鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は [email protected] へ

済東鉄腸の偏愛サイレント映画50本!!!!!

さて、この鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!では主に最新の日本未公開を紹介してきた。最近は本の執筆で忙しくなり、あまりここに記事が書けていないが、数ヶ月前には“済東鉄腸オリジナル、2020年代注目の映画監督ベスト100!!!!!”というまとめ記事を出したりとまだまだ最新の映画には喰らいついていきたい所存である。

では古い映画はあまり観ていないかと言えばそうでもない。私は、芸術はシンプルに権威や既存の概念に中指を突き立てるものであってほしいという古風な考えを持っているので、映画史にしろ何にしろ芸術史は権威主義的で好きではないので、必然的に古典映画はあまり観てこなかった。それにそういうのは他の批評家やシネフィルが観ているだろう、だから彼らにそれらを託して私は皆が観ない映画を観ようと、自分の趣味に生きていた。

ただ古典作品でも、意外と100年ほど前のサイレント映画に関してはあまり観られていないことに気づいた。なのでここで逆張り精神が発動し、サイレント映画を観始めたのだがこれが面白い。音も色もついた現代映画とは、明らかに全く違う理論や演出で作られていると一目で分かる。これがとても新鮮だった。そして色々観ていくうちに、サイレント映画にも日本未公開作、もしくは一応当時の日本では公開されたが昔すぎて全く顧みられていない作品が多くあることに気づいた。そうなるともう観まくってしまうわけですね。

ということで、そんな感じで観てきた映画の備忘録として、済東鉄腸偏愛のサイレント映画50作についてのリストをここに作った。本当は今年の上半期にこれを出して、下半期に100本のリストを作ろうと思ってたのだが、延びに延びて年末になってしまった。100本版は頑張って来年完成させられればと思う。ということで、みんなでサイレント映画の大海原に漕ぎ出していこうぜ!

Limite (1931, Mario Peixoto, ブラジル)
ブラジル映画史上の傑作と名高いこのサイレント映画、いや凄い、本当に凄い。今作を以てサイレント映画の可能性は全て究められたがゆえに、これ以後世界はトーキー映画へと移行することになった。こう言いたくなるほどに完璧な映画、今作を措いて他には存在しない。今作が国際的に再発見される契機になったのはマーティン・スコセッシ率いるWorld Cinema Projectによってリストアが成され、Criterionからソフトが発売されたこと。スコセッシはこのように世界中の知られざる傑作を世に広める労力を惜しまないのが素晴らしい。

Koskenlaskijan morsian / The Logroller's Bride (1923, Erkki Karu, フィンランド)
1923年制作のフィンランド産サイレント映画。若者たちの三角関係を描くメロドラマですが何より凄まじいの、上流から下流へ木材を運ぶ木こりたちの命懸け激流下り。何人も演者死んだと聞いても信じそうな、サイレント映画史上最も危険なアクションの1つがこの映画に。今作は内容だったり演出だったりがドライヤーの傑作「グロムダールの花嫁」を彷彿とさせるが、後者が牧歌的で多幸感を抱かせるようなものであったのに対し、こちらは荒れ狂った激流さながらに壮絶。最後も三角関係に敗れた男が発狂の後に入水自殺となかなかに激越。

The Half-Breed 火の森 (1917, Alan Dowan, アメリカ)
アラン・ドワン、サイレント映画時代の職人として創りあげた1917年の1作。ネイティブ・アメリカンへの激烈な差別、他人種に対して白人が盲信する優越性、人種の交わりこそが呼びこむ新たなる憎悪。これら西部時代のアメリカに根づいた宿痾を、メロドラマ西部劇として異様なほどの丹念さ、そして思い入れを以て描きだしていく凄まじい1作。そうして全て焼き尽くしていく弩迫の終盤にはただただもう呆然するしかない。

Maria do mar (1930, José Leitão de Barros, ポルトガル)
もしサイレント映画で最も美しい映画を挙げろというなら、迷うことは一切なしにこの1本を挙げたい。ポルトガルの海岸線を舞台に繰り広げられる悲劇的メロドラマは、その無音の躍動によって海岸線の向こうの輝きへと手を伸ばしていく。そしてその愛の意志によって神に近づく瞬間が幾度もあった。この映画は崇高そのものだ。

Glomdalsbruden グロムダールの花嫁 (1926, Carl Theodor Dreyer, ノルウェー)
内容は難しい愛についてながら、静寂を体現したかのような平穏な雰囲気には心が深く落ち着かされる。そしてその中にドライヤー自身が目を細め微笑みを浮かべる様が幻視され、彼の人間存在への情愛についつい想いを馳せてしまう。ドライヤーの傑作は「二人の人間」とこの「グロムダールの花嫁」だと思うが、特集上映では毎回ハブられるので悲しい。

Borderline (1930, Kenneth Macpherson, イギリス)
ナサニエル・ドースキーやロバート・ビーヴァースなど名だたる実験映画監督たちに影響を与えた映画理論家Kenneth Macpherson、彼にとって唯一の長編監督作はスイスのアルプス山脈に位置する町を舞台に、黒人差別と愛憎を描きだしたサイレント映画。エイゼンシュタインのモンタージュ理論を極めて先鋭化させて作られたこのメロドラマは、もはや実験映画と見分けがつかないほどで、これは噎せ返るような官能と業の映像詩のようだ。そして1930年にこんなにも濃密にクィアな映画が作られていたのか!とも驚いたのだが、そのクィア性を解説するAnother Gazeの批評記事を読むと、監督が両性愛者で俳優として出演する2人の詩人たちとオープンな関係だったという裏幕についての情報も。映画のクィアな雰囲気にも納得感がある。

Նամուս / Namus (1925, Hamo Beknazarian, アルメニア)
コーカサス地方に根づく名誉殺人の伝統を描きだしたサイレント映画、かつアルメニア初の長編映画。歴史のなかで培われた忌まわしき因習とそこに反旗を翻す若者たちの愛、その衝突が生みだす狂熱、妄執、暴力はどこまでも壮絶。眼球を握りつぶすほどの圧を持つ救いなき修羅場の数々には、これぞ正に悲劇だと言わざるを得ない。監督はアルメニア映画の父と言われる人物で、トビリシなどで映画制作を学んだ後、アルメニアへと戻り今作を作りあげたのだという。これ以後も10作以上の長編を監督した後、1967年にモスクワでその生涯を終えた。

La cruz de un ángel / The Cross of an Angel (1929, Amabilis Cordero, ベネズエラ)
1929年制作、ベネズエラ最初期のサイレント映画。とあるブルジョア家族の愛憎をめぐる物語だが、砂埃が猛々たる不毛の大地の風景だったり、ふとした瞬間に命が失われてしまう残酷さだったりと、劇中のそこかしこに言いしれぬ禍々しさが広がっており観ながら、正直ゾッとする時が何度もあったりする。最終的には確かに大団円を迎えながらも、それでも蟠り続けるこの虚ろさは一体何なのか。底が知れない荒涼を味わわされる作品。

Laenatud naene / The Borrowed Wife (1912, 監督不明, エストニア)
1912年制作、金持ちの叔父から援助金をせしめるため妻を“雇った”独身貴族の男を描きだす、エストニア最初期のサイレント映画だが、これがマジに無類のおかしさ。俳優の顔面が百面相とばかりグルングルン変わりまくり、それに呼応するかのように、スケート場で一般人集団がヤバいくらいグルングルン超絶回転しまくったりと、映画自体がマジに制御不能。クソ面白え!

