昨日、塾講師時代の生徒達が飲み会をやっていたらしい。
電話が掛かってきたが、電車の中で出れなかった。それからメールで少し、話を聞いたが、中高の頃、「おばちゃん」と呼ばれていた子が、随分変わったらしい。
昔は好きな子が出来ても、近寄ることすら出来ないような子だったけど、今や「奴、男とっかえひっかえだって!」らしい。
送られてきた写真も、いかにも近頃のOLさんな感じで、思わず、「若返ってないか?」とか返してしまった。それぐらい昔の彼女は、「おばちゃん」だった訳で。
何にせよ、みんな楽しく元気に暮らしているようで良かった。
こういうのを、親心とでも言うのだろうか。


そういえば、先週、綾瀬校の連中と呑んだ時に、小五から中二まで教えていた子が東大に受かったということを聞いた。昔から出来る子だったので、目論見通りに進んで嬉しかった。良かった良かった。
わざわざ塾の方に連絡をくれたらしく、俺のことを「ほら、あの名倉みたいな先生」とか言っていたらしい。名前がすぐ出てこないのは、いいとして、なぁ…。
確かに否定はしないけど(目が名倉)、彼女の中では、それがすべてかよ。
思い出は美化されない。デフォルメされるだけだ。そう思った。


近頃、久しぶりな人間の近況を聞くことが多い。そういえば、夏はそういうことが多い気がする。
それは盆のせいかもしれないと、何となく思う。
この時期は、魂が戻ってくるというが、俺にとっては、縁遠くなった知人や友人の便りが入ってくる時期なのかもしれない。
盆というものは、何かを思い出すためのものなのかもしれない。


盆も終わり、夏もそろそろ終盤戦。
夏らしいことなんてしていないな。そんなことを思った。