童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2025年3月3日

今日はひな祭りだったらしい。
そう言えば、土曜に実家の近くを両親と散歩した時に、幾つかのお店でお雛様を飾っていたことを思い出す。
そう言う季節だなと思っただけで、数日後にはひな祭り当日だという認識にはなっていなくて、今日がそうだと言う事実に何故か驚いてしまった。

ひな祭りにしろ子どもの日にしろ、いわゆる節句というものはなかなかピンと来にくい催しだと思う。
いや、家族を持っている人ならそれほど遠いものでもないのかも知れない。
七草粥にしろお雛様にしろ、鯉のぼり、七夕飾り…
重陽の節句だけ何をしたらいいのかよく分からないが、どれも割と子どもとかお年寄りが好むものという印象である。
独り身は、世間が楽しんでいるののご相伴に預かって勝手に季節を感じているに過ぎない。

節句というのは、季節の節目を祝うものらしい。
ひな祭りは、冬から春にかけての節目ということだろうか。
個人的には、この時期を最も苦手に思っている。
単純に体調を崩しやすいということもそうだが、親戚でもこの時期に亡くなる人が多くて、何だか落ち着かない気持ちになるのだ。
それでなくても、春は卒業式と入学式がある年度の切り替わり。
出会いと別れが両方あって、妙な緊張感と浮ついた高揚感が漂っている。
暖かくなって過ごしやすくなるはずなのに、素直にそれを楽しめた記憶はない。

2025年2月27日

昨日は自分のミスのカバーで遅くまで仕事場に残り、単純作業をする羽目になった。
その時間を活用して、Netflixでマイリストに入れていた「夜明けのすべて」を見終えた。


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前評判通り、渋くて味わい深い作品だったと思う。
ちょっと栗田科学が理想的な職場過ぎやしないかとか、色々と言いたいこともないわけではないけれど、思うようにならないことを積み重ねていくリアルさが丁寧に撮られていて、スマホの小さな画面であってもじんわり伝わってくるものがあった。
やはり映画館で観ておくべきだったと反省している。

多くの人に褒められている通り、松村北斗と言う俳優は確かに素晴らしい。
数日前に「ファーストキス」を観に行って、そこでも思ったけれど、この人は本当にちょうど良い「真ん中」の男前と思う。
誰もが振り返るような美形ではない。
でも何か良い顔をしている。
角度によって、鼻持ちならない若造にも不器用な好青年にも見える。

そして振られ方が上手い。上手過ぎる。
「ファーストキス」で、ヒロイン演じる松たか子に(わざと)酷いことを言われた時の消え入りそうな掠れ声。
「夜明けのすべて」で、ロンドンに旅立つ恋人に置いていかれることを予期しながらカッコつけようとする後ろ姿。
おそらく映画業界人たちは、彼の振られ顔を観たがっている。
そんなジャンルがあるのか知らないが、今最も振られさせられる俳優第一位で間違いない。
それくらい、振られる姿が良かった。

2025年2月24日

昨日、少し良い鰻屋で昼食をとった。
割と有名店だったのか、11時台に行ったはずが店の前には既に待機列が。
それでも自分の前に二組だけだったので、待つことにした。

待つこと大体30分くらいだったろうか。
ようやくお店に案内されてみると、席は座敷を合わせてざっと10程度。
これは確かにすぐに埋まってしまうよなと、一人で来たことを後悔し始めた。
と言うのも、一人で来た場合、カウンター席でもない限り必ず席を余らせてしまうのだ。
外で寒い中待たせてしまっているのも申し訳ないし、何よりお店にとって損になる。
二人席をあてがわれたから良いものの、四人席だったら耐えられていたか怪しかった。
多分耐えられずに、自分は相席構わないから、後ろの人で気にしない人がいたら通してくれと頼んだに違いない。

多分こう言うことは、本来、気にしなくて良いことのはずだ。
他の客も店主も、僕が思うほど気に留めていないかも知れない。
それでも何だか気になってしまうのだ。
僕より後ろに並んでいた一人客の紳士は、堂々と四人席を独り占めしていたけれど、いっそ羨ましかった。

注文してからも良くなかった。
僕より前に並んで注文していたカップルより、自分の頼んだものが先に来てしまったのだ。
もっと色々と種類のあるレストランだったら言い訳のしようもあるが、鰻屋は基本みんな鰻重を頼む。
確かに松竹梅の違いはあろうが、鰻の焼き上がりにそれほどの差があるだろうか。
カップルも何だか気にする素振りを見せている。
こうなると、俄然食べづらくなってしまう。
いや、届いたのだから食べても良いのだが、何となく気兼ねしてしまう。
かと言って食べずにいるのも変だし、遅くなれば外で寒い中並んでいる他の客に申し訳がない。
結局その後、僕の次に頼んだテーブルに料理が運ばれた後で、件のカップルの元にも無事鰻重が届けられたのだった。

