童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年12月10日

ずっと夜更かししていた反動なのか、やたらと眠くなる。
日記をつけているまさにこの時間が結構危なくて、昨日はこの時間まで仕事だったのだがあまりにも眠たくてソファで横になっていた。
その割に布団に入る時間は相変わらず遅くて、ダラダラと船を漕いでいる時間ばかりが延びている。
睡眠時間を取れるように導入したはずのポケモンスリープも、最近はポケモンだけ先に寝かして人間はお風呂に入ったりしている。
フレンドになっている方から「毎日きちんと寝られていて素晴らしいですね」と言われるまで、もはやポケモンを騙していることへの罪悪感すら忘れていた。
生活にメリハリがなくて、大変不真面目。
要反省だろう。

先日のBLACK FRIDAYで頼んだ品々が、続々と届いている。
今日は、新しい冬用の敷布団が届いたのだが、よく考えてみたら敷布団のカバーがないことに気がついた。
既に開封して嵩張っているのだけれど、カバーを買うまでは使うわけにもいかないかと布団のそばに放り投げられている。
というわけで、一人暮らしのはずなのに何だか寝室が布団ばかりになっていて、片付かない不真面目な光景が広がっている。
最近の生活リズムが不真面目になっているのは、環境も影響しているのかも知れない。
いや、生活リズムの方が先なのか?
己の不甲斐なさで、鶏か卵か論争が巻き起こっている。

今週は後半から週明けにかけて、また仕事が忙しくなる。
一緒に仕事をする予定だったはずの同僚は、なんとここへ来てご家族が入院したと連絡があった。
まだお子さんも小さく、あまり戦力は期待できそうもない。
と言うことは、ますます余裕はなくなって、部屋も生活リズムも荒れていくだろう。
加えて外食が増えるはずなので、胃腸や肌も荒れるはず。
ろくなことにならない予感しかないが、もうひと頑張りしないと年が越せない。
そろそろ入るだろうボーナスのことを考えて、何とか乗り切るしかない。

2024年12月8日

昨日は、幸運にもチケットを持っていたためにこのコンサートに行ってきた。

montreuxjazzfestival.jp

かなり前に、SEATBELTS関係のクラウドファンディングか何かに協力していたおかげで、優先的にチケットを取ることができた。
ジャズフェスには行ったことがなかったけれど、カウボーイビバップをこよなく愛する者として、やはりSEATBELTSの演奏は生で聴きたい。
菅野さんが一緒に出るとなれば、尚更である。
というわけで、わざわざ横浜まで行って、目撃してきた。

楽しげに現れて徐に観客を乗せ始める菅野よう子。
恥ずかしながら本物を生で見るのは初めてで、それだけでもう感動してしまった。
始まったと同時にSEATBELTSの音に包まれて、その場で鳴っていることの幸せをずっと噛み締めていた。
軽快なカウボーイビバップのナンバーを聴きながら、懐かしくアニメ映像を脳内再生していたところ、照明が暗転。
一転して拳の効いた泣かせるセクションに突入。
ジャズフェスと言っても結構幅広くやるのかなと思っていたところに、不意打ちで聞き覚えのあるピアノのイントロが流れた。


www.youtube.com

膝から崩れ落ちなかった自分を褒めたい。
Ilaria Grazianoその人が歌ってくれていた。
攻殻機動隊の曲をやってくれるなんて聞いてない!
もはやジャズでもSEATBELTSでもないではないか。
会場からも悲鳴が上がっていて、同志も少なくなかったはずだ。
何せこの曲は攻殻機動隊関係の曲の中でも1、2を争うお気に入りで、院生やポスドクの頃は延々とリピートしながら夜中に書類仕事をしていたことも何度もあった。
それが目の前で、菅野さんがピアノを弾く中で歌い上げられている。
泣かずにはいられなかった。
i do以外にも、亡きOrigaさんの歌とコラボしたinner universeも感動的で、ジャズフェスのはずがアニメオタクたちが大満足して袖を濡らす、そんなセットリストになっていた。

そしてもう一つ、個人的にはとても驚くべきことがあった。

大変失礼なことなのだが、実は今回のフェスについて、YOKO KANNO SEATBELTS以外の情報を全く入れずに臨んでいたため、他の参加アーティストについては当日現場で初めて知ることとなった。
そうしたら、トリのアーティストに見知った名前が。
Shing02....
見間違いかと思った。

