2021年 06月 11日
諸戎と夷越 |
渡邉義浩「諸葛亮の外交政策」は「隆中対」の諸戎と夷越について,「「西のかた諸戎と和」すは、涼州経由の北伐を支える戦略となり」,「「南のかた夷越を撫」すは,南征および南中統治の基本方針となった」と述べている(121頁).本文によると,「諸戎」としては氐や羌が,「夷越」としては蛮や西南夷が考えられているようである.しかしそうだろうか.この非漢族への対応は,荊・益二州の領有を前提としていることを忘れてはなるまい.このうち「諸戎」は氐を中心とした西方の非漢族だったと考えてよいだろう(氐や羌というのは正確を欠くかもしれないし,「凉州経由の北伐」というのも,実際には想定できない).しかし「夷越」は,湘江から珠江を経て南シナ海に通じるルートが「隆中対」では想定されていたとすれば蛮でも西南夷でもないだろう.そもそも「隆中対」に示された原理原則は,荊州失陥により,大幅な修正を余儀なくされたはずで,これが蜀漢の対外政策の基本になったという考え方自体に見直しが必要だろう.
by s_sekio
| 2021-06-11 17:05
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