革命の原点

 最近TVはほとんど見ないのだが、先日たまたまNHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」というのを見た。今更なのかもしれないが、なんだかな、という内容だった。タイトルは「毛沢東 革命と独裁」、「毛沢東の革命の原点と独裁への道のりを見つめる」というのだが、結局は毛沢東がいかにとんでもない独裁者だったかを強調して終わり*1。「革命の原点」はどこにも描かれていなかった。あるいは「革命の原点は独裁だった」とか、「革命は独裁」と言いたいのだろう。
 イントロは、毛沢東の秘書だったが後に追放され文革の時期は投獄されていた李鋭の日記が死後アメリカの大学に収蔵されたが、妻が突然所有権を主張し返還をもとめ裁判を起こした事件の説明。返還要求の背後には中国政府の意向が働いているのではないかというわけだ。「毛沢東は暴力的な大衆運動を高度に発展させ、闘争に明け暮れた。完全に自由・民主・科学・法治、という普遍的価値に反する」という李鋭の日記の一節の朗読。そして、現在中国で毛沢東崇拝が復活しつつあり、習近平が自分を毛沢東に重ね合わせていることへの警戒感を煽る。
 一応前半では革命家毛沢東を描き、後半では、独裁者となっていった毛沢東を描く、というような構成になっていた。ただ、前半の革命家の部分の描写は薄く、番組の力点は、後半の独裁者の部分に置かれていた。45分番組の時間配分を見ても、イントロの5分を除けば、初登場が1921年の中国共産党結成で、1949年中華人民共和国が成立し56歳で毛沢東が権力をにぎるまでは10分程度。全体の3分の1もない。
 ちなみに、藤子不二雄Ⓐが1970〜71年に執筆した名作『劇画毛沢東伝』のラストシーンは1949年の中華人民共和国成立の場面。その意味では、『劇画毛沢東伝』は革命を描き独裁を描いていないが「映像の世紀」は逆に独裁を描き革命を描いていないとも言える。ただし、藤子は、後にそのことを自覚し、2003年に同書が復刊されたときのあとがきでこう書いている。

 毛沢東の一生は、中華人民共和国の建国までと、それ以後の二期に分けられると思う。
 ぼくが描いたのはその前期である。この間は毛沢東にとって、波乱と苦難に満ちた時期ではあったが、”中華人民共和国の建国”という大きな夢とロマンがあった。そして、その頃の毛沢東はパワーあふれる革命の戦士であると同時に、志の高いロマンチスト、ヒューマニストでもあったと思う。しかし、建国後の毛沢東は、7億の人民を統治する大指導者として、ロマンを捨てた国家内闘争の道へと進まなければならなかった。文化大革命など、その最たるものだろう。ここに毛沢東の悲劇を見る。しかし、いずれにせよ毛沢東は今世紀、最大のヒーローには違いないだろう。*2

 一方、「映像の世紀」の前半部分で、革命の理念や、革命家としての毛沢東の魅力の描写は薄い。ネガティブなイメージは冒頭からで、1921年の中国共産党結成の際、他のメンバーはみなインテリだったが、垢抜けない目立たない存在だった、とし「毛沢東は破れた布靴と荒布の上着を着ていた」「彼のマルクス主義に関する理解は乏しく田舎臭さが抜けない」などという共産党創立メンバーの言葉が紹介されている。しかし、毛沢東は湖南省の師範学校を卒業しており、恩師のつてで北京の図書館で短期間働いた後、故郷に帰って教員をしていたのであり、中国共産党結成のころは校長をしていたはずだ。ナレーションとはだいぶ印象が違う。確かに北京の図書館時代は田舎者と馬鹿にされていたようだが、番組では当時の毛沢東がなぜ共産党結成に参加したかという背景は一切描かれないので、視聴者は「馬鹿にされていた冴えない田舎者のインテリへの敵視が暴力的な大衆運動につながった」という見方に誘導される。
 前半で毛沢東のポジティブな部分として描かれているのは、軍事戦略家として優れていた所、ぐらいかもしれない。「毛沢東は長征の過程で軍事指導者として頭角をあらわした」などと言われる。そして、1936年延安で毛沢東と出会ったエドガー・スノーによる著作によって毛沢東は世界に知られるようになり、「人々は革命のロマンチシズムを抱いた」と。しかし、結局「革命の原点」が描かれていないため、ここで言われている「ロマン」も、藤子不二雄Ⓐが言う高い志に裏付けられた「ロマン」ではなく、革命の負の側面を覆い隠す、現実離れした空想・理想、というニュアンスを感じさせるものになっている。
 長征終了の後、1937年の7月7日、盧溝橋事件を機に日本は日中全面戦争に突入し、中国への侵略戦争を本格化さた。しかし「映像の世紀」では、日中戦争に関する描写はほとんどなかった(もちろん意外性はないが)*3。日中戦争については「このころ日本軍が中国に軍事侵攻してくると共産党と国民党は手を結び共通の敵と闘った」「農民を組織した毛沢東はゲリラ線を展開した」「地の利を活かし強力な日本軍に抵抗し続けた」という説明のみ。日本軍を丘の上から襲う八路軍の映像が挟まれるのだが、そのBGMはおどろおどろしいものだ。言うまでもないが、日本軍は日中戦争において、約20万人が殺された南京大虐殺の他、重慶などの都市の空爆で市民を虐殺し、また抗日ゲリラに対する掃討作戦の中で、殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす、という「三光作戦」により、殺人、略奪、暴行などをほしいままにした。その中で七三一部隊による人体実験や生体解剖が行われ、化学兵器や細菌兵器も用いられた。殺された1000万人以上の中国人の大多数は農民だ。全体的に、この番組では日本と中国の関わりがほとんど描かれない。
 番組ではその後、延安に日本軍と戦いたい若者(その中に李鋭もいた)が続々と集まってくる、という描写。このころの李鋭は毛沢東を尊敬していたという。ここでは、最初はインテリに馬鹿にされていた冴えない若者だったはずの毛沢東が「文学の素養があり識字率が低い当時の人々の尊敬を集めた」とか「字が上手く人民日報の題字が毛沢東のものだった」などと言われている。結局、この番組で、軍人として優れていたという点以外で毛沢東の長所として描かれているのはこれだけかもしれない。
 そして、1945年の日本敗戦。番組では日本軍の「降伏式」の映像が流れ、国共内戦の描写に移っていく。「国民党軍を倒すための秘策は農民の支持を集めることだった」「共産党は地主に虐げられてきた農民を組織し地主を批判する集会を各地で開いた」とナレーション。映像は、後ろ手で縛られた弱々しく見える地主が、屈強な農民たちに囲まれて罵倒され、小突かれている場面。その他、「地主の持つ土地を奪い農民に分け与えた。これを「土地改革」と呼んだ」などというナレーションもあったが、これでは、まるで地主は「奪われる」側であるようだ。つまり、この番組では「暴力的な大衆運動」は印象的に描写されるのだが、一方、気の遠くなるほど長い間農民を虐げていた地主の暴力が描かれることはない。ここが『劇画毛沢東伝』と根本的に違うところだ。以下のシーンはマルクス主義を知る以前の毛沢東が地主の暴力を目の当たりにして怒りを燃やすシーンだが、「革命の原点」というならこれこそがそうだろう。しかしそれは「映像の世紀」では全く描かれない。

藤子不二雄A『劇画毛沢東伝』(小学館藤子不二雄Aデジタルコレクション、18頁)
藤子不二雄A『劇画毛沢東伝』(小学館藤子不二雄Aデジタルコレクション、18頁)
藤子不二雄A『劇画毛沢東伝』(小学館藤子不二雄Aデジタルコレクション、28頁)
藤子不二雄A『劇画毛沢東伝』(小学館藤子不二雄Aデジタルコレクション、28頁)

