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古代頂上兄弟喧嘩 エクソダス 神と王

 本当は2月1日に見る予定だったのだが、色々あって大幅に予定が遅れ、結局1ヶ月遅れ3月1日の映画の日に観たのだった。クリスチャン・ベイル主演、リドリー・スコット監督作品「エクソダス 神と王」を観賞。

物語


 昔々、まるで兄弟のように仲良く育った二人の王子ゴールドマンとシルバーマンがいました。ある時一人の出生が王族ではなかったことが分かります。王子、ゴールドマンは追放されますが、そこにサタンの影が忍び寄ります。サタンの誘惑に乗ったゴールドマンは再びシルバーマンの元へ。自分の言うことを聞くようシルバーマンに言いますがシルバーマンは聞き入れません。そこでゴールドマンは悪魔六騎士を解き放ちます。まずはワニが人を襲い、カエルが大量発生する「ワニ地獄」、それによって川が真っ赤に染まる「血の海地獄」、そして皮膚病の発生による「焦熱地獄」と突然雹が降り雷が鳴り響く「宇宙地獄」、そしてイナゴが作物を食い荒らし砂漠化させる「砂地獄」です。民を思うシルバーマンはゴールドマンの要求を聞き入れますが、息子を殺され、復讐のためゴールドマンを追撃します。しかしそこには最後にして最強の「竜巻地獄」が待っていたのです!

 と、まあ物語紹介は「キン肉マン黄金のマスク編」風に紹介してしまったけれど(焦熱地獄、砂地獄あたりの無理矢理感はご容赦を)、観ている最中連想してしまったのだからしょうがない。この作品、クリスチャン・ベイル主演、リドリー・スコット監督、題材は「出エジプト記」、大作スペクタクル!と観たくなる要素はたくさんなのに、正直あまり興味がそそられなかった作品。多分映画館に行くたびに予告編を観せられまくったのも一因だと思うけれど、おそらくはこれがセシル・B・デミルの「十戒」の、正直あまり出来のよろしくない焼き直しに思えたからだ。
 デミルの「十戒」は正直今見てあまり面白くない、と思う人も居るかもしれない。演技は大仰だしカメラワークもほぼ固定で動きは少ない。でもどのシーンも考えに考えられてて、どこを抜き取っても宗教画として成立するような画作り。ただ、なんといっても(個人的に)見どころは「出エジプト」の時期を古代エジプト第19王朝ラムセス2世の御代に設定したことでユル・ブリンナー演じる古代最強の王ラムセスとアブラハムの宗教における最大の預言者モーゼの対比が見事に成立していたところだろう。ただ、このラムセス2世の時代に出エジプトというのは特に根拠はないはず。エジプト側に資料は残っておらず、聖書の記述でもファラオの個人名は出てこない。
 今回の「エクソダス」は特に「十戒」のリメイクとは謳っておらず、形式的にはリメイクではなく「出エジプト記」を題材にした新たな映画化、という形なのだろうが、敵対するファラオをラムセス2世にすることで結果「十戒」を踏襲している。ただラムセス2世はなんといっても古代最強のファラオ。180を超える長身で90歳まで生き、百人を超える子供を作った。アブ・シンベル神殿など多くの巨大建造物を作り、カデシュの戦いなど対外戦争も行ったが、国内が乱れることもなく名君扱いされ一般に「ラムセス大王」と称せられる(劇中でも「大王などと名乗っているそうだな」とラムセスの増長として触れられる)。「十戒」では悪役であってもユル・ブリンナーの魅力でモーゼと並び立つカリスマを発揮していたが、本作ではただの凡庸な君主に見えてしまうのは残念。別にラムセス2世にしなくてもいいのになあ。ちなみにラムセスの祖父ラムセス1世は第18王朝最後のファラオ、ホルエムヘブから禅譲で王位を譲られ新王朝の開祖となった。ホルエムヘブ自身も第18王朝王家とは直接血のつながりはなく(元はアクエンアテンツタンカーメンに仕えた軍人)このホルエムヘブからラムセス1世→セティ1世、ラムセス2世と続き最盛期を迎える方式は我が国の織田信長から豊臣秀吉を経て徳川家康の政権確立、そして孫の代の家光に安定の上に権力をふるう、という構図に似ているような。セティ1世のセティとは「セト神の君」を意味する。セト神はオシリス神話などから悪神のイメージも強いが(日本だと女神転生シリーズなんかで有名)、戦争に強い下エジプトの守護神として軍人に人気が高かったという。この名前を持つファラオが即位した第19王朝は軍人気質でそれまで形式的に皇女が即位してその皇女と結婚した男子がファラオになる、という手続きがあったのにここではダイレクトに男子がファラオに即位したとか。

