LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

99/99/99 LWのサイゼリヤにようこそ

オタクのブログです。

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■『魔法少女七周忌♡うるかリユニオン』掲載中

あれから七年、皆が魔法を拗らせた。
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■創作
『魔法少女七周忌♡うるかリユニオン(うるユニ)』あとがき
『席には限りがございます!(にはりが)』解説・大反省会1・大反省会2
『ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン(ゲーマゲ)』解説
『皇白花には蛆が憑いている(すめうじ)』解説
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■サイゼミ
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■理系トピックス
ソシャゲのデータサイエンスというのはガチャの排出率を考えることではなくて……
ひろゆきと親しむ身近な因果推論
データサイエンティスト業務用リハビリ書籍感想
★データサイエンス系資格だいたい全部取った
データサイエンスエキスパート攻略
『入門 統計的因果推論(Judea Pearl)』メモ
統計検定1級とかいうゲームに勝利した
複雑ネットワーク科学入門書籍の感想
竹村彰通『新装改訂版 現代数理統計学』の感想
ポインタと確定記述、変数名と固有名のアナロジーについて
機械学習入門書籍レビュー

■その他
★美大芸大の卒展巡りにハマったから良かった作品を紹介するぜ
2024年らへんに買ったりして良かった寄りのもの約10選
冬合宿でプレイしたカード・ボードゲーム初見レビュー
ここ最近のデスゲーム系ラノベを10冊読んだ
★東大卒無職のTwitter就活記
カードゲーム『CROSS GEAR』紹介/解説1・2・3・4
★マジでカードゲーム強い人たちにマジで強くなる方法聞いてきた
2023年買って良かったもの
★「生成AIの『学習』は学術用語だ」ということをそろそろちゃんと説明した方がいい
2023俺が選ぶ歌い手ベスト10
★就活に苦しむインテリの学生に社会の真実を教える
★『粛聖!!ロリ神レクイエム☆』はロリコンソングではありません
中学生ぶりにラノベ熱が再燃したので女性主人公ラノベレビュー1・2
「入間人間の手口がだいぶわかってきた」って何やねん
1秒もプレイしてないNIKKEキャラデザ真剣評価
重い腰を上げて10年前に積んだ女性主人公ラノベ83冊を崩した1・2・3・4
AI挿絵付きWeb小説を投稿し始めて2ヶ月経った話
★君はAI創作の最前線にして最底辺「AI拓也」を知っているか
プランナー目線の生成AI妥協論
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★小二で全国模試一位を取った男の半生・延長戦
人生で初めて歌ってみたに激ハマりしてる話
2021年買ってよかったもの
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実用系アニメのポテンシャルを評価せよ
ガチャを叩く時代は終わった

25/3/16 タネンバウムの『コンピュータネットワーク』を読んでワンランク上の現代人になった

タネンバウム『コンピュータネットワーク』

ここ1ヶ月くらいタネンバウムの『コンピュータネットワーク』(第6版)をずっと読んでいた。

Amazonの書影で見てもわかりにくいが、技術書としては最大級に重厚な本である。23.4 x 17.8 x 4.1cmという辞書クラスのサイズ、手近にあった宗教学辞典より大きい。紙版で904ページ、kindle版に至っては1629ページ。重量は一冊で1.5kgに及ぶ。
でけえー

しかしあまりにも面白すぎたので最近はどこに行くにも持ち歩いて読んでいた。分量は多いが面白すぎるのでサクサク読めて1周あたり2週間くらい。面白すぎて通読を2周したため、2週間×2周分をこの本に拘束されていてブログの更新が4週間止まった。

補足575:最初に中野図書館で借りたら次の予約を入れられてしまって延長ができなくなり、仕方なく千代田図書館で借り直した。Twitter上では書名を出さずに黙って読んでいたのは、下手に褒めるツイートをしてまた予約されて延長できなくなるのを防ぐため(さっき延長が通って懸念が消えたのでこの記事を投稿している)。ちなみに版が変わるごとに時代に合わせて別物と言えるほど内容が大きく変わるタイプの本なので(マイナーチェンジで済むタイプの本ではないので)、読みたい場合は最新の第6版を探すことを強く勧める。
 

技術者、学生必読の伝説的名著の最新版らしい

元々存在を知っていたわけではなく、単に図書館でパラパラ捲ってみて面白そうだったから借りたのだが、ネットワークエンジニアの知り合いによれば界隈ではけっこう有名な本らしい。Amazonに書いてある紹介文は以下の通り。

技術者、学生必読の伝説的名著の最新版が登場!
MINIXの開発者であり、コンピュータ・サイエンスの分野で世界的な定番となっている数々の教科書の著者であるアンドリュー・S・タネンバウム教授の名著『コンピュータネットワーク』の最新版。ナイキストの定理のようなデータ通信の理論的な基礎から、スマホなどで使われている最新のネットワーク技術までを体系的に学べます。共著者にシカゴ大学のニック・フィームスター教授を迎え、第5世代セルラー・ネットワーク、100ギガビット・イーサネット、そして11ギガbpsに至る802.11axのWiFiといった最先端技術の解説を充実させました。

ネットワークの技術書ということで、いわゆるプロトコルスタックに対応する物理層からアプリケーション層までを下から順に一層ずつ詳しく解説している(厳密に言うと、IPA試験によって日本では有名なOSI参照モデルとは若干異なる切り分けを採用している)。ネットワークの全てを表現したモデルに準拠した解説の順序自体はオーソドックスなものと言って差し支えない。

しかしその辺の技術書と一線を画しているのは、単なる理論の解説に留まらずに歴史的な経緯や政治的な事情が常に同時に展開されるところだ。
例えばある技術が一つあったとして、その需要は歴史的な経緯と政治的な交渉によって生じ、数式の外から来る制約を背負っていたりもする。そういう「実際のところはどうなっているのか」というエキサイティングな現実がこれでもかとばかりに詰め込まれているため、技術への解像度が有り得ないくらい上がる素晴らしい本だった。

回線張り直したくないから技術でどうにかしてよ

例えば、技術的に言えばネットワーク回線が世界中に張り巡らされて地球規模での通信が可能になっているのが今我々も使っているインターネットである。ここまではいい。
だが、電柱や海溝を走る回線は山や野を走る河川と違って原初の時代から自然に存在していたわけではない(創造論者の技術者なら「世界設計の要件には含まれていなかった」と言うかもしれない)。だったらいつ誰がどのように創ったのか。
実は最初からインターネットを作ろうという意気込みによって回線が張られたわけでは全くなく、既に使われていた電話やケーブルテレビの回線をそのまま使うことにしたのである。つまり現在のインターネット網は一から張ったというよりは転用によるところがかなり大きい。