 
 そして、1949年に共産党は国民党に勝利し、中華人民共和国が成立する。人民解放軍が北京に無血入城するカラー映像が流れるが、これはソ連の協力で後に撮影されたヤラセだった、という説明がわざわざ入る。毛沢東は当初穏健な政権運営を行っていたが次第に過激な独裁者となっていく、という描写。1950年代後半は反右派闘争で共産党を批判した知識人を追放。労働者が、共産党批判した大学教授を糾弾する集会の映像。「右派のレッテルを貼られたものは55万人」「知識人や共産党以外の民主派は口を閉ざし共産党にひたすら追随するようになった」とのナレーション。うなだれて手が震えている知識人、手錠をかけられ鉄格子の向こうの建物に入れられる男たちの映像。
 番組冒頭で出てきた李鋭が毛沢東の秘書となったのはこのころ(1958年)。彼は中南海に出入りを許されるようになる。番組では、当時を回想する李鋭の肉声が流れる。彼は、毛沢東ら党幹部が、超高級料理である「熊の掌」などを食べて贅沢な生活を送っていたのを目撃したという。「毛沢東は長征時代からずっと特別待遇だった」。熊の掌の調理の映像が流れるが、これはどう考えても参考映像だがその説明はむろん無い。
 そして、大躍進政策、その失敗の後の失脚、文化大革命での復権、という流れ。文革の時代、毛沢東思想の波は国境を超え、変革を求める先進国の若者の心を捉えた、というシーンの最後に流れるのが、日本の70年安保の映像と、坂本龍一の「千のナイフ」の冒頭で流れる(ヴォコーダーを通した)毛沢東の詩の朗読。「毛沢東ブームは日本のミュージシャンにも及んでいた」と。しかし「千のナイフ」の発表は毛沢東の死と文革の終結より後の1978年なのだが。その後は、「しかし世界は文革の実態について知らなかった」というナレーションに続いて、「暴力的な大衆運動」の映像の連続。
 番組の最後は、再び近年の中国での毛沢東ブームと習近平の毛沢東再評価について。そして李鋭をめぐる裁判についてだ。李鋭は2019年101歳で死去するが、その葬儀をNHKのクルーが取材しようとする。しかし、中国政府の関係者らしき人に葬儀場に入ることを拒否され、乱暴な言葉で追い返される映像が流れる。これにはまったく呆れてしまった。2019年といえば、安倍晋三の街頭演説でヤジを飛ばした市民が警察に排除された年だが、NHKはといえば、岩田明子という解説委員をはじめ、アベノミクスとやらの実態のない「ロマン」を煽り立てながら、安倍晋三を異様なほど持ち上げていた時期だったはずだ。
 番組視聴後、Xで検索して評判を覗いてみたが、予想通り「NHKにしては良かった」のような高評価のコメントが多かった。ナチスやヒトラーのネガティブな描写には必ず出てくる例のもの、すなわち「毛沢東はいいこともした」のようなコメントは見つけることはできなかった。

*1:以前「映像の世紀バタフライエフェクト」のビリー・ホリデーの回も観たが、こちらは良かったと思う。

*2:この後「最後にこの「劇画 毛沢東伝」復刻版に解説を書いてくださった呉智英氏に感謝します。」との謝辞がある。出た!また呉智英か…。私が読んだkindle版にはその解説は収録されていないのだが、まあ読まなくてもだいたいどんなことが書いてあるか予想がつく。

*3:ただ、これに関しては『劇画毛沢東伝』も同じ、いやもっとひどく、日中戦争の描写は一切ない。

鈴木道彦さん

 鈴木道彦さんが亡くなった。
 Xでリツイートされたので、2004年のブログ記事で引用した鈴木道彦さんの文章をあらためて引用しておく。

金(嬉老)は日本人を人質にして国家権力と対峙した。つまりわれわれは人質だ。そして人質になるとは不当であり、不幸なことだとわれわれは考える(……)。それはすでにわれわれが、日本人として、国家を己のうちに無意識にしのびこませている証拠である。(……)われわれがまず第一に明らかにしなければならぬのは(つまり「意識化」せねばならぬのは)、この集団的無意識であり、己の内部にくいこむ国家である。そしてそれを意識化する方法がただ一つしかないことは、ファノンの例でも明らかだ。すなわち金嬉老の告発した日本の国家権力に、われわれの立場から激しい告発を対置させることだ。私の考える民族の責任という課題も、この長く苦しい闘いによってしかとりようのないものであり、またこの闘いのみがわれわれを差別から解放する端緒だろう。それというのも差別することを受け入れるとは、差別されることにほかならないからである。
(鈴木道彦「橋をわがものにする思想」、フランツ・ファノン著作集3『地に呪われたるもの』、みすず書房、213-4頁。)

われわれは人質だ - 猿虎日記


あとは、『サルトル読本』(法政大学出版局、2015年)の拙論で引用した(156頁)この言葉も。

 サルトル来日中の一九六六年一〇月に、 サルトル、ボーヴォワール、平井啓之、鈴木道彦、海老坂武、白井浩司が参加して行われた座談会「私の文学と 思想」(『文芸』一九六六年一二月号に掲載された)において、鈴木道彦はこう発言している。「ご承知のようにサルトルさんの日本における影響は大きく、読者も多ければ研究家を自称する者も少なくありません。しかしおよ そサルトルさんの方向と異なって、体制内存在に陥っている者の多いのが私には残念です。[・・・] サルトルさんの作品は、日本と世界の将来の変革や平和のことを真剣に考える者のためにあるのであって、のうのうと消費の文学に固執したり、政治など糞くらえといった態度を示す 者のためにある作品ではないと信じています。これは絶対に、闘っている者のためにある作品です。」(日高六郎、平井啓之他『サルトルとの対話』、人文書院、一九六七年、六七頁)。

 また、鈴木道彦さんについてこのことに言及している人がいない。
 1967年10月8日の羽田闘争で、18歳の大学生山崎博昭が死亡した。警察は、山崎が「仲間の運転する警備車に轢かれて死んだ」と発表した。デモに参加していた海老坂武は、学生たちを警棒で滅多打ちにする機動隊の暴力を目撃している(『竹内芳郎 その思想と時代』50頁)。にも関わらず、マスコミは警察発表をそのまま垂れ流し「暴力学生」を非難する報道を行った。鈴木道彦と竹内芳郎は、そうしたマスコミの報道姿勢を糾弾し、1968年2月「朝日新聞への公開状」を雑誌「展望」に掲載した。
 鈴木道彦さんはそのことについて『竹内芳郎 その思想と時代』(閏月社、2023年)でこのように書いている。

「不偏不党」と「公正中立」の名のもとに、警察の流す情報のみを唯一の真実のように垂れ流すマスメディアこそ、読者から事実を知る権利を奪い取る「暴力」の名にふさわしいものであることを主張した。これはいくらか勇気を必要とする発言だった。というのも、メディアは「暴力学生」非難の声一色で、文字通りそれは「大合唱」になっており、それに疑問を抱くことは許されないような雰囲気が支配的だったからだ。こうしたメディアの報道に疑問を表明する者は、「暴力学生」の支持者・同調者として、これにも厳しいバッシングが浴びせられることは覚悟しなければならなかった。(『竹内芳郎 その思想と時代』19頁)

 

アニメと反戦(6)『攻殻機動隊』

アニメと反戦(1)『機動戦士ガンダム』1 - 猿虎日記
アニメと反戦(2)『機動戦士ガンダム』2 - 猿虎日記
アニメと反戦(3)『超時空要塞マクロス』 - 猿虎日記
アニメと反戦(4)『宇宙戦艦ヤマト』 - 猿虎日記
アニメと反戦(5)『カウボーイ・ビバップ』 - 猿虎日記

 アニメの『攻殻機動隊』シリーズで草薙素子役をされていた田中敦子さんが亡くなったそうだ。そのことを話題にするSNSの中に以下の記事を紹介するものがあった。

note.com

 アニメ『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』(2002〜2003年)(以下『攻殻SAC』と略)の冒頭で草薙素子が言う「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ。それも嫌なら・・・」という有名なセリフは、SNSなどで大抵「世の中に不満を言わずに受け入れろ」と引用されてしまっているけれど、

