦争被爆国である日本の役割は大きいはずだ。
 それなのに政府は、核兵器禁止条約に参加していない。被爆者から批判の声が上がるのは理解できる。
 広島県の被団協は8月、当時の岸田文雄首相にオブザーバー参加するよう要請したが、前向きな姿勢は示さなかった。
 石破茂首相は自民党総裁選などで、米国の核兵器を日本で運用する「核共有」についての議論の必要性を訴えていた。
 核廃絶への道筋が見えない中、被団協の受賞が、核のない世界の実現に、大きな推進力になることを心から願いたい。
 戦後80年を前に、被爆者の平均年齢は3月末時点で85・58歳と高齢化している。
 次の世代にどう運動を継承していくかは差し迫った課題だ。活動の休止や解散せざるを得なくなった地方の被爆者団体が続出している。
 意義のある活動を継承していこうと志す若い人が、さらに増えてくれることを望みたい。

(2024年10月12日『新潟日報』-「日報抄」)
 
 「スシ」や「マンガ」「ニンジャ」など、海外でも通じるようになった日本語は多い。「ヒバクシャ」もそうだ。広島や長崎の原爆被害者を指す「被爆者」という日本語は海外でも広く知られ、国際的な平和会議などでも通用する国際語になった
▼70を超える国や地域が批准した核兵器禁止条約も「ヒバクシャ」を使用する。もう二度と核兵器の犠牲者を出してはならない-。世界の多くの人々が「ノーモア・ヒバクシャ」の願いを共有するようになった
▼「ヒバクシャ」が国際語の地位を得られたのは、核兵器廃絶を願う人々の努力と祈りが積み重なった結果だろう。被爆者自身が心身の痛みを引きずりながら訴えを続けてきた。ことしのノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が選ばれた。被爆者らの祈りが、また一つ形になった
▼現実の世界では核廃絶の願いに強い逆風が吹いている。核の使用をちらつかせて国際社会を威嚇する指導者がいる。核保有国は大量破壊兵器を挟んでにらみ合い、身動きできないでいる。唯一の戦争被爆国である日本も米国の「核の傘」に依存し、核兵器禁止条約には参加していない
▼広島と長崎への原爆投下から79年。被爆者の平均年齢は今年3月末時点で85・58歳だ。本県の原爆被害者の会も2020年度末で活動を停止した。ただ、被爆者らの連絡窓口としての機能は残している
▼今回の受賞を機に、改めて「ノーモア・ヒバクシャ」の歩みを前に進めねば。世界に核兵器はいらない。

被団協に平和賞/今こそ訴えたい「核なき世界」(2024年10月12日『神戸新聞』-「社説」)
 
