爆笑問題・太田、障害者施設殺傷事件の犯人「意思疎通できぬ人刺した」との主張に反論「大切なのは受け取る側の感受性」
2016.09.28 (Wed)
2016年9月27日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週火 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、神奈川県相模原市で発生した、障害者施設殺傷事件の犯人が「意思疎通できぬ人刺した」と主張していたことに対し反論していた。
太田は、「施設にいる人たちは、たしかに普通の言葉を喋れないかもしれない。色んな表現ができないかもしれない。でも、彼らの周りには、彼らを大切に思って、彼らが生きていてくれなかったら困るって人、たくさんいて」「彼らがウーッって言ったときに、『これは何を表現してるんだろうか』って、一生懸命受け止めようとしてる」「本当に大切なのは受け取る側の感受性」と語り、入所者たちと介護者たちの間にコミュニケーションは存在していたはずだ、と指摘していた。
太田光:小林秀雄さんが、柳田国男さんの話をするんですね。その時に、ある柳田国男さんの、幼少期の頃の体験談っていうのがあるんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:14歳くらいの時、病弱だったもので学校も行けずに、一人ぼっちで親戚の家、山奥、茨城県かどっかの布川ってところかな。そこに預けられてるのね。
田中裕二:うん。
太田光:で、その家にいっぱい本があって。子供の頃に、本ばっかり1人でずーっと呼んで暮らしてたらしいんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:14歳くらいの時に。野山ですから。近くに洞窟みたいなところがあって。その奥に入っていったら、小さな祠があったんです。
田中裕二:ほう。
太田光:石でできたね。祠があった。そこを開けたんだって。どうしても見たくなって。祠があるっていうのは知ってて。それは、実はその家のおばあちゃんのお墓ですよね。田舎ですから。
田中裕二:うん。
太田光:その祠、開けちゃいけないって思いながらも、どうしても見たくなって、開けたときの思い出を語ってるんですよ、柳田国男がね。
田中裕二:うん。
太田光:その時に、開けたら小さな石。丸い小さな石があったんだって。蝋石で。
田中裕二:蝋石って分かるかな。よく、道端で線を描いたり。
太田光:道端ジェシカ。
田中裕二:道端ジェシカじゃないけどね。
太田光:渋谷に落書きして捕まったり。
田中裕二:蝋石ってあるんですよね。
太田光:それがね、丸くてピカピカな蝋石だったんだって。それを見たときに、なんだか分からないけど、「はぁ…」って思って、座り込んじゃった。
田中裕二:うん。
太田光:座り込んじゃって、パッて空を見上げたときに、快晴の青空に、無数の星空が見えたんだって。
田中裕二:はぁ~、昼間に。
太田光:柳田国男は、天文学の本も当時読んでたし、頭のいい人ですから。民俗学っていうのは、あの人が作ったもんですから。『遠野物語』とか、民俗学っていうのは歴史に残らない。日本の教科書や資料として残ってるものは、勝者の歴史でもあり、あるいは偉い人達のものだから。
田中裕二:うん。
太田光:でも、一般市民の間に、伝承で語り継がれてるものは、実は残ってなくて。柳田国男って人は、生涯をかけて集めた。あの人は役人でしたけどね。生涯をかけて、役人であることを利用しつつ。今でいう舛添さんみたいなものですよ。
田中裕二:全然分かんないです(笑)
太田光:要は、公費で。ほうぼうへ行ってんですよ。趣味のために。
田中裕二:うん。
太田光:で、そこでおばあさんから話を聴いたり。色んなのを集めて、それを民俗学っていう学問にした。言ってみれば、凄い人ですよ。その人が、パーッと満天の星空を見て。「おかしい。僕の考えでは、こんな昼間に星空が見えるなんておかしい」って思ったんだって。
田中裕二:うん。
太田光:そう思った瞬間に、「ピーッ!」てヒヨドリが鳴いたんだって。その瞬間、パッと我にかえったら、普通の景色に戻ってた。
田中裕二:うん。
太田光:柳田国男は、それを回想してるわけですよ。「バカバカしい話ですよ」ってもと、回想してるわけです。
田中裕二:うん。
太田光:「もしあの時、ヒヨドリが鳴かなかったら、僕は発狂してたでしょう。幸い、あの時、ヒヨドリが鳴いて、幸い、生活の苦労があったから、今、こうしてまともにいられるんです」と。
田中裕二:うん。