The Red Kimono (1925, Walter Reid & Dorothy Davenport, アメリカ)
愛憎に翻弄されて殺人を犯した女性の贖罪を描きだす、1925年制作の1作。「緋文字」最初期の映画化で物語は王道メロドラマながら、主演プリシラ・ボナーの存在感が尋常でなく、愛人殺害の、壮絶なまでの遅さの聖性が今作を濃密なまでに高める。瞠目の厳粛。今作はWalter Reid ウォルター・レイドの初監督作ながら、今はノンクレで監督・脚本・制作を担当したらしい彼の妻Dorothy Davenport ドロシー・ダヴェンポートの方が著名。日本では知られざる女性映画監督の先駆けで、あのドロシー・アーズナーが今作の脚色担当という繋がり。

El pequeño héroe del Arroyo del Oro (1929, Carlos Alonso, ウルグアイ)
貧困が極まった果てに祖父が発狂、そして家族を皆殺しにしてしまうという凄惨な事件が題材となっているウルグアイ産実録サイレント。演技は正直に言えば再現ドラマレベルの代物、しかし妹を守る兄の逃避行を描く際に現れる、広大なパンパを収めたロングショットの悲痛さ、美しさたるや類を見ないほどに崇高なものだ。そして今作はウルグアイ1920年代の掉尾を血で飾る出来事としてこの事件を据えており、そのメッセージ性もなかなかに異様だ。忘れ難い余韻を残してくれる1作。

La boheme ラ・ボエーム (1926, King Vidor, アメリカ)
キング・ヴィダーが1926年に制作した1作。部屋で目まぐるしく交錯する人々、公園で舞い踊る恋人たち、反復されるお姫様だっこ、ラストの荒涼たる彷徨い……人間の身体が躍動する、そしてその末に死に至る、この原初的な驚愕をどう表現すればいいのか。ヴィダー作品でも屈指の傑作。

O homem dos olhos tortos / The Man of the Crooked Eyes (1919, José Leitão de Barros, ポルトガル)
地下世界で暗躍する犯罪者と彼を追う2人の刑事を描きだした、ポルトガル映画史上初の長編映画かつ、映画史上における初期ノワールの1本。有り得ない明らかに混濁した編集、技術的制約で強いられる弛緩した長回しとそれを反映した弛緩の語り。こういった瑕疵によってこそ映画黎明において闇というものの果てしなさを初めて捉え得た作品とすら思える。

Back to God's Country (1919, David Hartford, カナダ)
1919年制作の、カナダ産サイレント映画。動物たちと木々がひしめく山岳地帯、恐ろしいまでに白一色の雪原。この大いなる自然を1人の女性が駆け抜ける!マーガレット・アトウッド言うところのカナダにおけるサバイバルの精神性は、この大いなる自然から生まれたのだと有無を言わさず納得させられる、圧巻の1作。

Ukřižovaná / The Crucified (1921, Boris Orlický, チェコ)
暴動の果てのユダヤ人磔刑という悍ましい光景を目撃した男の、壮絶な道行き。グリフィス、アベル・ガンスと同時代に生きたチェコ人監督による戦争メロドラマで、人間存在の残虐、お愛の安らげる甘やかさ、剥き身の暴力と死骸の数々、超越存在と対峙する苦悩、全部ぶっこみ60分。今作含めこの時代は長編小説を60分で映画化とか平気でやるし、語りが暴力的に省略されることがよくあり、時間がブッ飛んだような錯覚を味わう。これがある種のサイレント映画を観る醍醐味。

The Salvation Hunters 救ひを求むる人々 (1925, Josef von Sternberg, アメリカ)
ジョゼフ・フォン・スタンバーグ、1925年のデビュー長編。泥寧と汚水の淀みまくった悪臭が匂いたつ社会的リアリズムの序盤も印象的だが、さらに人間存在の陰鬱なまでの優柔不断が埃臭さと交わりあい不快さMAXを迎える中盤も痛烈。しかし全てを爆散させるかのごとき、剥き身の拳が乱舞する自棄っぱち大暴力の終盤が一番ヤベえのなんのでさ。スタンバーグ、デビュー長編からもう既に贅の極み。

Where East is East 獣人タイガ (1929, Todd Browning, アメリカ)
トッド・ブラウニング、1929年の1作。獰猛なまでに過保護な父、むやみなまでに軽薄かつ親密さを露わにする娘、そして夫への復讐のために娘の恋人の肉を貪らんとする母。ラオスで繰り広げられる近親相姦サイコ・メロドラマ、これぞヘテロセクシャルどもの愛業の物語で、マジに痺れさせられる。「フリークス」や「知られぬ人」など良作が多いが、その中でも今作こそが間違いなくブラウニングのベスト1本。

Visages d'enfants (1925, Jacques Feyder, スイス)
スイス映画界黎明のサイレント映画が今作。最愛の母の死、そして父の再婚によって憤怒を募らせていく少年の愛憎遍歴が物語の筋であり、彼のそのふてぶてしい表情の渋みも相まり、再婚相手の連れ子をネチネチ追い詰めるメロドラマ展開は醜いまでに珠玉の一言。さらには雪崩のPOV視点から神による大いなる救済、そして母性の勢いのままに行われる激流ダイブなど目覚ましい展開に酔わざるを得ない。

You Never Know Women 女心を誰か知る (1926, William A. Wellman, アメリカ)
ウィリアム・A・ウェルマン、1926年製作のサイレント映画。ダンサー、奇術師、謎の紳士によって繰り広げられる複雑微妙な三角関係を描くロマンス。王道を行きながらも、細部には目を惹く捻りをいくつも加えての、あの堂々たる大団円。これ、題名はある種の反語であり、実際は“男心を誰か知る”なんだということが分かる仕掛けなのだ。本当に心の底から痺れに痺れる小逸品。

Aitaré da preia / Aitaré of the Beach (1925, Gentil Roiz & Ary Severo, ブラジル)
レシフェの港町に住む漁師の青年と村娘の悲恋を描きだした、1925年製作のブラジル産サイレント映画。海を、寄せては返す波だけを映しだす場面があるんですよ。それを見ていると、逆に自然が私たちを見ているような感覚に陥る。そんな海や木々、浜辺の砂の1粒1粒の視線からこそ浮かびあがる、鷹揚としてたゆたうような美しいメロドラマが今作であるとそう思える。Severoは監督と主演を兼任、これ以後にも20年代にかけて数本のサイレント映画を監督し、現在でもブラジル映画界で語り継がれる存在となっている。

Poor Little Rich Girl (1919, Maurice Tourneur, アメリカ)
親の愛を求めるおてんば娘の大騒動を描く前半から一転、幸せと死の狭間にある不気味な世界を彷徨うことになる後半へと。血眼のロバ、頭だけが人間の蛇、もはや悲痛な自暴自棄ダンス。幸せへと至るまでに子供たちが見せる必死さ切実さ、それに寄添う映画の優しさが今作には存在している。深く心打たれた1作。

Catherine ou Une vie sans joie カトリーヌ (1924, Jean Renoir & Albert Dieudonné, フランス)
共同監督作ながらも、ジャン・ルノワール長編監督デビュー作。ロングショットやクロースアップを使い分けながら紡ぎだすリズム感覚は既に才気煥発の艶やかさ。さらに階段を延々と、永遠と神経質に上り下りする様を描くのみでもサスペンスを持続する手捌きには感銘を受ける。その果てでの終盤の列車暴走、正気じゃない圧力でこれはもはや笑うしかない。全く絶品だ。

Straight Shooting 誉の名手 (1917, John Ford, アメリカ)
ジョン・フォードによる、1917年制作の長編。農夫とカウボーイによる、水をめぐっての壮絶なる戦争を描いた西部劇で、馬の肢体が米粒レベルにまでなるロングショットと、馬の疾走が砂嵐を起こす様を映すショット、2つが交錯する籠城戦の迫力たるや圧巻も圧巻だ。ハリー・ケリーの顔も邪だったのが、終盤には精悍さこそを増していくという様は感動的でもある。

