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L'art de croire             竹下節子ブログ

「コンセルヴァトワールの夜」もエコロジー風味

1月の末、「コンセルヴァトワールの夜」というイヴェントに参加した。
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18h30と20h30の2回、ケテルビーとチャイコフスキーを弾いた。


合間に、クラシックバレーのクラスの踊りと、ビバルディの四季をめぐる音楽で綴るコントのようなものを観た。
「自然」ナチュールはフランス語で女性名詞高だから、自然という名の女性がヒロインで、舞台の上の黄のお道具が、秋に色づいたり冬に雪がつもったり春に花が咲き、夏に実が成るという展開になる。

たとえばこれが秋。
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それが、最後に、今は人間の排出する二酸化炭素のせいで気候不順になってしまった、と言って、木に春夏秋冬のデコレーションが同時につけられ、季節が壊れたことを嘆く、という趣向。
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子供の教育プログラムにエコロジーが出てくるたびに実はいつも何となく違和感を抱いてしまう。なぜだろう。


ケテルビーはヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス、トランぺット、クラリネット、フルートとピアノという編成で弾いた。シンバルが欲しかったところだ。
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ジャン・マルタンのヴァイオリンとスティーヴンのチェロにはさまれて弾いたチャイコフスキーはそれなりに疲れたけれど、ヴァイオリンとチェロにはさまれてヴィオラを弾く快感ってある。
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これは曲が終わった瞬間。二人ともほっとしているのが分かる。
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二つのアマチュアオーケストラからヴィオラ奏者が足らないからと誘われている。
練習は週一。でも、ベートーベンのシンフォニーなどを弾ける。
来年は加わるかも。
なんとなくチェロも弾きたくなった。
ヴィオラと弦の並びは同じだし、ヘ音記号も読めるからまったく不可能ではないかも。元気で長生きしたら無謀なことをし始めそうだ。


# by mariastella | 2025-02-14 00:05 | 音楽

ジョーン・バエズのレジスタンス

ボブ・ディランの神秘体験について読んだ数日後にジョーン・バエズについてのドキュメンタリーを視聴した。

ボブ・ディランの歌については思い出も思い入れもないのだけれど、ジョーン・バエズとなると「Donna Donna」や「We shall overcome」のように1960年代から歌ってきたものもあってなつかしい。

ドキュメンタリーを見て、バエズがディランのサクセスに大きく寄与したこと、それでも、ふたりのデュオのツアーの間にだんだんと違和感、齟齬を感じて苦しんだことなどが伝わってきた。

バエズの歌が公民権運動などのプロテストソングだというのは知っていたけれど、そして、日本でも、そういうタイプのフォークソングが流行っていた時代だけれど、今思うとあらためて、(少なくとも私には)内実がなかったなあと思う。

ギターを弾きながらWe shall overcomeを何度も歌ってきたけれど、そしてキング牧師らのデモを頭の中でイメージしてはいても、実際は、まさにただの「イメージ」にすぎなかった。

それは当時のアメリカの多くの反戦フォークシンガーも似たり寄ったりで、実際にコミットメントした人はほとんどいない中、バエズだけが、キング牧師に文字通り寄り添い、白人市民が石を投げてくるような環境で黒人の子供の手を引いて歩き、ほんとうにリスクをものともしなかった。

彼女の父親がメキシコ人で、彼女の肌が妹の肌と違って、少し暗い色だったことがメッセージ性を持っていたことなど、日本人にはわかるはずもなかった。


最も感動したのは、彼女が高校生の時、ソ連からミサイルが発射されたことを想定した避難訓練が何度もあって、彼女は一度も教室から離れなかったというエピソードだ。

それは、ミサイルの発射がわかってから避難しても「もう遅い」という理由だった。今なら別だが、1950年代半ばだから、ミサイルの発射の確認など直ちに把握して危険地域の学校に警報を鳴らすよう伝達するなどおそらく不可能だったのだろう。物理学者であるバエズの父親もそれを認めて、娘の行動を是認した。それで、高校側から何度も注意を受け、彼女と家族はすっかり「秩序破壊者」のレッテルを貼られていた。

