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黒人と白人のハーフであるギヨーム・ディオプがオペラ座バレー団で2023年にエトワールに昇格した。2000年3月パリ生まれで、父親はセネガル人で母親はオーヴェルニュ出身のフランス人。 オペラ座バレエ学校は、特に群舞の均一な美しさを大切にしてきたので、「体形」とテクニックが二大ハードルになっている。 私のピアノの生徒の一人が11歳で寄宿制のオペラ座バレエ学校に応募しようとしたことがある。11歳ではまだ成人した時の体形は分からない。 で、面接には母親同伴で、祖母の身長や写真も要求されるということだった。 黒人の女性バレリーナのドキュメンタリーを前に見たことがあるが、やはり群舞は無理だから、ソリストになるしかないのでハードルが高い。 オペラ座では、このディオプがエトワールになったこともあって、今は黒人少年の応募もあり、何人が選ばれた。でも、黒人の少女の応募はゼロだったと、下に貼り付けたドキュメンタリーで語られている。 日本人の生徒のことも触れられていて、脚や足の付き方にやはり民族的特徴があって、白人と同じにはならない、と言う。 もちろん白人の中でも、オペラ座の要求を満たす肉体条件を持つ者は限られているわけだが、これまで、ソリストになったダンサーはやはり白人とのハーフだった。このドキュメンタリーに出てくる「黒人」もほとんどがハーフだ。 セネガルの黒人は大体背が高くてほっそりしている。コンゴの黒人とのハーフでは難しいだろう。筋肉の付き方だって人種差はあるわけだが、長距離走で世界を制する黒人と、圧倒的な力を短距離走で見せつける黒人は別だ。 スポーツの世界だと、アファーマティヴ・アクションとかインクルーシヴとかいっていられない「実力」だけの世界だから、バスケットボールなら背が高い選手ばかり(例外もいてそれは楽しいが)でもそれを低身長差別などとは批判されない。 けれども、テクニック的には一流スポーツ選手と同様のパフォーマンスが要求されるクラシックバレエの世界は、スポーツでなく「アート」だから、BLM 運動やウォーキズムの中で「差別」が問題とされてしまうのだ。 (このドキュメンタリーでも、オペラ座アカデミーでチェロを弾き、オーケストラで唯一の黒人として「くるみ割り人形」を演奏する女性が登場するけれど、オーケストラの楽器奏者はボーイングの動きが一致するなどは要求されても、「見た目」は問題にならないからまた別だという感じはする。) でも、このディオプの踊りを見て、正直言って、ヌレエフよりも古典的な美しさを感じた。すでに「肌の色」自体が個性になっているから、ヌレエフのような強烈な個性を打ち出す前に「完璧なプリンス」が到達点なのだろうか。 それでも、同じような体形で一糸乱れず踊る白鳥の湖の群舞などのまるでクローンのような完全な一体感は幻想的だ。 体の線の美しさ、美しい動き、優雅さと力、若さを備え持つバレリーナたちを見るのは眼福でもある。 「若い時」はあったとしても、彼らの足元にも及ばない外見や動きしか知らなかった身でありながら、デジタル合成などではない彼ら彼女らの動きを見るだけで、生きていることのすばらしさを感じることができた。 #
by mariastella
| 2025-02-19 00:05
| 踊り
1/5のこと、Arteでたまたま、ルドルフ・ヌレエフが振り付けしてウィーンで初演した「白鳥の湖」のドキュメンタリーを見た。彼はパリ・オペラ座パレエの芸術監督として長かったから、多くの関係者がウィーン上演のビデオを観ながらコメントするのだが、一様に、ヌレエフはユニークで絶対の存在だと口をそろえる。彼が踊る画面を一瞥するだけでみなが即座に魔法にかかってしまうかのようだった。 ヌレエフとマーゴ・フォンティンのパ・ド・ドゥは1963年に始まって、1964年のウィーンの公演は、錬金術が成功したともいえる最高潮の時期。ヌレエフがまだ20代半ばでマーゴ・フォンティンが40代前半という年の差にも驚かされる。普通なら最盛期を過ぎたと言われるような齢であった大ベテランのプリマドンナがヌレエフと組んで若返ったというより別の境地に生まれ変わったのだ。 ヌレエフは私にとって伝説の人であっても憧れという対象ではなかった。「王子さま」としては顔も姿も「濃すぎる」イメージだったからだ。 ところが、このビデオを観始めると釘付けになった。 ヌレエフの世界に絡み取られるような気がした。 私はフォンティンとヌレエフのパ・ド・ドゥを12歳の時に大阪のフェスティバルホールで観ている。