The Man from Kangaroo (1920, Wilfred Lucas, オーストラリア)
血の気の多いボクサー牧師の苦難を描くオーストラリア産サイレント映画。コメディ、暴力映画、メロドラマ、西部劇を横断する雑多さが主演俳優の剥出し拳とキレまくり体技で1本極太の芯が通る。規格外の落下の数々を収めまくるロングショット、お世辞でなく時代随一。主演のSnowy Bakerはボクシング、ダイビング、ラグビー、乗馬と何でもござれのマルチアスリートでその運動神経を生かし一時期オーストラリア映画界で大活躍、いやマジにアクションすごくて、豪のバスター・キートンやん!と驚く。

Карађорђе (1911, Ilija Stanojević, セルビア)
1911年製作、セルビア最初の長編作品である、近代セルビアの祖カラジョルジェの生涯を描きだした作品。オスマン人ごと父を殺害する血腥さでこそ幕を開ける様は、歴史における原初の暴力映画に相応しい容赦のなさ。これと同時に、今作には殺しあう群衆を遠くから見つめる野良犬の覚めた視線をも宿している。暴力という概念に対する明晰な洞察が印象的な作品。

The Power of the Press 渦巻く都会 (1928, Frank Capra, アメリカ)
フランク・キャプラが1928年に監督した1作。冒頭、新聞社の記者たちの身振りをめぐる撮影、編集のリズムは本当に完璧の一言。そうしてそこからダグラス・フェアバンクスJrの軽快な動き(ガムをクチャクチャ!)にこそ新聞記者魂が託されて後、眩暈起こすほど野蛮なカーチェイスで作品を締めていく!これこそがキャプラによる最高傑作の1本。

劳工之爱情 / Laborer's Love (1922, 中国)
現存する作品でも最古だという中国映画は、果物屋の兄ちゃんが引き起こすドタバタ劇を描きだしたサイレント・コメディ。兄ちゃんが、片想いの相手が勤めている向かいの薬局を繁盛させるために何をするかって、アパートの階段を改造して住民を滑落させ怪我を負わせるという。キートンやらロイドやらこの時代のコメディ俳優による作品群を観て毎度思うのだが、こういった半端ねえ暴力の数々がお笑いネタとして炸裂する様に、サイレント映画界の無法地帯ぶりを再認識。

Afgrunden 深淵 (1910, Urban Gads, デンマーク)
1910年制作のデンマーク映画、再見。劇中にアスタ・ニールセンがエロいダンスを踊り続ける場面があるんですよ。ほぼ不動の画面、一切の無音状態、一度もカットがかからないで3分間ジッとエロいダンスを観続ける時に感じるあの禍々しい熱気。これがサイレント映画の魔なのだと。監督Urban Gad ウァバン・ギャズ、デンマーク映画界最初期の映画作家で、ニールセンの最初の夫でニールセンを映画スターに押しあげたのに、今や世界的にも無名と化してるのはマジに信じがたい。日本なんかでも最近はノーザンライツで上映したくらいでは?この過小評価は一体……

La vocation d'André Carel / The Vocation of André Carel (1925, Jean Choux, スイス)
ある男女の恋愛模様を通じ港町に広がる群像を描く、スイス映画界黎明のサイレント映画。主人公の旅の光景が淡々と繋がれる冒頭からその素朴な美に酔いしれ、人々の息遣いと潮風の揺蕩い、時々熾烈なブン殴りあいに身を委ねる。心洗われるような映画体験。監督のJean Chouxはスイス人かつフランスで活躍の映画作家、というわけでゴダールの先駆け的な。 日本でも"Maternité"という長編が「母性の秘密」という邦題で公開済みだそう。

Lāčplēsis / The Bear-Slayer (1930, Aleksandrs Rusteiķis, ラトビア)
ラトビア映画史における初の長編作品が今作。熊殺しの英雄伝説に導かれて、愛の三角関係がラトビア独立の気焔と惹かれあう。物語はシンプルなものながら、ソ連映画界から受け継いだ熾烈な戦争描写や、英雄譚とラトビア現代史の奇妙な交錯によって一大サイレント叙事詩に発展していく様が印象的。

Nummisuutarit 村の靴職人ヤーナ (1923, Erkki Karu, フィンランド)
妙な遺産相続条件のせいで村に巻き起こる大騒動描きだした、フィンランド産サイレント映画。無駄に混迷を極めているせいでよく分かんねえ物語への不満、それを全て吹き飛ばすのは圧倒的暴力!大乱闘!家ブチ壊し!泥棒ボコボコ!親父が息子のケツブッ叩き!これが、これこそサイレント映画が成せる剥き身の暴力!最高!

Tol'able David 乗合馬車 (1921, Henry King, アメリカ)
ヘンリー・キング、1921年の作品。前半は平凡な臆病の青年とその家族をめぐる割と平凡な物語が展開していきながら、事態が進むにつれて、そんな家族が悪しき運命によって屠られていく。そこに広がる青年の精神と肉体が傷つきゆく光景が、下敷きとなった"ダヴィデとゴリアテ"の神話と共鳴し、鬼気迫る聖性へと昇華されていく様たるや。前半から想像もできない地点へと連れていかれる作品。

Hævnens nat 復讐の夜 (1916, Benjamin Christensen, デンマーク)
ベンヤミン・クリステンセン、1916年の1作。私がサイレント映画で好きなもの、それは暴力と因果の輪廻。15年の時を越えて果たされる復讐の構図は、應揚たる編集のリズムのなか刻々と描かれ、そして時の流れを重んじるからこその大いなる断絶の後、破壊と救済の時は来たる。これが、美。

Cikáni / Gypsies (1922, Karl Anton, チェコ)
1921年制作のチェコ産サイレント。第1部はヴェネチアを舞台とした、なかなかに下らない寝取り物語。しかし第2部において、愛憎によって人間関係が錯綜した挙句、人間の業!と叫びたくなるような凄まじい因果応報劇へと変貌。この劇的っぷりには不覚の興奮を覚えてしまう。はだけた胸と木壁を這いずる蟻、白が散らばり宇宙的無限を得た真黒い監獄……そのイメージの数々は壮絶の一言。

Амок / Amok (1927, Kote Mardjanishvili, ジョージア)
シュテファン・ツヴァイクの「アモク」が、まさかのソ連支配下のジョージアで映画化され生まれたサイレント映画が本作。インドネシアとインドを混同した果てとしか思えないヤバいブラックフェイスには苦笑せざるを得ないも、神経衰弱の極みたる主人公の精神世界が、フィルムそのものの溶解や燃焼によって表現される様に映画の自由さを見た。大いなる欠点を補って余りある危うい魅力を持った1作。

Hypocrites 偽善者 (1915, Lois Weber, アメリカ)
ロイス・ウェバー、1915年の1作。信仰の腐敗に苦悩する聖職者が、自身の創りあげた“真実”という名の彫像を大衆に披露するのだったが……キリスト教への敬虔なる献身を観客へと粛然と問う1作である一方で、技術的にもその先進性が際立つ。カメラワークの洗練、編集の幻惑的逸脱、スクリーンプロセスの介入などなど当時の技術の粋が集約されることで聖性に満ちた前衛が展開、観客の理解を軽々と越えていく。

Cud nad Wisłą / Miracle at the Vistula (1921, Ryszard Bolesławski, ポーランド)
1920年に起こったワルシャワの戦い、ひいてはソ連赤軍を打ち破ったヴィスラの奇跡、これらの出来事は翌年に即映画化されたのだが、そんな経緯で生まれたポーランド産サイレント映画が本作。前半はなかなかに甘やかなメロドラマが主軸でありながら、後半ではその愛の隙間から死と戦争の血腥さが溢れだしてくるという。死体散らばる野原を彷徨う医師、銃弾に穿たれる白壁、十字架を掲げ戦地を駆ける神父など忘れがたい画も多く、当時にありがちな愛国映画としては頭一つ抜けている。

