白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

読書と学び

読書が大好きな私ですが、生活というか、自分を管理するというか、

細かいことを少しづつやっていって、いろいろ綺麗に収めていくのも好きです^^

 

掃除とか、整理整頓とか、書類仕事とか、あと庭のお掃除や剪定的なこと、

金銭管理とか。

なんか裏方的なお仕事がとても好きな私です。

 

でもきっと、たくさんたくさん本を読み、思考力や決断力、こうしたほうがいいかな、といった判断力は、昔よりも格段に上がったような気がしています。

 

年を重ねたせいももちろんあるだろうけれど、

つまりはこういうことだ、と論理的に考え、じゃあどうするか、みたいな。

こう書くと、すごく壮大なことをしているような感じだけどやっていることはただの家事。

 

でも、こういうことに、とても価値を見出せるようになった自分のことも、嫌いではないのです。

 

小さなことに、そして裏方的なことに、

自分が前面に出て評価を受けるのではなく、周りを輝かせられる人になりたいなと

最近はよく思うのです。

 

そして、前面に出て輝いている(ように見えるのかも?)な人達の苦労も、

少しわかるようになりました。

 

本を読むことで、想像力が上がる。これはきっと間違いないと思っています。

 

でも、人間は弱いから、置かれた場所の苦労で頭がいっぱいになると、

そのことばかり考えてしまったり、自分が一番苦労しているように見えたりしてしまう。

 

物事を多角的に見るためには、知識がいるのかもしれないなと思います。

「無知の知」といった哲学者がいるけれど、その意味を本当に実感するには時間がかかるのですね。

すべては自分が物事を知らず、恥ずかしいことをしていたことに気付くこと。

そこからすべてが始まると、そう書いている本にもたくさん出会い、そして実感しました。

 

今よりも少し若い頃、自分はいろんなことを学び、知っていると、そう思っていた時期があります。自信はなかったのに、なぜか若いプライドがありました。

そのころの自分は、若い体力と、やる気があり、少しの経験に驕るだけの量をこなしているという自負があったから。

 

けれども今はこう思うのです。

確かにあの頃は輝かしかったけれど、とてもとても頑張っていたけれど、

その陰にあるものが見えておらず、

自分の行き先も迷っていて、やみくもに走っていたような気がすると。

輝いているもののみに価値を見出し、そうでないものが見えていなかったと。

経験不足と、仕事の自分が携わっている分野以外に関する知識が、圧倒的に不足していて、かつそれを補うための読書だったり、勉強だったり、交流だったりをする時間すらなかったと。そしてそれを無駄なことだと思っていたと。

 

それと同時に、先が無限にあって、いろいろ苦悩しながら先を見据えていくあの時期が、きっと若さの輝きだったのかな・・とも。

 

今は情報にアクセスしやすく、学びやすい時代になっていて、

だからこそ、本当にレベルの高い若者がたくさんいる。

今20代だったら、どんなに楽しかったかな・・と思ったりもするけれど、

いろいろ経験してきて、苦しさも長年経験し、野心がある程度抜けた今だからこそ、

心から人を応援できる余裕があるとも思う。

 

読書には、力があると私は思っています。

自分の考えを整理し、心の声を言語化し、心の芯をつくる力が。

数学の得意な子は、国語も得意なはず。なぜなら、問題が何を求めているのかを、読み解く力がないと、解けないものも多いから。

 

そして、得た情報を鵜吞みにせず、自分自身で調べ、決定していく力も、

知識や想像力が上がるとともに増えていく。

 

大人が学ぶ時間をもっと得られるように、

必要なものをちゃんと選び取れるように、

大人こそ、遊びに目を輝かせる子供のように、学びに目を輝かせることができる、

そんな世の中にできたら、

その背中を見た子供たちが、もっともっといい未来を作れるのではないかと、

そんな風に思ったりします。

 

 

お盆の間にたくさん本が読めました。

また時々、読んだ本をご紹介していこうと思います。

 

お読みいただきありがとうございました^^

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