本稿はシリーズ「攻殻SAC解説+考察+dis」の第1回です。攻殻SACのファンには不愉快な表現が多々散りばめられているのでご注意ください。あとネタバレも満載ですのでよろしく。
twitterでもさんざん書いたのですが、僕は攻殻SACが嫌いです。予算をかけて作られた映像美と、当時としては先進的だったコンピューターグラフィック以外、褒める点の少ないアニメーションだと思っています。

まぁ褒める点の少ないアニメなんて星の数ほどあります。僕だって嫌いな作品ひとつひとつをを全力でdisるほど暇ではありません。ということで、放映以来数年間SACのことを忘れて生きてきたのですが、ここに来て事情が変わりました。

というのは「攻殻機動隊ARISE」の登場です。

たまたまyoutubeで公開されているPVを何点か見た瞬間気づきました

「あ、この作品は絶対攻殻SACが嫌いな人間が作っている!」

これは劇場で実際にARISEを見てから確信に変わりました。脚本の冲方丁氏は、確実に攻殻SACが嫌いな人間です。

嫌いという言い方がアレなら、「疑問を持っている」と言い換えてもいいでしょう。とにかく、「SACは攻殻じゃない!」という想い、特に「SACの素子は素子じゃない!」という想いを持つ同志を見つけて、僕はたいへん心が温かくなりました。やはり人類に希望は残されている。白痴だけが人間ではない、と。

ところが帰宅してはてブや2chまとめyahoo!映画情報などに書き綴られた「ARISE」の感想を見て僕は再び人類に絶望しました。そこには

「こんなの素子じゃない」

という言葉が、名を変え品を変え書き綴られていました。

なるほど。

いつの間に、俺が「SACなんてどうでもいいわ」とだらだら過ごしている間に「草薙素子と言えばSAC素子」という世論が、何者かによって、恐らくSACファンを名乗る文化の破壊者たちによって、醸成されてしまったようでした。

なるほど。

ふざけるな。

ということで、今回「草薙素子とはどのような人間なのかー原作素子とSAC素子の違い」という本稿を書くに至った訳です。前置きが長くなりました。早速始めていきましょう。



【SAC世界と原作世界の違い】

草薙素子は警察官です。原作・SACともに特殊な犯罪に対する公安部の特殊部隊「公安9課」のメンバーとして、時に危険を顧みず犯罪と戦います。そのスタンスに若干の差異はあれど、基本的に社会的な立ち位置は原作素子・SAC素子ともに変わりません。

違うのは彼女たちの社会的立ち位置ではなく、彼女たちの属する社会そのものです。


SAC素子の属する世界は単純です。

いち政治家が大規模な企業テロや不正な株価操作を試み、軍や警察でさえも不思議な力で自分の私兵にしてしまい、私的犯罪の証拠隠滅や証人の殺害に加担させられる。それがSACの世界です。

そこには純粋な被害者と加害者のみが存在し、他には何者も存在しません。悪徳政治家と虐げられた民衆がいるのみです。悪いのは全て黒幕、というのがSACの世界です。

こういった社会なら素子のやるべきことは簡単です。黒幕を倒す。それだけです。そうすれば悪は滅び、虐げられた人間は解放され、万民の歓喜の声が渦巻き天下大吉万々歳ということになります。

SAC世界では素子は(ついでに荒巻も)何も考える必要がありません。明確な悪が存在し、そいつらを倒せば全てが解決するわけですから。自らの犯罪捜査へのモチベーションに何ら矛盾はなく、ただ目の前の任務に集中すればいいわけです。


原作素子の属する世界はこれとは全く違います。

なるほど犯罪は蔓延っている。戦災孤児に強制労働が課せられ、洗脳まで施されています。しかし、SAC世界と大きく異なるのは、一部の黒幕の個人的利益のために犯罪が行われているのではなく、広く社会に容認された上で犯罪が行われているということです。
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つまり、原作世界には犯罪に黒幕が存在しません。

強いてあげれば社会全体が黒幕であり、人類社会の抱える必然的な歪みとして犯罪が現出するわけです。

そういった社会では、犯罪を摘発しても状況は変わりません。困難な任務もを達成してもそれで直ぐに何かが変わるということはありません。つまり、素子がどんなに頑張っても犯罪は減らないし人口は爆発するしクソ野郎は減りません。

それならば、なぜ草薙素子は犯罪捜査を続けるのでしょうか。



【理性と直感

原作攻殻機動隊の世界では、諸犯罪は社会それ自体と密接に結びついており、9課がどれほど活躍しても社会全体に与える影響力は極めて限定されている、というところまでは話しました。

ではなぜ原作素子は犯罪捜査を望むのでしょうか。その答えが「ゴーストの囁き」です。

欄外の文章でゴニャゴニャ精神とは~魂とは~とか書かれてるので難しく考えてしまうかもしれませんが、「ゴーストの囁き」とはそのままズバリ「直感」のことです。

原作1巻第1話の聖庶民救済センターの事件を例に取って見ましょう。ハッカーによる潜入とトグサ・イシカワらの偵察ではセンターが洗脳施設を保持している証拠は掴めませんでした。

バトーたちは荒巻との取引自体が偽記憶で、自分たちに証拠なしの強制捜査を強いるための政治的罠であると主張します。しかし、素子はそれらの意見を退け、突入を決断します。

