本稿はシリーズ「攻殻SAC解説+考察+dis」の第1回です。攻殻SACのファンには不愉快な表現が多々散りばめられているのでご注意ください。あとネタバレも満載ですのでよろしく。
そういった社会では、犯罪を摘発しても状況は変わりません。困難な任務もを達成してもそれで直ぐに何かが変わるということはありません。つまり、素子がどんなに頑張っても犯罪は減らないし人口は爆発するしクソ野郎は減りません。

そのような社会に一石を投じるには、理性だけではなく、直感による力が必要だと荒巻は考えたのです。なぜなら、理性的に考えれば社会なんて変えられるわけがないからです。あらゆる歪みには妥当な原因があります。全てが解決する便利な処方箋はこの世には存在しません。少なくとも、原作攻殻世界と我々の住む現実世界には存在しません。
それが草薙素子の特性であり、また尊さだと僕は考えます。
【まとめ】
攻殻SACの素子は、黒幕を排除すれば全てが丸く収まる夢の世界の住人であり、だからこそ単なる警察官として犯罪捜査を冷静に、淡々と進めていく。
原作の草薙素子は、容易には解決策が見つからない複雑な世界の住人であり、だからこそ法や制度や理性だけに囚われず、いちゴーストとして社会の悪と戦っていく。
そして僕は原作コミックスの草薙素子のあり方、つまり「容易に答えの出ない複雑な世界の悪に挑戦し続ける人間の姿」こそ「攻殻機動隊」の最も重要なテーマであると思うし、黒幕が存在してくれる世界で淡々と犯罪捜査を行うというSACのコンセプトは原作レイプにもほどがある糞だと思うわけです。
余談ですが「ARISE」は明らかに原作素子のようなあり方を描こうとしている作品だと思います。彼女の住んでいる世界には、きっと黒幕は存在してくれません。 今後の展開に期待しています。
twitterでもさんざん書いたのですが、僕は攻殻SACが嫌いです。予算をかけて作られた映像美と、当時としては先進的だったコンピューターグラフィック以外、褒める点の少ないアニメーションだと思っています。
まぁ褒める点の少ないアニメなんて星の数ほどあります。僕だって嫌いな作品ひとつひとつをを全力でdisるほど暇ではありません。ということで、放映以来数年間SACのことを忘れて生きてきたのですが、ここに来て事情が変わりました。
というのは「攻殻機動隊ARISE」の登場です。
たまたまyoutubeで公開されているPVを何点か見た瞬間気づきました
「あ、この作品は絶対攻殻SACが嫌いな人間が作っている!」
これは劇場で実際にARISEを見てから確信に変わりました。脚本の冲方丁氏は、確実に攻殻SACが嫌いな人間です。
嫌いという言い方がアレなら、「疑問を持っている」と言い換えてもいいでしょう。とにかく、「SACは攻殻じゃない!」という想い、特に「SACの素子は素子じゃない!」という想いを持つ同志を見つけて、僕はたいへん心が温かくなりました。やはり人類に希望は残されている。白痴だけが人間ではない、と。
ところが帰宅してはてブや2chまとめyahoo!映画情報などに書き綴られた「ARISE」の感想を見て僕は再び人類に絶望しました。そこには
「こんなの素子じゃない」
という言葉が、名を変え品を変え書き綴られていました。
なるほど。
いつの間に、俺が「SACなんてどうでもいいわ」とだらだら過ごしている間に「草薙素子と言えばSAC素子」という世論が、何者かによって、恐らくSACファンを名乗る文化の破壊者たちによって、醸成されてしまったようでした。
なるほど。
ふざけるな。
ということで、今回「草薙素子とはどのような人間なのかー原作素子とSAC素子の違い」という本稿を書くに至った訳です。前置きが長くなりました。早速始めていきましょう。
【SAC世界と原作世界の違い】
草薙素子は警察官です。原作・SACともに特殊な犯罪に対する公安部の特殊部隊「公安9課」のメンバーとして、時に危険を顧みず犯罪と戦います。そのスタンスに若干の差異はあれど、基本的に社会的な立ち位置は原作素子・SAC素子ともに変わりません。
違うのは彼女たちの社会的立ち位置ではなく、彼女たちの属する社会そのものです。
SAC素子の属する世界は単純です。
いち政治家が大規模な企業テロや不正な株価操作を試み、軍や警察でさえも不思議な力で自分の私兵にしてしまい、私的犯罪の証拠隠滅や証人の殺害に加担させられる。それがSACの世界です。
そこには純粋な被害者と加害者のみが存在し、他には何者も存在しません。悪徳政治家と虐げられた民衆がいるのみです。悪いのは全て黒幕、というのがSACの世界です。
こういった社会なら素子のやるべきことは簡単です。黒幕を倒す。それだけです。そうすれば悪は滅び、虐げられた人間は解放され、万民の歓喜の声が渦巻き天下大吉万々歳ということになります。
SAC世界では素子は(ついでに荒巻も)何も考える必要がありません。明確な悪が存在し、そいつらを倒せば全てが解決するわけですから。自らの犯罪捜査へのモチベーションに何ら矛盾はなく、ただ目の前の任務に集中すればいいわけです。
原作素子の属する世界はこれとは全く違います。
なるほど犯罪は蔓延っている。戦災孤児に強制労働が課せられ、洗脳まで施されています。しかし、SAC世界と大きく異なるのは、一部の黒幕の個人的利益のために犯罪が行われているのではなく、広く社会に容認された上で犯罪が行われているということです。