ファミリーは絶対平和を目指し、「一個人の命は国の命運より貴い」という信念のもとにクエーカー教徒になった。

なるほど、平和と平等の志向は家族ぐるみ徹底していたのだ。

家族の結束は強く、そういう家庭に育まれた強さがバエズの強さだったのだ。


私が小学生の頃、定期的に「火災訓練」というのがあった。授業時間中にサイレンがなると、みんな秩序正しく階段を降りて校庭に集まらなくてはならない。

火事の可能性など少ないのに定期的にそんなことをするのは意味がないようにも思えたが、まあ時々の非日常行事ということで、特に抵抗感があった記憶はない。

その頃の私たちを指導していた先生たちの世代は空襲警報の体験者ばかりだったろうと思う。そんな火災訓練は今でもあるのだろうか。


関西や東日本震災の後では、地震や津波のための避難訓練が学校で行われているようだ。特に津波などの危険地域では、どこの学校や公共施設でもいざとなったらどこに避難するか、避難経路の検討も具体的な対策がたてられているのだろう(と思いたい)。

今はスマホの普及を前提として、地震が発生すれば体感する数秒前にアラームがなるとか、北朝鮮弾道ミサイルが発射されるとJアラートが鳴るとか、いろいろあるようだが、リスクとストレスとの関係とはどうなんだろうと思わされる。


もちろん、自然災害の予防措置と、ミサイルの警戒とは全く違う。


コロナ禍の時の不安を煽る一連の「要請」や「義務」のコミュニケーションのことも思い出す。

けれども、たとえば高齢者施設や病院や障碍者施設、宗教施設などの一律の面会禁止や閉鎖によって孤立したり生き甲斐を失ったりして鬱状態になり亡くなった方なども少なくないと今は分かってきた。


共通するのは「非常時」という設定の元で、「上」からの指示に従わされるところだ。

それらすべてに「反発」するのが正解だなどとは思えない。


けれども、警報の後でたった一人教室から動かない高校生だったジョーン・バエズが、公民権運動のデモのうねりの中で不当に差別される弱者との連帯を徹底的に貫き通した姿を思う時、「生き方」の芯をどこに置くべきかということを、自分がこの年になってなお考えさせられる。


# by mariastella | 2025-02-13 00:05 | 思い出

ボブ・ディランの見神体験

無名時代のボブ・ディランをティモシー・シャラメが演じる映画『名もなき者』が公開されたので、ボブ・ディランがらみの話題があちこちで語られるようになった。
何しろノーベル文学賞を受賞した時も驚いたけれど、ボブ・ディランは私にとってほとんど意味を持っていない。
学生時代に聴きに行った数少ないライブがフォーク・グループの「ガロ」で、彼らのヒット曲「学生街の喫茶店」の歌詞によってなじみ深い歌手という感じだった。

でも、最近知ったのは、ボブ・ディランの信仰の遍歴で、なかなか過激なものだ。

がちがちのユダヤ人(アシュケナージ)の家庭に生まれ、シオニストの教育施設にも通い、ヘブライ語も読めた。歌詞にもイザイ書やエゼキエル書の引用があった。1978年に電撃的にキリスト教に改宗するまで、少なくとも89曲に旧約聖書にインスパイアされた歌詞があるそうだ。(by Scott Marchall )
1978年、離婚後の鬱状態にあった時、滞在先のホテルの部屋で、突然、イエスでしかありえないような存在を感じた。肉体的なものだった。イエスを感受し、体は震えはじめた、主の栄光が私をたたきつけ、そして立ち起こした、と、日刊紙「The Independent」のインタビューで答えているという。
この「クリスチャン」時代は3年あまり続いた。
1979年11月のサンフランシスコ公演の舞台で、「イエスは戻ってくる、エルサレムに王国を築き、千年続く!」と叫ぶなどして、一部のロック界などから煙たがられたが、ゴスペルの黒人歌手に囲まれ、そのうち一人と結婚した。福音派キリスト教徒の間で人気を博し、「キリスト教ニューロック」が認知され、イギリスのキリスト教知識人の間でも人気を博したそうだ。昔からのファンには「キリスト教三部作」のアルバムは不評だったようだ。