実は、ここ1ヶ月くらい、NHKのとある番組をきっかけにNujabesばかりを聴いていた僕。
ライフワークともなっていたLuv(sic)も当然聴いていて、彼の抒情的なトラックにラップを乗せていたのが、まさにShing02だった。
一緒に観に行った友人にも話して、是非とも最後まで観たいと言って残っていたところ、まさか彼が6部作あるLuv(sic)を全てやってくれるなんて。
大好きなpt.3を生ラップで聴けたこと。
本当に幸せだった。
と同時に、これは運命だと思った。
多分僕は、これから先もNujabesを聴き続けると思う。
もう彼はこの世にいないけれど。


www.youtube.com

2024年12月6日

乗せられまい乗せられまいと思っているのに、結局BLACK FRIDAYなるものに乗せられて買い物をしてしまった。
自宅用のディスプレイやらリモート操作スイッチやら、気が付けば5万くらいに積み上がっていた。
まんまと。

ディスプレイを買ってしまったのは、正直言ってちょっと良くなかったかも知れない。
と言うのも、今まで自宅にディスプレイを置いていなかったのは、家で仕事をしにくくするためだったからだ。
家でも大きな画面で仕事ができてしまったら、きっと今まで以上に仕事とプライベートの境目が曖昧になってしまう。
そう思って、敢えて仕事をしやすい環境を整えないでいたのに。
プライベートで使うにしたってもう少し大きな画面で効率を上げたい欲に負けてしまった。
果たして、ディスプレイが手に入っても仕事に侵食されずに済むかどうか。
戦々恐々としている。

それにしたって、BLACK FRIDAYはすっかり定着した文化になってしまった。
つい10年くらい前まではそんな風に言っていなかったはず。
単にクリスマス商戦の開始として、やたらと緑と赤のカラーリングが街に溢れてくる季節という印象だった。
元々はアメリカの感謝祭の次の日の金曜日を指していて、在庫一掃セールの開始日になっているとか。
感謝祭の文化は入ってこないのに、セールだけは取り入れる。
いかにも日本らしい受け入れ方だと思う。

などと腐しながら、すっかりそれに乗せられているのだからまるで説得力がない。
職場の同僚たちも集まればBLACK FRIDAYで何を買うとかこれがおすすめだとか、そんなことばかり話していた。
違和感を感じつつも文化の定着に加担してして、夥しい数の共犯者に混じっている。
恥ずかしいと思いつつ、商品が届くのをワクワク待っている。

2024年12月5日

一昨日の深夜、ようやくメタファーが終わったと思ってホッとしていた間に、SNSでは衝撃的なニュースに湧いていた。

www.jiji.com

何と現職の大統領による国会機能の停止宣言。
加えて国会に集まる議員たちを阻止するために軍が出動。
反対する市民たちに銃口が向けられる事態に。
ゲームの中のことがそのまま現実に起きているような感覚だった。
幸にして誰一人亡くなることなく事態が収束したということで本当に良かったけれど、一歩間違えれば大惨事になりかねなかった。

それにしても、多くの人たちが指摘している通り、この異常事態に際して即座に反応した韓国の国会議員たちと市民たちには敬意を持たざるを得ない。
仮にこの先日本で、政府の独断で緊急事態宣言が出されて民主主義崩壊の危機になった時、果たして自分は彼らのように行動できるだろうか。
でもまさにメタファーは、そうした行動を僕ら一人一人が取ることでしか、社会は変わらないし私たちの抱える不安は解消されないことを強く訴えていた。
そんなメタファーのクリアとこの事件がほぼ同時だったことに、何だか運命のようなものを感じるとともに、これからの自分の振る舞いへの戒めにしたいと思っている。

憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

有名な憲法第12条の一文である。
今回の件に限らず昨今の政治関連のニュースを見るにつけ、この一文の重要性を感じる。
様々な形で社会システムや構造の欠陥やバグが露呈し、民主主義は今大きく揺らいできている。
その中にあって、その欠陥やバグを悪用しようとする者が現れた時、絶対にそれを許さない、見逃さずに監視し続けることこそが民主主義の根幹なのだ。
そのことが、とても実感される。