ところが、その転用を行う前は現在のインターネット用途はもちろん想定していなかったのであるから、物理特性やトポロジーは満足な設計になっていない。
物理特性において最も典型的なのは信号の周波数帯域だ。物理回線の種類によって定まる帯域幅はナイキストないしシャノンの定理によって単位時間あたりの情報量に、すなわち皆さんがfast.comで毎日測っている通信速度としてボトルネックに直結する。
また、トポロジーに関しては転用元にした回線のタイプによって事情が異なる。電話線は加入者が別個に通話を行うために加入者間の独立性が比較的保たれている一方、ケーブルテレビは逆に加入者全員に同じ動画を下りで配信するためのシステムなので加入者間の分離がイマイチ弱い。

これらの問題を解決してインターネットを創世するにはどうすればいいのだろうか? このように商業的・歴史的な経緯によって不可避に生じてしまった課題を解決するために初めて技術理論が登場する。
まず世界中の物理回線を張り換える工事のコストを払わずに狭い帯域で何とかして通信速度を確保するためには、帯域あたりで伝えられる情報量を増やすしかない。こうして1シンボル1bitの原始的な波形ではなく、周波数や振幅を組み合わせて1シンボルあたり4~8bit程度を一気に表現して情報量を16倍や256倍に盛るQAM技術への需要が生じる。
またトポロジーの問題で加入者間での電気信号の物理分離が難しいのであれば、アルゴリズミックな信号処理手法で分離を試みなければならない。周波数を使えばFDM、時間を使えばTDM、位相を使えばPSKのように状況に合わせた様々な手段がある。

ここまでの説明において、歴史的な経緯による要請から合目的的に理論の有用性を主張できていることに注目したい。
確かにフーリエ変換や変調技術を純粋な理論として学ぶことも可能ではあるが、その現実的な需要が「インターネット黎明期からの回線の転用」という学術的には非常にせせこましい、しかし経済的には極めて重要な背景に結びついていたと丁寧に説明しているのがこの本だ。

このように『コンピュータネットワーク』では具体的な理論に即した現実的な経緯が常にセットで説明されるため、両方を折衷したワンランク上の理解に到達できる。
「同じ帯域でたくさん情報を運べる方が嬉しいよね」という定性的な理論で満足してもいいが、「元々の電話回線ではせいぜい56kbpsくらいしか出なかったんだけど、最大15bit/シンボル程度のQAMで今普通に使ってるような10Mbpsまで何とか伸ばしたんだよね」という定量的な肌感を養うのも悪くないだろう。

ルーティングするなら金をくれ

こうした理論と現実を折衷した解説は政治や金銭が陽に絡んでくるシーンで更にエキサイティングになってくる。

例えばパケットルーティングにおける計算リソースの分担について考えてみよう。
TCP/IPの一般的なルーティングの説明として「インターネット上の情報はパケットに分割されて世界中のルーターを伝うことで地球の裏側にも伝わる」みたいなことはどのネットワーク技術書にも書いてあるが、よく考えるとこれはけっこうおかしな話である。

というのも、パケットのヘッダーを処理して適切に中継するのにも貴重なCPU計算コストがかかるからだ。インターネット利用者のうち、自分と関係ないパケットを運ぶために自分の電気代を支払いたいお人良しはいったいどのくらいいるのだろうか?
確かにインターネットは紳士協定で回っている部分もあるにせよ、結局はDNSがナイーブなUDP使用を諦めなければならなかったように、いまや悪意と札束が跋扈する仮想空間で計算リソースを無償提供するボランティアが全ての伝送を支えているという性善説はあまりにも説得力に乏しい。

そこのところ、世界が往々にしてそうであるように、実はルーティング界においてもトランジット契約という名の金銭授受によって調和が保たれているのだ、というところまでこの本は解説してくれる。
現代のインターネットで長距離パケットを中継する主体は主にはISPなどの組織的ネットワークであり、それらの間でお互いに情報と金銭を交換して誰が誰のパケットをいくらで中継するのかがきっちり定まっているのだ。ここは技術と理論ではなく政治と交渉の世界であり、お互いに利益があるのなら無償でのピア契約でもいいが、テーブルについた相手方の第一声が「こちらは契約しなくても構わないのですが?」なのであれば、会議が終わる頃には有償でのトランジット契約が結ばれていることだろう(もちろんこちらが支払う側で)。

その上で、この本はあくまでビジネス書ではなく技術書であるから、そうした契約の内容に応じてアドバタイズ(ルーティングに必要な情報提供)がどのように内部的なアルゴリズムとして処理されるのかまで解説しているのが素晴らしい。
これで契約と実装がきっちり結び付き、パケットルーティングは単なる理論上のプロトコルで済むものではなく、リソースを交換し合う社会的な契約がアルゴリズムに組み込まれている……という現実にまではっきり視座が上がる。

帯域利用効率13%……カスです

ここまで物理層における回線とネットワーク層におけるルーティングについて紹介したが、このような話があらゆる技術に付随して展開していく。
解説が下層から上層に進むにつれて、プロトコルスタック自体がそうであるように、現実に即した深い理解が異なる層の異なる技術に対しても波及していくのがこの本の真骨頂だ。技術と現実が繋がる水平的な事情を理解していると、層を跨ぐ垂直的な論理に対しても縦横無尽に物分かりが繋がっていく。

例えば再送管理などがそうで、上位層が行う再送方式の選択も元を辿れば下位層の特性に依存してくるところが大きい。
再送方式には様々なパターンがある。全てを再送することもできるが、誤った要素だけを部分的に再送してもいいし、あるいは誤り訂正符号で済ませることにして再送しなくてもいい。ある状況においてどれが望ましいかは、最終的にはやはり物理層からの要請で決まってくる。
例えば元々誤り率が低い最近の有線物理回線を使っているなら、誤り訂正まで行かずとも誤り検出だけして再送で対応するのが帯域効率が最も良いかもしれない(一般に誤り検出よりも誤り訂正の方が大きな冗長性を必要とする)。こうして回線の信頼性は再送方式を定め、再送方式が帯域利用効率を定め、帯域利用効率が輻輳制御を定め……というように、全ての設計が連鎖していく。
要請が逆に上から下に伝播するパターンもあるのが面白い。例えばBluetoothは安価な無線方式であるために外乱に対して極めて脆弱であり、様々な箇所でデータを3回(!)繰り返すという絶望的な方式で冗長性を確保している。ここに周波数ホッピングとヘッダーまで加わった結果、帯域利用効率は驚異の13%(!!)という異常な低レートを叩き出す。
しかしBlutoothは元々PAN向けの技術であるから、伝送効率が多少悪かったところで半径10mより外のネットワーク帯域を圧迫して輻輳被害を招くことはないのだ。こちらは帯域の余裕が実装の余裕に繋がり、実装の余裕が金銭の余裕に繋がっていくケースと言える。

問:暴力団員と国際標準を交配すると何が生まれるか?