しかしながら、本来、このセリフは物語全体で否定されるべきテーゼとして提示されており、そのまま文字通りの意味で引用してしまっては作品の読解として間違いです。

 なるほど。興味深い。細かいことだが、この記事で紹介されている『攻殻SAC』の「笑い男」のロゴに入っている「I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes」という語句は、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』からの引用らしいが、この記事やwikipediaの「笑い男」の項目などでその翻訳とされている「耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」は、草薙素子のセリフに寄せてるのではないか。原文は「deaf-mutes」だから「目を閉じ」は入ってない。要するに日本語は「見ざる聞かざる言わざる」だが、英文は「聞かざる言わざる」のみ。『ライ麦畑』の翻訳で当該箇所は確認していないが、たぶん違うのではないか*1。
 それはともかく、問題の「世の中に不満があるなら自分を変えろ〜」という草薙素子のセリフだが、あれはたしかマンガ版の原作(1989年)でも出てきたのではなかったか…と思って原作マンガを引っ張り出して見てみたらそんなセリフはない。勘違いだったようだ。そういう勘違いをする人が多いということを加野瀬未友氏が指摘していた。


 すいません、私もでした。しかしとにかく、上の加野瀬氏のポストの引用で藤田直哉氏も言っているように、『攻殻SAC』のあのセリフを文字通りの意味に受け取るのは間違いだというのは確かだろう。『攻殻機動隊』のハリウッド実写映画版については以前このブログで書いたが(ニッポン・イン・ザ・シェル - 猿虎日記)そこでも書いたように実は私は『攻殻SAC』にはあまり惹かれず、途中で観るのをやめてしまっている。しかし今回いろいろ調べて俄然興味がわいてきたので、近い内に改めて最後まで観てみることにしよう*2。
 さて、原作漫画(第一巻)に「世の中に不満があるなら〜」のセリフがないのは確かだが、しかし、似たようなセリフがあることも事実。一番有名なのはこれ。

何が望みだ?俗悪メディアに洗脳されながら種(ギム)をまかずに実(フクシ)を食べる事か?興進国を犠牲にして
(士郎正宗『攻殻機動隊』講談社ヤングマガジンKCDX、41ページ)(士郎正宗『攻殻機動隊』講談社ヤングマガジンKCDX、41ページ)]

原作漫画『攻殻機動隊』のコマ「(素子)何が望みだ?俗悪メディアに洗脳されながら種(ギム)をまかずに実(フクシ)を食べる事か?興進国を犠牲にして」
 「マスゴミ」とか「ナマポ」とか言っている人々がいかにも喜びそうなセリフではないか。つまり原作の作者って、『攻殻SAC』の件のセリフを「世の中に不満を言わずに受け入れろ」と解釈してる連中と同じような人、というかその元祖みたいな人なのではなかったのかな。と思っていたら、こんな匿名の意見を見つけた。

45. ハンJ名無しさん
2024年02月24日 08:16
神谷監督の攻殻(注:『攻殻SAC』のこと)は確かにリベラルっぽいな。2ndGIGでは難民問題が起こったらとか、電脳に感染する排外思想のウイルスやPKO派遣...現実感があって真面目な設定を取り上げてたと思う。

押井守は原作ブレイカーだが、原作のイメージのままだったらここまで続くコンテンツにならなかったかもしれない。TV版にも影響を与えた劇場版2作の功績は大きい。

原作者の士郎正宗が一番何も考えてなかったと思う。才はあったけど、エロとメカが描きたいだけの右寄りのノンポリオタクという感じか。

「何が望みだ?
俗悪メディアに洗脳されながら種(ギム)をまかずに実(フクシ)を食べる事か?」

原作で素子が口にするこのセリフも作者の不勉強さが見えてかなり香ばしい...
nanyade.livedoor.blog

 上の人も「才はあった」と言っているが、原作は、もちろんSFマンガとしては抜群に面白いし絵もかっこいい。ただ、今回読み直してみて、セリフなどから見え隠れする作者の政治的なスタンスが(現代の日本のマンガ・アニメ作者にまったく珍しくはないものだが)「右寄りのノンポリオタク」だ、というのはまあそんなに外れてはいないのではないだろうか、と思った。
 原作のマンガ版『攻殻機動隊』の特徴の一つが、欄外に小さい文字でびっしり書かれた「脚注」というか「解説」だ。例えばこういうもの。

マンガ『攻殻機動隊』の欄外の科学解説

 欄外の「解説」というと、白土三平を思い出す。例えば、『カムイ伝』(1964〜1971年)の第一巻から適当に拾い出してみよう。

白土三平『カムイ伝』の欄外解説

 これは生物学を背景にした記述だが、白土三平の場合、こうした自然科学系の解説だけではなく、歴史や政治に関する解説が大量に付されている。

白土三平『カムイ伝』の欄外解説

 そしてこの「解説」は、単なる歴史的事実に関する「豆知識」とか「うんちく」ではなく、周知のようにマルクス主義を背景にした体系的な史観に基づいていた。

白土三平『カムイ伝』の欄外解説

 一方、『カムイ伝』の20年後に書かれたマンガ版『攻殻機動隊』も、SF的科学的解説と同時に、作品世界の社会構造や政治に関する「解説」がある。たとえばこういうもの。

『攻殻機動隊』欄外解説

 しかし、『カムイ伝』と違って、それらの解説の背景にあるのは、唯物史観などではではもちろんない。では何があるかというと、結局は、この連載でずっと取り上げてきた、例の「左翼フォビア」「社会運動フォビア」なのである(上のにもあるが、これらの「解説」ではしばしば「嫌い」という言葉が出てくるのは象徴的だ)。といっても、このマンガでは政府や大企業などの「体制側」も悪役として出てくる。でもその一方で、「反体制的」なものもやっぱり一貫して悪役なのである。信じられるのは「個人」と仲間の警察官。しかも、個人が依拠するのは、思想でも宗教でもない、「力」、そして「ゴーストの囁き」だ、というわけだ。
 加野瀬氏が紹介していたこちらのブログ記事(草薙素子とはどんな人間だったのか─原作素子とSAC素子の差異 : 戦争だ、90年代に戻してやる)の筆者は「攻殻SACが嫌い」だ、と言い、次のように書いている。

SAC素子の属する世界は単純です。

いち政治家が大規模な企業テロや不正な株価操作を試み、軍や警察でさえも不思議な力で自分の私兵にしてしまい、私的犯罪の証拠隠滅や証人の殺害に加担させられる。それがSACの世界です。

そこには純粋な被害者と加害者のみが存在し、他には何者も存在しません。悪徳政治家と虐げられた民衆がいるのみです。悪いのは全て黒幕、というのがSACの世界です。

こういった社会なら素子のやるべきことは簡単です。黒幕を倒す。それだけです。そうすれば悪は滅び、虐げられた人間は解放され、万民の歓喜の声が渦巻き天下大吉万々歳ということになります。

 つまり、『攻殻SAC』は、「悪徳政治家(加害者)と虐げられた民衆(被害者)がいる」という単純な左翼的世界観*3が支配しているから「嫌い」(で、原作はそうではないから良い)ということなのだろう。しかし、「左翼的世界観は単純である」というのも、それはそれで、単純な世界観である。そして、原作マンガには、その作者が、そうした「左翼フォビア」的な単純な世界観を持っていることを伺わせる描写がたくさん出てくるのである(以下ややネタバレあり)。
 例えば、第6話(押井守の劇場版『攻殻機動隊』第二作『イノセンス』のストーリーは、この第6話をもとにしている部分が多い)の冒頭で、素子、バトー、トグサは、県警による暴走したロボットの回収現場に同行するのだが、現場では、無惨に殺された人間の死体のそばに血まみれのロボットがいた。警官隊に襲いかかるロボットを、バトーは破壊する。現場を離れるために二人が乗り込んだ車の周りを、プラカードを掲げた人々が取り囲む。プラカードに書かれた文字は「暴力反対」「PEACE!」「法を守れバカヤロォ」「原発反対エネルギーよこせ!」など(それにまぎれて「違法同人誌反対」などのおふざけもある)。群衆が叫んでいるセリフが以下である。

「我々は警察のォこの様なやり方にィ断固抗議するゥ」
「んだんだ」
「力で権利を侵害するのか!」
「自由と平等を土足で踏みにじるやり方でェ」

 以前アニメと反戦(3)『超時空要塞マクロス』 - 猿虎日記で取り上げた、『超時空要塞マクロス』で、リン・カイフンをリーダーとする群衆が、マイクローン装置を回収しようとする軍人の輝を取り囲んで「国家権力の不当介入!」とか「権力を振りかざすな!」とか叫ぶシーンとそっくりである。
 『攻殻機動隊』の原作の場合、この群衆の声を聞きながら素子たちが車の中でする会話は以下のようなものだ。