 今年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が決まった。日本の個人、団体としては「非核三原則の提唱」で受賞した佐藤栄作元首相以来、2例目となる。
 核兵器廃絶運動と被爆体験の伝承を主導してきた団体だ。今年で結成68年、来年は広島、長崎への原爆投下から80年を迎える。唯一の戦争被爆国から「核なき世界」の実現に向け積極的に発信を続けてきた努力が認められたことを喜び、身を削るように活動を続けてきた被爆者一人一人に改めて敬意を表したい。
     ◇
 ノーベル賞委員会は授賞理由について「苦しい記憶を伝え続けることで『核兵器使用のタブー』を確立した」とし、世界に核兵器反対運動を広げた功績を評価した。
 世界に目を向ければ、リスクは高まるばかりだ。2022年からウクライナ侵攻を続けるロシアは核使用の脅しを繰り返す。パレスチナ自治区ガザでの戦闘では核使用による終結が公然と語られる。核がもたらす悲劇と脅威を訴える被爆者の声の重みはいよいよ増している。
 核軍縮関連では、核戦争防止国際医師会議(1985年)やパグウォッシュ会議(95年)、国際原子力機関(05年)などが平和賞を受賞し、17年には国際非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が続いた。こうした団体が何度も選ばれている背景には、核廃絶が前進しない現実に対するノーベル賞委員会の強いメッセージがうかがえる。
■継承へ厳しい現実
 被爆者たちの歩みは苦難の歴史だった。占領下、原爆に関する報道は規制され、被爆者への援護策も講じられなかった。だが、1954年、米国によるビキニ環礁水爆実験を受け、日本で反核運動のうねりが起きた。病苦や差別に耐えてきた被爆者は「空白の10年」と呼ばれる時期を経て立ち上がり、56年に全国組織の被団協が発足した。
 「世界への挨拶(あいさつ)」と題した結成宣言は「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります」と高らかに訴えた。以来、「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家賠償請求の達成」を運動の柱に掲げてきた。
 だが、組織は今、厳しい現実に直面する。被爆者の高齢化は一層進み、今年3月末で平均年齢は85・58歳。以前は37万人を超えた被爆者健康手帳の所持者は、その3分の1以下の約10万7千人になった。
 地方組織の維持は困難になり、市町村単位の団体は全国各地で休会や解散に追い込まれている。
 体験者が減る中、被爆地では被爆体験を受け継ぐ次世代の「伝承者」の育成が進んでいる。被爆地外でも、兵庫県を含む全国各地の高校生が街頭で署名を集め、核廃絶を訴えて国連本部などに届ける「高校生平和大使」の活動が広がっている。
 ノーベル賞委員会は、日本の若い世代への期待も示した。新たな段階に活動を押し上げる弾みにしなければならない。
■日本は先頭に立て
 「核なき世界」の実現をめぐる内外の情勢は複雑で道は険しい。世界には現在、米ロを中心に1万2千発を超える核弾頭があるとされる。
 核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、「段階的な核軍縮」を主張する核保有国と、核軍縮の停滞に不満を持つ非保有国が対立し、2015年に続いて22年も最終文書を採択できないまま決裂した。
 一方で、核兵器を全面的に違法化する「核兵器禁止条約」が21年に発効し、73カ国・地域が批准している。こうした動きに保有国は「核抑止力による安全保障を無視した軍縮は成功しない」と強く反発する。
 残念なのは、保有国と非保有国との溝を埋めるための「橋渡し役」となるべき日本が十分に役割を果たしていないことだ。米国の「核の傘」に依存する日本政府は、同盟関係を重視する立場から禁止条約の批准に消極的だ。これでは「核兵器廃絶」の訴えは説得力を欠く。
 日本政府は、この授賞を被爆国としての主体的な行動を促すメッセージと受け止め、禁止条約の批准を決断すべきだ。
 被団協が01年に発表した「21世紀 被爆者宣言」にはこんな言葉がある。「核兵器も戦争もない21世紀を-。私たちは、生あるうちにその『平和のとびら』を開きたい」
 その思いを共有し、日本が先頭に立って平和と核廃絶を訴えていくことを誓い合いたい。

被団協に平和賞 核廃絶の願い世界へ広く(2024年10月12日『山陽新聞』-「社説」)
 