技術の需要や整合性を密に考えるにあたって、単なる解説だけではなく批評や批判が多く紹介されるのも楽しいところだ。

例えば日本では著名なOSI参照モデルは実際のところ規格としては人気がないことが記されていて衝撃を受けた。「七つの層の選択は技術によるよりも政治によるほうが大きく、層のうちの二つ(セッション層とプレゼンテーション層)はほとんど空であり、別の二つの層(データ・リンク層とネットワーク層)は詰め込みすぎである(p61)」らしい。

他にも「IPSecでAHとESPが共存しているのは歴史的経緯によるものでしかない(ので、AHは早晩使われなくなる可能性が高い)」「IPマスカレードはIPv6が普及するまでの応急対応策に過ぎず批判が絶えない(実際、紙面を見開きで使って七項目に及ぶ批判が列挙されている)」「HMACの真骨頂は速さにあり、暗号化処理を挟むより暗号鍵ごとハッシュにする方が圧倒的に早い(ので、完全性をチェックしたいだけならHMACが優位)」など、内実を踏まえた直截の批評の紹介には枚挙に暇がなく、技術的な原理だけではなく現実を見据えたトレードオフについてもはっきり知ることができる。

ちなみに誤解のないように書いておくが、この本で比較されるのは言語などの実現方式に依拠しない標準規格や抽象理論のレイヤーにおいてであって、言語依存のコーディングレベルにまで下りることはまずない。つまりここまで「理論と現実の橋渡し」と言って指している現実とは歴史的経緯や物理的要請に厳密に限られ、読者が現実に利用する際の個別具体的な手順ではない。
ただ、個人的にはそれも含めて非常にありがたかった。別に仕事で使ったりはしないので実装には大した興味がない。特にアーキテクチャやライブラリに固有のアドホックな説明は全く求めておらず(例:「cook_ramen()は現時点で道系ラーメンをサポートしていない」)、一般性が高く実現方法に依存しない解説が読めるのは門外漢にも優しい。

あなたの敵がMossadなら、あなたは死ぬでしょう

そんな周辺事情の話をふんだんに詰め込んでいるために情報量の多い本でありながら、文章が普通に面白いのも素晴らしい。文才のある海外の学者や理論家に特有の機知に富んだ言い回しが多用され、これだけ文章量が多くても全く飽きずに二周できるのはひとえに文章が面白いからに他ならない。
例えばセキュリティ対策には仮想敵に合わせた適切なレベルが必要なことを説明するにつけても以下の調子である。

もし、あなたの敵がMossad(訳注:イスラエル諜報特務庁)なら、あなたは死ぬでしょうし、あなたができることは何もないでしょう。Mossadは、あなたがhttps://を採用したところで怖気づくことはない。Mossadがあなたのデータを欲しがるのなら、ドローンを使ってあなたの携帯電話を携帯電話の形をしたウランの欠片と交換し、あなたが腫瘍で死んだら、彼らは記者会見を開き、「IT WAS DEFINITELY US(私たちの仕業だ)」と書かれたTシャツを着て、「私たちではない」と述べるでしょう。それから、あなたの遺品をすべて買うでしょう。
(p696-697)

だいたいこんな文章が割とよく挿入される。技術書に文学的なウィットがどれだけ必要かどうかは趣味の問題だが、俺はライトノベルと同列に読んでいるのでこの進行は非常に嬉しい。

応用情報の取得が……できるなら

勧めるからには通読に必要な事前知識についても書いておこう。

残念ながら、全くの初学者がこの本を読むのは不可能に近いということをここで言っておかなければフェアではない。
フーリエ解析やグラフ理論の基礎は一応軽く説明されるとはいえ、それだけで技術的な応用に耐えるレベルの理解を得るのはまず不可能と思われる。この本だけでは理解できないのになぜ書いてあるのかというと、この手の本にはよくあることだが、学部を卒業したあたりでフーリエ変換の係数導出式を頭の引き出しにしまい込んだまま忘れてしまった人が再びその在処を見つけるための灯火を提供しているだけだ。

コンピュータサイエンスの一般的な知識は説明なしで用いられることも多く、例えばバッファや排他的論理和がわからないようだと必要なボキャブラリーがまだ備わっていないと言わざるを得ない。また、プログラミングに通暁している必要はないにせよ、C言語のコードを見て何をやっているのかくらいはふんわりわかった方がよい(コードの詳細には踏み込まないにせよ、典型的な処理を説明するための疑似コード的な使い方では何度か出てくるので)。

私見ではあるが、この本を読むのに問題ないラインは恐らく応用情報技術者か情報学部後期くらいだと思う。

人生に残る名著

総じて感動的な一冊だった。
人生において読んだ時期もちょうど良かったのかもしれない。個人的にはネットワーク技術に関しては一定理解しているが別に専門でもないので知識がふんわり散在している状態だったため、全ての理解が有機的に繋がって筋の通った形に収斂していく快感があった。
実際のところ、この本は辞書のような見た目に反し、狭く深くというよりは明らかに広く浅くの本である。ネットワークに詳しい人、特に何らかの形でネットワークを運用する当事者は担当項目においてはより深いレベルで物を知っているはずだ。とはいえ、実装に寄りすぎない奇跡的なバランスで概ね誰にでもわかるように実情を網羅しているという情報管理にこの本の意義と読書の価値がある。
仕事や趣味で使う予定は一切ないが、読書として本当に面白かった。これを読める知識基盤がある人には誰にでもお勧めできる。

25/2/15 美大芸大の卒展巡りにハマったから良かった作品を紹介するぜ

卒展巡りが面白い

1月末頃から卒展巡りにハマって都内の美大・芸大を巡っていた。

補足573:美術大学と芸術大学の違いをよく知らなかったが、ざっくり言うと美術は芸術の部分集合で視覚芸術のみを扱うらしい(音楽も扱っていると芸術大学になるらしい)。ちなみに東京に芸術大学は東京藝術大学しかないので、関東で藝大と言うと芸術大学の略ではなく東京藝術大学を指す固有名詞になる。