太田光:「生活苦があったから、今、まともにこうしていられるんです」って話を書いてる。書いてるっていうか、口述筆記なんですけどね。
田中裕二:うん。
太田光:それを小林秀雄は講演で言うわけですよ。「学問をやる人は、こういう感受性がないとやれないんです。民俗学なんてものは、こういう感受性を持ってる人じゃないと、学問なんてものはできないんです」って。
田中裕二:ああ。
太田光:つまりそれは、体系立てて、マニュアル化して、文章にしてっていう中に、その言ってみれば科学で割り切れるってものが今、主流になってるけども、そもそもは学問を作った、民俗学を作った柳田国男は、そういう感受性を持ってる。
田中裕二:うん。
太田光:「僕はね、柳田国男さんの作品は大好きだけど、その弟子のものは読みたいともなんとも思わない。それは単なる学問だから」と。
田中裕二:うん。
太田光:「学問っていうのは、そこに魂がこもってないと。学問だけでは語れないんですよ」って。
田中裕二:うん。
太田光:それと、仏教をいわゆる経典にしていくこと。経典をただただ坊主が覚えて読んだって、それはただの経典読みなんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:「そこに何かを感じて、受け取れるかどうかっていうのが、今の学問の一番足りないところなんだ。それを君たち、よく覚えておいてくれ」って、小林秀雄は言うわけですよ。
田中裕二:うん。
太田光:その時に思ったのは、人に伝えるコミュニケーションってものは、教科書通りじゃいかないっていうのと、これはシビアな話になりますけど、殺人事件があったでしょ?施設で。
田中裕二:はい。たくさんの方がね、亡くなって。
太田光:犯人の彼が…バカ野郎ですよ。それが言ってることがあって。要は、「意思の疎通ができない人間が、生きてても意味がない」って言ってるんです。
田中裕二:うん。
太田光:俺はね、それに凄く引っかかってるんです、いまだに。
田中裕二:うん。
太田光:コミュニケーションですよね。それで、僕は「意思の疎通ができないのはどっちだ?」って思ってるわけ。施設にいる人たちは、たしかに普通の言葉を喋れないかもしれない。色んな表現ができないかもしれない。
田中裕二:うん。
太田光:でも、彼らの周りには、彼らを大切に思って、彼らが生きていてくれなかったら困るって人、たくさんいて。彼らが「ウーッ」って言ったときに、「これは何を表現してるんだろうか」って、一生懸命受け止めようとしてる。つまり、小林秀雄の言うところの感受性ですよね。
田中裕二:うん。
太田光:それは、学問ではない感受性なんですよ。それを受け止めようとする人がいっぱいいる。それで、そこに伝わるものがある。つまり、コミュニケーションがとれないのは、あの犯人の方なんですよ。アイツは、色んなことを発信してるかもしれないけど、発信して「さぁ、受け取れ」って態度なんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:勘違いしがちなのは、表現っていうのは、表現の豊かさや表現のみが大切だって思うけど、そうじゃないんです。本当に大切なのは、受け取る側の感受性なんです。受け取る側に感受性を持つ人が、どれだけその人の周りにいるかってことなんです。
田中裕二:うん。
太田光:だから、自分の話を「面白い」と思って聴いてくれるくらいに、魅力的な人間であるかってことが、コミュニケーションが達者な人なんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:つまり、受け取ろうとする人が、多い人がコミュニケーションが達者な人。それはつまり、赤ん坊なんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:赤ん坊はまさに生まれて、言葉も知らない。何も言えないよ。俺は「辛かった…」とか言ったらしいけど。
田中裕二:ウソつけ(笑)
太田光:まだ、言葉の前の段階ですよね。だけど、母親っていうのは、言葉の泣き方一つで、「あ、お腹減ってんのかな?」とか、「おむつかな」とか色々思うでしょ。それは、コミュニケーションが達者なんですよ、赤ん坊の内は。というのは、受け取る側がいるから。
田中裕二:一生懸命、分かろうとするからね。
太田光:彼のことを分かろうとする人、誰もいなかったじゃないですか。あんだけ体中に入れ墨いれて表現しましたよね。ツイッターとかやって。でも、彼の言葉に耳を傾けようとする人は、1人もいなかった。1人2人いたかもしれないけど、諦めた。「コイツ、何言ってんのか」って思われて。