ところが、1982年に、突然ユダヤ教に回帰する。キリスト教の教義的、説教的な歌に飽きてきたのか、あるいは福音派キリスト教にあまりにも利用されたからか、1983年のアルバム「Infidels」で、キリスト教スタイルから離れ、元に戻った。シナゴーグにも行くこともあった。聖書にインスパイアされた言葉を使うのは相変わらずで、イイエスとを支援した。キリスト教に背を向けたというわけではないようで、コンサートであまり感情を表に出さないディランが、1997年にボローニャの聖餐についての会議の会場でヨハネ=パウロ二世の前で歌った時に喜びを隠せなかったという。
「イエスと出会った」という神秘体験を通したディランは、聖餐にイエスの血肉を見るカトリックと近い感性を持ち続けたという人もいる。

信仰深い家庭で育った人が、ある日突然「神なんていないんだ! 」と悟って無神論になるという話はよく聞くし、そんなこともあるのだと思う。それに対して、「神がいる」世界で生きてきた人に突然「イエス」が現れたのでは、「イエス」を「キリスト=救世主」とするキリスト教に向かうしかない。この世の時空には存在しない超越神が、イエスという実体に受肉したからには、そのイエスの存在を全身で受け止めて「回心」する人もいるということらしい。

突然イエスや聖母の「御出現」を目撃したりお告げを聞いたりするタイプの神秘体験と違って、体ごと衝突して倒されるような神秘体験って、すごい。

ダマスコへの道で光に打たれて落馬したパウロのことも思い出してしまう。




# by mariastella | 2025-02-12 00:05 | 宗教

106歳のシスターからファンレターをいただいた

このフェルトのお人形、もう30年近く私の書斎のドアのそばに掛けてある。
1997年頃に、仁川にある「ショファイユの幼きイエズス修道会」の本部を訪問した時に買い求めたものだ。シスター姿のこんなかわいいお人形、ヨーロッパで私がたずねた修道会や教会、巡礼記念の場所などで見たことがない。
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今年は長崎の隠れキリシタンの「信徒発見」の160年記念ということで、私は今、「カトリック新聞」という日本のカトリック教会が出している週刊新聞に日本とフランスのカトリシズムの関係について短期連載している。
その中で、パリ外国宣教会のプチジャン師が、明治政府ががキリシタン禁令を解除した後で、以前務めていたショファイユの幼きイエズス修道会のシスターを日本に招聘したことを書いた。
20代から30代の若い4人のシスターたちはマルセイユから船で51日かけて日本に着いた。宣教修道会の司祭や修道士たちと違って、世界の果てに行こうという使命感を持ってシスターになった人たちではない。宣教師たちのように言葉や文化を予習したわけでもない。すべてが未知の日本に発つ前は、家族とも仲間のシスターたちとももう二度と会えない、二度とフランスに戻らない、という覚悟があっただろう。
修道院があったわけではない。長い旅の果てに町屋に着いたら次の朝には生まれたばかりの赤ん坊が家の前に置かれていた、シスターたちは赤ん坊を慈しんだ、という話を読んだことがある。
パリの日本人カトリックセンターでフランス語を教えていた時に、パリ郊外の修道院本部に滞在していた日本人のシスターが出席していた。彼女が日本に帰ってからもお付き合いが続き、はじめて路上生活者のための「炊き出し」のお手伝いをさせてもらうなど貴重な体験ができた。そのシスター須賀の紹介で、2003年の初めての日本公演で修道会が経営する大阪の信愛女学院短大でのコンサートが実現した。その後も手紙のやり取りをしていたのに、別の支部に移るとかで、お便りが途絶えてしまった。今のようにメールでやり取りできる時代ではなかった。

