「死ねばいいのに」タグに関する雑感

ハテブでは「死ねばいいのに」タグを使っている人が結構いますが、「死ね」とか「殺す」とかではないので殺意表明ではないのでしょうけど、明らかに呪詛なので止めた方がいいと思います。百歩譲って責任のある公人に対してならまあ使用するのも理解できないではないんですけども、私人に対しては本当にやめてほしいです。

「死ねばいいのに」タグを使っている人は、その対象者が本当に死んだら嬉しいんですか?

ネットで炎上した地方議員が自殺したことがありましたが、あの時炎上行為に参加した人たちは当人が自殺したニュースを聞いて喜んだんですかね?悔やんだなら人間的、喜んだのなら異常ですが、おそらくほとんどの人はさっさと忘れて呪詛をぶつける別の対象者を探し始めただけでしょうけど。

上で「百歩譲って責任のある公人に対してなら」と言いましたが、その理由の一つは公人であれば自殺などした場合ニュースで知ることができるからです。「死ねばいいのに」という呪詛を投げつけられて自殺したのが私人ならニュースにもならず、呪詛を投げつけた当人は自身の行為の結果を知る機会すらありません。それはきっと当人のためにもならないでしょう。


これは個人的な感情ですが、ネットで「死ねばいいのに」とかそれに類する発言を見るたびにその矛先が誰であれ嫌な気分になります。
自戒を込めて。