2022年 10月 01日
『宋書』巻97夷蛮伝 |
『三国志』では東夷は烏丸・鮮卑といった北狄と一緒にされ,『宋書』では南蛮と一緒にされてしまった.その夷蛮伝,冒頭は「南夷・西南夷」である.南夷は林邑国と扶南国が中心.西南夷は「訶羅駝国」,「呵羅単国」,「媻達国」,「闍婆婆達国」,「師子国」,「天竺迦毗黎国」.広く東南アジアからインドにかけての国ぐに.
次は東夷で,高句驪国,百済国,倭国.
そして「荊・雍州蛮」,「予州蛮」.
東夷は高句麗・百済・倭に限定されている.
東南アジアからインドにかけての非漢族は南蛮だったはずだが,ここではそれが南夷・西南夷と称されている.南蛮は,と言うと,宋の領域内の非漢族に限定されて蛮が使われるが,「南蛮」ではなく,より具体的に地名を冠した名称(「×州蛮」).江南に都を置いた南朝にとっては,「南」ではないし,「外民族」でもない.南蛮は東南アジア・インド一帯だが,国内諸地の非漢族も蛮であった.である以上,東南アジア・インドの非漢族を蛮と呼ぶことはできない.かくして「南夷・西南夷」となる.「夷」は「狄」や「戎」よりも一般的だったが,それと同時に,西方・北方の非漢族をあわせて「戎狄」と呼ぶことがあったことも一因ではないか.南朝宋の外民族は全て「夷」だったのであり,「蛮」は内民族(郡県を居住域としていた,という意味)だったということである.
by s_sekio
| 2022-10-01 13:45
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