残念ながら権力は、すべからく腐敗する。
多分、例外はない。
だから我々は、常にそれを厳しい目でチェックし続けなければならない。
悲しいかな今の日本は、メディアも国民もその責任を放棄しつつあり、成熟した民主主義国家とはとても言い難い。
小さく無力でも、せめて声を上げたり行動したりすることを諦めないでいたいと願っている。
もしも今回のような事件が本邦で起こったなら、即座に駆け付けられる理性を持ち続けたい。

2024年12月4日

実に3週間弱振りの日記を書いている。
その間、いったい何をしていたのかと言えば、ずっとメタファーをやっていた。
要するに、ゲームばかりしていて日記をサボっていた。

メタファーをやり始めたことはサボり始める前の日記にも書いていたけれども、まさかこんなにもそればかりに集中することになろうとは。
段々と時間も取りにくくなってきていたので、多分一気にやらないと最後までプレイできないのではないかと思ったのだ。
これはちょっともうそれだけに時間を注ぎ込んで、早く終わらせてしまおうとしたのが、思いの外ボリュームがあって、結局昨日ようやくクリアすることができた。
正直かなりホッとしている。
ゲームを終えての感想は、また別の記事としてまとめておこうと思っている。

ただこの3週間弱、自分の中での優先度が何となく見えて、ちょっと面白かった。
やり始めて最初に犠牲になったのは、何より睡眠時間。
とにかく夜中に始めると途中で止められなくて、キリの良いところまでと言っては夜更かしばかりしていた。
結果として寝不足が続いて、本当は最も影響を出してはいけない仕事にも少なからぬ差し支えがあったと思う。
とは言いつつ、仕事は休まずやっていたし、残務はちゃんと土日に片付けていたので、気持ちの上では仕事を優先していたつもりだった。
が、間接的には仕事も犠牲にしていたと言えるだろう。

そして次に犠牲になったのが、自分を磨く活動。
散歩や筋トレ、風呂上がりの保湿、etc....
ブログも文章を書く練習としてやっていた節があるので、ここに分類されるかも知れない。
心理的肉体的にちょっとした負荷があるような活動は、ことごとく後回しになっていった。
その意味で、家事も犠牲になっている。
もう結構寒くなったというのに、衣替えすら満足にできていない。
そして、ちょうどカップ焼きそばを箱買いしてしまっていたのもタイミングが悪かった。
最終的には、心理的負担がそれほど高くなかったはずの炊事まで犠牲にして、塩焼きそばを頬張りながらゲームをしていた。

その他の趣味の時間もどんどんと削られていった。
映画館もこの間行っていないし、テレビの録画は溜まっていくばかりになっている。
見始めると拘束時間が長い「光る君へ」なんて、もう何回分観ていないのだろうか。
もう未視聴として並んでいる録画リストにも見慣れてきてしまっている。
その割に、入浴中や寝る直前のYouTubeはだらだら観てしまったりして、無為に時間を浪費してしまうのだから良く分からない。

こんな生活を続けている中で、逆にこれをやりたいという気持ちがどんどん芽生えてくるのが新鮮だった。
楽器を始めたいとか、英語の勉強を再開したいとか、親を連れて旅行に行きたいとか。
そんな気持ちが湧いてきて、このゲームが終わったらやろうやろうとモチベーションを高めていた。
別にゲームを中断してさっさと始めれば良いのだけれども、何だかやる気だけ出てくる状況が面白くて、そのまま昨日を迎えた感じだ。

折角高まったこの気持ちのまま、新しい(健康的な)ルーチンを付けるべきだろう。
とは言えだいぶ生活スタイルが破壊されてしまったので、まずは立て直すところからだろう。
とりあえず、早く寝ること。
既に日付を超えてしまっているが、今日はさっさと布団に入るつもりだ。

2024年11月15日

11月ももう半分終わってしまうらしい。
今週は特に速く感じる1週間だった。

忙しい合間を縫って、とある地方都市で開催された学会に参加してきた。
元々自分が研究をしていた分野の年会で、学生の頃に可愛がってもらった先生方や先輩方、親しくしていた同世代や後輩たちに会える機会だった。
フルで参加するつもりで登録していたのが、本務の事情によって泣く泣く1日だけの出席(しかも懇親会を中座して帰る始末)。
学会としては随分と中途半端な参加になってしまって、残念だったし申し訳なかった。