こんな詰まらないことが気になってしまうのは、一体どうしてなのだろうか。
こういうことを書くと、優しいとか良い人だとか言ってくれる人もいるが、多分そうではない。
単に小心者で、いい子ぶっていると言うのに近い。
なるべく嫌われたくないとか、そんな卑屈な気持ちが背景にある。
そもそも、「こんな風に思われるかも知れない」と危惧して行動している時点で、同じ発想が僕の中にもあると言うことなのだ。
口に出さないだけで、反対の立場でそれを見たら咎める気持ちが湧いていた、と言うことだ。
それって全然良い人ではないと思うのだ。

鰻はとても美味しくて満足だったのだが、自分の卑屈な一面が顕在化したようで、何だかモヤモヤが残る昼食になった。
結局誰よりも早く食べ終わって店を出ていることから考えても、病理は深そうだ。
単に食べるのが早かっただけと言う気もするが。

2025年2月21日

安請け合いしてしまった原稿に追われている。
少し前に出した論文について、日本語の解説記事を頼まれて、成果にもなるし良いかと引き受けてしまった。
引き受けたのは去年の話で、締切はまだ先だと高を括っていたのが間違いだった。
時間はあったはずなのでもっと準備をしていれば良かったのに、そんな殊勝な性格でないことは自分が一番分かっていたはずなのに。
とりあえずメモを作って図は一通り作ったので、後は本文を書くだけ。
なのだが、この週末もそれほど時間は取れないし、来週からは本務も忙しくなる。
今月末までに共著者に原稿を送る約束が守れるか、かなり怪しくなってきている。

昔から、締切が近づかないとエンジンがかからないタイプだと思う。
夏休みの宿題は最後まで残しがちだし、引越し直前に慌てて段ボールへ荷詰めしている。
とは言うものの、そのタイプの中では、マシな方かも知れないとは思っている。
大人になると色々な人に会うので、自分より人は世の中にいっぱいいることを知っている。
締切の10分前くらいに提出原稿を送ってきて確認をお願いしてくる人。
見積書も取って予算申請するだけになっている修理物品を、半年以上放置する人。
作り終わっていないスライドで話してしまう人。
彼らに比べれば、自分のはだいぶ軽症だと思える。

30代になって凄く生きやすくなったと感じられた大きな要因の一つは、多くの人に出会って自分が相対化されたことかも知れない。
自分の良いところも嫌なところも、大抵自分より上がいる。
若い時は、良い部分で自分より上の人を見て劣等感ばかり感じていた気がするが、段々悪い方も見えるようになって、必要以上に自分を卑下しなくなった。
良くも悪くもない、平凡で詰まらない人間なのだ。
自分に期待し過ぎないし、落胆もし過ぎない。
もうすぐ40になんなんとする人間の、人生を生き抜く知恵である。
不惑ってそう言う意味なのかも知れない。

そんなことを書きつつ、目の前の原稿がこのまま進まなければ、自分のダメなところがより顕になってしまう。
自己評価は揺れるもの。
メンタルの安定性を保つためにも、やはりこのタスクは何とか進めないとまずいだろう。

2025年2月18日

昔から、道端で良く人に声を掛けられる。
道を聞く人だったり宗教の勧誘だったり。
すごいのになると、立体駐車場の中で全く知らない人から「車が見つからなくて…」と尋ねられたことがある。
知るわけもないのだけれど、何だかんだその人が思い出す手伝いをしてしまったりして、そういう感じが、変な人や困っている人を引き寄せてしまうのかも知れない。

一昨日もそうだった。
乗り換えのために駅のホームで待っていたら、30過ぎくらいのレゲエな髪型と派手なアウターを着たお兄さんにヌルッと話しかけられた。
内容としては良くある「〇〇駅に行きたいのだが、このホームで合っているか?」と言うもの。
「合っている」と答えたら、その後も何だかんだとあれこれ事情を話してくる。
聞いてみると、目的地は空港らしい。
空港への乗り換え案内を調べたのは良いものの、乗り換えが分からな過ぎて困っていたと言う。
ちなみに乗る予定の便は何時発なのかと尋ねると、何とその時点で約1時間前だった。

はっきり言って、もう乗れないと思った。
オンラインでチェックインとかしていれば、まだ可能性はあるかも知れない。
聞いてみると、チェックインが何かも分かっていないようで、あろうことか「空港に電話したら待っててくれないっすかね」などと言っている。
聞いている方は呑気に構えていて相談されている方がゾッとしている、変な構図になっていた。
彼はとても空港まで付いて来て欲しそうにこちらを見ていたが、こちらも用があるので無慈悲にも電車内に彼を置いて立ち去った。
結局彼はどうしたのか、多少気にはなっている。
が、多分予定の便には乗れなかっただろう。