(素子)「死体には人権がなく、機械には擁護団体か。人命も安くなったものね」
(バトー)「よせよ ここで 人口爆発に苦情 を言っても はじまらん。それにどうせ 自分の家族を殺されても聖人ヅラしてる不感症野郎共さ。誰も彼も手前の利益ばっかり考えやがる。」

マンガ『攻殻機動隊』人権団体にかこまれる主人公たち
 この第6話では、「興進国」の子どもたちを密輸しロボット製作のために使い捨てにして殺す企業、その企業と癒着する軍人とヤクザが、手前の利益ばっかり考えている「悪役」として登場するのだが、そうした「悪」を生み出す構造の変革のために闘うと称する「左翼」も、結局は手前の利益しか考えていないバカで「単純」なやつら、として嫌悪と嘲笑の対象にしかなっていない(さらには、ご丁寧に、「被害者」の子どもたちも単純な被害者ではない、という描写もある)。
 このシーンの欄外の「解説」もいかにもなものだ。

「人命が星より重い」というのは願いであって現実ではない。又その願いがもしかなったら星は1人に1コづつ必要で、生命を守る為なら星をどう処理してもよいというコトになる。星は人間などという一種族よりはるかに重く、人命が星より重いというセリフは他の全生命体を無視したおごり高ぶった考え方である・・・と思うので僕はキライだ。(人命は尊重するけど惑星程じゃないというイミにおいて)

 ロボットに殺された被害者がいるのにロボットの権利を叫んでいるデモ隊を皮肉っているのは素子であるが、かといって素子は「人命が星より重い」と思っているわけでもない。作者は、権利尊重にしろ人命尊重にしろ、青臭い単純な思想でデモをするような「聖人ヅラしてる不感症野郎」はキラい、そんなところではないか。それにしても、左翼が「聖人ヅラした不感症野郎」とは、ずいぶん陳腐なステレオタイプである。
 その他、原作マンガにおける「いかにも」なセリフをいくつかあげておこう。
 同じく第6話。悪徳ロボット企業に潜入したトグサとバトー。トグサが女性警備員?にみつかり、殴って倒すあとのセリフ。

(トグサ)「男女同権だ、悪く思うなよ」(135ページ)

 逃げ出した悪徳企業の社長を追いかけるバトーが、現場にいる全員に麻酔をかけて連行しておけ、とフチコマに命じた後のバトーとトグサの会話。

(トグサ)「おい!彼らにも人権があんだぜ」
(バトー)「そんなもんが本当にあったら世の中平和で俺達ゃ失業だ!」(138ページ)

 第7話。ソ連と癒着していた択捉の悪徳企業(この世界では択捉島は返還され日本の領土になってるらしい*4)の社長(実は元は対ソ連の特務機関に所属していた軍人)と、手下が、素子たちの潜入を察知したときの会話。

(手下)「2902だと公安9課6課レンジャー4課いずれも首相直属……圧力の効かない組織ですね」
(社長)「圧力が効かんのは議会を操る組合幹部連中だけだ。」(160ページ)

 このように、このマンガでは、やたらと「組合」が日本の黒幕的なものであるような描写が出てくる。
 163ページで、素子を襲撃する男のセリフ

死ね軍国主義者ッ

 もちろん素子はその男を瞬殺。軍国主義を批判するものとは、バカでザコなのである。
 192ページ。バトーと素子が、同僚の矢野の墓を訪れる。矢野は、バトーが訓練した新人警官だったが、バトーがソ連の戦闘サイボーグの尾行をさせたことで殉職した。墓に花を手向ける二人。帰りぎわに振り返ると矢野の弟が墓に訪れるのが見える。弟は二人が手向けた花を床に投げ捨て踏みにじる。

(バトー)「こういう目には毎度あってもなれないな……やりきれんよ」

 市民のために命を張るものは報われない、というテーマは、無理な実験をさせて死なせた部下の慰霊式に出席して遺族に卵を投げられたり、遺族の妹に銃を向けられたりする『プラネテス』のロックスミス(『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記)、リン・カイフンを救出したのに罵倒される美紗(アニメと反戦(5)『カウボーイ・ビバップ』 - 猿虎日記)、などもそうだ。
 第8話。「テロリスト」を射殺した後の素子のセリフ。

「バイバイテロリスト……この世の中が嫌いなら二度とあの世から出てくるな!」(232頁)

マンガ『攻殻機動隊』素子がテロリストを射殺し「バイバイテロリスト、この世の中が嫌いならあの世から出てくるな」と言っている。
 ちなみにこのコマは紙版からの引用だが、ネット上でいくつか見られる同じコマの画像はページ数が違っている。おそらく電子版はページ付が違っているのだろう。
 第10話。素子はテロリスト制圧の現場で、銃に手をかけた少年を射殺するが、その場面を密かに撮影され、テレビ放送されてしまう。結局それはイスラエルと外務省がからんだ陰謀だったという話にマンガ中ではなっていく。「テロ」というとすぐに中東の話にしたがるのも凡庸で不快だが、それはともかく、これが警察による少年射殺事件として問題となり、テレビて討論会が開かれる場面。その討論を聞いている素子と荒巻の会話。

(素子)「実に立派な 国際国家ね。あの平和運動家達がもっと効果的に現実に対応して活動してれば私達がヤバい思いをしなくてすむのに……。」
(荒巻)「彼らは暴力を嫌っとる……その点は我々と同じだ──」
(素子)「偽善よ。消費優先の生活こそが貧困国に対する暴力だわ」(305ページ)

マンガ『攻殻機動隊』平和運動家を批判する主人公たち
 「消費優先の生活こそが貧困国に対する暴力だわ」はそうだと思うが、「平和運動家」がそれを言っていないと思い込んでいるところが、素子さん(作者)の限界である。そもそも、その貧困国に対する暴力の構造を作り出しているのが、素子(や作者)がキラいな、手前の利益しか考えてない企業でありそれと癒着した国家である。素子は(勝手な行動をする「組織内の異端」としてではあれ)なんだかんだいってその国家の手先として直接的な暴力を行使している。「偽善」というならそれは素子の方ではないだろうか。
 309ページ。裁判に出廷した素子。

(検察)「先程のB氏の証言、また放送された問題の映像でも相手を見てから1秒近く空白がありますね。(……)それだけあれば、あなたなら彼を助けられたかもしれませんね。でも殺した! なぜですか??」
(素子)「唯一の現実は死で、私は現実主義的だからです。彼が彼自身であったのか又ヒトだったか、それは判りません。生命自体よりその可能性(プログラム)が意味を持ち、評価の対象となります。でも、 悪夢(プログラム)から醒めた事は確かです。彼の悪夢(プログラム)が生活廃水なら、私はそれにまみれる廃水処理機。真に彼を殺したのは彼を形成した人達(プログラマー)……。私は不本意にも彼を助けたんです。」

 まあ「ポア」みたいな思想にも思えるが、そのプログラムが「悪夢」なのかどうなのか「評価」していたのは誰なのか?それは、素子に殺人(廃水処理=デバッグ)を命じていた別のプログラマー(国家)である。その意味で、『攻殻機動隊』に影響を受けた映画『マトリックス』に当てはめれば、素子たちは、システムに反逆する主人公の「テロリスト」、ネオやモーフィアスではなく、国家テロを担う「エージェント」の方なのである。
 もちろんここで彼女は(結局は国家にハメめられた結果)法を逸脱したテロリストとして国家に裁かれようとしている(デバッグされようとしている)ので、開き直ってこんなことを言っているとも言える。しかし、素子が施設の子どもに言い放った「未来を創れ」という言葉は、彼女自身にも返ってくるのではないだろうか。
 最後に、前回のブログに載せた表に『カムイ伝』と『攻殻機動隊』を付け加えたものをあらためて載せておこう。

