俺にもヒロインをプリーズ。

滝本竜彦「NHKにようこそ!」を読む。

『悪と立ち向かう戦士』
それはまったく、俺たちの願望そのものだった。
悪い組織と戦いたい。悪者と戦いたい。もしも戦争などが勃発したならば、俺たちは即効で自衛隊などに入り、神風特攻していただろう。きっとそれは、意味のある生き様で、格好いい死に様である。もしもこの世に悪者がいてくれたのであれば、俺たちは戦った。拳を振り上げて戦った。そうに違いない。
しかし悪者はどこにもいない。世の中はいろいろと複雑で、目に見えるような悪者など、存在しない。それが辛く、そして苦しい。

「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」でも描かれた「分かりやすい敵の不在」はこの本でも大きなテーマだ。

私も活動的なクチではないから、ヒキコモリまでは行かないでも、夏休みなんかは何もすることがなくて、暇をもてあましまくっていた。そういう時、なんとも言われない不安がよぎる。それは、たぶん「死への予感」。なーんも人生に「意味」が生じないまま、このまま死ぬんじゃないかって不安。今、自分は、「意味」ある活動をせずに、ただひたすら死への路を直行しているんではないか、そういう不安。私にとって「退屈」ほど恐ろしいものはない。
「敵」がいることの嬉しさは、そこに「意味」や「物語」が生まれることだ。「退屈さ」の払拭ができることだ。(いわゆる嫌韓ってのは、この「敵」を作ろうとしてる行為なんじゃないかなぁと思う。)でも「敵」はいない。だから、辛い。この気持ちは痛いくらい分かる。

「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」も「NHKにようこそ!」も、どちらの主人公も、最後はヒロインと「約束」をして終わる。その「約束」で、目の前に横たわる「閉塞感」に対抗しようとする。物語の結末はハッピーエンドである。


でもさ、結局「閉塞感」の打破は「恋愛」なのかよ、と私は思う。そのことに気がついて愕然となる。それしかないんか。「恋愛」抜きで、この「見えない敵」は倒せないのか?ひょっとして。この「退屈さ」「閉塞感」「不安」は、ヒロインなしじゃどうしようもないのか?

そしたら、絵里も岬ちゃんもいない私は一体どうしたら良いんだろう。