白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

きっと必要なものはそんなに多くない

家の片付けが好きで、断捨離っぽい特集にはつい目が行ってしまう私です(笑)

 

ストレスなどを吐き出すようにお金を使っていた頃、私は、若く、そこそこの給与がもらえる一部上場企業に勤め、福利厚生もきちんとしていて、

はたから見ると、幸せそうに見えていたようです。

その仕事を手放したとき、バリバリだったのに何で?とたくさん言われました。

 

でも、競争の嫌いな私は、その中での出世競争、評価競争、ノルマ合戦に疲れ果て、

その上若い女性であることで、接待などでのホステス要員としての扱いにも疲弊し、

いくら仕事をしても、女性という変えられない性別のせいで、同じ大卒社員であっても女性は会議にも出られないというおかしな扱いに耐えられず、常にパイオニアで、女性初の、などと言われ、男性だったらごくごく普通のことをしただけで、会社に革命を起こそうとしていると言われ、次第に、夜眠るときに、このまま目が覚めなかったらいいのに。と、思うくらいに疲れていました。

 

勉強して、自分を高める。順位などはあれど、ライバルは昨日の自分。そういった競争ならいいのだけど、

スポーツなどもそうだけど、レギュラーと補欠、課長と平社員、など、個人的に勝った人がいれば負けた人がいる。そういった競争が、昔から苦手で。

勝つのはうれしいけれど、負けた人の気持ちもわかる。

負けると勝った人をうらやんでしまう。

 

近いところで、勝ち負けが見えるような、そういった競争ではなくて、良くも悪くも自分のせい、といった、もう少し小さな単位で、自分自身と戦いたい。

 

上手く言えないけれど、自分が頑張って、人を喜ばせることができて、そのレベルに達して、それで生きていけて、良かったな、と思えるくらいの、小さな生き方がしたいと、心からそう思っていました。

 

小さな商店経営の家に生まれたこともきっと影響していると思います。

小さいお店は、大手との経済的な競争があるように見えるけれど、

きっと両親はお客様の顔しか見ていなくて、どうやって満足していただけるか、といった自分との闘いで仕事をしていました。

目の前のことを、誠実に一生懸命。

 

大きな組織では、大きな仕事が、その組織のネームバリューでできるけれど、

歯車としての生き方は否めない。

そして、どこかに勤めているということは、そこでの出世や、力関係、評価などで競争にさらされ、ポジションを争い、負ければ、見下されたりすることもある。

 

小さく生きるを始めたばかりの頃は、本当に必要なものではないのに、

それまでのようにお金を使えないことにおびえて、不安に駆られたりしたけど、

しばらくして、今までいったい何にお金を使っていたのかと思えるほど、

必要なものはすでに持っていたことに気付きました。

 

何も持たない若者の頃は、積み上げることに必死だけれど、

ある程度経験をつんだ大人になると、本当に「必要」なモノはもうすでに持っていて、

きっとそのことに気付く時間がないのだと、そう思えました。

 

そして、大人に一番必要なのは、きっと、本当に大切にしたいものや人に気付き、大切にできる「時間」なのではないかと、私は思います。

 

きっと今後、「必要」な仕事はもっと減ってくると私は思っています。

 

今いる場所が、矛盾に満ちていて、辛くて、しんどくて、

もしそんな状態なら、きっと大切にすべきものが間違っている。

個人的に、そう思います。

 

必要なものは、すでにそばにあったりする。

大切な人や物がそこにあるのは、当たり前のことではないのですよね。

忙しく疲れ果てていると、大切にすべき基準が、どんどんずれていく。

 

 

きっと、必要なものはそんなに多くない。

 

 

大切な人たちを、大切にできるだけの、

大切な人達と、質素でもいいから、穏やかに暮らせるだけの、

それだけのお金があればいいのだけど、なぜかお金がたくさんないと、

暮らせないように暮らせないように変化が起こる。

どうしてだろうね?

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^