僕の悪い癖で、そんなちょっとおかしな人でも、面白いと思うとあれこれ会話をしてしまう。
僕が目的の駅で降りるまでの道中、ずっと彼と話していた。
地方から出てきてベッドタウンに住んでおり、複数の路線が交わるような駅での乗り換えはほとんどしたことがないこと。
地元に戻ってバーを開く予定なこと。
今回は、そのための打ち合わせで地元に帰るつもりだったこと。
何もかもがフワフワしていて行き当たりばったりで、初対面なのにとても心配になるような人だったが、悪い人ではなさそうだった。
だからこそ、騙されていやしないか少し心配にすらなっていた。
それくらいの情は湧いていたと思う。
開店予定のバーの名前も教えてもらったので、今度彼の地元の辺りに行くことがあったら探してみようとさえ思っている。

変な人と話し込むのは、危ないから止めた方が良いことは分かっている。
けれどどうしても、好奇心に勝てない。
本当は、そんな性格が仕事に活かせたら良かったのかも知れない。
今は研究者の端くれをしているが、真の生業はカウンセラーとかだったんじゃないか。
そんなことを考えることがある。

2025年2月15日

昨日、とある事情があって、午後の仕事を抜け出して子どもの頃に暮らしていた街に行ってきた。

小学生から高校卒業まで。
人格形成に関わるほぼ全ての過程がその街に詰まっている。
既に実家はそこにはなく、今まで駅くらいは通ることはあっても暮らしていた家の近所まで行くことはなかった。
少なく見積もっても、15年以上経っていると思う。

駅からかつて住んでいた家の近くまで歩く道。
不思議なもので、道順は良く覚えていた。
もちろん記憶にない建物や景色もたくさんあったが、迷うことは全くなかった。
体が自動で動いて、見るもので逆に記憶が掘り起こされていく感覚。
流石に10年以上走り回っていた土地勘は、そう簡単に無くならないようだった。
ただ歩きながら度々感じたのが、記憶よりも全ての距離が近いこと。
友人の住んでいた家とかコンビニとかスーパーとか、こんなに近かったかと思う瞬間がいくつもあった。
高校卒業までは住んでいたのだから、ほぼほぼ成長し切った状態で街を離れたはずなのだが、どうも時が経つと最も成長著しかったはずの小学生くらいの記憶に引っ張られるらしい。
大人の体で歩いてみると、記憶の街が縮小されているように感じて、不思議な感覚だった。

用を済ませた後、折角だからと一駅分歩いて帰ることにして、かつての通学路を歩いてみたりした。
曲がり角とか病院とか店とか、良いことも悪いこともいっぱい詰まった道で、堪らなかった。
尻から上がってくるような込み上げる懐かしさで、もしかして懐かしさを感じる感覚器官は肛門にあるのではないかなどと思ったりした。
あちこち振り返っては記憶と照合して震え、写真を撮っては平日仕事中のはずのかつての友人宛にメッセージを送ったりして迷惑をかけていた。

自分が現役の生徒や学生だった頃は、ホームカミングデイの意味が良く分かっていなかった。
卒業後にまた学校に行ってみたくなるなんてこと、あるのかと。
自分もそれなりに歳をとって、ちょっとその気持ちが分かりかけている。
確かに思い出したくないこともいっぱいあるが、そう言うのを超えて、自分の原点みたいなものが確かに街に残っている気がした。
良くも悪くもこの街に育ててもらったという、感謝とも恨みともつかないような不思議な感情があった。

2025年2月13日

ここのところ、AI英会話を続けている。
アプリを入れて時間がある時にはほぼ毎晩開いている。
少しだけでも英語を話す機会を増やそうと思って始めたので、とりあえずの目的は達成できているような気がしている。

オンライン英会話とかも考えたが、ちょっとハードルが高いなと思ってまだ敬遠している。
AIの良いところは、間違ってもゆっくり話しても、相手に申し訳なく思う気持ちが少ないこと。
相手に気を遣わせていると思うと気が引ける僕のようなタイプの人には、手っ取り早い解決法のように思っている。
一方で、ちゃんと生身の人と話して恥をかかないと上達が遅いような気もしている。
英語学習の習慣が付いたら、もう一歩踏み込んでオンライン英会話も併用してみるのが良いかも知れない。

続けられているのは良いとして、少し困っているのがレベル設定だ。
アプリにカリキュラムがあって、それに沿って会話テキストを中心に学習していくタイプのものなのだが、レベル設定が下から上まで割と幅広い。
始めた当初のカリキュラムは、正直自分のレベルより若干上に感じていた。
聞き取れない箇所も幾つかあったりして、自由会話になると詰まることも。
何とかそれを切り抜けたところで改めて始めたカリキュラムは、逆に初歩的過ぎて不安になる。
簡単に済むのでサクサクやれるのは良いが、果たして意味があるのだろうか。
もう少し続けながら、そもそもの自分のレベルを正確に把握することが大事なのかも知れない。