 主演のクリスチャン・ベイルが預言者モーゼを演じている。これは「十戒」でもそうだし、ハリウッド製の欧米以外を舞台にした時代劇ではたいがいそうなのだが、主演がその演じる民族の人には見えない。大体、モーゼはヘブライ人とはいってもエジプトの王子として育てられたわけで、服装や化粧はエジプト風だったのではないか?それが普通に白人の現代人にしか見えないのだなあ。ローマ時代を舞台にした「ポンペイ」でもキーファ・サザーランドとか古代ローマ人に見えなかったが、更にさかのぼって古代エジプトなのだから違和感がすごい。これが「ノア」のラッセル・クロウなら逆に時代が大昔過ぎて(神話の時代)問題なかったのだが(この2作品、同じ旧約聖書原作だから、という以外のところで地続きな世界観だとしても違和感はない)、さすがにこの時代だとちょっとなあ。ラムセス2世やセティ1世ほかファラオとその家族、そして部下たちも衣装や化粧は古代エジプト風なのに、モーゼだけその辺から独立してるので最初から宮廷で孤立しているようにみえる。これだったら、例えばヘブライ人であることは最初から分かっているけれど、それでも優秀だから宮廷で認められているとか別の設定が必要だった気が。僕は普通にエジプト風の風俗に染まるベイルも見たかったけれど。
 クリスチャン・ベイルのモーゼは「十戒」のチャールトン・ヘストンに比べると喜怒哀楽が激しい人物。特に一度追放された先で神の啓示を受け預言者となってからはどこか人間味をなくしてしまったヘストンのモーゼに比べると最後まで葛藤する人物である。「十戒」では「神は汝自身」とあるようにヘストンが神の声も当てていたけれど、こちらでは少年の姿をとる。この偉人に会いに行ったら子供の姿をとる、ってのは中国なんかで偉い仙人に会いに行ったら童子が出てきて、実はその童子こそ仙人だった、と言うような物語を思わせる。子供の姿をとっているからか、モーゼ自身も半信半疑で酷いこと(6大地獄)をする神に悪態をついたりする。これが自ら神の奇跡を能動的に起こすヘストンのモーゼとの最大の違いか。彼は奴隷としてのヘブライ人の自由を求めつつ、その報復としての神の奇跡に恐怖する。
 また、単に宗教指導者としてのモーゼではなく具体的にゲリラ軍事行動の指導者としての描写もあるのが面白いところ。
 「出エジプト」といえばその最大の見所は海が割れるシーンであるがこちらは最初から引き潮をしっていてその時期を狙って行軍したというような感じ。いつの間にか水が引いて地面が見えてきた、というような感じで「割れる」スペクタクルはないが逆に満潮になって再び海が戻るスペクタクルは盛大。全体としてあえて「十戒」の見せ場は地味に別の所を盛大にしてみたよ、という演出のような気はする。十戒そのものもモーゼが地味にノミで彫ってるし、中々帰ってこないモーゼを待ち飽きて牛の偶像作ってその周りで祭り始めちゃうシーンもあるっちゃあるんだけどほぼ触れず。
 ラムセスは「華麗なるギャツビー」でいけ好かない富豪ブキャナンを演じたジョエル・エドガートンオーウェンおじさん!)。元々はモーゼと仲が良かったがモーゼよりは無能の人物として描写されている。ユル・ブリンナーのラムセスは精悍で仮にこの出エジプトでの失敗があっても大王として名君ぶりが伺える感じなのだが、こちらではただ凡庸な人物にしか見えす、史実のラムセス2世から見ると可哀想である。
 セティ1世がジョン・タトゥーロ、その王妃でラムセスの母がシガニー・ウィーバーエドガートン含め彼らももちろん白人なわけだけれど、劇中ではいかにも古代エジプトと言った、服装に目を強調するエジプト風化粧をしているので違和感はない。やはりモーゼも少なくとも王子の身分であった時はエジプト風メイクして欲しかったなあ。Walk Like An Egyptian!

Walk Like An Egyptian: the Best

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 そういえば本編前の予告編で「ナイトミュージアム」の最新作が流れ、そこではベン・キングズレーがファラオとして登場していたのだけれど、その直後にヘブライ人の長老としてベン・キングズレーが出てきたのでちょっと不思議な気持ちに。相変わらず人種・民族を問わず演じれる人であるなあ。


 全体的にどうしても「十戒」に比べるとイマイチという感想に。スペクタクル描写もあえて観客の期待するところを外して、そうでないところで、という感じ。エジプトに振りかかる災厄なんかは力が入っていていかにもリドリー・スコット好みの描写なのかなあ、などとも思うのだけれど。この時期に中東を舞台にした宗教映画ということでは特に問題なく、単に史劇の一編として見ると良いかと思われます。まあ「ノア」同様あんまり時代劇ぽさもないんだけれど。

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