Buď připraven! (1923, Svatopluk Innemann, チェコ)
20年代チェコ、ボーイスカウトの活動を描くサイレント映画。ぶっちゃけ宣伝映画ながら、わちゃわちゃ騒ぐ少年たちの姿を見ていると何だかその素朴さに心がホカホカ。同時にハッとさせられる横移動撮影にラスト圧巻の船上撮影と、当時のチェコ映画の精髄を味わえる。監督のSvatopluk Innemannは戦前のチェコ映画界を支えた巨匠。こういったボーイスカウト宣伝映画からコメディ、ファンタジーまで何でも制作の多産ささながら、第2次世界大戦時にはドイツに協力、戦後その罪を問われる最中に謎の死を遂げたらしい。

The Jack-Knife Man 涙の舟唄 (1920, King Vidor, アメリカ)
キング・ヴィダーによる初期長編。家として改造した船で孤独に生きる老人、ある日死にゆく女性から子供を託され……安らげる孤独にも心温まる交流にも平等に優しき眼差しを向ける、ヴィダーのヒューマニスティックな側面が存分に発揮された珠玉の1作。興味深いのが、この老人は子供や突如現れた泥棒と疑似家族を作るのだが、1920年当時の雑誌でこの関係を形容するにあたり"queer family"(多分"奇妙な家族"のニュアンス)という言葉が使われていること。今の意味でこれを捉えるなら孤独なゲイ老人の子育て奮闘記とも読めそう。1920年当時のアメリカにおけるゲイ男性の生を核としたクィア・リーディングの価値があるのではとも思えたりする。ヴィダー作品のクィア的な可能性。

Οι Περιπέτειες του Βιλάρ / The Adventures of Villar (1927, Joseph Hepp, ギリシャ)
1927年制作のギリシャ産サイレント映画。ゼウス神殿でチャップリンとキートンを掛け合わせんとしたら、そこに未知のヤバい何かが混入してしまい、そしてお下劣珍コメディが爆誕しちまったような印象を与える作品。道端でのセクハラまがいのナンパ、周りの人のこと何も考えないでブチかます大爆走、仕事が厭になってやらかす工場ブッ壊し、そしてダメ押しなケツ大炎上!そうか、これがホントのケッ作なんやな。

The Cub (1915, Maurice Tourneur, アメリカ)
血みどろの抗争地帯に、お気楽3枚目バカ推参!というモーリス・トゥルヌール、1915年の1作。陰惨な紫煙の銃殺劇とお気楽バカの恋模様という2つの展開が暴力的なまでのチグハグっぷりで語られる末、あらゆる方法で家屋をブチ壊しまくる籠城戦が幕を開ける。尋常ではない大破壊の数々に、現代の暴力に慣れきった私もさすがに大大大興奮。

Le railway de la mort / The Railway of Death (1912, Jean Durand, フランス)
黄金をめぐって争奪戦を繰り広げる男たちを描きだしていく、フランス産サイレント西部劇。設定説明というお膳立てが終わった後には銃撃戦、列車屋根での大乱闘、列車脱線、極めつけの連続大爆発などなど、自棄っぱちな暴力的アクションが連続パンチさながら降り注ぐ。このあまり見かけないような、小気味よくえげつない野蛮さは、フランス制作がゆえなのだろうか。思わず口あんぐり。

Furcht (1917, Robert Wiene, オーストリア)
「カリガリ博士」を含めてロベルト・ヴィーネ作品で私が好きなのは、人間と建築物もしくは人間と空間の熾烈な相互的影響を語らんとしている点。今作もまた、良心の呵責苛まれた挙げ句巨大邸宅に己を幽閉する貴族が主人公というわけでテーマは一貫。そして亡霊がその邸宅の部屋部屋を進んでいくという、ただそれだけの終幕の象徴性に戦慄させられる。

Kire lained / Waves of Passion (1930, Vladimir Gajdarov, エストニア)
ある小説家が次回作のネタを得るため、フィンランドからエストニアへの酒の密輸を取材することになるのだったが……という内容の冒険もので、かつエストニアが初めて他国との共同制作で作りあげた映画作品でもある。なんですけれども、サイレント映画というよりも、トーキー映画を無音にして観ているような違和感は一体全体何なのだろうか。1930年というトーキー移行の過渡期ゆえの違和感なのだろうか?2つの狭間に宙吊りにされる、妙な映画体験。ある種、時代の徒花的な作品なのかもしれない。監督はムルナウやドライヤー作品にも出演したロシア人俳優ガイダロフで、今作は唯一の監督作でもあるという。

Trädgårdsmästaren / The Gardener (1912, Victor Sjöström, スウェーデン)
ヴィクトル・シェストレム作品のなかでも現存最古の作品の1本がこの短編だという。愛を失った女性の受難劇を描く1作ながらも、20分の経済的な語りにおいて積み重なっていくのは、いとも容易く訪れるそっけない死、死、死……その素っ気なさはもはや暴力的の域で、短い上映時間内で何度も言葉を失ってしまった。ラストにも微塵の救いすら存在しない様、潔し。

Barsoum Looking for a Job (1923, Mohammed Bayoumi, エジプト)
エジプトにおける初めての映画作品は、無職のオッサンが職探しに右往左往しまくるコメディ作品!藁のなかに埋まりながら爆睡するわ、カイロの街中を全力で疾走するわ、バカやりすぎて警察官にガチビンタされるわ、妙ちくりんなパワーに溢れていてサイコー。とにもかくにも映画という新たなるメディアの勃興にはしゃぎ回ってるなんて高揚感が伝わってきて微笑ましい。

Under the Southern Cross (1929, Lew Collins, ニュージーランド)
内容は王道も王道のメロドラマながら、その直球さを補って余りある存在感を誇るのは、20年代ニュージーランドの壮大なる景色と、そこに広がるめくるめく動物パラダイスっぷり。サイレント映画のはずだのに爆音が幻聴として聞こえるほど弩迫の大瀑布、かと思いきや草原にゆったりのほほんとまろび転がる羊たち。オセアニア地域のサイレント映画、ロングショットが他地域の映画とは段違いの豊穣さを輝かせている。

Quiriguá y Río Dulce / Quiriguá and Río Dulce (1927, 監督不明, グアテマラ)
グアテマラに存在するマヤ遺跡の1つキリグア、ここへのグアテマラ文化庁による探検旅行を追った1927年製作の短編ドキュメンタリー。見てくれはのどかな微笑ましい旅行記なのだが、しかしユナイテッド・フルーツ社や先住民たちが出てくる辺りから違和感が生まれ始める。そして思うのは、このカメラのまなざしは則ち植民地主義者のまなざしでは?ということだ。考えすぎかもしれないが、どこか不穏な記録映像。

Het geheim van Delft / The Secret of Delft (1917, Maurits Binger, オランダ)
とある工場で繰り広げられるゴタゴタをめぐるオランダ産のサイレント映画。字幕の説明過多ぷりといい過渡期なオランダ映画界の試行錯誤感じる訳ですが、終盤に現れる、トム・クルーズ魂すら感じたアブねえ風車アクションに大仰天。“これがオランダ映画じゃい!”という剥き身の力。

Almas de la costa / Souls at the Beach (1923, Juan Antonio Borges, ウルグアイ)
1923年制作、ウルグアイ最初期のサイレント映画。内容はある結核患者をめぐるメロドラマながら、冒頭にしか字幕が出ない過渡期の手探りっぷりとフィルムの劣化ぶりが思わぬ化学反応を起こし、愛の風景を映す走馬燈のような儚さがくゆる。“海岸の魂たち”という題名、正に。監督の名前からあのボルヘス!?と思ってしまったが、あっちはJ. L. Borgesだった。出身国もウルグアイとアルゼンチンも違うという。しかしこの二国は隣国で、生まれも1年違い。知られざるもう1人のボルヘスと。

アーティスト The Artist (2011, Michel Hazanavicius, フランス)
この映画を作ってくれて、ありがとう。他に言葉はいらない。

Limite
Koskenlaskijan morsian / The Logroller's Bride
The Half-Breed
Maria do mar
Glomdalsbruden グロムダールの花嫁
Borderline
Õ†Õ¡Õ´Õ¸Ö‚Õ½ / Namus
La cruz de un ángel / The Cross of an Angel
Laenatud naene / The Borrowed Wife
The Red Kimono

