口から出まかせ日記【表】

こんな寒かったっけ冬

たまに「僕」を使う。

 

ふと、日本語の一人称ってどのくらいあるんだっけと思い調べてみると、とりあえずいっぱいあるってことだけ分かりました。

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あったところで、実際に使うのは、私、僕、俺、くらいなもんで、拙者、わっち、おいどん、朕、何某、余、亜なんて名乗った暁には、ああ、この人は狂人か芸人か異世界転生した人なんだなと見做されてめんどくさいことになるでしょう。結局、一人称の種類が豊かであっても、時代が進むにつれて言葉も洗練されて、使われずに死蔵されているものがたくさんあるってことです。ちょっともったいない気もしてくる。


ところで、当ブログでの一人称はもっぱら「私」を使っており、これは日常生活でも同じです。家族に対しても、「私が先に風呂に入っていいですか。ほら、すでに全裸なものですから」などと日常会話は基本的に敬語であり、一人称も私なので、職場とそんなに会話形式が変わりません。いつからそうなったか見当がつきませんが、かといって余所余所しい関係性というわけでもないのでまあいいんじゃないかなと思ってます。


あと、たまになんか唐突に「僕」を使うこともあります。別に意識していないのに口から飛び出してくるんで不思議です。こないだ電気屋さんに行ってホームプロジェクターを眺めていたら店員さんが話しかけてきたので、自宅の環境とかを説明したりしたんですが、「僕の家、平坦な壁の部分がそんなになくて〜」などと、僕という一人称が飛び出し、話してて妙な感じでした。余はいつから僕っ子になったのだ。

 
北里先生は誰に対しても「わたくし」って名乗る感じがある。

 

思い出していくと、誰かと何かを食べに行ったりして、相手が注文したあとで私が注文する時に、「じゃ、僕はこれにします」なんていう具合で言ったりするし、近所の人と立ち話をするときや、病院の先生と話すときに「僕」を使ったりしてるし、なんか自動的に切り替わるシステムでも脳に入ってるんじゃなかろうかと思うのです。相手を鑑みて、「私」と「僕」をすんなりと切り替える自分がいる。


考えてみると「僕」を使って話す相手って、関係性としてはそんな深くないですね。店員さんとか、会話の機会がほとんどそのとき限りの人に対しては「僕」を使って、家族も含めて接する機会が多い人には「私」を使う。もしかしたらこれ、外面を整えるというか、自分なりに「へりくだった」表現なのかなって思うんですけど、どこで、どうやって、どんな理由でそれを身につけたのか、自分でもよく分かりません。


ちょっと話が変わりますが、私より遥かに年齢が上の人が「僕」を使って話しているのを見て、謙虚な方だなって感じられる場合と、逆に、性格の傲慢さが滲み出てきてほんと嫌味だなぁって思うときがあります。偏見かもですが、前者は普段から一人称が「僕」の人でしょうね。子供の頃から大人の今まで、ずっと僕だった人。後者は「俺」あたりを部下に使っていて、その時だけ中和でもするつもりで「僕」を使ってみたけど、まるで隠し通せてないみたいな感じかなと。まあ、とりあえず私もいっぱしの「僕」使いになりたいです。



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清水ミチコの北里柴三郎はガチ。

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