つまり、原作世界には犯罪に黒幕が存在しません。
強いてあげれば社会全体が黒幕であり、人類社会の抱える必然的な歪みとして犯罪が現出するわけです。
強いてあげれば社会全体が黒幕であり、人類社会の抱える必然的な歪みとして犯罪が現出するわけです。
そういった社会では、犯罪を摘発しても状況は変わりません。困難な任務もを達成してもそれで直ぐに何かが変わるということはありません。つまり、素子がどんなに頑張っても犯罪は減らないし人口は爆発するしクソ野郎は減りません。
それならば、なぜ草薙素子は犯罪捜査を続けるのでしょうか。
【理性と直感】
原作攻殻機動隊の世界では、諸犯罪は社会それ自体と密接に結びついており、9課がどれほど活躍しても社会全体に与える影響力は極めて限定されている、というところまでは話しました。
ではなぜ原作素子は犯罪捜査を望むのでしょうか。その答えが「ゴーストの囁き」です。
欄外の文章でゴニャゴニャ精神とは~魂とは~とか書かれてるので難しく考えてしまうかもしれませんが、「ゴーストの囁き」とはそのままズバリ「直感」のことです。
原作1巻第1話の聖庶民救済センターの事件を例に取って見ましょう。ハッカーによる潜入とトグサ・イシカワらの偵察ではセンターが洗脳施設を保持している証拠は掴めませんでした。
バトーたちは荒巻との取引自体が偽記憶で、自分たちに証拠なしの強制捜査を強いるための政治的罠であると主張します。しかし、素子はそれらの意見を退け、突入を決断します。
何故か。
直感がそう言ってるからです。
また、SACの素子と原作素子の最大の違いもここにあります。
常に理性的に最善の手を採り続けるSAC素子。
基本的には理性的に行動するが、時に「直感」で動く原作素子。
そして原作の荒巻は、「直感」で動くことを躊躇わない素子のような人員こそが自分の組織には必要と考え、素子を獲得するために陰謀めいた手腕まで発揮します。
なぜそのような人員を求めるのでしょう。基本的には理性的とは言え、「直感」など特殊作戦に全く必要ないように思えます。ここで思い出して欲しいのが原作攻殻の世界は複雑な世界だということです。
原作世界では、たとえ常に理性的に、最善の手を採り続けたとしても社会を変えることはできません。それどころか、社会そのものに取り込まれ、社会を変えようという志もいつのまにか失ってしまいます。

そのような社会に一石を投じるには、理性だけではなく、直感による力が必要だと荒巻は考えたのです。なぜなら、理性的に考えれば社会なんて変えられるわけがないからです。あらゆる歪みには妥当な原因があります。全てが解決する便利な処方箋はこの世には存在しません。少なくとも、原作攻殻世界と我々の住む現実世界には存在しません。
そんな世界を理性だけで観ていれば、いつしか社会に抗うことに虚しさを覚えてしまいます。そしていつの日か『世の中の回転』に取り込まれてしまいます。
どう考えても正解が出ないような複雑なパズルを、それでもなお諦めずに解き続けようとする力。その力はむしろ理性ではなく直感、つまり素子の言うところの「ゴーストの囁き」であると新巻は考えているのです。
そして、その考えはAI「人形遣い」も共有しています。
「人形遣い」はAIなだけあって、人間を遥かに上回る計算能力を持っています。しかし、彼の計算能力を以ってしても世界に真に適応することはできない、と彼は言います。

人間の理性や、AI「人形遣い」の計算能力をも遥かに超越する複雑性を世界は有しています。しかし人間には、その複雑性にすら立ち向かえるほどの力──ゴースト──が備えられているのです。

人間の理性や、AI「人形遣い」の計算能力をも遥かに超越する複雑性を世界は有しています。しかし人間には、その複雑性にすら立ち向かえるほどの力──ゴースト──が備えられているのです。
それは素子が犯罪への戦いを続ける理由そのものでもあります。
素子は聖庶民救済センターのような洗脳施設が社会に要請されたものであり、決して無くならないことを知っています。先進国による後進国への収奪がなくならないことを知っています。それらを知った上で、理解した上で、理性的に考えれば無駄だと知った上で、無謀な闘いに身を投じるのです。
理性では無駄と悟りつつも、ゴーストの囁き(直感)に従って無謀な闘いに身を投じる。
それが草薙素子の特性であり、また尊さだと僕は考えます。
【未来を、創れ】
SAC素子を語るとき、必ず引き合いに出される台詞があります。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ孤独に暮らせ。それも嫌なら──」
というあの有名なアレです。
なぜSACの冒頭で素子にこの台詞を喋らせたのか、いまいち良くわかりません。
意味深なようでストーリーにはまったく絡みませんし、笑い男事件とも素子というキャラクターにもなんら関わってこないように思われるからです。
ただ、悪意は伝わります。
監督の、強い悪意だけは、伝わってきます。
「体制との関わる上での消極的な解決策を示した」などと説明しているブログもありましたが、意味がわかりません。「唖(おし)でつんぼの人間のふりをすること」は何の解決にもなりません。現にSACの素子は犯罪の解明のために奔走しているわけですから。
神山監督は選民思想でも持ってるんじゃないかとすら思います。