田中裕二:うん。
太田光:それよりも、彼が殺害した人たちの方が、よっぽどコミュニケーションしてるんです、人と。そこが僕はね、一番大事なことだと思う。
太田は、「施設にいる人たちは、たしかに普通の言葉を喋れないかもしれない。色んな表現ができないかもしれない。でも、彼らの周りには、彼らを大切に思って、彼らが生きていてくれなかったら困るって人、たくさんいて」「彼らがウーッって言ったときに、『これは何を表現してるんだろうか』って、一生懸命受け止めようとしてる」「本当に大切なのは受け取る側の感受性」と語り、入所者たちと介護者たちの間にコミュニケーションは存在していたはずだ、と指摘していた。
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太田光:小林秀雄さんが、柳田国男さんの話をするんですね。その時に、ある柳田国男さんの、幼少期の頃の体験談っていうのがあるんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:14歳くらいの時、病弱だったもので学校も行けずに、一人ぼっちで親戚の家、山奥、茨城県かどっかの布川ってところかな。そこに預けられてるのね。
田中裕二:うん。
太田光:で、その家にいっぱい本があって。子供の頃に、本ばっかり1人でずーっと呼んで暮らしてたらしいんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:14歳くらいの時に。野山ですから。近くに洞窟みたいなところがあって。その奥に入っていったら、小さな祠があったんです。
田中裕二:ほう。
太田光:石でできたね。祠があった。そこを開けたんだって。どうしても見たくなって。祠があるっていうのは知ってて。それは、実はその家のおばあちゃんのお墓ですよね。田舎ですから。
田中裕二:うん。
太田光:その祠、開けちゃいけないって思いながらも、どうしても見たくなって、開けたときの思い出を語ってるんですよ、柳田国男がね。
田中裕二:うん。
太田光:その時に、開けたら小さな石。丸い小さな石があったんだって。蝋石で。
田中裕二:蝋石って分かるかな。よく、道端で線を描いたり。
太田光:道端ジェシカ。
田中裕二:道端ジェシカじゃないけどね。
太田光:渋谷に落書きして捕まったり。
田中裕二:蝋石ってあるんですよね。
太田光:それがね、丸くてピカピカな蝋石だったんだって。それを見たときに、なんだか分からないけど、「はぁ…」って思って、座り込んじゃった。
田中裕二:うん。
太田光:座り込んじゃって、パッて空を見上げたときに、快晴の青空に、無数の星空が見えたんだって。
田中裕二:はぁ~、昼間に。
太田光:柳田国男は、天文学の本も当時読んでたし、頭のいい人ですから。民俗学っていうのは、あの人が作ったもんですから。『遠野物語』とか、民俗学っていうのは歴史に残らない。日本の教科書や資料として残ってるものは、勝者の歴史でもあり、あるいは偉い人達のものだから。
田中裕二:うん。
太田光:でも、一般市民の間に、伝承で語り継がれてるものは、実は残ってなくて。柳田国男って人は、生涯をかけて集めた。あの人は役人でしたけどね。生涯をかけて、役人であることを利用しつつ。今でいう舛添さんみたいなものですよ。
田中裕二:全然分かんないです(笑)
太田光:要は、公費で。ほうぼうへ行ってんですよ。趣味のために。
田中裕二:うん。
太田光:で、そこでおばあさんから話を聴いたり。色んなのを集めて、それを民俗学っていう学問にした。言ってみれば、凄い人ですよ。その人が、パーッと満天の星空を見て。「おかしい。僕の考えでは、こんな昼間に星空が見えるなんておかしい」って思ったんだって。
田中裕二:うん。
太田光:そう思った瞬間に、「ピーッ!」てヒヨドリが鳴いたんだって。その瞬間、パッと我にかえったら、普通の景色に戻ってた。
田中裕二:うん。
太田光:柳田国男は、それを回想してるわけですよ。「バカバカしい話ですよ」ってもと、回想してるわけです。
田中裕二:うん。
太田光:「もしあの時、ヒヨドリが鳴かなかったら、僕は発狂してたでしょう。幸い、あの時、ヒヨドリが鳴いて、幸い、生活の苦労があったから、今、こうしてまともにいられるんです」と。
田中裕二:うん。
太田光:「生活苦があったから、今、まともにこうしていられるんです」って話を書いてる。書いてるっていうか、口述筆記なんですけどね。
田中裕二:うん。
太田光:それを小林秀雄は講演で言うわけですよ。「学問をやる人は、こういう感受性がないとやれないんです。民俗学なんてものは、こういう感受性を持ってる人じゃないと、学問なんてものはできないんです」って。