クラシック・バレエのクラスの友人たちがいっしょだった。フェスティバルホールの年末舞踊合同公演にはすでに何度か出演していたから、馴染みのステージでもある。その同じステージで、伝説の二人が踊るのだ。 前述したようにヌレエフは特に好みではなかったが、すでに伝説的でありそれ以後も語り継がれたこのカップルのバレエを生で観た、というのは「誇り」というか「自慢」の種だった。 でも何しろ子供だったので、今回のビデオですべての人が語るセックス・アピールなどが伝わるはずもなかった。 当時の豆バレリーナとしては、憧れは、少女雑誌にもしばしば登場するロイヤル・バレエ団のマーゴット・フォンティーン(当時はマーゴットと表記されていた)や、ロシアのレぺシンスカヤなどというプリマドンナだった。 ところが、その後、男女とも、ダンサーで「超絶技巧」というタイプが話題になるようになったので、自分が「お稽古」をやめてからは、バリシニコフやプリセツカヤなどもっぱら超絶技巧の天才のステージばかり追いかけていた。 そのせいか、たまにフォンティンとヌレエフの過去の踊りをビデオで見ることがあっても、ふたりともどちらかというと小柄だし、なんだか平凡で古いなあ、と見るようになっていた。 今思うと不思議だ。今回の番組を観ると、2人の表現力も技術もまさに戦慄ものだったからだ。子供の頃は20代と40代という年の差も抽象的だったが、ヌレエフの若さと強烈なセックスアピールが2人を一体化させているのが今は分かる。 今回知ったことは、ヌレエフが幼児の頃にシベリア鉄道で極東の地に移動中に生まれたこと、その最果てから当時のレニングラードに戻って認められるということ自体の重さ、そして、彼がピアニストでもあり、オーケストラを指揮することもあり、音符の動きの一つ一つを振り付けに活かすことを熟知していたことなのだ。振り付けの天才だった。 彼が同性愛者であることはすでに知っていたけれど、男性ダンサーにはよくあることなので気にもしていなかった。実際は、まだ「同性愛」が禁じられていた時代のヨーロッパで生き、しかも一人のパートナーとの関係に落ち着かず「恋多き男」だったこと、など私生活での「情念」も半端ではなかったことが想像できる。自分の姿や動く能力が衰えるのは絶対嫌悪していたというからまだ現役のうちにエイズで亡くなったことはむしろ救いだったかもしれない。 白鳥の湖のラストでオディットを永遠に失ったことを知った王子の絶望の表現は、鬼気迫るとしか言いようがない。広大なロシアを東西に往復し、ヨーロッパに亡命を果たし、当時最高のプリマドンナを魅了し、音楽と踊りにすべてをかけた情念のマグマが煮え立っているような男だったのだ。
このことをバロックバレエの仲間に話したくて、翌日の初レッスンで話題にしたのだけれど、みなバカンス中に観たバレエ公演の話ばかりだった。
それにしても、私は幸運にも、10代の頃から「世界の一流アーティスト」の公演を大阪や東京で見続けることができたわけだけれど、60年以上に渡るそれらの記憶が今の自分にどう影響しているのか、それらを活かすことができているのか、などと、今回あらためて考えさせられた。 #
by mariastella
| 2025-02-18 00:05
| 踊り
一昨日、フォルカー・シュレンドルフの『Diplomatie(外交)』(邦題『パリよ、永遠に』)がTVで放映されているのを観た。公開当時に観ているがもう11年にもなる。2大俳優のやり取りのすばらしさに惹かれてもう一度観てしまった。 このブログの記事としてはこういうものがあった。 関連記事。
そうして振り返るうちに、11年前の映画評の近くにあった興味深い記事にたどりついた。 思えば、このブログは、21世紀になるまではそうだったように切り抜きがスクラップブックに埋もれて顧みられなくなった現実を前にして、いつでも検索できる覚書として始めたものだ。でも、その記事すら埋もれている。
今回なるほどと思ったのは「人間、サル、ネコ」というこの記事。
覚書ついでにリンクしておくと、2/15はお釈迦様の涅槃の日で、葬儀についての興味深い記事を別のブログで読んだ。 釈迦の涅槃のシーンはキリストの磔刑シーンと対極の穏やかなイメージだが、その後の「遺体」処理の顛末もここまで真逆だったことに感慨を覚える。イエスの遺体はなんとか十字架から降ろされて墓所に入れられることが許可されたが、次の日(土曜)は安息日なので、日曜の朝に、香油で清拭などしようとして女たちが行ったら墓所は空だったという話。「復活」したわけだけれど、その後、マグダラのマリアにさえすぐに認めてもらえなかったり弟子のトマスに「脇腹の傷口」にさわって確認しろと言ったりしたくらいに、ひょっとして、聖骸布に残っているように「傷だらけで血まみれ」のままだったイメージもある。 金の棺に入れられて火葬されて骨が仏舎利として世界中に広まる釈迦と、「昇天」して体を残さなかったイエスと、「宗教」の誕生に当たって信者たちが紡いでいった話の差の意味を考えさせられる。 #