稀にプロの美術展に行くこともあるが、一番面白いプロの美術展より一番面白くない卒展の方が面白い。
卒展の最も良いところはジャンルや作品数の圧倒的な豊富さだ。美術展と違って全体コンセプトが特に統一されておらず、色々な学科の色々な学生たちが各自の成果を個別に展示している。古典芸術だけではなく現代メディアを扱っていることも多く、絵画も建築も彫刻もゲームも漫画もアニメも何でもありだ。作品ではなくデザインやUIに関する研究資料が成果物になっていることもある。
個人的にはやはりサブカルっぽいものや情報系の展示に惹かれるが、ロジカルな筋が通っていて感心する研究などもたまにあったりする。

正直なところ、作品のクオリティはピンキリではある。
「学生の時点でこんなに上手かったら残りの人生で何するんだろう?」みたいなやつがあれば、「美術部の高校生でももうちょっとマシなもの作るんじゃないか?」みたいなやつもある。
とはいえ、それこそがむしろ卒展の面白さだ。作品は無限にあるので興味を惹かないものはスルーして問題ないし、全体を回っているうちに二つや三つは気に入る作品が見つかる宝探しのような楽しみがある。
技術的には拙くてもキャプションを読めばやりたかったことが伝わってきて「なるほど」と思うものも多い。金を払っていたら「何やねん」と思うかもしれないが、そもそも入場無料である。

それぞれの展示会の感想と、特に良かった展示を二・三個ずつ上げる。
ただあまりちゃんと記録していなかったのでタイトルがわからないものが多い。卒展の展示はネットにも情報が出ないので現地で情報をチェックしなければ失われてしまう。そういう一期一会感も良い。

補足574:個別の作品に対する批判はSNSやブログに絶対に書かないことにしている。金を貰って作品を作っているプロには何を言ってもいいが、無料で展示している学生にネガティブなことを書くのは良くない。
 

武蔵野美術大学

1月20日来訪。
かなり広いキャンパスのほぼ全域を会場として利用しており、作品数の多さやジャンルやクオリティの多様さでは群を抜いていた。物理作品ばかりではなく、アプリ開発を行ったりワークショップを開催したりした成果を発表している展示もある。
「卒展って面白いな」と思ったのは一番最初に武蔵美に行ったおかげかもしれない。オススメ。

月光の怪盗

現代的なキャラクターデザインを成果物とする展示においてコミケのブースみたいなやつが展開していることは割とよくある。
キャラパネルやタペストリーやグッズ類がふんだんに置かれ、(少なくとも商業的には)世界に存在しないコンテンツが「大人気アニメ化作品でござい」という顔で絢爛にディスプレイされている現実侵食感がかなり好きだ。

その中でも明示的に「メディアミックスを活用した表現」をテーマにしており、特にクオリティが群を抜いていた一作。全体的な色やデザインのトーンにきっちり統一が取れており、小物類まで含めていかにもありそう感が凄い。

ツイート一枚目の背景に見える「研究概要」には以下の通り書かれている。卒展では作品が何かの研究成果という立て付けになっていがちで、こうして意図がきっちり提示されることが多い。

当研究は「メディアミックスを活用した作品展開による人物キャラクターの表現」をテーマとしている。
様々な人物キャラクターが登場するロールプレイングゲーム作品を想定し、作品の全体的なストーリーと、登場するキャラクターを考案する。イラストや映像など、制作したキャラクターに関する情報の補強を目的としてビジュアルコンテンツを複数制作し、作品設定とこれらのコンテンツを活用した展示空間を構築し、展示空間自体もコンテンツ表現として位置付ける。
……

想定するだけあって、例えばツイート3枚目でMacに映っているゲーム画面のモックで立ち絵の後ろにちゃんとSDキャラが配置されている細かさが良い。
ノベルゲーム作品ではなくロールプレイングゲーム作品を想定しているのであればこの画面が正しい。操作対象はSDキャラクターで、会話シーンでのみ立ち絵が挿入される状態遷移になっているのだろう。

存在しないコンテンツであるが故にディテールの想定とこだわりがいくらでも楽しめる、虚構作品の在り方という文脈でも非常に刺激的な一作。

平成37年

平成初期のサイバー空間(という単語も古い!)をテーマにした展示作品。
映像はYouTubeにもアップされている。
www.youtube.com

個人的なことを言えば2000年ちょうど頃のインターネット黎明期は物心つくかつかないかくらいではあって、はっきり言語化された形で記憶に残っているわけではない。
それだけに存在しない記憶や存在するイメージが色々と胸に去来してかなり見入ってしまった。今にして思えば当時ワイヤーフレーム系の表現が多用されたのは単に映像処理能力が低くてまともに面を描けなかっただけなのだが、それが逆に先進的なものとして印象されていたのは面白い。PS3あたりから普通にリアルを志向できるようになったことで、現実と切り離されて独立した「先進的なイメージ」という概念自体がかなり後退した……など。

研究ノートには当時のニュース番組などのサンプルを収集してそれっぽいものを作った旨が記載されていた。
普通に計算すると恐らく制作者は世代というわけでもないはずで、何となくのイメージではなくきっちり当時の資料に当たって制作されているところがちゃんと研究で偉い。一度切断された上で明確にリバイバルという文脈での作品を享受する世代になったことを感慨深くも思う。


武蔵美には他にも「キュート・ベア・アグレッション」とか「架空のボート利用受付所」とか印象的な作品がいくつかあったのだが、写真を撮っていなかった。
卒展の作品は自分で写真を撮らないとネットにも大して上がらないことがわかり、反省してこれ以降はきっちり撮るようにしている。

東京藝術大学

1月28日来訪。
さすがに天下の藝大だけあって全体的なクオリティがシンプルに高い。きちんと美術館でやっているしエリート感が凄い。
他大の作品では模型の角がピシッと揃っていなかったり細かい装飾をきちんと造形していなかったりして(細部で若干手を抜いておるな……)と感じることがよくあるが、藝大はそういうのもほとんどない。逆に言うと、卒展特有のガチャガチャ感は他の大学ほど感じられないかもしれない。

芸術エリートに特有の挙動なのかどうか、圧倒的に作品のキャプションにポエムを書きがちなのも藝大だった。
基本的に文章の主語が「作品」ではなく「私」であり、「この作品は何なのか」ではなく「私が何をどう悩み考えてこの作品を出力したのか」みたいなフォーマットで間接的にしか作品を説明しないものが多い。
質の高い作品を作るだけの段階は既に通過してしまって作家としてのオリジナリティを含めないと勝負にならないのかもしれない。単に我が強いだけかもしれない。