 日本全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が今年のノーベル平和賞に決まった。1956年に結成されて以降、長年にわたって核廃絶に向けた運動を主導し、被爆の実相を世界に伝えてきた取り組みが高く評価された形だ。
 被爆者らの懸命な反核運動にもかかわらず、「核なき世界」はいまだ実現していない。その願いとは裏腹に世界では今、ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の核・ミサイル開発などにより、核の脅威がむしろ高まっている状況にある。被爆者の高齢化も進み、運動の継続も厳しさを増している。平和賞受賞を弾みに、核なき世界に向けた機運を人類が共有し、核兵器の廃絶と平和な世界の実現に一歩でも近づくことを強く願う。
 被団協は米国による太平洋・ビキニ環礁水爆実験をきっかけに、56年8月に長崎市で開かれた第2回原水爆禁止世界大会の中で結成された。「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に、核兵器廃絶と後遺症に苦しむ被爆者の救済に取り組んできた。
 だが、被爆者の平均年齢は85歳を超えているほか、被団協に参加する団体の会員数も減るなど被団協活動の継続や次世代への継承が難しくなりつつある。被団協に参加する岡山、広島など36都道府県の団体に共同通信が今年行ったアンケートでは、8割の団体が運営に被爆2世など被爆者以外の次世代が関わっていた一方で、今後「10年以上活動できる」としたのは6団体にとどまった。唯一の被爆国として日本が今後、どう被爆の実相を伝えていくのか、喫緊の課題だろう。
 世界では今、核が使用される懸念がかつてなく高まっている困難な状況にあると言える。ロシアのプーチン大統領は、核兵器使用の基準を定めた「核抑止力の国家政策指針」(核ドクトリン)の改定案を公表し、核使用の基準の引き下げを図ろうとする。
 北朝鮮は核・ミサイル開発を続け、先日も金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党総書記が超大型弾頭が搭載可能な新型戦術弾道ミサイルの発射実験を視察し、軍事的威圧を強めている。
 中東情勢でも親イラン民兵組織ヒズボラを巡り、事実上核を保有するイスラエルと核開発を続けるイランとの戦闘拡大が懸念される。
 今回の受賞は、緊迫する国際情勢を踏まえ、核使用を抑制するメッセージが込められていると言えよう。
 地球上には今なお、米ロを中心に1万2千発以上の核弾頭が存在するとみられる。被団協は、核兵器の使用や保有を禁止する核禁止条約に日本が参加し核廃絶を先導することを願うが、米国の核戦力に安全保障を依存する中で実現していない。
 核保有国と非保有国との溝は埋まらず、核廃絶への道は険しいのが実情だ。受賞を契機に、日本も橋渡し役として力を尽くしたい。

日本被団協に平和賞 「核兵器なき世界」への力に(2024年10月12日『中国新聞』-「社説」)
 
 核兵器が再び使われることがあってはならない―。被爆者の訴えと行動が、ついに世界に通じた。
 被爆者の全国組織、日本被団協が今年のノーベル平和賞に選ばれた。日本では「非核三原則」などで1974年に受賞した佐藤栄作元首相以来となる。
 広島、長崎は来年、被爆80年を迎える。幾多の人が鬼籍に入り、被爆者の平均年齢が85歳を超す長い年月を経た。核の非人道性を訴えてきた地道な努力が世界に認められたことを心から喜びたい。
 日本被団協は56年8月に結成された。病苦と貧困と差別に直面した広島、長崎の被爆者が立ち上がるには被爆から11年もの月日を要している。
 「私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合った」結成宣言を胸に、被爆者の医療や生活の安定を求める一方、国内外で証言活動を続け、被爆の実情を伝えてきた。その積み重ねで世界に「ヒバクシャ」の言葉が知られるようになった。
 ノーベル賞委員会は、被爆の証言が核兵器の拡散と使用に緊急の警告を発し「幅広い反対運動を生み出して定着に貢献してきた」とたたえた。草の根運動である被団協の努力が、核兵器使用が道徳的に許されないという「核のタブー」確立に大きく貢献したという授賞理由は重い。
 核軍縮や核廃絶を訴える取り組みで85年には世界の医師でつくる核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、2017年に核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))がノーベル平和賞を受賞している。
 喜んでばかりはいられない。核兵器が再び使用される恐れはこれまでになく高まっている。ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領は核兵器による威嚇を続け、北朝鮮は核開発を進める。イスラエルとイランの対立も深刻さを増している。
 被団協の受賞決定は、核廃絶に逆行する世界に警鐘を鳴らすものである。核廃絶の取り組みをこれまで以上に強めなくてはならない。
 受賞の知らせを受けた被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員が「核兵器は人類と共存できない。核廃絶に向け、日本政府は先頭に立ってほしい」と話したのはもっともだ。
 核軍縮や不拡散の礎であるはずの核拡散防止条約(NPT)の枠組みは停滞し、核兵器保有国に義務付けた核軍縮交渉が進む気配は全くない。核戦力の増強が進み、保有国や依存する国が核抑止論を強める現実に目を背けるわけにはいかない。
 「精神的原子の連鎖反応が物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」。日本被団協の初代代表委員で、反核運動を率いた広島大名誉教授の故・森滝市郎さんの言葉である。人間の心のつながりが核の連鎖に勝たねばならないという原点を忘れてはなるまい。
 被団協は21年に発効した核兵器禁止条約への日本の参加を求めてきた。だが政府がオブザーバー参加さえ拒む姿勢は許されまい。被団協の受賞決定を機に政府は核禁条約参加にかじを切るべきだ。