by mariastella
| 2025-02-17 00:05
| 映画
(前の記事の続きです)
人間のディールに応えるような神は存在しない。 キリスト教徒が中南米での太陽神などへの生贄の儀式をやめさせた時、キリスト教に帰依するインディオが現れた理由の一つに、それまでの儀式をすべて中止しても、自然の運行が変わらなかったという気づきがあった。分かりやすい「神罰」は起こらなかったのだ。 人間のディールに応えるような神や神々は、その神の命を受けた統治者によって何度も更新される。 そのようなツールとしての神ではなく、本来のキリスト教の神はイエスを通して「一人一人の心の中に宿る」というのだが、これもある意味で、普遍的にある考え方だ。
ネットで拾えたいくつかを引用しよう。まず中国。
>>>北宋中庸、王安石政権の全盛時代に程顥・程頤兄弟によって「天の理」という考え方が創出されたことは、思想史的に大変な意義を持っている。 小島毅『中国思想と宗教の奔流 宋朝』中国の歴史7 講談社学術文庫 <<<
次は日本。
>>>(本居)宣長は、神のはたらきが、人間の知恵(理性)を超えたものであることを言っている。理知の延長線上に神々を置いてはならない。善行・正直・誠実に答えて福徳や恩恵をもたらしてくれるもの、寄進・喜捨に応じて幸いを与えてくれるもの、そういうものとしては神を認めない。当時「正直の頭に神が宿る」とは広く言い習わされていたが、宣長の考える神々は、そういうものではない。人間の行為に帳尻の合った形で、神の恵みや罰を捉えることはできない。人間的な世界(道徳や規範)から完全に切り離されて、不可思議なるもの、霊妙なるものとして神々はある。 その意味では〈絶対の他者〉として神々はあって、人間はそういう神々に包まれて生きる。天地世界のすべては不可思議で霊妙なのであって、人間はその中の小さな存在である。これは「誰も誰も心をかがみのごとくせば、吾心則天御中主尊(わがこころすなわちあめのみなかぬしのみこと)・天照大神(あまてらすおおんかみ)に同じからんか」「一心の理の外に異なる神はなし」(渡会延佳(わたらいのぶよし)『陽復記』。延佳は伊勢神道を江戸期に再興した人物)、「心の外に別の神なく別の理なし」(林羅山『神道伝授(しんとうでんじゅ)』。羅山は朱子学の立場から神道を理論化した)と言われるような、自己の心を正しく保つことで神々との合一に至るという、それまでの道徳的な神観念との大きな違いである。 田尻祐一郎『江戸の思想史 人物・方法・連関』中公新書<<< >>お釈迦様の教えに「一切衆生 悉有仏性」(一切衆生 悉く仏性有り)があります。これは『涅槃経』という経典の中に説かれています。 命あるものは、すべて仏となる性質(可能性)を内にもっている。つまり、すべての人が仏に成るべき仏性を生まれながらに具えている、人間性を完成して真の人間に成る事ができるという意味です。 この教えを人生論として、日常生活に当てて解釈するならば、万物すべてがそれぞれを他のために役立てる、機能(はたらき)をしているという事になります (法話の窓)<< (上の新書や文庫からの引用は、いつも読ませていただいているブログからの孫引き) ズンデルに戻ると、たとえ人がそれぞれ自分の中にあるイエスと出会い、道徳と幸福と愛することが一致する生き方をしたとしても、天災などの「非業の死」についてはどうなるかということにも彼は答えている。 結論から言うと、「天災」さえも、「回心」によって迂回できる。 長くなるからその論はここで展開しないけれど、正直、最近のガザ停戦によって、爆撃によって壊滅した町の残骸を見せつけられると、「天災」を迂回する環境保全や生き方の変革どころではないなあと愕然とする。 ストア派のアパテイア(心の平安)も、エピクロス派のアタラクシア(心の平静)も、なんと遠いところにあるのだろう。 #
by mariastella
| 2025-02-16 00:05
| 宗教