シンプルに上手い山か海


藝大生のハイスペックぶりを象徴するシンプルに上手すぎる一枚。絵画はあまり興味ないが最初にこれで度肝を抜かれた。
藝大は一枚絵の展示がかなり多いが、基本どれもこのくらい上手い上にめちゃめちゃでかい(写真ではよくわからないがこれも数メートル四方ある)。このクオリティの作品が特にガラス的なものを被せられることもなくノーガードで壁にかかって展示されているので不安になってしまう。
これ写真撮ったときは海だと思ったけどよく見たら建物描いてあるし山かもしれない。上手いからどっちでもいいが。

スタレの新キャラみたいなやつ


これめっちゃ好き! オンパロス編の次のPUこのキャラにせん?(虚数・記憶)
今一番流行ってるソシャゲの絵柄はまさにこんな感じだ。藝大は美少女イラストがレアなのでふつうに絵画に並んで展示されているこのキャラが異彩を放っていた。
大陸系ソシャゲで一線級のイラストレーターやデザイナーはサブカルチャーの出自というよりはハイカルチャーをきちんと学んだ経歴があるという噂を聞いたことがあるが(真偽不明)、このイラストを見ると確かにそうかもしれないと思う。日本のソシャゲ界でスターを目指してみないか?

家にいるときの俺みたいな像


俺も家にいるときこんな感じでベッドで同人音声聞きながら股間触ってるから親近感があって良かった。こういうチョケてる感じの作品も隙なく完璧に仕上げてくるあたりが流石の藝大である。

宝塚大学

2/8来訪。近所にある新宿の芸術系大学。

本拠地は大阪にあって看護とかもやっているらしいが、新宿キャンパスはメディア芸術学科の配下だ。マンガ・イラスト・ゲーム・アニメ・メディアなどキャッチーなものが揃っている。コクーンタワーも近いしだいたいHAL東京みたいなものだろうと俺は勝手に思っている。

キャンパスはビル一棟しかなく規模感では他大にやや見劣りするが、ほぼ全てエンタメ系の展示なので個人的には密度が高くてかなり楽しめた。
恐らく実践志向での指導をしているために良い意味で趣味の延長上にある作ってみた路線の作品が多く、展示ついでにアクスタやキーホルダーが売っていたりとデザフェスのような賑やかさがある。

その反面、実践志向だとどうしても評価軸がクオリティ一本になるため、見慣れた商業作品が比較対象になってしまって印象には残りにくい感じもあった。
実際、感心して写真を撮った作品は結局のところエンタメ自体ではないアプローチの作品や、学部生よりも明確にワンランクレベルの高い大学院生の作品(9Fフロア展示)に限られる。

Unityのシェーダー改善


トゥーンレンダリング向けにUnityのシェーダー制御をコードレベルで改善した作品。ゲーム学科のフロアで周囲が皆ゲームを一本作って試遊させている中では異色の展示だった。
一人だけエンジンレベルのことをやっているだけに気合が入っており、他展示のレポートよりしっかりした論文が付随している。既存シェーダーの問題点を指摘し、ライティングやシャドウなど多角的な面から改善を試みる説明は論理的にも筋が通っていてしばらく読み込んでしまった。


割と話し掛けてくるタイプの学生さんだったので「既存手法の法線ベクトルを用いたライティングだと何が問題なんですか?」「影の処理を指数からステップにして関数を非連続化させた意図は?」とか色々聞いてみたが、どれもきっちり筋の通った答えが返ってくるので「おお」と思った。
専門学校レベルだと「作ってみた」で終わりがちなゲーム制作周りにおいて、明確な目的からトップダウンで手法を選択・実装して既存手法との差異を言語化できるのは偉い。ゲーム会社とかでかなり重宝される人材だと思う。

会社ロゴ制作


これも宝塚大学では珍しい、エンタメ要素が一切ない異色の展示。実在する会社に対して今風のロゴをデザインしている。
実際の利害関係者にヒアリングしてコンセプトからデザインを演繹するということをちゃんとやっていたのは見た限りではこの展示だけだったと思う。
他展示も一応研究という立て付けなので一定の調査はしているのだが、「同ジャンルの既存作品を調べてみて共通項を抽出する」という事例収集で終わっているものがほとんどだ。当然ながらそれではデザイン業務としては成り立たないわけで、別に仕事ではなく卒展なので期末レポートレベルでも全然いいのだが、この会社ロゴ制作だけめっちゃ正しくかっちりリアルな仕事をしているのでかなり印象に残った。

アークナイツの新キャラみたいなやつ


9F展示の大学院勢は明確にクオリティのアベレージがワンランク上がっており、その中でも俺が好きそうなキャラがいた。
実際には「赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律」の第一条によって使用が禁止されるデザインと思われるが、その辺りも卒展らしさがあって良い。


このキャラにもキャラクターデザインの構造化という研究が紐づいており、意識的にモチーフを解体・選択して繋ぎ合わせた経緯などが語られている。
職業イラストレーターは皆やっていることだとは思うが、自覚的に作業手順を解体して実際にデザインまで実行してみましたというところまで試みの筋が通っているのは素晴らしい。特にソシャゲやVtuberのキャラクターはキャラクターの図像で売らないといけないため、内面も含めた人間的なキャラクターというよりは視覚的なキャラクターデザインの粒度で徹底的に構造化しなければならず、この研究の問題意識は非常に正しい。
結果的にキャラクターをデザインすることになった作品は多々あれど、キャラデザそのものを本丸とした研究は他ではあまり見なかった。

25/2/7 2025年1月消費コンテンツ

  • メディア別リスト
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    • 転性魔王さまは勇者に勝てない!
    • 機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)

メディア別リスト

書籍(7冊)

おいしいごはんが食べられますように
哲学がわかる 因果性
現代哲学のキーコンセプト 因果性
説明がなくても伝わる図解の教科書
現代思想入門
初学の編集者がわかるまで書き直した 基礎から鍛える量子力学 基本の数理から現実の物理まで一歩一歩
刑の重さは何で決まるのか

映画(1本)

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)

ゲーム(1本)

転性魔王さまは勇者に勝てない!

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メイズ・ランナー
ゼイリブ

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現代思想入門
初学の編集者がわかるまで書き直した 基礎から鍛える量子力学 基本の数理から現実の物理まで一歩一歩

消費して損はなかったコンテンツ

現代哲学のキーコンセプト 因果性
哲学がわかる 因果性
刑の重さは何で決まるのか
説明がなくても伝わる図解の教科書
ゼイリブ

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

おいしいごはんが食べられますように
機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)
転性魔王さまは勇者に勝てない!

