女子バブル、という用語を考えた

ぶっちゃけ、女の子は「わたし、雰囲気に弱いの」なんて言ってる場合じゃないと思うのよ。それが言えたのは、女の子が大きな責任を負えなかった時代だけなの。女の子は《雰囲気》に弱すぎる――集団の同調圧力に弱すぎる。もしこの社会の中で責任を負うのであれば、なんらかの対策をすべきだと思うよ。同様に、自身の攻撃性も自覚し、対策すべきだと思う。女の子だって十分に攻撃的だ。ただ、それは暴力じゃなくて、コミュニケーションの上で行われる。言葉で人は死ぬんだよ?

もちろん、こうした責任をすべて男(とくに喪男)に押し付けることは可能だ。でもそれしかできないんだったら、今まで何度も繰り返したように、自由じゃないの。主体性がないの。そこで「これって自分の問題じゃないの?」と責任を引き受ける自由こそが重要なの。女の子の一部は、こうしたことを明確ではないにしろ、自覚してるし、対策を採っている。リブの活動が手に入れた女性の自由は、彼女達のためにこそあるといってもいい。

そういう、三歩先を考えることができる女性のために導入された自由のはずなのに、自分の欲望を満たすためのものと思い込んじゃった女性が少なからずいるの*1。そういう女性は、好きなときに好きなことができること=欲望を満たすこと=自由、だと思い込んじゃった。そんなの、この現実世界では不可能なのに。たぶんね、女子バブルだったと思うんだよ、今までは。勘違いが見せかけの女性の強さを生み出してきたけど、それはやっぱりバブルに過ぎなかったんだ。その結果、男の子も女の子も、社会的にも不安を抱える結果になっちゃった。そこで新たな政策を投入……それは違うよね。原因を見つけたのなら、必要なのは対処療法じゃない。

訓練し、自己を律することで、現実に陥りがちなさまざまな劣悪な状況を避けることができるようにする。約束によって自分を束縛することで、さらに大きな便益を手に入れる。それができる、ということが自由だ。それこそが教育の目的とすべきところの一つであって、それを「我慢しろ、なんかよくわかんないけどそれがいいことなんだ」としか説明できなかったところに今までの教育の問題点があったと思うんだよね。

だけど、今はもう違う。必要なテキストは用意された(<デネット読んでみてよ)。いま必要なのは、問題を認識し、訓練によってそれを乗り越えることだ。非モテの問題を解決するために、脱オタしたり、ファッションセンスを磨くことは重要かな? 断じて違う。それは一歩先の視点でしかない。それは自由じゃないし、問題を引き起こす原因そのものであることは説明したとおりだ。

これが俺の、非モテ問題解決のための思考のフレームだ。問題解決のために新しい敵を作ったりしていないつもりだよ。敵はあくまでも、この劣悪な現実であって、喪男でも負け犬でもない。現実を見ろっていうのはそういうことだと思う。「分かりやすい敵がいない」なんて嘆かなくてもいいし、悪人がいないと成立しない解釈なんていらない。

*1:女は色情狂になることを自由であると錯覚するように仕向けられている、って言ったの誰だっけ?