El pequeño héroe del Arroyo del Oro
La boheme ラ・ボエーム (ヴィダー)
O Homem dos Olhos Tortos
Ukřižovaná
The Salvation Hunters 救ひを求むる人々
Where East is East 獣人タイガ
Visages d'enfants
Aitaré da preia / Aitaré of the Beach
You Never Know Women 女心を誰か知る
Poor Little Rich Girl

Catherine ou Une vie sans joie カトリーヌ
Straight Shooting 誉の名手
The Man from Kangaroo
Карађорђе
The Power of the Press 渦巻く都会
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Iqbal H. Chowdhury&“The Wrestler”/バングラデシュ、男たちは彷徨いぶつかりあい

皆さんはボリ・ケラというスポーツを知っているだろうか。これはバングラデシュの伝統的レスリングである、投げ技、関節技などといった組み技を主としたコンバットスポーツの一つだ。砂と土の競技場で、半裸になった筋骨隆々の男たちが全力でぶつかりあうことで、力を競い合う様はなかなかに圧巻だ。ベンガル語で“力持ちのゲーム”を意味する“ボリ・ケラ”とは正に名が体を表していると言うに相応しいだろう。さて、今回はそんなボリ・ケラを通じて傷ついた男性性の行く末を描きだす、バングラデシュの新鋭Iqbal H. Chowdhuryによる初長編“The Wrestler”を紹介していこう。

夜も更けた海岸線、それに沿うように群れて生える細長い木々、その幹を黙々と両手で打ちつける男がそこにはいる。彼の肉体は老いさらばえて、木々と同じく弱々しい印象を与える。しかしそんな老いの印を吹き飛ばすかのように男はその両腕を、そして更には全身を木の幹へと激突させていく。

この中年男性こそが今作の主人公であるモジュ(Nasir Uddin Khan)だ。舞台となるのは1990年代後半、バングラデシュの海岸沿いに位置する村、彼はここで漁師として生計を立てていた。だが漁も、鶏の飼育もうまく行かないという状況で、その鬱屈から目を背けるように熱中するのがボリ・ケラだった。彼は余暇をボリ・ケラのための鍛錬に注いでいるのだが、鬱屈が深まるごとにその熱中を執念へと姿を変えていく。

まずこの映画はそんなモジュの日常を綴っていく。海岸において独り鍛錬に打ちこむ、鶏が全く卵を産まないので思わず悪態をついてしまう、シャフ(Angel Noor)という最近結婚した息子と口論を繰り広げる、そして再び海岸で鍛錬に打ちこむ……こういった風景の数々を断片的に連ねていくことで、監督はモジュという男の日常をスクリーンに立ちあげていく。

撮影監督Tuhin Tamijulは静かにかつ盤石に、目前の光景を見据えている。さらに登場人物たちとは常に一定の距離を取ったうえで、その一挙手一投足をストイックにレンズへと焼きつけていく。Rakat Zamiによる音楽はとても控えめなもので、際立つのは登場人物たちの声と日常の響きが主だ。それも相まりTamijulが映し出す風景やショットは、シンとして淡々とした印象を与える。

ここにおいてはその色味がまた印象的だ。色調は常に抑えられており、スクリーンにおいて色彩それ自体が際立つことはあまりない。スクリーンを覆うのは、掠れたような灰色ばかりだ。実際、舞台となる村はそれほど経済状況が芳しくないらしく、村全体には得も言われぬ閉塞感が漂っている。それがこの色味のなかで増幅され、観客の瞳により生々しさを以て迫ってくるのだ。

そしてこういった閉塞感のなかでモジュの執念もまた膨張を遂げていく。ある日彼は、村の若きチャンピオンであるドフォル(A K M Itman)に挑戦すると宣言する。息子のシャフは無謀だと彼を止めようとし、村民たちは自分の老いも考えない狂人だと彼を笑い者にする。だがそんな外野の声などは一切無視し、モジュはただひたすら鍛錬につぐ鍛錬を行い、己の肉体を限界まで鍛え抜かんとする。

今作ではそんな彼と並行して、周囲の人々の姿も描きだされる。例えばモジュの息子であるシャフ、彼は妻(Priyam Archi)を娶った後から妙になったとそう友人から言われるほど陰鬱に時を過ごしている。妻の方も自分に指一本触れようとしないシャフに不満を抱いているようだ。そして例えばドフォル、彼は村のチャンピオンとして村民からも尊敬を集めている存在だ。しかしある事件をきっかけに選手としての名誉と自負が揺らいでいき、苦悩の巷に落ちていくことになる。

このように作品の視線はモジュから周囲にまで広がっていき、こうして映画には男たちの葛藤や孤独というものが立ち上がってくる。自分の本心を他人に簡単に吐露することができず、自然と孤立を深めていってしまう。己の暴力性を自らで御することができず、他者を傷つけてしまい、時には取り返しのつかない事態にまで陥る。こういった男性性の過酷な道行きを、しかし扇情的な形でなく、その撮影がそうであるように静かに、そして繊細に今作は描いていくのだ。まずは、そのあるがままを見据えようとでもいう風に。

そして描かれるもの自体は壮絶ながらどこか鷹揚な雰囲気すら感じられる一因として機能し、かつ物語に新しい層をも与えるのが今作が宿す神話性である。村ではイスラム神秘主義、つまりスーフィズムに根ざした伝説が語られている。それによると海には自らを天使と名乗り人を惑わす怪物が住んでいるというのだ。ある事件をきっかけとして、こういった超常の存在がシャフたちの日常に介入していき、彼らは超越的な恐怖、驚異、さらには救済を体験することとなる。序盤は淡々としているからこそ、この超常性への飛躍がダイナミックに現れるのだ。

男性性というものを親密かつ繊細に、かつその日常に根ざした神話性とともに描く作品はそう多くはない。その少ない作品の1つこそは、バングラデシュの伝統を背景として、人々の日常と、そして傷ついた男たちの行く末を描きだしてた“The Wrestler”というわけだ。ここにこそバングラデシュ映画の可能性があると、私は言いたい。

Yousef Assabah&“In the Long Run”/イエメン、僕たちここで暮らしてます

さて、イエメンである。アラビア半島の南端にある国であるが、2015年からは内戦が続いており予断を許さない状況となっている。映画産業は未だ小規模なものであり、この国で初めて長編映画である“A New Day in Old Sana'a”(アラビア語原題:“يوم جديد في صنعاء القديمة”)が作られたのは2005年だそうで、実はまだ20年も経っていない。

しかし昨年2023年に“Al-Murhiqun / The Burdened”(“المرهقون”)がイエメン映画として初めてベルリン国際映画祭に選出と、少しずつ力をつけてきているのを私は感じている。そこで今回はこのイエメン映画界期待の新鋭であるYousef Assabah يوسف الصباحيと、彼の短編作品“In the Long Run”(“عبر الأزقة”)を紹介していこう。

今作の主人公はアフメッド(Ahmed Essam Farea’)という少年だ。彼はいつものように好きなテレビ番組を見てグダグダしていた。しかしそんな様子に母親はブチ切れ、もうすぐ家に来るというお客さんたちに振る舞うためのパンを買ってこい!と言いつけてくる。なのでイヤイヤながらおつかいに出かけるアフメッドだったが……

こうして映画はアフメッドのおつかい風景を追っていく。とはいえその行程は一筋縄では行かない。テレビに夢中で母親の言葉をトコトン無視しまくっていたアフメッドなので、そう素直におつかいをやるわけもない。途中で友達が日本でいうおはじきっぽいゲームをしてるのを見掛けたなら速攻でそれに参加し、おつかいなんかどこ吹く風だ。時折ちょっとおつかいをしようという意気も見せるが、基本はやりたいことに忠実。その自由さに共鳴してか、妙な事件も起こったりとただのおつかいは妙な拗れ方をし始める。