「素子やアオイのように、選ばれた優秀な人間だけが社会に関われ。それ以外は黙ってろ」とでも言いたいんでしょうか。
反面、原作の草薙素子は全く違う考え方を持っています。
聖庶民救済センターから解放され喜ぶ戦災孤児の子供にこう告げるシーンがあります。
「何が望みだ?俗悪メディアに洗脳されながら種(ギム)を撒かずに実(フクシ)を食べることか?後進国を犠牲にして」
センターの子供は奇跡のような幸運によって助かりました。恐らく今後「種(ギム)を撒かずに実(フクシ)を食べ」ることも許されるでしょう。素子は「それでいいのか?」と問いを投げます。
「お前にだってゴーストがあるだろ。脳だってついてる。電脳にもアクセスできる」
「未来を、創れ」
「未来を、創れ」
今一度繰り返しますが、原作・攻殻機動隊の世界、そして我々が生きる世界は複雑な世界です。
合理的に考えたところで簡単には正解がみつからない世界。もしかすると正解そのものすら存在しないのかもしれない世界。そんな困難な世界で、足掻いていかなければならない。
だからこそ「未来を、創れ」と願う。
計算能力や知識の量や経験やネットワークだけではない、「ゴーストの囁き」による足掻きでしか世界を変えられないと素子は考えているからです。
計算能力や知識の量や経験やネットワークだけではない、「ゴーストの囁き」による足掻きでしか世界を変えられないと素子は考えているからです。
誰も見たことのない明日が、もしかしたら在るかもしれない。お前にだってゴーストがある、脳がある、電脳(ネット)にもアクセスできる。私には無理かもしれないけれど、お前なら何かが出来るかもしれない。少なくとも、可能性はあるのだと。
【まとめ】
攻殻SACの素子は、黒幕を排除すれば全てが丸く収まる夢の世界の住人であり、だからこそ単なる警察官として犯罪捜査を冷静に、淡々と進めていく。
原作の草薙素子は、容易には解決策が見つからない複雑な世界の住人であり、だからこそ法や制度や理性だけに囚われず、いちゴーストとして社会の悪と戦っていく。
そして僕は原作コミックスの草薙素子のあり方、つまり「容易に答えの出ない複雑な世界の悪に挑戦し続ける人間の姿」こそ「攻殻機動隊」の最も重要なテーマであると思うし、黒幕が存在してくれる世界で淡々と犯罪捜査を行うというSACのコンセプトは原作レイプにもほどがある糞だと思うわけです。
余談ですが「ARISE」は明らかに原作素子のようなあり方を描こうとしている作品だと思います。彼女の住んでいる世界には、きっと黒幕は存在してくれません。 今後の展開に期待しています。
コメント
コメント一覧 (121)
つかスタンドアローンコンプレックスって、そういう「「自分は複雑なんだ」って思ってる(単純な)人間」を大量生産しちゃうって話だったような。
なのでなんか「神山監督には選民思想が~」とか言ってますけど、それ心理学で言うところの投影ってやつだと思いますよっと。
SACと原作の違いについてはよくわかる。
個人の独り言なら良いと思うけど、SACとか神山監督への批判は偏見?。
コンセプトが違ってるってわかってるのに、別作品に見れてないのがわからない。
「黒幕」という表現が何をさしているかよく分かりませんが、「敵」はSAC、原作共に
同じなのではという気がします。
SACの素子も原作の素子も内閣総理大臣直属の防諜機関「公安9課」所属です。
つまり暗殺、汚職など政府を脅かすテロ組織が彼女らの「敵」です。
自分は久しく原作攻殻2を、エンタメとしては楽しめても意味としては捉えきれていなかったのですが、
原作2の主人公たちがまさに悪い意味での理性の権化「利益効率追求機械」と化しており、ネットは広大なはずだったのに硬直化してしまった現状から始まる点で、
やはり原作1からの正統な続編だったのだな、とこの考察を読み思いました。
攻殻機動隊というのは、弱ってしまったゴーストを再び奮い起こすイベントに人が触れる、魂振の物語なのかもしれません。
笑い男事件を、「薬島幹事長が黒幕の単なる経済犯罪」というその表層でしか
捉えることができてらっしゃらないようですし
僕は攻殻は原作からARISEまでほとんど全部好きだが、それぞれ別の作品ってだけだよね。
大体、冲方がSAC嫌っているとかニコニコ生放送だったかでやった神山と冲方の対談見て言っているの? 思い込みだけで語っている恥ずかしい人だね。
SAC嫌いが先行してて引き合いに出す為に無理矢理disってるようにしか思えないんですよね。
これなら単に「俺は原作が好きだからSACは気に入らない」でいいと思うんですけど。
そもそもARISEが原作寄りかSAC寄りかなんてまだわからないと思います。
第3波と言う可能性もある。
原作の素子はよく笑うし、感情の起伏が大きく、生きている感じがします
押井の素子は悩みすぎ
SACの素子は意味深なことを言うだけのロボットに感じます
このキャラの違いは、続編の作り方、作りやすさにも現れていて、
原作2巻は、素子が警察官で無くても成立する
押井の続編はもっと悩む主人公にしかならない
SACは警察ドラマの域を出れない
のではないかと思います
ARISEは、考察されている通りなら良いのですが、
IGであることやPVを見る限り、表情幅の狭い暗い主人公になりそうで
ちょっと心配です
素子をこれまで通りの暗いシリアスを引きずらないほうがよかった気が。