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

メイズ・ランナー

ピックアップ

現代思想入門

千葉雅也の評判が良いやつをようやく読んだ。確かにかなりの良著。

あとがきでは千葉雅也にとって総決算の一冊だったことが語られているが、俺にとっても二十代の読書の一つの総決算みたいな感じだった。俺の現代思想理解がほぼそのまま解説されており、BLEACHの終盤くらいスススッと読めた。
別に千葉雅也と同じ水準に到達していると自負しているわけではなく、職業哲学者が長年取り組んだ上でさわりだけ抽出した内容と、素人が適当に入門書などを摘まんで表面だけ齧った内容がだいたい同じところに落ち着いたのだろう。あとサイゼミ創立メンバー(最近来ないけど)のゆあさの専門がフーコーだったのでその影響を受けているのもある。

実際、俺がたまに言う逸脱とか例外のニュアンスはだいたい全部ここに書いてある通りである。
例えばこの本ではデリダの脱構築的な考え方や使い方が丁寧に解説されているが、それは俺がよく使っている思考パターンでもある。ブログで感想を書くときとかにも便利で、「一見対立しているものでも突き詰めれば同じ」とか「論理を極限まで押し進めると最後には反転する」みたいな二項対立を超えるアイデアを理系ではなく人文系から得てきたことは間違いない。

現代思想のパターンから読み方まで網羅しており、内容にも筆致にも気を遣って易しく書かれた類稀な良著だが、強いて言えば、色々な哲学者を紹介している都合で初見だと情報量が多すぎるかもしれない。
俺はどの哲学者も解説書か何かを一・二冊くらいは通っているから全部そうだねそうだよねという感じで読めるが、読んだことがない人はそれぞれ一冊ずつくらい読んでみた方が良さそうだ(そのためのガイドも豊富)。

哲学がわかる 因果性

第17回サイゼミで因果推論をやったので(→)、哲学文脈もさらっておこうと思って一応読んでおいた。
結局サイゼミで使うことは特になかったが、使わなくても使いそうなところをカバーしておくと何か聞かれたときにさも当たり前のように答えられて本来よりもかなり見識が広いように見せられる。こういうひと手間は大事。

期待通りに哲学文脈での様々な因果性の学説をざっとさらっていく良著で、専門的ではあるが初心者向け。
前提として哲学業界では因果の定義に明確なコンセンサスがないため、様々な学説に対してメリットやデメリットを解説することになる。この本で主に取り扱われているのは主に三つ、すなわち①規則性、②半事実的条件依存性、③物理量。どれも因果性の説明と言われてすぐにパッと思い浮かぶものだ。

②③に関しては既知の事柄が多かったが、①に絡んで「規則性のパラドックス」や「時間先行と空間隣接の矛盾」という論点は面白かった。
ざっくり言うと、前者は因果性を規則性で定義してしまうと「何度も起きた出来事」より「一度しか起きなかった出来事」の方を確実な因果として評価してしまうのが直観に反すること(一度しか起きなかった出来事は100%の頻度で起きることになるため)。後者は、原因から結果への物理的な伝達に際して空間的な隣接は同時に生じるのが原因は結果に先行するという直観と両立しないこと(特に空間隣接と時間先行を揃えて因果性の要件に挙げたヒュームは自己矛盾している、それはそう)。

現代哲学のキーコンセプト 因果性

同じ目的でもう一冊読んでおいた。上の本よりはもうワンランク包括的で視座が高い。

各説をそれぞれ別個に検討するというよりは、各説を一定の軸上に位置付けてより抽象的なレベルでそれぞれの共通点や相違点を語っている。
とりわけ確率上昇や因果構造といったデータサイエンスに馴染みの深い学説も取り上げられているのが嬉しいところだ。数理的な取り扱いは何となく体系化されているにせよ、具体的な現実に対して事象の切り分けが恣意的になっているというのは指摘の通りだと思う(「雨が降った」という事象の定義を厳密に与えることは容易ではない)。

ただ、因果性を適用する具体的な議論の例としてよりにもよって心身問題を取り上げているのはだいぶ萎えた。それは哲学業界の身内ネタすぎないか? と思いつつ、元々一般論の啓蒙書というよりは現代哲学に誘うポジションの本なので問題はないのかもしれない。

説明がなくても伝わる図解の教科書

職場で仕事に飽きたときその辺の棚にあったので三十分くらいでパッと読んだ。
よくある図解系デザイン本で、ざっくりした内容は結局名著『ノンデザイナーズ・デザインブック』で挙げられていた四原則(近接・整列・反復・対比)と大差ないようにも感じる。

ただこの本に特有の点として、論理的な要件よりは受け手の気持ちに寄り添うことを図解のポイントとしていることがある。
例えば「一瞬で伝える」「理解する気を起こさせる」「不安を解消する」「真剣に受け止めてもらう」「誤解を阻止する」などの現実的な観点は改めて提示されると、それはそれで別の視点からの体系化としてかなり頷ける。
作者の来歴を見てみると、もともと外国人向けにピクトグラムを織り込んだ案内を作るような局面でデザイン力を培ったらしい。確かに言葉が通じない状況での目的としては徹底的に受け手ドリブンで考えるのも納得だ。
そういう経緯であるため、ビジネス文脈からスタートして説得を目指すデザイン本に比べると、案内のような日常的なシーン、そしてtoBよりはtoCに親和的な印象を受ける。

初学の編集者がわかるまで書き直した 基礎から鍛える量子力学 基本の数理から現実の物理まで一歩一歩

良著。あとで量子力学を勉強した記事を書くので感想もそこに書く。
<量子力学を勉強した記事を書いたらここにリンク>

刑の重さは何で決まるのか

タイトル通り、刑法学の目的、犯罪の成立、量刑の決定などが読みやすくさっとまとまっている。
意外性はないが勉強になった、というときの「意外性はない」というのは意外と重要なところだ。例えば「刑法は被害者感情の充足を通常考慮していない」というのは言われてみれば当然ではあるが、SNSで跋扈する素人法律論ではそうもいかない。未だかつてなく大衆の意見が暴走しがちなこの時代、当たり前の土台に立ち返る起点を持っておくことは法律以外でも忘れないようにしたい。

ゼイリブ

ゼイリブ(字幕版)

ゼイリブ(字幕版)

  • ロディ・パイパー
Amazon
全体としてはだいぶイマイチだが、資本主義を戯画化した支配者の描き方はかなり良かった。
特にフシギ眼鏡をかけると街中の商品や広告がサブリミナルメッセージに書き換わる演出は明確に良い。逆に良いのはそこだけなので、そこまで見たら続きはもう見なくてもいいという説もある。
最後のオチも一発ネタ以上のものではないし、途中の喧嘩シーンが異常に長いという変なこだわりは適当に作られていた昔の映画っぽいが面白くはない。