撮影監督Omar Nasrのカメラはアフメッドの自由奔放さとは裏腹に、まるで監視カメラのような静かさ、そして盤石さを以て彼の姿を見据え続ける。寄り添うという素振りは一切見せずに、ある程度の距離を常に保ち続けながら、その一挙手一投足の全てをレンズに焼きつけようとでもするかのようにアフメッドを映し続けるのだ。

ここにおいては、画面ではアフメッドだけでなく彼を取り囲む建築や街並み自体も印象的な形で立ち上がってくる。今作が舞台とするのはイッブという、標高1800m以上の高原に位置している都市である。ここは密度高く立ち並ぶ石造りの家、それに狭い石畳の路地が特徴的であり、日本の街並みとはあまりに違いすぎる風景は否応なしに印象に残るものだ。さらにその密度の高さゆえに道もかなり入り組んでおり、それは迷宮のごとくなかなかの迫力を湛えている。観客は画面から通りに満ちる砂埃の匂いを鮮烈に感じることにもなるだろう。このようにして今作ではイッブという都市自体が、アフメッドに並ぶ主役でもあるのだ。

そしてこの場所には、人々の日常もまた豊かに根づいている。街角のあちらこちらで遊ぶ子供たちに、お喋りにかまける老人たち。そして人々は「アラーの他に神はなし」と礼拝の呼びかけを叫びながら、街路を練り歩き、その隙間を縫ってアフメッドはおつかいにお遊びにとめちゃクソ駆け回る。もう全身から活力が溢れまくってるのを観客たちはその目を以て味わうことになるだろう。そりゃ走ってる途中でパン代落として、探し回る羽目になるよ……

イエメンに関して、現在も起こっている内戦以外のニュースが日本で流れることは少ない。しかしそういった逼迫した状況でも、私たちが思う以上に現地の人々は逞しく日常を過ごしているというのを監督は伝えてくれる。そしてそれは人々だけでなく、建築や都市自体もそうなのである。このヴィジュアル性が今作の大いなる魅力でもあるのだ。

Muhannad Lamin&“Donga”/リビア、生きるには長すぎる悲劇

さて、リビアである。この国ではムアンマル・アル=カッザーフィーによる独裁政権が40年以上にもわたって続いていたが、2011年に反政府デモを発端として内戦が始まり、それが今でも継続しているという状況だ。この情勢は混迷に混迷を極めているが、今回紹介したいのは一人のジャーナリストが撮影してきたリビア内戦の記録映像をめぐるドキュメンタリー作品である、Muhannad Lamin監督による初長編“Donga”だ。

この映画の主人公となる存在は、題名にもなっているドンガという男性だ。彼はジャーナリストとして2011年のリビア内戦開始から以後10年間に渡って、その内戦の行く末を映像として記録してきた。今、彼は今作の監督であるLaminとともに、そうして残してきた映像と再び向き合おうとしていた。

ドンガは10代の頃から、親友であるアリに影響を受けて撮影というものをするようになった。行く先々でビデオカメラを片手に撮影を行っていたのだが、その最中にカダフィ政権に対するデモが勃発する。ドンガはいつものようにその光景もカメラに収めていくのだったが、事態は加速度的に進展していき、とうとう内戦が始まってしまう。彼の住んでいたミスラタという町は最初期にデモが始まった場所でもあり、内戦においてもその最前線となってしまった。こうしてドンガは否応なしに最前線に広がる光景をカメラに収めていくこととなる。

ドンガがレンズに焼きつけてきた映像は、当然だが凄絶なまでの迫力に満ちている。民衆たちがリビアの旗を振りみだし声をあげるデモ活動、彼らを蹂躙する政府軍の攻勢。ドンガの正に目前で民間人が射殺され、さらには撮影場所にミサイルが直撃するなど衝撃的な光景が浮かんでは消えていく。今作には、このようなリビア内戦の現実が克明に刻まれている。

ドンガは現在、戦地で怪我を負ったリビア難民たちが多く滞在するイスタンブールのホテルにいる。彼はここで日々を過ごしながら、監督らとともに自らが撮影した映像を見据えているわけだ。その間、彼は監督や私たち観客に向けて自らの思いを語り続ける。2011年以降に知り合ったほとんどの人はもう亡くなってるんだ、「殉教したよ」なんて言われると何て返事すればいいか分からなくなる、だから誰かが生きてるって聞くと嬉しくなるよ……

そして映像には戦争の悲劇とともに、そんな状況を逞しく生き抜こうとする人々の姿も記録されている。この悲劇を世界に伝えなくてはとニュースサイトを立ちあげ、リビア中を奔走するジャーナリスト。ドンガのカメラに寄ってきて解放への思いを叫ぶ女性。さらに束の間、兵士たちが廃墟でバレーボールを楽しんだり、画面の砕けたスマートフォンでアプリのチェスに興じたりする光景なども映しだされる。リビアの人々の力強い生、これもまた今作には刻まれているのだ、

しかしその一方で、少なくない人々が戦火を逃れてリビアから他の国へと移住していく。ドンガの親友であるアリもリビアを離れ、移住先で家庭を築いていっている。ドンガもチュニジアやトルコへ赴き、しばらくは平和な日々を過ごしながらも、リビアの情勢が変わっていくのを聞くならば故郷へと舞い戻り、ジャーナリストとしての職務を果たすためその光景をレンズに焼きつけていく。

そんなドンガの足取りからはリビア内戦の混沌ぶりというものが垣間見える。内戦開始から約半年で首都トリポリは反政府勢力によって陥落、10月20日にはカッザーフィーも身柄の拘束の後に死亡するが、親カッザーフィー勢力の抵抗は止まらず、内戦も続行されてしまう。さらにISの参戦によって状況はさらに混迷を極めていく。

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究員の小林周が2020年に執筆したリビア情勢をめぐる記事は今作の背景を知るために有益なものだが、冒頭にはこのような文言がある。

“2011年8月のカダフィ政権崩壊から9年を迎えるが、リビアでは内戦後の国家再建が進まず、政治・治安が混乱してきた。国内には政治権力、経済利益、地域、民族、部族などを軸にした重層的・複合的な対立構造が生じている。国軍や警察以上に民兵組織や武装勢力の軍事力が強く、新政府は国土の大部分を統治できていない。また、諸外国はリビアの安定化よりも国益にもとづいた介入を続けてきた。このようなリビアの状況は、「断片化(fragmentation)」と表現される”*1

この“断片化”は、ドンガが残している2019年のトリポリ侵攻をめぐる記録映像にその一端が見える。ここで印象的なのは戦闘それ自体ではなく、荒廃したトリポリの街並みをただただドンガたちが彷徨い続ける姿だ。遠くから銃声や爆発音が響くなか、敵に見つからないように彼らは道を進み続ける。だがその歩みは当て所なく、誰も事態を完璧に把握できていない心許なさすら感じさせる。そこにおいてトリポリの街並みは迷宮のように見えてくる。出口はなく、終わりもない。そんな場所では誰が味方かも分からなくなる。ここにはただただ果てしない徒労感ばかりが満ちる。

10年だ、この状況を10年生きるのはあまりに長すぎる。戦場の子供たちを映した映像を見ながら、ドンガが言った言葉だ。今作はリビア内戦をめぐり、こんな凄惨な現実があり、今も戦い続けている人がいる、そしてこの現状を伝え続けようとする人がいるということをまず伝えてくれる。しかしそれ以上に今作は、その長すぎる時間の中で刻まれてしまった取り返しのつかない傷の数々こそを見据えている。兵士たち、子どもたち、人々の住んでいた家、人々が生きていた町……そしてその果てに、ドンガ自身も取り返しのつかないダメージを負ってしまったことが映画では明かされる。リビア内戦という悲劇によって生まれた傷と絶望、これらはあまりにも深い。

