2022年 06月 29日
「毋丘倹紀功碑」の謎 |
集安で見つかったこの碑,全体の上部だけで,しかも後半部分も欠けている.ようするに「残碑」なのである.あるいは残片と言うべきかもしれないが,なぜかタイトルに「残碑」としたものはない.「毋丘倹紀功碑」なのである.しかしどこを見ても毋丘倹の名はない.所詮残片なので,毋丘倹の名が現存部分にないのはわかるが,この碑名は毋丘倹の名があること(あったこと)を前提としているはずである.でもあるとしたらどのあたりにあったのだろう.第一~第三行のいずれかだろうが,そんな文字列が入る余裕はあるのだろうか.毋丘倹が主人公(碑主)であるのなら,彼の官職はフルに列記されていたはずである.あるいは本貫や字,さらには官歴があってもおかしくはない.しかしそんな大きなスペースの存在は想定できそうもない.そもそも本当に「毋丘倹紀功(残)碑」と命名するのが相応しいのだろうか.王頎が石碑をこの地に建立したということは『三国志』にも出ており,そして多分この碑(の残片)がそれに該当するのも疑いないが,『三国志』には,
「刻石紀功」とあるだけで,毋丘倹の功績だったかどうかはわからない.案外違っていたりして.
by s_sekio
| 2022-06-29 20:59
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