あと背景も暗いじゃん。劇場版はあれでも良かったが、アライズは質の低い暗さ。アニメーターの監督だから背景は重視しないのかねぇ
このセリフは、体制に迎合し、その尖兵として存在している初期状態の素子の世界観を表現している。いかにも公安警察といったセリフ。
これを言うのは第一話。それから笑い男事件などに関わって、社会悪に対して挑戦する主体へと素子が「変化」してゆく様子が描かれている。なので、このセリフ=メッセージと理解すると、大きなミスリード。このアニメが言いたいことはむしろ真逆。
原作素子の思想はある程度一貫してるし、だからその素子に慣れてるとミスリードしやすい。そういう点で、アニメと原作では物語の構造が大きく違う。
そもそも漫画とアニメでは媒体としての特性が違う。漫画はクール性ではないし、いつ打ち切りになるか解らないので、冒頭話から主要なメッセージが出てくる事が多い。
しかしアニメは1~2クールで計画的にメッセージを表現するので、主要なメッセージは後半に持ってくる場合が多い。
だから1話の冒頭のセリフなんて主題と真逆の事言ってるくらいに覚悟してみないと駄目だよお。
無印の攻殻機動隊はそういうことをしろと貴方に伝えたの?
ここでは関係なさげですが銃夢も無印のドブ臭さのほうが好きです。
個々の考えで足掻いて単純な解決は個々にしかないところとか
とりあえず、ARISEの顔芸はいい意味で酷いわw
十年前中学生だった頃に観たが理解できず、人前でそれを馬鹿にされトラウマになり、
それ以来見返していないのではないか、などと思ってしまった。
冒頭の素子のセリフは終盤のあるセリフと対になってる。
そのセリフが吐かれた状況と合わせて考えれば「自分を変えろ」の意味は明白。
冒頭で象徴的なセリフを出し、本編を進め論理展開し、終盤でそのセリフに回帰し、
作品のメッセージを強化する、古典的な手法。
というかこのセリフ、誤解されすぎだよ・・・
追記
上のほうで素子の「変化」を強調されてる方がいるが、
俺の見立てでは素子は変化などしてない。彼女が変わるのは2nd GIGやSSS。
笑い男編に「変化」や「成長」を求めるならトグサかアオイだと思う。
なにかに似てるなぁと思ったら、まるで俺の卒論そのものであった…w
これはちょっと恥ずかしい…
素子さんの、ここでも引用されているけど、不自然な説教セリフ。
作者が託しているモノが重すぎてバランス悪いと思ってます。
ナウシカの原作も主人公に背負わせすぎた作品だけど、それと似ている。
それがテレビアニメになったらもっと無惨な代物に。
今回の分析は比較の要点を押さえて、短い中でよく整理したと思う。
アライズは、原作の説教臭さが抑えられ、
素子の人間的な側面、地に足のついた弱さが描かれていて、
今後の展開にも期待が持てると思ってます。
というコンセプトだったんじゃなかったっけ?
だから、テーマやメッセージや哲学は無くていいのだと思います。
テロ対策特殊部隊つながりで新撰組(それも物語として脚色された)
の成分が入ってると思うのですが、
あまり触れている人が居なくてさびしい。
そういう人達の方が得てして選民思想的と言うか、他(今普通に暮らしている人達)はどうなってもいいから、自分の都合のいいように世界を変えたいみたいな意識が滲み出てます。
そういうのを見るとまず自分を変えろよ、と言いたくなる素子の気持ちは十分分かります。
SCAの素子は、おそらくARISEで描かれるであろう葛藤をさらに超えて、再び口を出すものになったのだと言えるのでは?選民思想?なんのこっちゃ。
あなたと私は基本的にわかりあえない。人と人は理解し合えない、その前提にたち、自分もまた無駄であると知りつつ動かずにはいられない、結局SCAをわるくいいたいだけだよね
今回のariseは台詞のみで語られる登場人物の関係がやたらと複雑という、特殊な事情があるような気がしたので、2chで自分が考えてたことを少し整理してみたので、見て頂けたらなと思います。
http://adadadadada.web.fc2.com/
今後あからさまな黒幕が登場するか、否か確信を持てないのですが、現実が揺らいでも立ち止まらないモトコさんに期待をしたいです。
ではでは。
SACを憎んでますっていってるのに
それぞれ別の作品と割り切って楽しめばって人の話聞いてんのか
俺は映画版ドラえもんしか認めないよって言ってるのに
それぞれ別の作品として認めろよって話噛み合ってねーだろ
こいつは最初っからSACが憎いですとしか言ってないだろ
無理なく大衆のお口にあうようにしたと考えればSACは大正解と思うねぼくは
反面ARISEのうぶちんはそっちよりの人間だからバイアスかかった目で見ればそりゃアンチSACにも見えるだろうさ
ただ、コメ欄で言われてる通り、少々感情の起伏が狭いきらいがあるかなと。
完全な原作主義派にはプレイステーション1から出てるゲーム作品
攻殻機動隊 をお薦めします。
ゲームパートが終わった後にショートムービーが流れるんですがね
ここで描かれる素子及び公安9課は難の味付けもされてない士郎正宗の完全な原作デザイン風に仕上がってます。
一度アニメ作品でこういったものを観てみたかったんですが中々実現しませんね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6043963
原作派も何も別の作品だって意味が分からないの?