![]() エピクロス主義と言えば、「快楽主義」だと一般に思われてきた。 実際、エピクロスの影響が大きいローマの詩人ホラティウスの「Carpe diem」は、明日のことを思い煩らわずに今を楽しめ、と解釈されてきた。 エピクロス派とストア派が広まっていたローマ帝国下のヘレニズム世界で最終的に広まったキリスト教にも大きな影響を与えている。 エピクロス派は、水をワインに変え、弟子たちや群衆と飲み食いし「宴に招く」イメージのイエスに、ストア派は弟子たち裏切られ、鞭打たれ十字架につけられて死んだイエスのイメージに影を落としているし、それは「集まってパンとワインを分け合う」典礼と、「苦行、禁欲」を徹底して死後の救済を求める隠修士や修道士の伝統などにつながった。 といっても、エピクロスもホラティウスらにとっても、「快楽」は欲望を肥大させるようなものではなく、「知足安分」、足るを知るというタイプのものだった。 それでも、「可死性」を無視することは情動的には無理なわけで、あらゆるタイプの「神頼み」が最終的には「効かない」ことは自明だった。だから、「神は人間に無関心だ」という前提を取り入れたわけだ。これは画期的なものだ。 キリスト教は、その神が人間イエスに受肉したというこれまたアクロバティックな前提から、エピクロス的平安を志向したかに見える。 イエスの教えとして有名なものにこういうものがある。(マタイによる福音書 6章から)
>あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。 >あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。 >あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。 >明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。
命も、命の糧も、自然も、みな神から与えられている。無償の「めぐみ」をすでに受けていて、イエス・キリストは全ての人のうちにあるという。 ところがキリスト教神学が構築される世界はヒエラルキーを必要とする社会だ。 神々に供物、生贄を捧げるなどして直接ディールする「異教」は排したとしても、「救済」のためにあらゆる道徳、倫理、教義、支配者と被支配者の関係が新しくはりめぐらされた。 中世のキリスト教世界には暴力、嫉妬、盗み、貪欲、あらゆる種類の「罪」が広がっていた。 そんな時に、エピクロス主義が復活してきたのは、不思議ではないし、それが本来の意味から逸脱してきたのは、それがいかに必要だったかということをあらわしている。 キリスト教神学の行動の規範が「罪」と「罰」の二元論を払拭せず、スコラ哲学で導入されたアリストテレス哲学の「幸せ」が主知的であったことに対して、トマス・アクィナスは、神学大全で、「道徳の目ざすところは幸福である」と言った。 カトリックで聖人の前の「称号」としての福者というものがあるが、「福」はまさに「幸せ」という意味だ。福者たちは神の中に幸福を求めた。それは自分のうちにいるキリストという「恵み」を認識したということだ。 「死」を思い煩うという時に、「悪」の問題が生じる。人が恐れるのは、単に寿命が尽きて死ぬことではなく、「非業の死」だからだ。何の「落ち度」もないのに、犯罪や事故や戦争や天災に巻き込まれて、恐怖の中で無残な死を遂げる可能性が誰にでもあるとしたら、それは「悪」ではないのか。神が「恵み」を与えてくれているなら、内なるキリストがいるなら、なぜ、「悪」は存在するのか。
それに対して、明快に答える有名な神学者がいる。 エピクロスなしに彼の言葉はなかったと思う。 それはモーリス・ズンデルだ。「悪」の問題について彼は明快に答える。 カミュが「反抗」した神は、古典的イメージの全知全能の神、創造主でありすべてを司る神、従って、あらゆることに「責任がある」神だ。それなのに、その神は被造物に対して無関心、沈黙、無干渉を貫く。この神の不在が罪なき人の苦しみを放置し、それは不当でスキャンダラスなことだ。 これに対するズンデルの答えは明快だ。 そんな神、遠いところにいて人間とは別の存在である神は存在しない。 存在するのはイエス・キリストが父と呼んだ「内なる神」だけだ。 アウグスチヌスも、自分の最も深いところで神に出会った。人が神を見ていなくても、内なる神は人を見ている。けれども、神は自由意志で神に応えて「悪」を克服する人たちを通してでないと何も変えることができない。 エピクロスが「人間に無関心な神」というのは、ズンデルが「存在しない」とする神なのだ。 (続く) #
by mariastella
| 2025-02-15 00:05
| 本
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