メイズ・ランナー

メイズ・ランナー (吹替版)

メイズ・ランナー (吹替版)

  • ウィル・ポールター
Amazon
明確に面白くなかった。よくあるB級アクション映画。そんなにワクワクしないアクション、そして予想の範囲を出ない割には結論が出ないオチ(露骨な続編誘導)。
ただ主人公の声優が九十九遊馬なので、クライマックスで仲間たちとの結束が高まるにつれて完全に遊馬の叫びになるところだけかなり面白かった。畠中祐に感謝。

おいしいごはんが食べられますように

ブロッコリーマンの芥川賞読書会でちょいちょい名前が出るので読んでみた。
面白くなくはないけど、明確に嫌いなタイプの人間が描かれて特に最初から最後まで変化もないので「こいつムカつくな」という気持ちだけが残る。まあどんな感情であれ読者を感情的にさせる小説は良作ではある。
社会的な営みとしての食事に対して逆張る話、「皆で食べる暖かい食事」みたいな社会的な同調圧力が嫌だねという話自体は一定頷けるし描き甲斐のある視点だと思う。ただ、それを語るいかにも文学好きそうな雑魚繊細人(ザコ・せんさいんちゅ)の描写が秀逸なだけで何も起こらない。自我が肥大化している割にはそれを主張することもできない、もっと真面目に生きろ!
押尾が開き直ったシーンだけは唯一ちょっと熱かったが、その開き直り方もなんかこう記号的というか、そういう局面でのリアリティの引き出しがないのかもしれんなと思った。

転性魔王さまは勇者に勝てない!

Twitterで流れてきたイラストがいい感じだったのでかなり珍しくエロゲーをプレイしたが、まあ……という感じ。
一本道のあってもなくてもいいストーリーが付いたCG集タイプのゲームで特に何も起きない。あまりにも内容が薄いので、始める前には(見た目が)好きだったキャラがプレイ後にはあまり好きではなくなるというデバフまで食らってしまっていよいよ何のためにプレイしたのかわからない(キャラに関してはそういうことが稀によくある)。
一応、勇者があまりにもロリコンすぎて仲間を何人も殺した相手とイチャコラできるみたいなところにキャラクターの異常性は一本筋が通っていたのかもしれないし、単におねロリのテンプレートをなぞっただけかもしれない。

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)


ネタバレを含むので追記に回す。

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24/1/31 2024年らへんに買ったりして良かった寄りのもの約10選


当初は「2024年に買って良かったもの10選」という記事を書こうと思っていた。
が、厳密に言うと2024年前後に買ったものもあるし、無料で契約したり発掘したりしただけのものもあるし、良かった中にも幅はあるし、若干10選にも収まらないので歯切れの悪いタイトルになった。

去年頃から「今まで触れたことがないもの」「ちょっとした面白いもの」より「ちょっと高くてちょっと良いもの」「既に持っているもののアップグレード版」を買うことが増えた気がする。価格帯も全体的に少し上がっている。無職を脱して働き始めたし、そろそろそんな感じの年齢に入ってきたのだろう。

1. キーボード:G913-TKL


ロジクールの高級キーボード。今月買ったので厳密には2024年の買い物ではない。

ずっとFRONTIERでBTOパソコンを買ったとき無料で付いてきたBUFFAROの無名キーボードを使っていたのだが、キーが深めなので打鍵するつもりがないキーに指が触れて不愉快に感じることが増えた。それでミスタイプを誘発している気もするし、浅めで打ちやすいキーボードを探していた。

打ち心地は現物を触って確かめるしかない。ビッグカメラをうろついて色々試していたところ、ゲーミングコーナーで試したこれが完璧だった。正月休み明けの平日で誰もいない売り場にあるキーボードを全部打ったが、これだけが頭いくつか抜けて明確に良かった。
青軸とかいうやつを使っているらしく、キーボードらしからぬクリック感とパチパチうるさい打鍵音が特徴的。「押す気のないキーに触ってしまうのが気になる」という課題に対して「押したことが感触と音で確実にわかる浅めのキー」がアンサーになった形。
店員曰く世の中的にはあまり評判が良くないということで、減産傾向だし新宿店にはディスプレイ用以外の在庫がなかった。その場で在庫がある実店舗を調べてもらって、そのまま渋谷のビッグカメラで購入。微妙に型落ちなので一万円ちょっと割り引かれていたのが嬉しい。

ゲーミングデバイスなのでゲーミングカラーに光る機能もあるが、それは普通に要らないのでオフにしている。ピカピカ光る前提でキー刻印が透過のため、光っていないと刻印が見えづらいのはデメリットと言えばデメリットかもしれない(無刻印に見えるメリットかもしれない)。
ゲーミング発光を切っているせいなのかどうか、充電の保ちが異常に良い。購入から一ヶ月近く経っても充電100%を維持し続けている。もしかすると、ゲーミングデバイスは消費電力のほとんどを発光機能に充てているためにそれをオフにすると利用可能時間が名目より飛躍的に伸びるのかもしれない。

高めなだけあって他の細かいところも色々良い。
右上に付いている音量調節できるグルグル(?)がかなり便利だし、bluetoothで無線接続できるのも良い。今までは有線だったので在宅勤務で机に社用のmacを広げたりするときいちいちケーブルが邪魔だった。

総じて良い買い物でブログやラノベを書くモチベがだいぶ上がった。

2. マウス:M-DT1DRBK


これもロジクール。

トラックボールマウス自体はかなり前から使っていたが(それもロジクールだった)、もっと色々ショートカットキーを割り当てたくなったのでボタン数が多いものを購入。ホイールに加えて7ボタンも付いており、左右クリックの他にタブ前後、タブ閉じ、ページ前後に割り当てている。
当初の想定通りに使えて大満足ではあるが、大満足すぎてページ更新や画像保存用にもっと大量のショートカットキーを備えたマウスが欲しくなってきたりもしている。

3. 加湿器:SV-403

古代アーティファクト

加齢の影響で肌がカサカサしすぎるようになってきたので導入。加湿器を買いに行こうかと思った矢先に実家の奥底から発掘された。

昭和に作られた遺物で、ネットで調べても僅かなオークションページ以外は情報が何も出てこない。当時のマニュアルも残っていないので適当に勘で使っている。「加湿おすすめ」ボタンを押したとき何が起きているのかがわかる日はもう二度と来ないのだろう。