  • 『カムイ伝』
    • 1964年〜1971å¹´
    • 作:白土三平、1932年生まれ
  • 『超時空要塞マクロス』
    • 1982年放送
    • 脚本:富田祐弘、1948年生まれ
  • 『攻殻機動隊』
    • 1989年発表
    • 作:士郎正宗、1961年生まれ
  • 『カウボーイ・ビバップ』
    • 1998年放送
    • 脚本:村井さだゆき、1964年生まれ
  • 『プラネテス』
    • 1999年発表
    • 作:幸村誠、1976年生まれ
  • ひろゆき
    • 1976年生まれ

※藤田直哉氏の『攻殻機動隊論』(作品社、2021年)は未読です。これから読もうかと思ってます。

追記 サリンジャー『ライ麦畑』におけるろう者の表象

 こちらのサイト「笑い男 コピペメモ保存|m29」には村上春樹訳、こちらのサイト「【日】適当な嘘をついてその場を切り抜けて誰も傷つけない日曜日よりの使者 - ツイートの3行目」には野崎孝訳の該当部分が抜粋されている。前者は「聾唖者」、後者は「唖でつんぼの人間」になっている。内容的にも聴覚障害者のことだ。そうなると、「自閉症」と同じで、聴覚障害者を「耳と目を閉じ、口を噤んだ人間」つまり社会との関係を絶とうとする人間、の例えとして用いるのはちょっと問題だということになる。『攻殻SAC』での日本語文ではそのことは気が付かなかったわけだが。あと、『ライ麦畑』の主人公ホールデンにとって手話というのは全く念頭にないんだな。
 そう思っていたらやはり『ライ麦畑』でのろう者の表象は批判されているようだ。https://jstor.org/stable/26359236ではマサチューセッツ州の聴覚障害者学習センターの教員のパネルディスカッションが紹介されているが「伝統的な文学作品における不適切なろう者キャラクター」として『ライ麦畑』が挙げられている。

サリンジャーの『ライ麦畑』に登場するホールデン・コールフィールドは、耳が聞こえないことを夢見て、世間から自分をさらに切り離そうとし、ろう学生たちが慣れ親しんでいる世界とはまったく異なるろうの世界を思い描いている。

その他挙げられているのは以下↓

・チョーサーの『カンタベリー物語』に登場するバースの妻は、夫とのけんかで耳が聞こえなくなる不快な女性。
・ユーゴーの『ノートルダムのせむし男』に登場するカジモドは、奇形であり、容姿も醜く、社会から拒絶されたろう者の男である。
・マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』に登場するジムの娘は、猩紅熱が原因で耳が聞こえなるが、そのことを知ったジムはひどく苦しむ。
・同小説に登場する(ペテン師の)「王様」と「公爵」は、ウィルクス家を騙そうとして、片方がろう者の兄弟のふりをし、偽の手話を使ってお互いに会話する。そのことに語り手は嫌悪感を抱いている。
• ハーパー・リーの『アラバマ物語』に登場する(姉妹の)トゥッティとフルッティは、沈黙の世界に生きているが、片方は大きなラッパ型補聴器を使ってなんとか音を聞こうとし、もう片方はろうであることを認めようとしない。また、地元の子供たちに耳が聞こえないことをからかわれている。
• ヘミングウェイの「清潔で明るい場所」に登場する老人は、自殺願望のあるろう者の酔っ払いで、世間から離れて自分の中に閉じこもろうとしている。

*1:これについて注に書いていたが長くなったので本文に移すことにする。

*2:ブログのコメント欄で教えていただいたが、ハリウッド実写版のストーリーには『攻殻SAC』の影響があるという。

*3:「世界観」は、この連載の前回の記事でサルトルを引用しながら使った言葉だが、「作品がもつ雰囲気や状況設定」という意味ではなく、世界とはどういうものか、という基本的な見方、というような意味で使っている。世界観(セカイカン)とは? 意味や使い方 - コトバンク

*4:1989年のこのマンガでは2030年にもソ連が存続していることになっている。

水淹れアイスコーヒー

 コーヒー好きなことはここでも何回も書いたことがありますが、数年前からもうずっと自家焙煎(手鍋焙煎)をしていて、趣味としてはかなり一線を超えてしまったと自覚しております。まあ焙煎の話はそのうちするとして、今回は最近開発したアイスコーヒーの淹れ方について書いてみます。
 開発したといっても大したことはなくて、普通にペーパードリップで淹れるということなんですが、問題はお湯の温度で、これを、常温にしてしまうのです。ていうかお湯ではなくて水ですね。
 原則として、抽出のお湯の温度が高ければ雑味がでやすいけど、温度が低ければ逆に成分の抽出が足りなくて薄味のコーヒーになってしまう、ということは言えるのだと思います。というわけでアイスコーヒーの淹れ方には普通以下の二種類になるわけです。

  1. 熱いお湯で濃いめに抽出した抽出液を氷で一気に冷やす
  2. 冷たい水で時間をかけてゆっくり抽出する

1.のやり方もよくあると思うのですが、コンビニのアイスコーヒーもそうですね。このやり方は、時間がかからないのがメリットですが、そのかわり、氷を大量に必要とします。少量の氷だと中途半端にぬるいコーヒーになります。かといって大量の氷を毎回使うと、家庭の場合一日に何杯も飲むと氷がすぐなくなってしまい、結局氷ができるのを待つのに時間がかかる、ということにもなります。
2.のやり方は、いわゆる「水出しコーヒー」というやつです。最近は「コールドブリュー」とも言われるみたいですが、かつては「ダッチコーヒー」とも言われていました。喫茶店で、大きなガラスのタンクからポタポタと水が点滴のように粉の上にたれてコーヒーを淹れる水出しの装置を見たことがある人もいると思います。

喫茶店にある、水出しコーヒーの大きなガラスの装置の写真
Matt @ PEK from Taipei, Taiwan, CC BY-SA 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0>, via Wikimedia Commons

 家庭だとそういうのはもちろんできないので、よくネットとかでも書かれているやり方は、お茶やだし用の紙パックにコーヒーの粉を入れたものをポットなどに突っ込んで水を注ぎ、冷蔵庫で何時間も放置して作る、というやつです。お茶とか麦茶でこれをやってる人も多いでしょうね。これの欠点は言うまでもなく時間がかかる、というところにあります。まとめて作り置きしておけばいい、とは言ってもね。

 わたしが開発した(ってほどでもないのですが)やり方は、上記の2つのやり方のいいとこどりです。すぐできますし(むしろお湯を沸かす時間がかからないからホットコーヒーよりも早い)、大量の氷も必要ありません。いやしかし、時間をかけないなら薄いコーヒーになるのではないか?と思われるでしょう。はい、確かに薄いコーヒーしかできません(笑)というわけで、このやり方は私のようにもともと薄めのコーヒーが好きな人ではない場合オススメできないやり方です。ただ、常温のドリップというのは、意外と行ける、ということに気がついたのです。いま夏場で常温の水(簡易浄水器通してますが水道水です)は27℃ぐらい(意外と高い)。このぐらいが限界みたいです。もちろん、蒸らしや抽出にお湯のときより時間をかける、などの手加減は必要ですが。

コーヒーの粉をドリッパーにセットしたところ
ミルは例のタイムモアです

sarutora.hatenablog.com
sarutora.hatenablog.com

ポットの水の温度を水温計で図っていることろ。30℃の表示。
8月の昼、水温は30℃超えてました。
ドリッパーのコーヒーの粉に水を注いでいるところ
注いでいるのは水です。
ドリッパーのコーヒーの粉に水を注いでいるところ
繰り返しますが水です。
氷を入れたカップに入ったアイスコーヒー
薄いけどうまいです。

 好みによるとは思いますが浅煎りの豆でアイスコーヒーは薄くてもかなりうまいと私は思います。
 冷蔵庫から出したばっかりの10℃くらいのミネラルウォーターとかだと、さすがの薄いコーヒー好きの私でも厳しいです(コーヒーというよりコーヒー味の水、みたいな感じ)。