ただ、たった一日だけでも、やはり参加して良かったと思えた。
古巣と言うか、ここがホームだと言うのをやっぱり感じる。
立場の上も下もなく、一つのテーマについて皆でわいわい議論する雰囲気は変わっていなくて、久しぶりに会うどの人も親しく近況を聞いてくれる。
そんな素敵な空間に身を置きながら、今の自分があるのは、間違いなくこの学会があるからだと強く感じていた。

僕自身は、学生時代にしていた研究から少し離れて、現在はむしろエンジニアリング(開発)に近いことに携わっている。
開発内容も、前の研究からはかなり遠くなってしまっているのだけれども、そういう仕事でも拒否感なくチャレンジできたのは、出身の分野の特性に由来しているのだと思う。
僕の出身の研究分野は、元々技術開発の要素が大きいのだ。
その開発要素の部分で繋がっているから、老若男女問わず、学会の時には互いのノウハウを共有するために闊達な議論ができている。
どんなに歳を取った偉い先生でも、若い学生さんが説明する新しい手法を真剣に聞いて教えを乞う。
それが当たり前の場所で育ったことは、いま別の場所で開発に取り組んでいる自分にとって、とても大きな財産だったと今更ながら思ってしまった。

ありがたいなと思うと同時に、果たして自分は恩返しができているだろうか、とも思っていた。
学会への具体的な貢献という意味でもそうだが、もっと違う形での恩返しがあるのではなかろうか。
ほぼほぼ別分野に行ってしまってなかなか直接的な還元がしにくくなってしまった今、それを少し悩ましく思っている。

2024年11月10日

今日は、ゲームをしたり学会の準備をしたりYouTubeを観たり、比較的ダラダラと好きなように時間を使う一日だった。

「メタファー」は、4つ目の主要都市にやってきて、俄然面白さに拍車がかかってきた。
これまでニンゲンと呼ばれる異形の怪物を倒しながら、どこまでもファンタジーな世界を旅してきたのだけれど、古代文明の遺跡でついに、そのファンタジー世界と我々の暮らす現実世界の関係が、朧げに浮かび上がってきた。
そして、その中で強く打ち出されるメッセージ。
さすがアトラス。
実際には、様々なクリエイターたちが繰り返し繰り返し訴えてきたものだけれど、より一層その切迫感は増していると感じる。
本気で世の中を良くしたい、若者たちに目覚めてもらいたい、楽しい世界を自らの手で切り拓いてほしい。
そんな真摯な願いが、とても誠実に込められている。
物語はまだ続いていて、このストーリーは、一体どんな着地を見せてくれるのか。
既に全幅の信頼の下で、物語を進めている。

そう言えば、僕はYouTubeでリアクション動画を観るのが比較的好きなタイプなのだが、「メタファー」の動画は今のところが観ていない。
やはりネタバレが恐ろしい。
初見動画を観ていても、コメント欄などでうっかり踏んでしまうこともある。
そんな事情もあって、ほぼほぼ自分が過去に観たアニメや映画、MVなんかのリアクション動画が多い。
そんなわけで今日は、「ルックバック」のリアクション動画ばかり観ていた。

確か日記にも書いたと思うのだけれども、藤本タツキ先生が書いた読み切り「ルックバック」をアニメ映画化した作品で、僕は劇場で既に4回ほど観ている。
両親や職場の後輩なんかにも布教して、公開当時から入れ込んでいた作品だった。
それが、数日前に満を持してアマプラに降臨。
多くの人が観られるようになった。

ルックバック

主に海外の人たちを中心に、リアクション動画を複数観た。
アニメ好きの人たちが中心で、藤本先生の大ヒット漫画「チェンソーマン」をきっかけに観ている人がほとんど。
作品の温度の違いに戸惑いつつもすぐに心を持って行かれて、見事に揺さぶられていた。
それほど、この作品は良くできているし、普遍的なものを含んでいる。

「メタファー」も、プレイし終わったらきっとリアクション動画を観に行くのだろう。
それにしても、なぜ人が楽しんでいる姿をこんなにも観てしまうのだろうか。
自分が楽しかったらそれで良いはずなのに。
いつかじっくり考えてみたい。