関わった人もメディアも違うのに
原作派って言葉が出てくる時点で割り切れてないから割り切ってみたらって事だろ?
人の話聞いてないのはおまえも同じだよ
ギャグのつもりなのだろうか?
>なるほど。
>ふざけるな。
被害妄想で自分が正しい?
原作が正しく、原作以外は認めない…かのような言い方ですが、原作2での素子因子を持つ同位体はどう解釈します?
そもそも原作が絶対的だという考えなら原作以外の全てはパラレルワールドであると考えて無視していれば問題ないだろうに。
SACファン=文化の破壊者
誰と戦ってるんですか?
sacは小難しいけどぶれないので作品としては完成されてあり見易かった。論理武装されているけど、情緒面での魅力もちゃんと抱き合わせて作ってあった。ariseはたぎるものも無くただ傀儡のようにバトルするキャラを撮ってるだけ。オサレ攻殻。sacとは勿論違うし原作もこんなにビジュアルだけを取り繕った作品ではなかったはず。
原作はコミカルな部分や作者の能書き部分諸々見所があった。
ariseは原作よりもsacからアクションパートと電脳戦だけを切り取って増やしただけだと思います。
腑に落ちる内容でとても関心しました。是非攻殻の映画についてもコメントあれば聞きたいです。
とても面白い考察だと思います。
しかし、一つだけ腑に落ちない点があります。
この考察を読む限り、主は原作がお好きで、まとめではS.A.C.は原作レイプだとおっしゃっています。
もし原作レイプだとしたら、原作者である士郎正宗さんは制作に協力すると思いますか?
攻殻の有り得る一つの可能性だと思ったからこそ、S.A.C.の制作に協力したと自分は思いますけど。
主の意見を否定はしませんが、こういった見方も出来るということをご理解頂けたら幸いです。
それだけこの記事が攻殻ファンに一石を投じたのでしょう.
先に弁解しますと,わたしはこの記事しか読んでいないので今この方がどういう考えを持たれているかは分かりません.なので見えない敵と戦ってるように見えるかもですが…
冲方丁氏の書いた作品を読むと分かりますが,彼こそ勧善懲悪,明確な敵を倒すことが好きな様に思います.
そして今回の冲方攻殻で非常に残念だったことに薄っぺらさ,が挙げられます.
冲方氏のマルドゥックシリーズはそのやや重厚ながらファンタジー要素?もあるSF観で人気に拍車がかかったものだと思いますが,今回のARISEではこのややあった重厚感というものが微塵も感じられなくなっています.
使う用語,技術の科学的な背景の描写,演出,その他タチコマとのやりとりなど,全てが薄っぺらいのです.なので内容に関しても薄っぺらく見えてしまうのではないかな,それがSACファンの嫌がるところのひとつではないか,と思います.
マルドゥックシリーズは人と社会の関係だし、シュピーゲルシリーズだってそう。
それぞれに主人公と敵対する勢力はあるけど、それを飲み込もうとする社会を描いてるよ。
冲方作品読んでるの?
おそらくこのおっさんは自分の理解できないこと以上の話は全部否定してきたんだろなー
不満があるなら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ
スレ主は原作をどこか高尚な作品と考えているようだが、そうは思えない。
考察では、SACを単純な勧善懲悪だとしているが、黒幕を倒してハッピーエンドなんて展開がSACのどこにある?
