ミャンマー軍事政権政府軍によるカレン民族同盟への攻撃(1995年2月)


2003年1月31日の菅原秀氏による記事。

95年2月、ビルマ軍はタイとビルマの国境にあったカレン民族同盟(KNU)の要塞ワンカー(コームラ)基地を攻撃したことがある。ビルマ軍は最初のうちは通常火器を使用して攻撃していたが、要塞が堅固でビクともしなかった。困り果てたビルマ軍は中国人教官たちに応援を頼み、白燐弾など数種の化学兵器を投入して攻撃に転じた。カレン軍兵士たちは、これら化学兵器によって皮膚が焼けただれ、目を開けることもできずに塹壕から這い出して基地を放棄するしかなかった。その時、カレン軍が持っていたウォーキー・トーキーが「点火できないぞ、早く中国人を呼べ」など、大勢の中国軍人が関与していたことを示すおびただしい交信を傍受している。

http://www.burmainfo.org/analyse/schu-china20030131.html


1995年2月というのは、ミャンマー軍事政権が中国の支援を受けて、国内反政府勢力に攻勢をかけた*1時期。

2005年のRAIによるファルージャ報道以前に、白燐弾を化学兵器とみなす論調はあったわけですな。
ちなみに化学兵器禁止条約的には、ミャンマー軍事政権側が”暴動鎮圧”と主張した場合、仮に条約加盟していたとしても禁止対象外と強弁することもできるはず*2。





英文ではこんな報道があった。

KARENS GIVE UP KAWMOORAH

On 21 Feb, the Karen National Union evacuated its second base on the Thai-Burmese border following an intense artillery bombardment. Initial reports indicate that SLORC troops may have used some type of chemical weapons. Three or four different types are described by the Karens. Not all chemical weapons are banned by the Geneva Convention. Blood, urine and fabric samples from Kawmoorah have been sent for analysis to determine whether SLORC violated the Geneva Convention. Possible agents used could include an obscurant smoke, an incapacitant, white phosphorus, and some type of blister agent. Several western governments have expressed interest given earlier reports in 1993-4 of suspected SLORC use of biological or chemical agents against the Karens. Kawmoorah had been under seige since early December when SLORC launched its current military offensive against the Karens and the democracy movement. The Maerplaw headquarters of the KNU and the democracy movement, were similarly abandoned in Jan.95 [F950302, KHRG/Net950227].

http://www.ibiblio.org/pub/academic/political-science/freeburma/ba/1995/ba0395.html

KAWMOORAH攻防戦で、ビルマ軍が何種類かの化学兵器を使ったようだ。カレン軍兵士はその種類を三つ四つを挙げているが、全てがジュネーヴ条約で規制されているわけではない。ビルマ軍が条約違反していないかを調べるために、血液サンプルなどを送った。使用されたと考えうる薬剤は、煙幕剤、無能力化剤、白燐、糜爛剤。いくつかの西側諸国は、ビルマ軍によるカレン軍に対する生物化学兵器使用の疑いを示した1993年〜1994年の報告に興味を持っている。KAWMOORAHは、ビルマ軍が現在に続くカレン軍と民主化に対する軍事攻勢を開始した12月初頭から包囲されていた。カレン民族同盟と民主化運動のManerplaw本部もまた1995年1月に解散させられた。

実際に白燐弾だったかどうかはこの記事から判断できないが、白燐弾をただの煙幕とみなしてはいないようだ。

*1:必ずしも武力行使のみではないが

*2:実際にはミャンマーは条約に署名しているが批准加盟していない。(2009/5/25コメント指摘に基き訂正)