核と人類は共存できない(2024年10月12日『中国新聞』-「天風録」)
 
 よっぽど、たまげたのだろう。地元広島の被爆者は、自分の頰をつねっていた。「日本被団協にノーベル平和賞」という大ニュースがきのう飛び込んできた
▲被爆から半世紀、60年と節目のたび、受賞候補に名が浮かび、見送られていた。理由の一端をノーベル賞委員会の元事務局長が回顧録で明かしている。日本人は自国を世界大戦の犠牲者と見なす傾向が目立ち、アジアに対する加害者意識が薄い、と
▲わだかまりが解けたわけではあるまい。「核のタブー」が脅かされる状況はこれ以上、見過ごせない…。危機感が委員会を駆り立てたらしい。ロシアのプーチン大統領が何度も核使用をちらつかせ、イスラエルはイランへの報復攻撃で核施設を標的に挙げている
▲いら立ちは、あの世で見守る先人の方が強いのではないか。初代代表委員の森滝市郎広島大名誉教授をはじめ、核廃絶の運動や被爆者援護に尽くしてきた人々の顔が浮かぶ。そして、遺言も残せないまま命を奪われた広島と長崎の犠牲者たちである
▲68年にわたる被団協の歩みの到達点は、森滝さんの信念に尽きる。「核と人類は共存できない」。手放しで喜びたい朗報なのに、重たくもある受賞である。

【被団協に平和賞】混迷する核軍縮への警鐘(2024年10月12日『高知新聞』-「社説」)
 
 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続き、核の脅威への緊迫感が高まっている。核軍縮が混迷する世界に向けた警鐘といえよう。
 ことしのノーベル平和賞に日本全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が選ばれた。日本の個人や団体への平和賞は、1974年の佐藤栄作元首相以来50年ぶり、2例目になる。
 ノルウェーのノーベル賞委員会は「核兵器のない世界の実現に向けた努力」を評価。「核兵器が二度と使用されてはならないことを証言を通じて示した」と長年にわたる世界への訴えをたたえた。
 被団協は広島と長崎に原爆が投下された11年後、56年に設立された。その2年前、高知県船籍の漁船も周辺海域で多数操業していたビキニ環礁水爆実験をきっかけに、原水爆禁止を求める運動が広がり、長崎で結成大会が開かれた。
 原爆投下から11年もの間、被爆者は国の救済がないまま苦しんでいた。結成宣言では「自らを救うとともに人類の危機を救おう」と決意。核兵器廃絶と原爆被害への国家補償を求めて声を上げた。
 「ノーモア・ヒバクシャ」を世界に発信し続ける。代表委員を務め、3年前に亡くなった「ピカドン先生」、坪井直(すなお)さんの尽力も知られる。広島の原爆で九死に一生を得た経験から「ネバーギブアップ」が信念の言葉だった。
 中学の生徒たちに被爆体験や原爆の恐ろしさを伝えた教員退職後も国内外を飛び回り、「こんな愚かな兵器は一刻も早くゼロにしないと、人類の生存が危うい」と廃絶を訴えた。2016年には「核なき世界」を掲げ、現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏と握手したのは記憶に新しい。
 核兵器を非人道的で絶対悪とし、開発や実験、保有、使用などを全面的に禁止、使用の威嚇も禁じることで核抑止力を否定した核兵器禁止条約は発効から3年が過ぎた。
 被団協は16年から20年にかけて、全ての国の条約参加を目指して「ヒバクシャ国際署名」運動を呼び掛け、国内外から1370万筆超を集めた。核拡散防止条約(NPT)再検討会議などの国際会議にも代表団を派遣。核の脅威の生き証人として重い発信は続いている。
 しかし、核の脅威は冷戦後も落ち着く気配はない。核兵器の保有国は拡大。22年のNPT再検討会議もロシアのウクライナ侵攻が影響して決裂した。米中の覇権争いの激化も世界の核軍縮に水を差している。
 唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任する。しかし核の傘を提供する米国に配慮するあまり、役割を果たしているとは言えない。禁止条約への不参加も被爆者の怒りと失望を招いている。
 被団協の受賞を核保有国は真摯(しんし)に受け止めると同時に、日本政府も責任を果たす具体的な戦略を再考する契機としなければなるまい。