『虎に翼』と「法の下の不平等」

 (ネタバレあり)
 朝ドラ『虎に翼』、たいへん面白く観ている。ただ、いろいろと限界を感じるところもある。
 私は観ていないのだが『カーネーション』という2011年の朝ドラ(『虎に翼』のナレーションをやっている尾野真千子が主演だった)では、戦争に行ってPTSDになった登場人物について、その母親が戦後、「あの子は、やったんやな」と言う場面があったらしい。日本の戦争テーマの作品で加害に触れるものがほとんどないので、朝ドラでのこのセリフは画期的だった、という評価を今でもよく見る。だが『虎に翼』はそういう側面はまったくなかった。主人公寅子は、戦後司法省で働き始め、民法改正の仕事に携わることになる(第10週)。ある時、寅子の自宅にGHQの民法改正担当者アルバート・ホーナーが訪れる。寅子の兄直道は戦死しているのだが、その妻の花江は、寅子が「仇(かたき)の国の人と仕事して仲良くしている」ことにわだかまりを感じている。寅子と二人きりになったとき、花江は「仕方ないわよね。負けたのは日本なんだから」と寅子に言っている。つまり、戦争を描く日本のほとんどのドラマが採用している「日本は戦争でアメリカと戦って負けた」という構図を一歩も出ていなかった。これは、第18週のエピソードからも感じられた。第18週では、星航一が戦前「総力戦研究所」に所属していた事実が明らかになる。同研究所は日米戦争を想定した総力戦の机上演習を行い、「日本必敗」という結論を導き出したにも関わらず、研究所の提言は政権中枢によって無視された。航一は、戦争を止められなかった責任を感じ、戦争で肉親を失った人々に「ごめんなさい」と言っていたのだ。だとすると、航一が戦争に反対したのは「アメリカに負けるかもしれないから」だったというのか?では、そもそもシュミレーションの結果が日本勝利だったらどうだったのだろう。それもあるが、航一のこの「ごめんなさい」からは、植民地支配と侵略戦争に対する責任がすっぽり抜けている。
 さて、GHQのホーナーの訪問を受けた花江のわだかまりだが、ドラマでは、ホーナーが、自分もユダヤ人で戦争中親族を大勢亡くしていることを打ち明けることによって、解けていく、というようなストーリーになっていた。ホーナーのモデルは、ドイツ生まれのユダヤ人で、アメリカに亡命、その後GHQの民政局に配属され、戦後日本の法制改革を担当したアルフレッド・C・オプラー(1893-1982)だという。オプラーと同じく、GHQの民政局で働いていたアメリカ人に、ベアテ・シロタ(1923-2012)*1がいる。少女時代を日本で過ごした当時22歳の彼女を含む民政局行政部スタッフ25人は、1946年2月、コートニー・ホイットニー民政局長に召集され、GHQによる憲法草案起草の極秘命令を受ける。ところで、『虎に翼』では、主人公が、闇市で買った焼き鳥の包み紙に書かれていた日本国憲法の条文*2をたまたま目にし、その第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」を読み、涙するという印象的なシーンがある。この第14条(法の下の平等)と、第24条(両性の平等)を起草したのがベアテ・シロタであったことは今ではよく知られている。ベアテの父レオ・シロタは、ウクライナ生まれのユダヤ人ピアニストであり、19歳で祖国を離れ、ウィーン、日本、アメリカと移り住んだいわば亡命者だった。ベアテも、オプラーと同じく親族を強制収容所で虐殺されている。しかし、『虎に翼』にベアテ・シロタをモデルにした人物は登場しなかった*3。もちろん、寅子のモデルの三淵嘉子が司法省で働きはじめたのは1947年6月。その一ヶ月前の1947年5月にベアテは米国に帰国しているので、寅子とベアテが関わるというのは史実に照らすと不自然ではあるのだが。
 ベアテ・シロタは、米国に帰国した後、自分が関わっていた日本国憲法草案の仕事について長い間沈黙を保った。彼女は、アメリカ人(しかも法律の専門家ではない若い女性)が憲法の草案を作ったことが、改憲派による攻撃材料にされることを危惧していたのだという。今回NHKも、ベアテ・シロタをドラマに登場させることで改憲派を刺激しないように彼女をスルーした……のかどうかは分からないが、このドラマで、憲法とGHQの関係が描かれなかったのは事実である。民法改正に関わったGHQのアメリカ人(ホーナー)は出てくるがその役割ははっきりせず、第11週では、憲法14条が生まれたのは、「戦争のおかげ」だったというぼんやりした説明がなされる。
 第11週では、轟太一と山田よね(ふたりとも戦前主人公と大学で共に法律を学んでいた)が、戦後再会する場面がある。よねは、かつて働いていたカフェーで法律相談をしているのだが、カフェーの壁には憲法第14条が大きく書かれている。よねはそれを見つめながら、「ずっとこれが欲しかったんだ、私たちは。男も女も、人種も、家柄も、貧乏人も金持ちも、上も下もなくて横並びである。それが大前提で当たり前の世の中が」とつぶやく。それを聞いた轟は「欲しかったという割にうれしくなさそうだな」と言うのだが、よねは「これは自分たちの手で手に入れたかったものだ。戦争なんかのおかげじゃなく」と答える。
 憲法14条成立の背景にあったGHQとベアテをスルーした『虎に翼』が避けているもう一つのテーマが、天皇制である。第17週では、日本国憲法第14条2項の「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」に対する言及があった。これにより、主人公の元学友で華族出身の桜井涼子(涼子様)は、戦後特権や財産を失った。涼子と、そのお付きだったたまは新潟で喫茶店を営むようになるのだが、最終的にたまは涼子を「涼子様」ではなく「涼子ちゃん」と呼ぶようになる。感動的なシーンだったが、ここから視聴者は、今現在もテレビで「皇族」たちが「◯◯様」と呼ばれていることに大いなる矛盾を感じ取らねばならないはずなのだが。
 そして、私たちは、この憲法を「手に入れる」ことがそもそもできなかった人たち、つまり、よねが言う「私たち」から排除された人たちがいたことを忘れてはならない。敗戦後、日本政府は、連合国との間に平和条約が締結されるまでの間は、朝鮮や台湾はいまだに日本の領土だと考えようとした。したがって、日本政府は、朝鮮人や台湾人は日本国籍(もともとは勝手に与えられたものだが)を持っているとしていた。1945年10月、日本政府は日本にいる台湾人、朝鮮人の参政権(選挙権と被選挙権)を認めることをいったん閣議決定した。ところが、弁護士であり当時帝国議会の衆議院議員だった清瀬一郎の強い反対があり、1945年12月衆議院選挙法が改正された時、朝鮮人と台湾人の選挙権は「停止」されたのである(この改正法では沖縄県民の参政権も奪われた)*4。
 この改正された選挙法によって、1946年4月10日、衆議院議員の選挙が行われた。このとき、約1,380万人の女性が初めて投票し、39名の女性国会議員が誕生した。そして、日本国籍をもつ一部の人たちを排除したこの選挙で選ばれた衆議院議員たちが(貴族院の議員たちとともに)憲法案を審議したのである。この制定過程で、GHQの草案から、日本政府の要望により訂正された条文があった。それが、よねが「私たちが手に入れた」と言っていた憲法第14条である。憲法第14条の「すべて国民は」という部分は、GHQ草稿(当初は第13条だった)では「All natural persons(すべての自然人)」だったもの *5が、GHQと日本政府との交渉の中で、「すべての国民(英文は All the people)」に変えられた。また、GHQの草案にあった第16条「Aliens shall be entitled to the equal protection of Japanese laws. (外国人は日本の法の平等な保護を受ける)」は、同じ交渉のなかで削除されてしまう。この経緯について、2010年のNHKの番組で、晩年のベアテ・シロタ・ゴードン(日本語ができた彼女はGHQと日本政府の通訳も担当していた)がこう証言している。

憲法に盛り込むべき重要事項はたくさんありました。だから、外国人の権利で日本政府と揉め反感を買いたくなかったのです。第1条と第9条がより大切でした。マッカーサーは天皇制を積極的に維持しようと、全力でこれを憲法に入れようとしたのです。*6

 そして1947年5月2日、日本国憲法施行の前日、「外国人登録令」が交付・施行された。憲法施行前に天皇が出した最後の勅令(ポツダム勅令)だった。その内容は、日本に入国した外国人(ただし、連合国軍将兵やその家族以外)に、外国人登録を課し、戦前の協和会手帳の復活とも言える、外国人登録証の常時携帯を義務付けるものだった。ところが、当時国籍は日本で外国人ではないはずの朝鮮人や台湾人も、この外国人登録の対象となったのである。この勅令の第11条にはこうある。

