自分の中に流れる歴史を感じた話
あけましておめでとうございます。
年始は卒論の追い込みもあって実家には帰りませんでしたが、
あとでちょっと後悔しました。
しかし、東京で友人といい年越しが出来たので、それはそれでよし。
さて、挨拶も終えましたので、本題に。
今日は寒かったですね。大学から帰ってくる途中、道中の風景を見ながら感じるところがあったので、言葉に残しておこうと思います。
「こんなにも世界は美しい!」
呪文みたいに最近口ずさんでしまう言葉です。
この言葉は、自然に触れたときに感じることが多かったものでした。
しかし、そこでふと
「なぜ自然を見て美しいと思うのか?」
と自問しました。
- 「進化の結果の機能美があるから?」
歴史、長い年月の流れを感じたから、なのかもしれません。
東京を歩いていて、純粋な自然と触れ合うことは、殆ど無いでしょう。
それでも、考えてみれば身の回りのほとんど全てのものは、なにかしらの歴史をもっています。
道路も、車も、電線も。
服も、本も、ペンも。
自分もそうだし、社会もそう。
形になっていないものであっても、思想や考えも、すべて歴史を背負っています。
こう考えてくると、急に、まわりのどんなものにも、様々な人の思いがこもっているような気がして、
「美しい!」と思えるようになりました。
歴史の流れの中に生きていることの実感、というものなのかもしれません。
自然のあるところに行かなくても、歴史のあると言われる土地に行かなくても、
こんなにも世界は、美しい世界は、自分のすぐ近くにあるんだ、と感じました。
ある意味当たり前のことで、文章にしてみるとあまり面白みのない感想だなとも思いつつ、
しかしこの感覚は大事にしていきたいです。
自分も、過去の人々、今の人々と同じように、この世界のさまざまな要素に関して、自分の気持ちをできるだけ込めていきたいと思ったところでした。