ノーベル平和賞(2024年10月12日『高知新聞』-「小社会」)
 
 日本初となるノーベル平和賞を佐藤栄作元首相が受賞したのは、ちょうど50年前の1974年だった。本来なら名誉ある受賞として歴史に刻まれるが、いまや平和賞の「黒歴史」とでもいうべきか。
 核を「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則提唱などが受賞理由だった。だが、後に沖縄への核持ち込みを認める密約を米国と結んでいたことが判明。平和賞のお膝元ノルウェーでは、歴史家に「佐藤を選んだのはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」とまで批判された。
 当時、委員会はアジア初の平和賞を強く意識していたことが分かっている。唯一の戦争被爆国として世界、アジアの核軍縮や非核化に日本の役割を期待したのだろう。
 ところが、日本は期待を裏切り続ける。いまも米国の「核の傘」に依存したまま、核兵器禁止条約にも署名していない。そんな中、委員会は日本の団体に新たな期待を見いだしたようだ。ことしの平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が選ばれた。
 56年の結成以来、一貫して核廃絶運動に取り組んできた。敬意を表したい。被爆者の高齢化が進む中、政府には日本が進むべき道の再考が改めて求められよう。
 被爆地では核廃絶運動に参加する多くの高校生も受賞を喜んだ。広島市では「若い世代に非核を求める波を広げたい」との声が上がっていた。新たな歴史をつくっていけるとの希望も感じられた吉報だった。

被団協に平和賞 「核なき世界」の後押しに(2024年10月12日『西日本新聞』-「社説」)
 