台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす。

 これは本当に奇妙な話だ。かつて日本の植民地化によって、勝手に「日本人」とした人々。戦後も、自分たちの都合で「日本人」のままにし続けた人々。この人たちを、今度は、別の都合で「この人たちは外国人ではないが外国人とみなす」としたのである。外国人登録証の国籍欄は、在日朝鮮人の場合「朝鮮」と記されたのだが、これは国籍ではなく地域名としての記号だ、という説明がなされた。さらに、1951年には、ポツダム政令として「出入国管理令」が公布される。この政令が、何度かの改定を経て、現在も「入管法」として存続しているのである。この政令では、第4条で、外国人の様々な「在留資格」が定められ、それぞれ在留活動と在留期間の制限がもうけられた。その他、第22条の「永住許可」、第52条の収容と仮放免など、現在の入管法の基本的枠組みはこの時作られている。この政令の目的は、日本にとって「望ましくない外国人」を追放すること、だった。しかも誰が「望ましくない外国人」であるかは、強大な権限を持った入管が恣意的に決定できる仕組になっていた。この政令では、第24条で、「不法入国」「不法上陸」「資格外活動」「不法残留」「刑罰法令違反」などの他に、「工場でストライキを推奨する政党に加入していること」さえ強制退去の理由とされている。さらにこの第24条では、ハンセン病患者、精神病患者、生活保護を受けている貧困者までもが強制送還の対象となっていた。強制送還の手続きには裁判所など第三者がチェックする仕組は作られなかった。こうした仕組は、1951年に「出入国管理令」の作成に関わったGHQのアドバイザー、ニコラス・D・コレアの助言によって作られたとされている。彼は「退去強制制度への司法の介入に強く反対」し、「望ましい外国人」と「望ましくない外国人」を効率的に分けるには「行政官に相当の裁量権を与える」のがよいと考えていた*7。コレアは、在日朝鮮人の多くが「共産主義の先導者もしくは破壊活動組織の一般成員である」と主張していた*8。
 改憲派は、GHQが草案を作った憲法が「押し付け憲法」だと言って現行の憲法を攻撃する。その攻撃の材料として自分のイメージが利用されることをベアテは危惧していた。ただ、逆に言うと、女性の人権を憲法に持ち込んだベアテの「民主主義」のイメージは、天皇制を存続し、日本政府とともに入管法を作ったアメリカを隠蔽する役割を果たす危険がある。とはいえ、入管法成立でGHQが果たした役割を強調しすぎることは、それはそれで、別の危険性がある。テッサ・モーリス−スズキはこう言っている。

もっとも、在日朝鮮人社会に対する政策の形成について占領者と被占領者の連携を強調することは危険がともなう。現在の日本の政治状況においてこの問題を「国際化」することは、在日朝鮮人に対する過去の不正や現在も続く差別についての日本の責任を軽減する議論として受取られかねない。ゆえに、私は日本史の境界や日本・朝鮮・アメリカ関係という線引きをまたぐ、国際的な力によってつくられたものとして在日朝鮮人の歴史を論じるが、いずれにせよ過去の過ちを精算し現在の差別をなくす責任が日本政府や日本人からなくなるものではないと強調しておきたい。しかし、占領期の出来事を詳しく見ることは、戦後も無傷のまま生き長らえる日本のコロニアルな姿勢がいかに占領当局の利害や態度とうまく調和したかを明らかにする上で役に立つ。
*9

 戦前から続く日本の植民地主義・外国人差別は、戦後入管法を成立させたが、それは、当時の国際情勢や、GHQの利害や態度と「うまく調和」していた。しかしそのことは、差別の体制を作り差別を実行した(している)日本の責任をいささかも小さくするものではない。『虎に翼』は、第18週をはじめ、戦後日本での朝鮮人差別を正面から取り上げ、評価されているが、そうした差別を支えていた、国家による差別、法による差別は、描かれない。主人公寅子は、国家公務員である裁判官となり、「法」は、差別と戦う彼女にとっての拠り所として、少なくとも中立的なものとしてしか描かれないのである。

参考:「虎に翼」今週の解説 | Meiji NOW

*1:後に同じGHQの通訳だったジョセフ・ゴードンと結婚してベアテ・シロタ・ゴードンと名乗るようになる

*2:「二十一年十月八日」の日付が見えるので、1946年10月7日憲法草案が国会を通過した翌日の新聞だろう

*3:未見だが、NHKは5月には別番組で三淵嘉子とベアテ・シロタに触れた番組を放送したらしい。

*4:ちなみに清瀬は1946年GHQによって公職追放されるが、その後解除され政界復帰。1960年日米安保条約の強行採決の際衆議院議長をつとめていたのはこの男である(このとき骨折している)

*5:全文は「All natural persons are equal before the law. No discrimination shall be authorized or tolerated in political, economic or social relations on account of race, creed, sex, social status, caste or national origin.」

*6:2010年7月25日 NHKスペシャル「シリーズ日本と朝鮮半島 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後」※字幕を書き写したもの(「揉め」は字幕ではひらがな)https://www.nhk.or.jp/special/detail/20100725.html

*7:テッサ・モーリス・スズキ/伊藤茂訳「冷戦と戦後入管体制の形成」『季刊前夜3号』特定非営利活動法人前夜、2005年、72−3ページ。

*8:同書、69ページ。

*9:テッサ・モーリス-スズキ/辛島理人訳「占領軍への有害な行動―戦後日本における移民管理と在日朝鮮人」『現代思想』第31巻11号、2003年、p.202.

ウィシュマさんの死は「医療事故」ではなく「殺人事件」


 ウィシュマさん死亡後に名古屋入管に常勤医師として勤務することになった医師のドキュメンタリー。この医師の着任によって名古屋入管の医療体制が改善されはじめているかのような印象を与える演出になっている。
 しかし、ウィシュマさんはじめ入管での死亡事件の原因は「医療体制の不備」などではない。この番組に出てくる医師(間渕測文医師)は、ウィシュマさんの死亡を「医療事故」とか「事案」と言っているが、それは、「事故」や「事案」ではない。意図的な医療放置であり、殺人事件である。
 間渕医師は、着任後、救急車が来てから病院に着くまでの間に最低限の救急救命治療ができるような医療資材や薬品を入管に準備させたという。これをもって医療体制の改善だというのだろうか。しかしそもそも入管は、危険な状態になった被収容者のために救急車を呼ばないどころか、支援者が呼んだ救急車を門前で追い返すということを何度もやっている。救急車が来た後の準備などより、そもそも救急車が来ないことこそが問題ではないか。
 また間渕医師は、「医療知識がほとんどないような人たち(現場の職員)が、ウィシュマさん喋っているから大丈夫とか、その程度の知識でやっていた(ことが問題だった)」などと言っている。

 「診療体制は3年間で大きく変わっている」と言う現在の名古屋入管局長市村信之に至っては、3年前にはなかったという「職員心得」なるものをポンポンと指で示しながら、「人権と尊厳を尊重し礼節を保つ」が最上位の「心」だ、と得意げに語る。

 しかし、ウィシュマさんの死亡は、現場の職員の「知識」の問題でもないし、ましてや現場の職員の「心」の問題などでは断じてない。現場の職員は、病院に連れて行ってと懇願するウィシュマさんに「ボスに言うけど、連れて行ってあげたいけど、私はパワー(権力)がないから」と言っていたではないか。

 ウィシュマさんは、入管という組織の方針に基づく医療放置によって死亡した。2019年の大村入管でのナイジェリア人死亡の後、当時の入管庁長官佐々木聖子は「迅速な送還によって(つまり仮放免や在特や難民認定によってではなく、ということ)長期収容を解消する」と言う方針の継続を宣言している。

 まさにその「方針」こそが、長期収容を生み出し、ウィシュマさんらの死を引き起こした根本的な原因なのである。

****

 ところで、この番組に出てくる間渕医師、しょっちゅう顎マスクになっている(診察室の中でさえ)が、診察中には一貫してマスクの下の紐がダランとたれた状態。マスクの下部が密着していないことは明らか。