で、カトリック新聞の連載記事。
私の愛読者だとおっしゃるシスターが、2回目の連載に修道会が出てきたのを読んで、こちらのメールアドレスを問い合わせてきたと編集者から連絡があった。
そのシスターは、なんと、20世紀末に資料室でいろいろなものを見せてくれた方だという。しかも、今現在も資料室で働いていて、私へのメールも資料室アドレスからのもの。そしてなんと、この2/14に106歳のお誕生日を迎えられるという。

私に連絡できることで「長年の思いが達せられます」とあった。
私の今後の仕事への要望まであった。
もちろん私のためにお祈りをしてくださる。

衝撃的だった。

「身に余る光栄」とかいうよりも、満106歳の方が、新聞を読み、編集者に連絡して、私にメールを送ってくれた、というのが非現実的だ。
ありがたい、と思うより先に、あまりにも驚いたので、これはギネスブックものだなあ、106歳の読者からファンレターをもらう著者なんてこの世にいるのだろうか、と思ってしまったのだ。
返事を送り、この人形の写真を送り、シスター須賀のことを聞いたら、帰天なさったこと、人形の制作者のシスターも帰天なさったということだった。

日本では「百長寿」の元気な方の暮らしの紹介やインタビューなどがたくさんある。
98歳で亡くなる少し前までビデオでインタビューに答えていた愛徳姉妹会のシスター・クレールは大切な友人だった。2年前に118歳で亡くなったシスター・アンドレも愛徳姉妹会の方だった。(117歳でコロナに罹患して回復したという記事も書いたことがある。)

高齢の友人には今は101歳になったオディールがいるが、目が見えなくなったことで交流は制限された。今は時系列などがやや混乱するそうだが、いつも私のことを話しているそうだ。


こうして見てくると、個人差は当然あるわけで、最初の驚きが相対化された。
残ったのはやはり「ありがたい」という思い。
これからも、書きたいものや、書かなくてはならないと思うものはたくさんあるのだけれど、出版不況だし、どこまで続けられるか分からない。でも、106歳のシスターが期待してくれていると思えば、彼女だけのためにでも努力しなくては、と思えるる。重荷、というより、明るい光が射してくる。
老若不常、人の命なんて分からないけれど、これまで生きてきて、書いてきて、よかった。というより、彼女のような読者がいてくれたから書き続けてこれたんだろうなとつくづく思う。

# by mariastella | 2025-02-11 00:05 | 思い出

絵画で見るイエスのすべて?

神の「似姿」のインタビュー・シリーズに関連した覚書。

少し前、パリ10 区で、弦楽器ソロをバックに一人の美術史家、評論家が何千点もの絵画を解説していくという途方もないスペクタクルが話題になっていた。


このHector OBALKが、やはり700年に渡る無数の絵画作品を通して何時間も「イエス」を語るというのを始めた。



キリスト教文化圏のどの地域を指しているのか分からないが、1250-1480年まではほとんどすべての絵画のテーマがキリスト教だったという。
19世紀末までは絵画テーマの48%がカトリック関係(つまり聖人たちも数に入っている)で、イエスの生涯に限っても33%を占めていたそうだ(このイエスの生涯には、受胎告知や復活まで含まれている)。
これは絵画に顕著な現象で、彫刻作品ではギリシャ・ローマのテーマ、胸像作品などが重要なパートを占めている。

仏教や道教における絵画文化に比べて、違いは大きく、それが、宗教としての違いなのか地域性の違いなのかとあらためて考えさせられた。



# by mariastella | 2025-02-10 00:05 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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