 今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に贈られることになった。
 広島、長崎の被爆体験を基に、核兵器廃絶を長く訴えてきた活動が評価された。同じ願いを抱く世界の人々と共に受賞を喜びたい。
 世界には約1万2千発もの核弾頭が存在する。ノーベル賞委員会が被団協を平和賞に選んだのは、核兵器使用の危機が迫る世界への警鐘であろう。
 被爆者は高齢になってもなお、命を懸けて「核兵器を二度と使わせてはならない」と声を上げる。
 私たちや国際社会は「核兵器なき世界」の実現に向け、どのような行動を取るべきか。改めて考える契機としたい。
■身をさらし惨禍訴え
 被団協の最大の功績は、原爆被害の恐ろしさを世界に直接訴えて「核兵器は非人道的」という国際世論を定着させたことだ。
 1956年8月9日、長崎市で始まった第2回原水爆禁止世界大会の総会で、長崎原爆青年乙女の会の渡辺千恵子さんが半身不随の体を母親に抱かれて登壇した。
 「みじめなこの姿を見てください。私が多くを語らなくても、原爆の恐ろしさは分かっていただけると思います」
 被団協が結成されたのはその翌日である。長崎国際文化会館で開いた結成大会で「世界への挨拶」と題する大会宣言を発表した。
 「かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります」
 以来、被団協は「核兵器廃絶」と「被爆者の支援」を求め、68年にわたり活動している。
 国連軍縮特別総会や核拡散防止条約(NPT)再検討会議など、さまざまな軍縮、反核の国際会議に代表団を送った。
 渡辺さん、山口仙二さん、谷口稜曄(すみてる)さんら数多くの被爆者は傷ついた身を壇上でさらし、被爆の惨禍を訴えた。
 地道な積み重ねは、国際社会に「核兵器はいかなる事情があっても使用してはならない」という人道の常識をつくり上げた。「Hibakusha(ヒバクシャ)」は今や世界の共通語だ。
 被団協の活動には世界の市民が賛同し、行動を共にした。その成果が2021年1月に発効した核兵器禁止条約である。
 「核抑止」の危うい均衡の中にあって、広島、長崎の被爆から79年間、核兵器は一度も実戦で使用されていない。
 歯止めをかけたのは被爆者が主導した国際世論である。ノーベル賞委員会はそこに普遍的価値を見いだした。
■国際機運を高めたい
 09年、当時のオバマ米大統領による「核なき世界」の演説は核廃絶への期待を広げた。その後は核軍縮どころか、むしろ核軍拡へと逆行している。
 米国とロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約は失効した。ロシアは新戦略兵器削減条約(新START)の履行停止を宣言し、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を撤回した。
 ウクライナに侵攻したロシア、パレスチナ自治区ガザを攻撃するイスラエルからは核兵器使用をほのめかす発言が聞かれる。
 核兵器は大国以外の国々に拡散した。アジアでは中国が世界屈指の保有国になり、北朝鮮も核開発を推進している。
 不安要素は増えるばかりだ。被団協の理想からは程遠い。
 戦後80年が近づき、被爆者は少なくなる一方だ。被団協の会員も減り、坪井直(すなお)さんをはじめ多くのリーダーが核なき世界を見ることなく亡くなった。
 「ふたたび被爆者をつくるな」
 被団協のスローガンには79年前に核の業火に焼かれた広島、長崎の人々の思いが凝縮されている。
 7年前に国際的な運動体である核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞した。核兵器廃絶の国際機運をもう一度高めたい。
 世界の指導者は今こそ、被爆者の声に耳を傾けるべきだ。

日本被団協にノーベル平和賞(2024年10月12日『佐賀新聞』-「有明抄」)
 
 今週は「ノーベル賞」ウイーク。6部門の受賞者が一つずつ発表されている。小学生の頃に覚えた日本人のノーベル賞受賞者は4人だった。最初に受賞した日本人は湯川秀樹氏。1949年のことである。以来75年。これまでに28人の日本人がノーベル賞に輝いた
◆3年連続で日本人の受賞なしかと思われたきのう、ノーベル平和賞に「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)が選ばれた。1974年のちょうどこの時期に発表された佐藤栄作氏以来半世紀ぶりの平和賞である
◆といっても日本の反戦非核運動は長い。2017年、「核兵器廃絶国際キャンペーン」が平和賞を受賞した時は被爆者の一人であるサーロー節子さんが授賞式で「核兵器と人類は共存できない」とスピーチした。広島の惨禍を生き延びたサーローさんだからこそ説得力を持って話すことができた
◆サーローさんだけでなく被爆者は、理不尽に、無差別に命を奪われた人の思いを背負って生きてきた。愚行を二度と許してはならない。だが、そんな思いとは裏腹に、ロシアとウクライナの争い、中東の戦闘はともに停戦の気配が見えず、むしろ核兵器使用の危うさを感じさせる
◆非核三原則を訴えた佐藤氏以来となる日本の平和賞は、世界唯一の被爆国としてなすべきことを改めて問いかけているようにも思える。(義)

ノーベル平和賞(2024年10月12日『長崎新聞』-「水や空」)
 
