宗教だけでなく


日本人の”自称”信仰を持っていない人の、宗教に対する態度と、日本人の”自称”非オタクの、オタクに対する態度ってものすごい似ている。というか、全く同じと言っていいかもしれないなぁ。

 「わからない」というわりに、ある一定のイメージを持って批判だけはする。そして、見下す素振りをしながらそれを「おそれる」。(増田に定期的に沸いているそういう意見の傾向)

 ↑むろん、宗教とオタクが一緒とは言ってないですよ。それに対する「態度」が、一緒だという意味。
http://fragments.g.hatena.ne.jp/nogamin/20070902/p1

別に「宗教」や「オタク」に限ったことではないでしょ。中心と周縁の問題というか、広義の〈オリエンタリズム〉問題と一般化してもいいのかな。カタギにとってのやくざ、定住者にとってのホームレス、自称ノンポリにとっての右翼や左翼、ヘテロセクシュアルにとってのホモセクシュアルやポリセクシュアル等々。ただ、「”自称”信仰を持っていない人の、宗教に対する態度」の場合、(それは自称政治的イデオロギーを持っていない人でも同じだと思うのだけど)自らの〈宗教性〉の隠蔽ということがある。「”自称”非オタクの、オタクに対する態度」でも、自らの〈オタク性〉の隠蔽ということはあるのだろうか。
ところで、橋本治が「、英語にとってのキリスト教はChristianityであって、イズムではなく、特別な位置づけにあることがわかるとかいている」ということなのだけど、基督教一般に対する部分については、Catholicism、Protestantism、Methodism等々-ismは用いられています。また、イスラームについても-ismは用いず、Islamismという言葉は普通のイスラームとは違った特殊で怖い意味になる。なお、-ismにはalcoholismという用法もあり。アルコール主義?
これは橋本治の『宗教なんかこわくない!』を参照している。
宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

私にとって、この本で最も印象に残っているのは007についての記述だったりする。橋本治といえば、鴨嘴博士が宇能鴻一郎*1の文体の橋本治への影響関係について示唆していた記憶がある。忘れないうちにメモしておく。