左を誹謗しないと主張できないような右の主張には魅力を感じない。

「<漫画「日露戦争物語」の真相>なぜ日本では自分の意見を作品にすると批難されるのか?」と江川達也氏が言っている件。
別に作品にしたから非難されるわけではなく、「自分の意見」に対して非難されているのだろうと思うんですけどね。
さらに言えば別に右左に関係なく、おそらくは「日本では」ということもなく、自分の意見を表明した場合はそれに対する批判は当然あるでしょうし、非難だってついて回るでしょう。
実際こういう意見は非難されても仕方ないんじゃないですかね。

最近、小学館の一部も右傾化しているが、左翼が偽右翼のふりをしているような気がする。まあ、その左翼も言ってしまえば、偽左翼な気もする。

http://mediagong.jp/?p=9927

右傾化しているのは「左翼が偽右翼のふりをしている」せいであり、「その左翼も言ってしまえば、偽左翼」と言っているわけですが、その解釈だと右翼は存在しないことになりますよね。世の中には「偽左翼」しか存在しないことになってしまいます。ひどく歪んだ認識ですね。

小学館で歴史漫画を描くのは向かい風で進む帆船のようなものだ。中国や朝鮮の捏造情報を一生懸命描く漫画家が権勢を誇っている出版社だった。

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この手の論者に多く見られる傾向ですけど「中国や朝鮮の捏造情報」に過剰なまでに敏感な一方で、日本の捏造情報には極めて鈍感なんですよね。結構あるんですよ。

「八紘一宇」って天皇制を否定する主張なの?違うよね?

江川氏が「八紘一宇」を擁護しててゲンナリなんですけど。

そう、日本には自分の意見を作品にすると、必ず沢山の人々からの批難に晒される。特に「八紘一宇」という素晴らしい言葉と行為を表現すると鬼畜扱いしてくる凶暴なる無知の集団が存在する。
「八紘一宇」とは、大雑把に言って「人類は、お互い差別せずに仲良くしよう」という意味なのだが、凶暴なる無知の集団にかかってしまうと、「殺戮と収奪の合い言葉」になってしまう。頭がどうかしてるとしか思えない。ぶっちゃけて言うと、その凶暴なる無知の集団とは、左翼のインテリ集団とかなり重なっている。
こういう凶暴な集団から逃げずに作品を作り続けるのはかなりのパワーと編集部の協力と読者の後押しが必要なのだ。
だから小学館より講談社の方が「西洋列強からの有色人種の奴隷化に抗して昭和20年まで人類の平等共存平和(八紘一宇)のために戦って来た日本人の戦いの歴史を俯瞰で捉える漫画」を連載するのに適している、と筆者は判断していた。

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「「八紘一宇」とは、大雑把に言って「人類は、お互い差別せずに仲良くしよう」という意味」なら、天皇制は否定されるべきですよね。皇族という明らかに異質な身分制度に触れずに「人類の平等共存平和(八紘一宇)」とか言われてもねぇ。
天皇の御稜威の下で大和民族が各民族を平等に善導する世界、を理想とするなら「「八紘一宇」という素晴らしい言葉」と言っていいでしょうし、そういう理想を持つこと自体は自由ですし、その理想を作品で表現することもまあ許容されるべきではあるでしょう。
しかし、それに対する批判もまた自由であるわけですから、自分と理想を共有しないからと言って「偽左翼」だの「中国や朝鮮の捏造情報を一生懸命描く漫画家」だの「凶暴なる無知の集団」だのと中傷するやり方は、特に表現者としてどうかなぁ、とは思いますね。

追記的な

ところで個人的には漫画家がこういったウヨ思想に染まる原因として、表現規制に対する反発があるのかなぁ、と思ってます。
表現規制=左翼→左翼を攻撃する右翼に対する親近感→右翼の捏造情報に染まる、と言った感じで、内的世界が形成されていったのかなと。その辺、小林よしのり氏とかと共通するところがあるのかも知れませんね。どちらもPTAを敵に回しそうな漫画を描いていたわけですし。