 亡くなって30年になるそうだ。編集局の整理部にいる同僚がお父さんの話をしてくれたことがある。焼き魚が苦手だったという。父ちゃん、どうして食べんと?「あの時に嗅いだ、人の焼けるにおいを思い出すけん」。被爆者だった
▲「サバイバー」。原爆の被爆者のことを英語で「生存者」と呼ぶのは、きっと原爆を投下した側が「みんな死ぬはずだ」と考えていたからだ。でも、生き抜いてくれた人がいて、小さく、しかし確かに語り継がれた記憶が今もこの街のあちこちにある
▲その被爆者たちは「許さない」でも「覚えておけ」でもなく、ひたすら「繰り返さないで」と訴え続けてきた。それが世界のどんな場所でも。「ノーモア」は人類の未来に向けた願いだ。だから世界の言葉になった
▲今年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が選ばれた。戦火のやまない世界は、核の脅威が消えない世界は、新たな一歩を踏み出せずにいるこの国は、このメッセージをどう聞く
▲「平和賞の有力候補」とされてから長い年月が過ぎた。遅すぎたと思う。だが、間に合った。3発目の核のボタンはまだ押されずにいる
▲今はもういない人の顔が幾人も浮かぶ。「ニホン・ヒダンキョー」。授賞を告げるアナウンスは空の上でも聞こえただろうか。(智)

被団協にノーベル平和賞 核軍縮へ新たな機運を(2024年10月12日『沖縄タイムス』-「社説」)
 
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に、ノーベル平和賞が授与される。
 核兵器のない世界の実現に向け長年努力してきたことや、核兵器が二度と使用されてはならないことを証言を通じて示したことなどが、高く評価された。
 ノーベル賞委員会は、国際非政府組織(NGO)の「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に2017年の平和賞を授与している。
 ICANの活動などもあって、核兵器を全面的に違法化する核兵器禁止条約が制定されたが、核廃絶への動きは前進どころか、逆行しているのが現状だ。
 ロシアのウクライナ侵攻と核による威嚇が世界の安全保障環境を一変させた。 唯一の戦争被爆国である日本を含め、世界的に核抑止力に依存する傾向が強まっている。
 核保有国とされるイスラエルと核開発を続けるイランの対立も顕在化している。
 核軍拡への懸念が深まっているこの時期に、草の根の反核運動をリードしてきた被団協に平和賞を授与することは、ノーベル賞委員会の危機感の表れにほかならない。
 被爆の実相を語ってきた被爆者は世界の人々から日本語そのままに「ヒバクシャ」と呼ばれてきた。
 日本のヒバクシャが世界に訴えてきたのは、核兵器が人類と共存できない非人道的兵器である、という点だ。固有の体験に基づく証言の力が世界から評価されたのだ。
■    ■
 被団協は、1954年の米国による太平洋・ビキニ環礁水爆実験をきっかけに、56年8月、第2回原水爆禁止世界大会の中で結成された。
 「再び被爆者をつくらない」ことを掲げ、核兵器の廃絶と原爆被害に対する国家補償を訴えてきた。
 被爆者の高齢化が進み、活動を継続することが難しくなったため解散した地方組織もある。
 日本の個人や団体が平和賞を受賞するのは、非核三原則を表明し74年に受賞した佐藤栄作元首相以来となる。
 沖縄返還に取り組んだ佐藤氏は、実際には「核の傘」に依存する安全保障政策を推進し、ベトナム戦争を支持したことから、受賞そのものに対する異論も少なくなかった。
 来年、日本は被爆80年の節目の年を迎える。平和賞受賞を機に核軍縮への取り組みを強化すべきだろう。
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 岸田文雄前首相は、核軍縮に取り組む姿勢を示しながら「現実的なアプローチ」を主張し、「核の傘」に依存する姿勢を鮮明に打ち出した。
 核禁条約に対しても政府は「核保有国と非保有国の分断を深める」との理由で参加していない。
 核保有国と非保有国の橋渡し役を果たしてきたとは言い難い。
 せめて核禁条約にオブザーバー参加すれば、状況は変わるはずだ。誕生したばかりの石破茂首相には、衆院選で核政策についても具体的に語ってもらいたい。