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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は [email protected] へ

Muhannad Lamin&“Donga”/リビア、生きるには長すぎる悲劇

さて、リビアである。この国ではムアンマル・アル=カッザーフィーによる独裁政権が40年以上にもわたって続いていたが、2011年に反政府デモを発端として内戦が始まり、それが今でも継続しているという状況だ。この情勢は混迷に混迷を極めているが、今回紹介したいのは一人のジャーナリストが撮影してきたリビア内戦の記録映像をめぐるドキュメンタリー作品である、Muhannad Lamin監督による初長編“Donga”だ。

この映画の主人公となる存在は、題名にもなっているドンガという男性だ。彼はジャーナリストとして2011年のリビア内戦開始から以後10年間に渡って、その内戦の行く末を映像として記録してきた。今、彼は今作の監督であるLaminとともに、そうして残してきた映像と再び向き合おうとしていた。

ドンガは10代の頃から、親友であるアリに影響を受けて撮影というものをするようになった。行く先々でビデオカメラを片手に撮影を行っていたのだが、その最中にカダフィ政権に対するデモが勃発する。ドンガはいつものようにその光景もカメラに収めていくのだったが、事態は加速度的に進展していき、とうとう内戦が始まってしまう。彼の住んでいたミスラタという町は最初期にデモが始まった場所でもあり、内戦においてもその最前線となってしまった。こうしてドンガは否応なしに最前線に広がる光景をカメラに収めていくこととなる。

ドンガがレンズに焼きつけてきた映像は、当然だが凄絶なまでの迫力に満ちている。民衆たちがリビアの旗を振りみだし声をあげるデモ活動、彼らを蹂躙する政府軍の攻勢。ドンガの正に目前で民間人が射殺され、さらには撮影場所にミサイルが直撃するなど衝撃的な光景が浮かんでは消えていく。今作には、このようなリビア内戦の現実が克明に刻まれている。

ドンガは現在、戦地で怪我を負ったリビア難民たちが多く滞在するイスタンブールのホテルにいる。彼はここで日々を過ごしながら、監督らとともに自らが撮影した映像を見据えているわけだ。その間、彼は監督や私たち観客に向けて自らの思いを語り続ける。2011年以降に知り合ったほとんどの人はもう亡くなってるんだ、「殉教したよ」なんて言われると何て返事すればいいか分からなくなる、だから誰かが生きてるって聞くと嬉しくなるよ……

そして映像には戦争の悲劇とともに、そんな状況を逞しく生き抜こうとする人々の姿も記録されている。この悲劇を世界に伝えなくてはとニュースサイトを立ちあげ、リビア中を奔走するジャーナリスト。ドンガのカメラに寄ってきて解放への思いを叫ぶ女性。さらに束の間、兵士たちが廃墟でバレーボールを楽しんだり、画面の砕けたスマートフォンでアプリのチェスに興じたりする光景なども映しだされる。リビアの人々の力強い生、これもまた今作には刻まれているのだ、

しかしその一方で、少なくない人々が戦火を逃れてリビアから他の国へと移住していく。ドンガの親友であるアリもリビアを離れ、移住先で家庭を築いていっている。ドンガもチュニジアやトルコへ赴き、しばらくは平和な日々を過ごしながらも、リビアの情勢が変わっていくのを聞くならば故郷へと舞い戻り、ジャーナリストとしての職務を果たすためその光景をレンズに焼きつけていく。

そんなドンガの足取りからはリビア内戦の混沌ぶりというものが垣間見える。内戦開始から約半年で首都トリポリは反政府勢力によって陥落、10月20日にはカッザーフィーも身柄の拘束の後に死亡するが、親カッザーフィー勢力の抵抗は止まらず、内戦も続行されてしまう。さらにISの参戦によって状況はさらに混迷を極めていく。

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究員の小林周が2020年に執筆したリビア情勢をめぐる記事は今作の背景を知るために有益なものだが、冒頭にはこのような文言がある。

“2011年8月のカダフィ政権崩壊から9年を迎えるが、リビアでは内戦後の国家再建が進まず、政治・治安が混乱してきた。国内には政治権力、経済利益、地域、民族、部族などを軸にした重層的・複合的な対立構造が生じている。国軍や警察以上に民兵組織や武装勢力の軍事力が強く、新政府は国土の大部分を統治できていない。また、諸外国はリビアの安定化よりも国益にもとづいた介入を続けてきた。このようなリビアの状況は、「断片化(fragmentation)」と表現される”*1

この“断片化”は、ドンガが残している2019年のトリポリ侵攻をめぐる記録映像にその一端が見える。ここで印象的なのは戦闘それ自体ではなく、荒廃したトリポリの街並みをただただドンガたちが彷徨い続ける姿だ。遠くから銃声や爆発音が響くなか、敵に見つからないように彼らは道を進み続ける。だがその歩みは当て所なく、誰も事態を完璧に把握できていない心許なさすら感じさせる。そこにおいてトリポリの街並みは迷宮のように見えてくる。出口はなく、終わりもない。そんな場所では誰が味方かも分からなくなる。ここにはただただ果てしない徒労感ばかりが満ちる。

10年だ、この状況を10年生きるのはあまりに長すぎる。戦場の子供たちを映した映像を見ながら、ドンガが言った言葉だ。今作はリビア内戦をめぐり、こんな凄惨な現実があり、今も戦い続けている人がいる、そしてこの現状を伝え続けようとする人がいるということをまず伝えてくれる。しかしそれ以上に今作は、その長すぎる時間の中で刻まれてしまった取り返しのつかない傷の数々こそを見据えている。兵士たち、子どもたち、人々の住んでいた家、人々が生きていた町……そしてその果てに、ドンガ自身も取り返しのつかないダメージを負ってしまったことが映画では明かされる。リビア内戦という悲劇によって生まれた傷と絶望、これらはあまりにも深い。