何故か。

直感がそう言ってるからです。

また、SACの素子と原作素子の最大の違いもここにあります。

常に理性的に最善の手を採り続けるSAC素子。
基本的には理性的に行動するが、時に「直感」で動く原作素子。

そして原作の荒巻は、「直感」で動くことを躊躇わない素子のような人員こそが自分の組織には必要と考え、素子を獲得するために陰謀めいた手腕まで発揮します。

なぜそのような人員を求めるのでしょう。基本的には理性的とは言え、「直感」など特殊作戦に全く必要ないように思えます。ここで思い出して欲しいのが原作攻殻の世界は複雑な世界だということです。

原作世界では、たとえ常に理性的に、最善の手を採り続けたとしても社会を変えることはできません。それどころか、社会そのものに取り込まれ、社会を変えようという志もいつのまにか失ってしまいます。
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そのような社会に一石を投じるには、理性だけではなく、直感による力が必要だと荒巻は考えたのです。なぜなら、理性的に考えれば社会なんて変えられるわけがないからです。あらゆる歪みには妥当な原因があります。全てが解決する便利な処方箋はこの世には存在しません。少なくとも、原作攻殻世界と我々の住む現実世界には存在しません。

そんな世界を理性だけで観ていれば、いつしか社会に抗うことに虚しさを覚えてしまいます。そしていつの日か『世の中の回転』に取り込まれてしまいます。

どう考えても正解が出ないような複雑なパズルを、それでもなお諦めずに解き続けようとする力。その力はむしろ理性ではなく直感、つまり素子の言うところの「ゴーストの囁き」であると新巻は考えているのです。

そして、その考えはAI「人形遣い」も共有しています。

「人形遣い」はAIなだけあって、人間を遥かに上回る計算能力を持っています。しかし、彼の計算能力を以ってしても世界に真に適応することはできない、と彼は言います。
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人間の理性や、AI「人形遣い」の計算能力をも遥かに超越する複雑性を世界は有しています。しかし人間には、その複雑性にすら立ち向かえるほどの力──ゴースト──が備えられているのです。

それは素子が犯罪への戦いを続ける理由そのものでもあります。

素子は聖庶民救済センターのような洗脳施設が社会に要請されたものであり、決して無くならないことを知っています。先進国による後進国への収奪がなくならないことを知っています。それらを知った上で、理解した上で、理性的に考えれば無駄だと知った上で、無謀な闘いに身を投じるのです。

理性では無駄と悟りつつも、ゴーストの囁き(直感)に従って無謀な闘いに身を投じる。

それが草薙素子の特性であり、また尊さだと僕は考えます。



【未来を、創れ】

SAC素子を語るとき、必ず引き合いに出される台詞があります。

「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ孤独に暮らせ。それも嫌なら──」

というあの有名なアレです。

なぜSACの冒頭で素子にこの台詞を喋らせたのか、いまいち良くわかりません。

意味深なようでストーリーにはまったく絡みませんし、笑い男事件とも素子というキャラクターにもなんら関わってこないように思われるからです。

ただ、悪意は伝わります。

監督の、強い悪意だけは、伝わってきます。

「体制との関わる上での消極的な解決策を示した」などと説明しているブログもありましたが、意味がわかりません。「唖(おし)でつんぼの人間のふりをすること」は何の解決にもなりません。現にSACの素子は犯罪の解明のために奔走しているわけですから。

神山監督は選民思想でも持ってるんじゃないかとすら思います。

「素子やアオイのように、選ばれた優秀な人間だけが社会に関われ。それ以外は黙ってろ」とでも言いたいんでしょうか。


反面、原作の草薙素子は全く違う考え方を持っています。

聖庶民救済センターから解放され喜ぶ戦災孤児の子供にこう告げるシーンがあります。

「何が望みだ?俗悪メディアに洗脳されながら種(ギム)を撒かずに実(フクシ)を食べることか?後進国を犠牲にして」

センターの子供は奇跡のような幸運によって助かりました。恐らく今後「種(ギム)を撒かずに実(フクシ)を食べ」ることも許されるでしょう。素子は「それでいいのか?」と問いを投げます。

「お前にだってゴーストがあるだろ。脳だってついてる。電脳にもアクセスできる」
「未来を、創れ」

今一度繰り返しますが、原作・攻殻機動隊の世界、そして我々が生きる世界は複雑な世界です。

合理的に考えたところで簡単には正解がみつからない世界。もしかすると正解そのものすら存在しないのかもしれない世界。そんな困難な世界で、足掻いていかなければならない。

だからこそ「未来を、創れ」と願う。

計算能力や知識の量や経験やネットワークだけではない、「ゴーストの囁き」による足掻きでしか世界を変えられないと素子は考えているからです。

誰も見たことのない明日が、もしかしたら在るかもしれない。お前にだってゴーストがある、脳がある、電脳(ネット)にもアクセスできる。私には無理かもしれないけれど、お前なら何かが出来るかもしれない。少なくとも、可能性はあるのだと。



【まとめ】

攻殻SACの素子は、黒幕を排除すれば全てが丸く収まる夢の世界の住人であり、だからこそ単なる警察官として犯罪捜査を冷静に、淡々と進めていく。

原作の草薙素子は、容易には解決策が見つからない複雑な世界の住人であり、だからこそ法や制度や理性だけに囚われず、いちゴーストとして社会の悪と戦っていく。

そして僕は原作コミックスの草薙素子のあり方、つまり「容易に答えの出ない複雑な世界の悪に挑戦し続ける人間の姿」こそ「攻殻機動隊」の最も重要なテーマであると思うし、黒幕が存在してくれる世界で淡々と犯罪捜査を行うというSACのコンセプトは原作レイプにもほどがある糞だと思うわけです。


余談ですが「ARISE」は明らかに原作素子のようなあり方を描こうとしている作品だと思います。彼女の住んでいる世界には、きっと黒幕は存在してくれません。 今後の展開に期待しています。