田中裕二:ああ。
太田光:つまりそれは、体系立てて、マニュアル化して、文章にしてっていう中に、その言ってみれば科学で割り切れるってものが今、主流になってるけども、そもそもは学問を作った、民俗学を作った柳田国男は、そういう感受性を持ってる。
田中裕二:うん。
太田光:「僕はね、柳田国男さんの作品は大好きだけど、その弟子のものは読みたいともなんとも思わない。それは単なる学問だから」と。
田中裕二:うん。
太田光:「学問っていうのは、そこに魂がこもってないと。学問だけでは語れないんですよ」って。
田中裕二:うん。
太田光:それと、仏教をいわゆる経典にしていくこと。経典をただただ坊主が覚えて読んだって、それはただの経典読みなんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:「そこに何かを感じて、受け取れるかどうかっていうのが、今の学問の一番足りないところなんだ。それを君たち、よく覚えておいてくれ」って、小林秀雄は言うわけですよ。
田中裕二:うん。
太田光:その時に思ったのは、人に伝えるコミュニケーションってものは、教科書通りじゃいかないっていうのと、これはシビアな話になりますけど、殺人事件があったでしょ?施設で。
田中裕二:はい。たくさんの方がね、亡くなって。
太田光:犯人の彼が…バカ野郎ですよ。それが言ってることがあって。要は、「意思の疎通ができない人間が、生きてても意味がない」って言ってるんです。
田中裕二:うん。
太田光:俺はね、それに凄く引っかかってるんです、いまだに。
田中裕二:うん。
太田光:コミュニケーションですよね。それで、僕は「意思の疎通ができないのはどっちだ?」って思ってるわけ。施設にいる人たちは、たしかに普通の言葉を喋れないかもしれない。色んな表現ができないかもしれない。
田中裕二:うん。
太田光:でも、彼らの周りには、彼らを大切に思って、彼らが生きていてくれなかったら困るって人、たくさんいて。彼らが「ウーッ」って言ったときに、「これは何を表現してるんだろうか」って、一生懸命受け止めようとしてる。つまり、小林秀雄の言うところの感受性ですよね。
田中裕二:うん。
太田光:それは、学問ではない感受性なんですよ。それを受け止めようとする人がいっぱいいる。それで、そこに伝わるものがある。つまり、コミュニケーションがとれないのは、あの犯人の方なんですよ。アイツは、色んなことを発信してるかもしれないけど、発信して「さぁ、受け取れ」って態度なんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:勘違いしがちなのは、表現っていうのは、表現の豊かさや表現のみが大切だって思うけど、そうじゃないんです。本当に大切なのは、受け取る側の感受性なんです。受け取る側に感受性を持つ人が、どれだけその人の周りにいるかってことなんです。
田中裕二:うん。
太田光:だから、自分の話を「面白い」と思って聴いてくれるくらいに、魅力的な人間であるかってことが、コミュニケーションが達者な人なんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:つまり、受け取ろうとする人が、多い人がコミュニケーションが達者な人。それはつまり、赤ん坊なんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:赤ん坊はまさに生まれて、言葉も知らない。何も言えないよ。俺は「辛かった…」とか言ったらしいけど。
田中裕二:ウソつけ(笑)
太田光:まだ、言葉の前の段階ですよね。だけど、母親っていうのは、言葉の泣き方一つで、「あ、お腹減ってんのかな?」とか、「おむつかな」とか色々思うでしょ。それは、コミュニケーションが達者なんですよ、赤ん坊の内は。というのは、受け取る側がいるから。
田中裕二:一生懸命、分かろうとするからね。
太田光:彼のことを分かろうとする人、誰もいなかったじゃないですか。あんだけ体中に入れ墨いれて表現しましたよね。ツイッターとかやって。でも、彼の言葉に耳を傾けようとする人は、1人もいなかった。1人2人いたかもしれないけど、諦めた。「コイツ、何言ってんのか」って思われて。
田中裕二:うん。
太田光:それよりも、彼が殺害した人たちの方が、よっぽどコミュニケーションしてるんです、人と。そこが僕はね、一番大事なことだと思う。
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