>61
の意見に賛同。単に原作が好きで、その設定を借りた別作品に違和感があるだけでしょ。屁理屈コネてないで、それが主張のすべてかと。単純な好みの問題。原作の映画化やアニメ化においては、とかくイメージと異なるということが起こる。表現方法が全く違う作品なので、それは当然のこと。原作に忠実だと言われる作品でもまったく作品としては異なる要素があるものだ。何でイメージとちょっと違うなと正直に言えないのかね。SACが完全懲悪? どこみてそんなこと言ってるんだか。選民思想に至っては、妄想かね。屁理屈こねて言葉遊びがしたいなら、もっと緻密に論理立てて考察した方がいいよ。あんたには出来ないと思うけど。浅はか。
ファンがいっぱいいて嬉しいよ。
そりゃ原作知らない人からしたらこんなの じゃないって
言っても不思議ではない。
俺はariseもsacもどっちも好きだ。
違和感なんて暫く見てたら消えるからw
長い物には巻かれろ、と取れるSACのセリフですが、「世の中を変えられる人間を目指すなら良し、それができずにテロに走るなら覚悟しろ」という意味にも取れると思います。
言葉足らずなのかミスリードを誘っているのか、何とも言えないところですが。
無理やり見させられたコードギアスdisったら叩かれた事もある俺が意見しましょう。
sacの読みが甘いです。sac1期を軸に順番にいきましょう。
※あくまでも孤人の意見です
1.SAC世界と原作世界
原作のパラレルワールドとして社会問題を中心に物語が進みます。そこで加害者と被害者、黒幕と公安。正しい構図ですね。原作世界は黒幕が具体的に存在しないのに対してSAC世界は黒幕は明確な悪として存在する。
ここで大事なのはsacの加害者には明確な動機があるということです。それは宗教や思想、主義、文化と様々です。一理ある悪なのです。だから9課が犯罪者捕まえたやったーで終わる内容ではないのです。1期2話や16話などからも分かると思います。それでも悪は悪だから捕まえられてしまいます。だから「自分を変え」なくてはいけないのです。
2.理性と直感
sac見直してください。話すまでもないです。素子もそうですが1期はトグサがメインといっても過言ではないのでそこに注意して見るべきです。
3.未来を、創れ
サリンジャーの作品を読んでいるとより理解が深まります。
上記1の最後に述べたように、自分が変わらないといけないのです。
社会は孤人では変えられない、個が緩やかに変えていくのです。それでもって最初の素子の台詞です。
まとめ
極端にいうとsacは自分を変えることが出来なかった動機ある者達の戦いであり、それを抑える9課の活躍と、主にトグサの心の動きを楽しむものです。
原作の素子も好きですが、そもそもパラレルワールドで見所も違う訳で、比べてること自体が論外ですよ。別物なのに真剣に原作との差異とか言っちゃって笑
まあ作品のどこに面白さを見出だすかで決まりますよね笑笑
omaenotekiさん、レスよろしくお願いしますよ?
だってタチコマ最強だから
自分も実は
原作>>>>>(越えられない壁)>>>>>gits攻殻,イノセンス,sac1>sac2>>arise,sss
と思っているから、気分を悪くしないでください
「世の中に不満が~」よりも「この世の中が嫌いなら二度とあの世から出てくるな!」と内務大臣パンチが好きかな。
やはり比べるのは時間の無駄遣いです
「ジョジョ」の4部と8部の主人公ジョジョを比べる位無駄無駄です
どれも単純なハッピーエンドにならない点が惹かれます
言われた様に努力しても報われないが膿まず走り続ける姿勢がかっこいい
確かに実際の社会と一緒ですよね~
具体的には、「いつの時代にも我々のような組織は必要だ…」というセリフとか。
僕も原作の方が好きですが、>>66さんのコメントはとても的を得てると感じます。もう一度ゆっくり見直してみては?
原作、押井版と比べても人気は高いと思うから、原作ファンからすればS.A.Cの評価が高いのは面白くはないわな。
でもさ、「S.A.Cなんか邪道。あんなの攻殻じゃない。にわか共が知った風なこと言いやがって」なんて言ってたら攻殻は終わるよ。
S.A.Cなかったら、攻殻自体がここまでの人気コンテンツになってないだろうし、ましてariseなんて作られてないと思うよ。
押井版も1作目はともかく、イノセンスなんか訳分からんよ?ファン以外には。
その点S.A.Cは入門編として非常に優秀だと思う。
どんなにすばらしい作品やコンテンツも見てくれる人がいないと始まらない。
SACは少なくとも「原作に忠実なアニメが見たい」という要求を満たすものはではないし
そのSACや以降のアニメ作品が「攻殻機動隊といえば」な代表作として取り扱われることに不快感を覚える
という意味では自分の考えは著者と一致している。
自分は理路整然と説明する気はない。SAC以降のアニメ作品は嫌いだ。
比較、考察するならば、あなたは両作品ともを真剣に見るべきだ。雑で偏見な眼をもって作品を評価していることに気づいて欲しい。
嫌いなら見るなよとwwwよっぽど暇なんだなww
自分もなぜかSACは好きになれなかったんですが、多分この考察の考えと一緒だと思います、
あの台詞にも違和感を感じてました。
SAC はスマートでスタイリッシュなアニメで万人受けしたんでしょうが、
原作や押井版1作の儚さのような感覚、なんというか、
そんな泥臭さが私は好きです。
原作素子の考えは違うんじゃないかなと思います
「ゴーストが囁くから」ではなく「生きたいから」だと思いますよ
悪を滅ぼすためとか考えてないのではないでしょうか
生きるために義体化し、生きるために最高メンテナンスが出来る仕事につき
子孫を残すために人形使いと融合する
生き残るために勘(ゴースト)も信用し、生活し易い環境を作り(敵と戦い)
地下に潜ったりもする
自分を云々は純粋にアドバイスだと思いますよ
平成ライダーと昭和ライダーとかでも文句言ってそう
SAC憎さにARISE上げてるようにしか見えないね。
しかしここの主は沸点低すぎるね。
反論受けやすい内容書いてるんだから、もっと冷静に話すればいいのに
感情的になりすぎ。
原作以外はクソで、S.A.Cとか良いっていってるひとは白痴なんだよおおぉぉぉあああーーー!!!
