「性」一語の辞典
絶版だけど、古書なり図書館なりで入手してみると吉。
濃いーのよー。
日本で〈同性愛〉という語が登場するのは1920年頃である。それ以前は〈男色〉や〈衆道 しゅどう〉などと呼ばれていたが、それは、現代のように、普通と異なる性欲から生じるものとは考えられていなかった。
同性愛以前の男色は、明治になってからも続いた。
明治30年代まで学生たちの間で男色が流行っていたが、その行為も普通と異なる性欲によるものとは考えられておらず、隠すべきアイデンティティとはされていなかった。
ニューギニアのベダムニという社会では、少年の成長を促すために精液を体に塗る以外に、豚を大きくするために人間の精液を塗るという。
おのれの中の相対主義を涵養するならまだしも、狭い個人の欲望で小躍りするだけの異文化に対する失礼な表現は嫌いです
Blood and semen : kinship systems of Highland New Guinea
The Sambia Tribe
『Ritualized Homosexuality in Melanesia』
┗ 『同性愛のカルチャー研究』 のギルバート・ハート編
女の処じょ喪失に関する自己決定の際のキーワードとなったのが、明治期に日本に新しく翻訳語として導入された〈恋愛〉であった。
「愛しているから処じょを捨てる」というような語りは、この時代に作られたと言ってよい。
〈恋愛〉という語は、1890年代に、巌本善治の『女学雑誌』によって流行した翻訳語である。
明治期の流行において、恋愛は、なによりもまず前時代の〈色事〉から区別することで理想化された。
男の子たちの精液の飛ばし合いっこは、子どものごくふつうの遊びだった。
性器による行為が何でも「性」の領域の問題とされるようになったのは18世紀から19世紀にかけてのことである。
飛ばし合いっこは昭和20~30年代に行われていた(静岡県)と当事者から証言をいただいておりました(その方は数年前にお亡くなりに)。
— 南極 獅子 (@antarcticlion) 2019年4月6日
木の上に数人並んで座って飛ばし合ったと聞いています。 https://t.co/xxwCpPCc79
処じょ性というと、いつの世にもある男の願望と思われがちだが、処じょに特別の価値をおかない文化も多い。
日本でも民衆レベルでは、若者宿での性交渉が禁じられた明治以降も、ほとんどの女性が婚前に性体験をしていた。
性に自己の存在証明や人格といった絶対的価値を与えているからこそ、相手の意志を無視した強力ンが「最大の侮辱」となる。
強力ンを「女の人格を否定する最大の侮辱」とするほど、むしろ強力ンの力を支持してしまうだろう。
名前忘れたけど、ある国ではレイプが重大な犯罪という意識が一般になくて、だから女性の方でも汚されたと思わないし、女性の社会的価値も下がらないし、セカンドレイプも起こらないという論文があったな…それ思い出した>「性」一語の辞典 http://t.co/jnpsNog8vA
— とり (@ToLi_Torey) October 19, 2013
『「性」 一語の辞典』
小田亮
三省堂
文化人類学系の 小田亮 おだまこと
人類学・動物学の小田亮 おだあきら
まぎらわしいですが、当該書は「小田亮 おだまこと」先生の著作です。
小田亮『一語の辞典 性』はとても読みやすくて、面白いです。(教えてくださった方、ありがとうございます。)フーコーが読みたくなります。
— きのみ (@KinoMitsuhiro) 2012, 5月 20
『ミニ特集:日本の性習俗、男色文化』
『ミニ特集:ヒト生殖行動や恋愛の歴史』
『ミニ特集:強姦を考える』
『ミニ特集:日本のジェンダー・性科学の本』
『ミニ特集:『ことばとジェンダー』の中村桃子』
『ミニ特集:ジェンダーな社会系の本』