Denise Fernandes&“Hanami”/カーボベルデ、去る者と残る者

さて、カーボベルデである。映画界においてはペドロ・コスタの作品でカーボベルデが舞台になったり、カーボベルデ移民が主人公になるなどしているので、そこからこの国を知った人も多いかもしれない。最近では「クレオの夏休み」というフランス映画で、カーボベルデが舞台になっていたりもした。だがその多くが外部の人間によってカーボベルデが描かれるというものになっている。ということで今回紹介する映画は、それらとは異なるカーボベルデの血を引く映画作家によるカーボベルデ映画であるDenise Fernandesのデビュー長編“Hanami”を紹介していこう。

今作の主人公はナナという少女(Sanaya Andrade)だ。ナナには、母であるニア(Daílma Mendes)は彼女を産んだ直後に故郷を捨ててしまったという過去がある。それからは父の家族に育てられていたのだったが、彼らのおかげでナナは健やかに成長していく。幸福感を抱きながらも、しかしナナはふとした瞬間、海を眺めながら母への想いに耽ることを止められないでいた。

今作はまずゆったりとしたテンポで以て、ナナが生きている日常を描きだしていく。家がひしめきあう親密な場所、ここでは女性たちの楽しげなお喋りが絶えることがなく、ナナも親戚や友人の少女たちと騒ぎ回っている。時にはそこで飼われているニワトリたちと遊んだり、時には家のなかで食事をしたり。しかしその最中にこそ、ふと母への想いが心に浮かびあがるのだ。

そしてこの親密な空間から一歩出るとなると、すこぶる熾烈な自然が広がっていることを観客はすぐ知ることになるだろう。切り立った断崖と白い飛沫の爆ぜる海が向き合い、そしてその狭間を焦げ茶色の砂浜が満たしている。ここから抱く印象は、包みこむような優しさではなく張り詰めた厳しさだ。少しでも油断するのなら、人間一人などあっという間に呑まれてしまうとそんな緊張感すら感じられるかもしれない。

Alana Mejía Gonzálezが担当する撮影は、その自然の厳しさに宿る美というものを鮮やかに捉えており、見る者の心から畏敬の念を引き出さんとするような強度がある。これと同時にGonzálezは日常の風景にも同じ姿勢でカメラを向けている。例えばナナの祖母が、ベッドでおとぎ話を聞かせてくれるという場面、陰影がこれでもかと彫り込まれたような照明や空間設計は日常にも自然に宿るような崇高さが存在すると示すかのようだ。

そんなある日、奇妙な熱病に見舞われたナナはカーボベルデの火山地帯へと送られて、叔母のもとでしばらく過ごすことになる。この火山地帯はより熾烈な環境であり、火山によって生まれた焦土と、そこで逞しく生きようとする草花のせめぎあいが繰り広げられており、異様な光景が広がっている。ここでナナは様々に奇妙な人々と遭遇する。バイオリンを常に持つ口のきけない叔母、草花と同じく逞しく生きる子供たち、外国からやってきた見知らぬ男……そしてここは祖母が語ったおとぎ話のようなことが実際に起こる場所でもある。そんな幻想と現実の狭間で、ナナは彷徨う。

今作は大きく分けて、先述した通り子供時代のナナを描く前半と、十代になったナナを描きだす後半とに分かれている。この後半において主眼となるのは故郷に戻ってきた母との関係性だ。ナナは長年疎遠で記憶すらない母との再会に動揺しながらも、失われた時間を取り戻そうと少しずつ距離を近づけようとする。

前半と後半で見据えるものが異なるように思えながらも、しかしどちらも根底にあるものは変わらない。それはつまり一人の少女の、カーボベルデというアイデンティティとの対峙である。カーボベルデには自然とともに貧しい生活環境も相まって、この国を出ていく者も多い。例えば小さな頃に離れ離れになった少女とナナが再会するのだが、都会育ちの友人に囲まれ都会風の洗練をまとった彼女とは自然と距離ができてしまう。他にも、親戚の集まりに帰ってきた人物が英語で喋り、クレオール語で喋れ!と年長者から言われる場面もある。こうして出ていった者と残った者の価値観の相違もまた繊細に掬いとられていく。

そしてナナもまたこのアイデンティティとどう対峙すべきか苦悩する。ナナ自身の母親も故郷を捨てた存在であり、そんな状況で自分はどこにいるのか、どこにいるべきなのか途方に暮れるしかない。監督であるFernandesは両親及び祖先がカーボベルデ出身だが、生まれたのはポルトガルであり、スイスのイタリア語圏で育ったという複雑な出自を持っている。彼女はカーボベルデにおいて内部の存在でも、外部の存在でもあるのだ。ある程度はこの出自が反映されているのか、今作はアイデンティティ探求の側面がすこぶる際立っている。

そうして苦悩を抱くナナを、Fernandesは、“Hanami”という作品は優しく抱きしめる。愛着と反感のどちらもありながら、その間を寄せては返す波のようにたゆたうこと、それもまた1つの向き合い方ではないか。そう静かに呟くのである。

最後に書いておきたいのが、上述したアイデンティティの探求に日本文化が関わってくることであり、日本人としては気にならざるを得ない。冒頭から“金継ぎ”の概念が紹介されたと思うと、ナナは火山地帯で謎の日本人と出会い、会話する。そこで語られるのが“Hanami”つまり“花見”なのである。あえてその会話内容については語らないが、何にしろ日本が他にない形で関わってくるのが今作の魅力でもある。題名が日本語なカーボベルデ映画なんて、これまでもこれからも、そうは存在しないだろう。

Jean-Luc Mitana&“Uje”/ルワンダ、神はそこにいるのか?

さて、ルワンダである。アフリカ東部に位置するこの国は、映画的な側面ではあまり顧みられることはないだろう。おそらく広く思い出されるのは大量虐殺を扱った「ホテル・ルワンダ」くらいではないだろうか。ルワンダ人によるルワンダ映画はシネフィルにすら知られていないし、斯く言う私ですら、この鉄腸ブログでは2作しかルワンダ映画を取り上げられていない。お恥ずかしい限りである。だが知名度は低いルワンダ映画界からも新たなる才能は確かに現れだしている。ということで今回はこの国の新鋭Jean-Luc Mitanaによる短編作品“Uje”を紹介していこう。

主人公はマリアムという中年女性だ。彼女は夫とともに牧場つきの邸宅で幸せな家庭を築いている。ある日、彼女が家の周りを散歩していると一人の少年が自分についてくるのに気がつく。彼は家にまで来てしまい、ホームレスなのかもしれないと不憫に思ったマリアムは食事まで提供することになる。しかし少年はそのまま家に居座ってしまい、マリアムは妙な状況に陥ってしまう。

まず目につくのはその端正で美しい撮影だ。Mitanaは撮影監督でもあるので自身が撮影も担当しているのだが、冒頭からルワンダに広がる風景を撮す手捌きが印象的だ。どこまでも広がっている豊かな自然、それを畏敬を以て見据え、レンズに焼きつけていく。特にマリアムが少年と出会う大地の、どこか神秘性すら宿った様は全ての始まりに相応しい雰囲気で満ち満ちている。

そしてこの強度と並ぶような重みを以て、マリアムの日常もまた撮しだされている。例えば牧場で牛のミルクを搾る、例えばキッチンで夫のための料理を作る、例えばその最中に椅子に座って休む。こういった日常の風景は侮られがちでありながらも、マリアムの人生においては崇高な自然と同じくらい家事などの日常が重要なのだとMitanaによる撮影は主張するかのようだ。

物語が展開していくにつれて、マリアムのある側面が明らかになっていく。彼女はキリスト教信者でもあり、就寝前に夫と祈りは欠かさないほどだった。しかしある時ラジオで高らかな説教を聞くなかでその表情はどんどん曇っていく。そして最後には苦悶の表情を浮かべて、ラジオのスイッチを切ってしまう。何が原因かは定かではないが、その信仰が震わされている状況にマリアムはあるらしい。