まで読んだ
ひたすら、嫌いな所を嫌いって言ってるだけだし。だれも勧善懲悪を楽しんでるわけじゃないのよ。
他の人が魅力的に感じてる所を理論的に批判してほしいです。
sacは一番キャラが魅力的に描かれてるし、話も社会批判的な話が多いのに説教臭くなくて面白いでしょう?
ジブリで言えば、原作は高畑、sacは宮崎って感じで、どっちも大好きです。ただアライズはキャラも話も薄くて、超ウィザード級ハッカーすげー(笑)な印象しかない糞作品だと思ってる。アライズを攻殻の仲間に入れる事だけは勘弁して欲しい。
原作を読まずにアニメを見ても世界観がわからん。
とんでもないハイテクがある割に、街中の描写が現代的にする
意図がわからん。ここまで書くとナンセンスを描いた作品なんですかね。
押井守監督作品は原作に比べてストーリが重い。私的に原作はもっとlightでpopな印象を受けました。
黄瀬和哉監督作品は素子ってそんなに簡単にハックされるの?って疑問があります。サイトーに関しては論外。金で動く傭兵は信用できない。
Production I.Gはそろそろ攻殻機動隊から離れるべきだと私は思います。
全くそんなこと言ってないですよね
自分を変えろって言ってるんだから
ここのブログの運営者は自身が抱く劣等感や被害妄想によって
論理的な思考ができなくなっているようにさえ感じます
原作に関しても「本当に読んでいるのだろうか?」
と思いました。
を解説するというよりも。
”我に賛同できないものは白痴であり、実のところ、世間のあらかたが無知蒙昧なやからであり糞であるのだよ”
とおっしゃりたかったのですね。
悲しいことです。
銀魂でも見てお気を静めてくださいまし。
これほど原作に沿ったアニメはございませんよ。
最初は設定の違に少し戸惑ったりしましたが、最近は自分なりの理解が収まるところに収まってすっきりとしたように思います。
だって、物語の受取り方は千差万別。好きに解釈してもいいんだよねー。
そう。ですから、おれが教えてやる的な上からな物言いはやめてください。
好きとか嫌いや、解釈、講釈は人それぞれだなって思えて面白かったけど。
自分と違う意見は認めないぞー。みたいなこと言わないでっ。ネ!
そんなことまで言わなくても、あなたの原作への愛はちゃんと伝わってきますから。
でも、物語の世界観を理路整然と解説できる人がいっぱいいてちょっと尊敬。 みんなきっと仕事もできるんだろーなー。
ごめんなさい、関係ないか。
ちなみに、私はバトーさんのタチコマへの愛情が感じられるシーンが大好き。フチコマやロジコマもいいけど。
タチコマメインのスピンオフできないかなー。
頭悪い中学生が無理すんなよ
それぞれのシリーズでコンセプトが違って
人を描きたがってるはずの押井や原作、ARISEは
今のクリエイターレベルでは力不足だから無価値
その点SACは人より社会を描いてる分まだ全然見れるし
2ndにいたってはその中で生きる人すらも部分的に評価できるレベル
結果論だがな
シコシコ原作読んでろよハゲ
当然、SACは原作へのリスペクトから生まれたのだと思いますが、大袈裟に言えば扱っているテーマが全く異なる作品として両方を評価しています。
SACは原作にリアルタイムの要素を取り込んだ作品なんです
つまり貴方はSAC世界が嫌いなんじゃない
「素子やアオイのように、選ばれた優秀な人間だけが社会に関われ。それ以外は黙ってろ」と自分に言い聞かせて、逃げているだけです
攻性防壁に脳を焼かれて下さいw
全話見てないでしょ?読みが浅すぎますね
内容が好きか嫌いかはともかく、あれは売れたかもしれないが、原作者と原作ファンを蔑ろにした作品である事は間違いない。
チラ裏程度の個人の感想でも別に良いんじゃないかな。
劇場版もSACも社会構造の宿命に切り込む話というよりは抒情的なメロドラマであり
そういうのが好きな人はいっぱいいる
結局彼らが求めているのは慰めであって考察ではないのだ
たまたまあなたが求めているものが考察であったこと
あなたが求めなかったものが広く大衆によって求められた結果
SACの素子が広く公認されていったということ
わたしはある種の慰めに満ちたSACより
シビアな考察に基づいた士郎素子に「意義」を感じる
そうじゃない人が圧倒的多数だったとしても
俺にとっては大問題
なんだろう。 あれは… 原作は 活動因子のあり方を生命を特別視する事で楽しめるように、あっけらかんと最初から最後まで描かれているのに。
アニメでは 閉塞感を押し付けて洗脳でもするがごとき文言を採用。 生命体というよりも、意思や選ばれた存在を強調していて嫌悪感だけが残る。
受け入れ可能な洗脳を受けた視聴者は 事大主義者になるんじゃないだろうか。