 それどころか、診察室でノーマスクのシーンもあった。外部病院に運ばれた被収容者を診察しているところだが、間淵医師と外部病院の医師2人ともノーマスク。その場にいる他の人、被収容者、看護師などは全員ちゃんとマスクをつけていた。

ブラック・ジャックは医学モデル、ドクター・キリコは優生学

 実写版『ブラック・ジャック』でのドクター・キリコ(女性に変更されているらしい)の描写が問題になっているようだ。こちらのポストが数多くリポストされている。
https://x.com/Swampert_on770/status/1807425490749436184

途中まで良かったけどドクター・キリコが自殺幇助するのだけは原作とかけ離れ過ぎてどうしても許せない
キリコは原作でも何度も出来ることなら人を治す、自殺には手を貸さないってのが描かれているのにそれを無視して自殺幇助
脚本家は小うるさい自殺者回を今すぐ読んでこい

 確かにドクター・キリコは「出来ることなら」人を治すような人物として描かれている。しかし、「出来ない」「治せない」(と見なした)場合は、彼は何度も人を殺して来たのである。そして、「治せない」とはどういうことなのか?また、そもそも安楽死と自殺幇助にはたして根本的な違いはあるのか?以下は、手前味噌だが拙著の一部で『ブラック・ジャック』でドクター・キリコが初登場するエピソード「ふたりの黒い医者」について書いた部分である。

 1975 年に発表された、手塚治虫の『ブラック・ジャック』「ふたりの黒い医者」では、天才医師である主人公ブラック・ジャックのライバルで、安楽死を請け負っているドクター・キリコという医師が登場する。キリコはある女性から安楽死を依頼されるのだが、彼女は交通事故で背骨を折ってから体が全く動かず寝たきりの状態となっている。二人の子どもたちは収入のほとんどを母親の入院費に使っているのだという。彼女はキリコに「一生子どもたちに苦労をかけるより こんな役立たずひとおもいに死んでしまったほうがいいのです……」と訴える。
 1970 年代にアメリカで発達した「バイオエシックスbioethics」では「患者の自己決定patient autonomy」が中心的な概念だ。そこでは、強い立場にある医師が、患者のためといって患者に干渉する「パターナリズムpaternalism」が批判される。では、患者が死を「望んでいる」場合、キリコのように医師が死
期を早める処置を行なうこと(積極的安楽死)や、延命措置を控えること(消極的安楽死)は、患者の自己決定の尊重として肯定されるべきなのだろうか?
 ところで『ブラック・ジャック』で安楽死を依頼する母親は、なぜ安楽死を「望んでいる」のか。それは彼女が「体が動かない」から、そして、そのため家族に負担がかかっているから、である。しかし「体が動かない」ことそれ自体はそれだけでは苦痛を生まない。体が動かないことによって様々なことが(社会的に)「できない」ということこそが問題なのである。
 100人の人に宅配寿司と銀座の高級寿司のどちらが食べたいか自由に選んでもらいます、と言いながら、高級寿司を選ぼうとする人に様々な嫌がらせをすることで宅配寿司を選ぶように誘導し、最後に「全員が宅配寿司を選びました」というナレーションが流れるCM があった。特定の選択肢に誘導しておきながら選択させることは、本当の自己決定とは言えない。『ブラック・ジャック』では、キリコによる安楽死とブラック・ジャックによる治療(医学モデル)という2 つの選択肢しか描かれていないが、個人の体が動かなくても様々なことが「できる」ような選択肢を社会的に作り出すこと(社会モデル)が重要だろう。
永野潤『〔改訂版〕イラストで読むキーワード哲学入門』白澤社、2023年、p.110.

hakutakusha.co.jp
『ブラック・ジャック』の一コマ。安楽死依頼した女性のセリフ「一生子どもたちに苦労をかけるより こんな役立たずひとおもいに死んでしまったほうがいいのです……」
 上でも書いたように、キリコに安楽死を依頼する女性は、事故で「体がぜんぜん動かない」が、身体的苦痛の描写はない。死期が迫っているというような描写もない。依頼理由は「一生子どもたちに苦労をかけるよりこんな役立たずひとおもいに死んでしまった方がいいのです」だ。キリコが行ったのは、「役立たず」(とされた人)を20万人殺したナチスの「安楽死」を請け負った医師たちの行為と、何も変わらない。
 たしかに手塚は決して安楽死を肯定しない(そこは「安楽死」的なものを思わせぶりに肯定する凡百の漫画家とは違って断然良い)。しかし、ブラック・ジャックは医学モデル。ドクター・キリコは優生学(ある意味で究極の医学モデル)。社会モデルはどこにもない。
 原作キリコの改変とかそういうこと以前に、「キリコVSブラックジャック」があたかも究極の選択、倫理的ジレンマであるかのような見方が、50年たった今でも未だに乗り越えられていないこと自体が本当は問題なのではないか。
 そう思っていたら、実写『ブラック・ジャック』のプロデューサーのコメントが朝日新聞に載っていた。それが、まさに、「安楽死」的なものを思わせぶりに肯定する予想通りのものだった。
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なぜ自分で自分の死を決めてはいけないのか。いまだ答えの決まらぬ重い問いを、キリコは理路整然と突きつけ、BJのエゴを暴いてしまう。

 キリコは「理路整然」となどしていない。「エゴ」というなら、「答えの決まらぬ重い問い」に悩むふりをしながら、実はとっくに答えを決めていて、「役立たずだからひとおもいに死にたい」という人を殺す(殺してきた)我々の社会こそが、「エゴ」だろう。改めて、立岩真也の文章を引用しておこう。立岩は、「女性」「病を生きる人」「障害をもつ人たち」が「自己決定」を主張しても実現しなかった(していない)のは、この人たちに自己決定させることが、周囲の人達にとって「不都合であり、負担」だったから、と指摘したうえで、こう言う。

 それに対して、「安楽死」はどうだろうか。不治の病があリ、重い障害がある人は、先に述べた意味で、周囲の人たちにとって負担となる人である。そして誰もがそうだがいずれにしてもやがては死が訪れるのだから、その前に、その人が自分自身で「死にたい」と言ってくれれば、それは都合のよい自己決定なのである。
 具体的に誰にとって都合がよいのか。負担を免れる人にとってである。家族だけがその負担を負っている、負わされているなら家族であり、また社会的に医療や介護の負担をしている場合にはその「社会」である。結局、私たちが、私たちにとって都合のよいものとして、自己決定としての安楽死を支持するのである。(立岩真也『弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術』青土社、2000年)

家族を思う患者の心を否定しようというのではない。ただ、それを利用してしまう位置に私たちはいってしまっている。これは私たちにとって都合のよすぎる状況である。そのことの危険がある。それゆえに、少なくとも周囲にいる私たちが、安楽死をよいと簡単に言ってはならない。(同)

なぜ安楽死で死のうとするのか。なぜ安楽死を許容してしまうのか。繰り返すが、安楽死は自分の力で死ねない時の自殺である。死を自分の力で行えない時、その人は他の多くのこともできない。(肉体的な苦痛でなければ) これが安楽死に人を赴かせる。この社会の中での「できない」こと(同時に「できる」こと) について考えることから安楽死は考えられなければならない。(同)

 もう一つ、上記のプロデューサーの記事で、なぜキリコを女性にしたかという理由が、気持ち悪かった。

海外で安楽死をサポートする団体には、なぜか女性の姿が多い印象があった。脚本の森下佳子さんと相談しているうち、「優しい女神」のような存在が、苦しむ人のそばにいて死へと導くのかもしれない、と想像するようになった。

 ブラック・ジャックはキリコを「患者を殺して回っている死神の化身」と呼んでいる。しかし、キリコは「死神」ではなく、実は「優しい女神」だ、と言いたいのだろう。「女性」「病を生きる人」「障害をもつ人たち」にとって「優しくない」この社会で、この人たちに「役立たず」になったら「ひとおもいに死にたい」と言わせるこの社会で、「殺してあげる」という「優しさ」を女性に実行させる。そしてその女性が「優しい女神」だ、というわけだ……。

『ブラック・ジャック』「二人の黒い医者」より、ブラック・ジャックが、キリコのことを「「死神の化身」と呼ばれている、患者を殺して回っているおじさんだ」と説明しているコマ