この状況において、Mitanaが長回しで夫婦の祈りを映し出すという場面が存在する。微動だにしないカメラによって捉えられるのは、熱意を以て祈りの言葉を捧げる夫、その熱意とは対照的に祈りの言葉を聞いているうちにどんどん飽きていって、あちらこちらと頭を動かすマリアムの姿だ。彼らの間にはもはや埋めがたいスレ違いが存在している、この場面はそれを残酷なまでに露わにしている。

この映画で最も重要な存在は、しかしあの謎の少年だろう。彼を演じる俳優の、生命力に溢れながらも、同時にどこか幽霊のような存在感は間違いなしに今作における核であり、彼の存在によって全編に神秘的な雰囲気が満ちている。加えて彼は観る者によって万華鏡さながら様々な比喩として表れるだろうが、先述した要素を踏まえるのなら少年はマリアムが抱く神への不信の擬人化なのかもしれない。そして不信に確固たる理由がないのと同じく、少年がそこにいる理由もまた不明瞭なものである。もしくは少年こそが、神そのものであるか。

少年という脅威によってマリアムと夫の関係は急速に冷えこんでいき、そうして短編がゆえに背景が全く明かされないまま、今作は突き放したようなラストで幕を閉じてしまう。だが“Uje”においてこの曖昧さが、怠惰な解釈可能性を見越した優柔不断の結実ではなく、鑑賞後に残ってしまう心にこびりつくような不穏な余韻として昇華されているのは、監督のその才覚ゆえだろう。ということで、これからルワンダの新鋭Jean-Luc Mitanaに要注目である。

Iva Radivojević&“Kada je zazvonio telefon”/まだ、ユーゴスラビアが存在した頃……

かつてユーゴスラビアという社会主義国家が東欧に存在した。数十年の安定を経てカリスマ的な指導者であったチトーの死後、急速に崩壊が始まりユーゴスラビア紛争が起こることとなる、かつて隣人同士だった民族同士が殺しあうという凄惨な状況に陥り、ユーゴスラビアはとうとう解体され、7つの国に別れることとなる。

この忌まわしき現代史は旧ユーゴスラビア諸国の歴史的なトラウマとなり、ゆえにこれらを主題とした映画作品は数多い。今回紹介するIva Radivojević監督作“Kada je zazvonio telefon”(英題:“When the Phone Rang”)もセルビアの視点からこのトラウマを描きだしている。しかし今作は紛争それ自体ではなく、紛争の最中にも続いていた市井の人々の日常こそを描きだすことで、また別の側面からトラウマを見据えている。

電話のベルが鳴ったのは1992年、ある金曜日の10時36分……そんなボイスオーバー、そして10時36分を指す時計の画ともに、1人の少女の日常が語られ始める。ラナという11歳の少女(Natalija Ilinčić)がその電話を取ると、電話の相手はラナの祖母が亡くなったことを知らせてくる。父や母、家族の誰よりも先にそれを知ってしまったラナは動揺したまま、寝室に戻る。そこではオペラ「カルメン」がテレビ放送されていた。

そしてまた、あの見覚えのある時計が現れる。電話のベルが鳴ったのは金曜日の10時36分、ラナがその電話を取るのだが、かけてきたのは祖母だった。彼女は国外へと引っ越すという孫娘に対して、お別れの言葉を告げようとしていたのだった。またいつか帰ってくるんだよ、そんな言葉の背後からは戦争についてのラジオニュースが聞こえてくる。

今作はこのようにして電話のベルを起点にしながら、ユーゴ紛争当時のラナの記憶を描きだしていく。ある時電話をとると、相手はレンタルビデオ店の店員であり、ビデオを返さないと延滞料を払うことになると警告してくる。なのでラナはたくさんのビデオを抱えて、レンタル店に足を運ぶ。ある時電話を取ると、友人の一人がラナの弾くピアノが聞きたいということで、電話越しに覚えた曲を披露することになる。それは二人の間の習慣だったが、彼女たちはそれが最後になることをまだ知らない。

こういった語りゆえまとまった筋は一切なく、まるで大人になったラナ自身が思い出した順に、観客へと記憶が提示されるような、そんな不思議な感覚が作品には宿っている。そしてその最初にはほぼ必ず、あの10時36分を指した時計が現れる。そのせいで、全ての出来事が全く同じ日同じ時間に起こったのではないか、そんな錯覚をも観客は抱くことになる。だがこの重なりには何か矛盾以上のものがあるとも、分かることになるだろう。

今作の語りはラナという少女の主観に寄り添ったようなものとなっているが、Martin DiCiccoが担当する撮影もまた主観に寄り添うようなものとなっている。彼のカメラは常にラナたちと空気を共有する第三者さながら、その傍らで登場人物たちの行動を静かに見つめている。こういった視線を通じて、観客もラナと同じ空間に立ち、そして時には彼女が見ている風景をそのまま見ることとなる。こうして今作を観るというのはすなわちラナの記憶を追体験することにもなり、ここに暖かな親密さが宿るのだ。

そしてこの記憶がさらにラナだけでなく、ラナの友人たちとも繋がっていく。双眼鏡で隣のアパートのベランダを観察したり、一緒に床屋へ行って「髪、変にされた!」と笑いあったオーリャ。夜に紛れてタバコを吸ったり、暗い部屋で二人きりになってアメリカのロックを聴いてたヴラダ。もしかしたのなら両想いの相手だったかもしれないのに、紛争で離れ離れにならざるを得なかったアンドリヤーナ。そういう大切だった人々の記憶もまた、映画のなかでラナの記憶と一体化していく。

さらにこれを越えて、今作はラナが住んでいた町自体へも広がっていく。街の風景を撮すカメラは、例えば壁を凝視したり、何階建てかのアパートを見上げたりと、そんなカメラがそのまま通行人の視線となっているような等身大の感覚が常に存在している。そしてその風景はどれも粒子の粗い自然光で満ちており、美しいと同時に、何もかもが少し掠れていてどこか曖昧な印象を受ける。それはこの風景の数々が、町自体の記憶に残っている風景だからのように思える。

今作は、何よりも多幸感に満ちている。子供の頃の楽しかったことや悲しかったこと、嬉しかったこと寂しかったこと、全てひっくるめて幸せだったという暖かみで満ちている。だがその端々で、ユーゴ紛争が勃発し徐々に凄惨さを増していっているというのが、ラジオニュースや、大人たちの会話、そしてラナの視界から消えていく人々から分からざるを得ない。ラナを演じるNatalija Ilinčić、彼女が見せる思春期らしい仏頂面から時折浮かぶ笑顔は、日常のかけがえのなさ、そしてこの血塗られた時期の複雑さを体現している。紛争の間にも確かに日常というものが存在しており、しかし市井の人々一人一人の想いを嘲笑うかのように、その日常は容易く消し去られてしまうのだと。

ラナと同じほどに印象的な存在が、Slavica Bajčetaが務める今作のナレーターだ。三人称で綴られているラナの記憶について、最初彼女はこの内容を観客に伝える“ナレーター”の職分を弁えた平静なトーンで語っていく。それでもナレーター自身がラナの記憶に呼応し、時にはラナの心に重なるかのように、その個人的な感情が声色に現れる瞬間がある。そしてラナが今まで出会った人の名前を言う時、感極まったような震えた声がそこに響く。みんな、みんなどこかに消えてしまった……その震えはまた、観客自身の心の震えでもあるのだろう。

“Kada je zazvonio telefon”はユーゴ紛争が1人の少女から、日常を生きる人々から奪い去ったものについて、これまでの作品とは全く違う方法論で描きだしている作品だ。失われたものはもう戻ってこない、私たちはその記憶と傷を背負って生きていかなくてはならない。これを静かに伝える今作は、希望と絶望のあわいに漂い続けるのだろう。