アリスに入って その辺変わるのか(若い素子がのびのびするのかな)と思いきや、さらに おつむが空っぽだの心が空っぽだの優れたプログラマーは財産だから 亡命するときはつぶされるだの・・・ あほかっつーの。 「ゴースト」大好きなところも変わってないし、 これ、おつむが弱い人を騙そうとしてるよね? アニメ作品のほう。
最初から、「こんなアニメはただの原作無視だ。こんな素子は素子じゃない」などと決めつけて見ているのではないでしょうか。
私には何度見ても、SACが勧善懲悪な薄っぺらいお話だとは到底思えません。
漫画のように文字がないからしっかりと考察できないのですかね。
もう少ししっかり見て、脳を使ってから考察・批判することをおすすめします。
理論的に考えず、「これはなんかやだ」というゴーストの囁きだけでは、何事も捉えられませんよ。
原作を読みたいのですが中々見つからなくて未だに見てません。なので原作との相違点がよくわかりませんが、ARISEなどは疑問に感じています。スタッフを一新するのもそうですし、今までの攻殻を破壊したい意図を感じます。斎藤が金に転ぶとことか見てられないです。穿った見方をすれば世界的に有名な日本のアニメコンテンツを潰すために某民族に連なるものが意図的にやってるのかと思います。
またゲームのメタルギアとかもそうなのかと思えてきますし。
アマゾンで500円ほどから手に入りますよ
どうか読んでくださいよ
あとSAC冒頭の「目を閉じ耳をふさぎ~」ですが
結局笑い男(正確には笑い男事件のきっかけを作ったアオイ少年)との接触の末、
アオイ少年はとっくに騒動にかかわるのをやめているのに素子がその遺志を継ぐかのようにセラノ氏を誘拐してるんですよね。(1度目の誘拐はアオイ少年。動機は両方とも村井ワクチンとマイクロマシン療法にかかわる医、官、財、政を巻き込んだ権力抗争と不正についてセラノ氏の口から明らかにすること)
結局はセラノ氏は素子扮する笑い男の説得で不正を明るみに出そうとするんですが最後にはそれを嫌った政府当局に口封じのため消されてしまう。
つまりSAC素子は権力者の飼い犬だったとしてもその飼い主に裏切られてしまうわけです。
音楽に例えるなら音楽はインスピレーション!歌詞にこだわるヤツは詩でも読んでなって事です。
貴方の言ってることは理屈っぽい攻殻機動隊自体を否定してる
音楽に例えるなら音楽はインスピレーション!歌詞にこだわるヤツは詩でも読んでなって事です。
貴方の言ってることは理屈っぽい。攻殻機動隊自体を否定してる
。をつけ忘れたんで、もう一回送信させてもらいます。
耳と目を閉じ孤独に暮らせ。それも嫌なら──」
「何が望みだ?俗悪メディアに洗脳されながら種(ギム)を撒かずに
実(フクシ)を食べることか?後進国を犠牲にして」
これ、いうほど違う意味か?
単純化すれば「甘えるな」ってことだと思うけど。
このブログの人は、「それが嫌なら~」の後を重視してるけど、SAC素子(というか作者)の
メッセージはむしろ「世の中に不満があるなら自分を変えろ」の方でしょ。
で、GISの素子は何が望みかを問うてるのではなく「義務も果たさず福祉に甘えている」ことを
皮肉ってるんでしょ?
アプローチが違うだけで、目指してるところは同じじゃないの?
読解力、あります?
何かを信じる代わりに視るべきものを視ず踏み潰しているような文章
SAC下げの解説に反論をするのであれば、押井氏の攻殻も同様で彼の世界観の押し付けをしているだけで、原作の魅力的な部分は全く生かされていない。
そもそも描き手が別人であれば同一の作品にはなり得ないのですから、比較してどちらが優れているという論議はナンセンスだと考えます。
それにゴーダ以外(笑)は誰が悪で誰が善かが曖昧な世界をTV物としてはかなり頑張って表現してたよね。 クゼしかり、SSSでは素子こそ傀儡廻と匂わせてるし。
あなたの読解力・鑑賞力こそ囁きが足りないように思われますが?
でも、両方とも目指してるものは同じだと思うんだが。原作だと軽いノリとジョーク、SACだとクールさで覆い隠してるけど、「実は正義漢むき出し(笑)」「けど法律を絶対視してるわけではなく、むしろ正義(感情)と法律(理性)が矛盾したら迷うことなく正義(感情)を優先する」という性質は共通している。原作素子はやや裏社会寄り、SAC素子は司法側に寄っててアプローチの角度は違うが、目指している部分は同じだよ。
SAC素子が感情より理性を優先してやってるだって??「囁くのよ・・・私のゴーストが」というセリフ、ちゃんと見ました?SAC素子も結局、最終局面では感情優先でやってるよ。笑い男事件の捜査の時も、課長の指示を無視して自分の直観捜査やってたしな。SACをちゃんと見てないとしか思えない感想文だなぁ・・・これ。
流行りの言葉を使えばアスペ的。
具体的なツッコミは数年前に全て出尽くしているようなので、個人的な罵倒だけここに書いとく。
ハァ~~~~~(クソデカ溜息)
まあどっちも名作や。