少し使ってみてダメそうだったら素直に現代品を買おうと思っていたが、意外にも全く問題なく動き続けている。生意気にも現在湿度を測定する機能がついているのも嬉しい。
昭和のアイテムが令和のアイテムよりも頑丈で物持ちが良いということは割とよくある。家電だけではなく、服や鞄も当時の一般品は今その辺で見るものよりも縫製や作りが遥かにしっかりしていることが多い。当時はディスカウント品みたいな概念がまだ希薄で製品に期待される品質のアベレージが高かったのだ(下側の裾野が広がった)。

4. ALLOUTのパワーグリップ


扱うダンベルの重量が増えてきて、効かせたい筋肉より先に握力に限界が来ることが増えたので購入した。手のひらに巻くゴムが重さを分散させてくれる。
今扱う最大重量は25kgくらい。一度や二度持ち上げるだけなら困らないが、何分も持ったまま動くとなると流石にしんどくなってくる。
期待通りに握力の消耗を防いでおり、特にダンベルスクワットや懸垂では手が明確に楽になる。強いて言えばいちいちリストを巻いたりして準備するのが若干面倒だが、きちんと固定しないと危険なので仕方がない。

5. ビックカメラSuicaカード


www.jreast.co.jp
就職したあたりでビューカード機能目当てでビックカメラSuicaカードを導入。
今までは主に三井住友なんとかのVISAクレカを使っていたが、ビューカード機能が付いた新クレカを使ってSuicaをオートチャージにした(最近はVISAが死に始めているのでJCBの決済経路が入手できたのも嬉しい)。
やはりオートチャージの時短効果は著しく、かつて改札横で手動チャージしていたのが「なぜオレはあんな無駄な時間を……」という感じになった。特に社食が電子決済なのでいちいち残高を気にしなくていいのが非常にありがたい。自販機もスイカ対応じゃないとスルーするようになってきた。

ついでにSuicaを物理カードからアプリに移し、カードの持ち運びからも解放された(これはビューカードがなくてもできたかもしれない)。今まではスマホとSuicaが同時に入るスマホケースしか選べなかったので微妙に不便なカバーをずっと使っていたが、スマホ一台だけで済むようになって飛躍的に自由度が上がった。

6. 自転車:25 MISTRAL DISC ALEX


www.job-cycles.com
無職の間に島忠のママチャリを100km漕いで群馬まで行ったりしていたが、島忠の店員にも「その用途は想定していません」と言われたのでもう少しまともに長距離を走れるやつに買い替えた。古い自転車は牛タンシチュー奢りと引き換えにアルフォートにあげた。

さすがに乗車体験はかなり良くなった。距離あたりの労力が小さくなった感じは明確にある。
が、失ったものも意外とある。一つはカゴ。無理を言ってクロスバイクにママチャリみたいな前方カゴを付けてもらったが、やはり耐荷重が弱めなので本を大量に積み込んだリュックに耐え切れずよく壊れそうになっている(今はビニテで緊急補強している)。
もう一つは鍵。前はサークル錠だったので一瞬でロックできたのに、チューブみたいなやつをタイヤに回すタイプの錠になってしまっていちいちかなり面倒臭い。次に買い換えるときは何としてもサークル錠がつくやつを選ぶ。

7. ヒートテックイージーパンツ/2WAYストレッチ


www.uniqlo.com
ゲッタ~が履いてたので購入。
今まで防寒ズボンという概念を知らなかったので30年くらいずっと「冬は足が寒いなあ」と思っていたのだが(そのために裾が長いコートを買ったりしていた)、フリース素材かなんかで寒さがカットされるようになり画期的に暖かくなった。ゲッタ~と喋ると何らかのアイテムやガジェットの情報がアンロックされることが多い(ゲッタ〜信者)。

8. イヤホン:TE-H1


aviot.jp
オープンイヤータイプのイヤホン。
出社して作業するときも音楽を聞いていないと集中が保たないのだが、音楽を聞いていて他の人の声が聞こえないのも困るので、音楽と外音を同時に聞けるやつを購入した(ちなみに前の職場は作業中に音楽を聞く文化があり、話しかけるときに目の前で手を振って伝えるプロトコルもあったのでノイキャンイヤホンで困らなかった)。

オープンイヤーを使うのは初めてだが、実際に使ってみるとかなりいい感じでプライベートでも重宝している。
インナーイヤーとは根本の思想が違う。インナーイヤーが音楽に没入するのとは異なり、オープンイヤーは生活にBGMを追加する感じだ。ゲームとか映画みたいに周りのセリフとか効果音は普通に聞こえつつ劇中BGMが流せるイメージ。それで十分満足できるし、使わない時もずっと付けっぱなしでいいのが非常に楽。もうインナーイヤーには戻れない気がする。

9. ボールペン:カリモク 4&1


仕事で会った文房具会社出身の人が使っていて良さそうだったので俺も真似した。
木製だし作りがしっかりしていて良い。これは無くしたくないので自宅で使う専用にして、今まで使っていた安めのやつを持ち歩き用で分担した。

世界堂で買うときに店員が「ペンごとに木目が違うので良く見て選んでください」とか言ってて遊戯王カードのシク座標みたいだなと思った。
あと「0.38mmのバージョンってないですか?」と聞いたら「0.5mmのボールペンにも0.38mmのやつをつけられますよ」と教えてもらったのが一番の収穫だったかもしれない。今まで10年くらいずっとそれが出来ないと思い込んで懸命に0.38mmのペンを探していた。

10. 謎の柄シャツ

結婚式用

渋谷の古着屋で買った謎の柄シャツ。古着なのでブランドも何もかも不明。
上司の結婚式がチョケたノリで柄シャツ指定のレギュレーションだったのだが、UNIQLOやGUの無地シャツしか持っていなかったのでわざわざ渋谷まで探しに行った。

そして意外にもかなり気に入っている。
布地がディスカウント品よりはいい感じだし、普段の服と毛色が違うのでハレの日とかで特に明るく行きたいときに便利(元々結婚式用なのでそういうイメージが付いたのかもしれない)。最近では親友の婚姻届に証人をしたときとか、サイゼミを開催したときとかに出動した。

これを買ったおかげで「古着屋に入る」というスキルツリーが解放され、時間があるときに古着屋を見かけたら少し寄ったりするようになった。今後も気に入ったものがあったら買ってみようと思う。

EX. 仕事

手に入れたものという意味では買ったものと同じようなものなのでここに書く。
本当は半年くらいで中間報告をブログに書こうと思っていたのだが、単独記事で書きたいことが特になかった。良いことしかなくて起伏が全くないからだ。
リモート環境良し、業務良し、給与良し、人間関係良し、キャリア良しで何も不満がなさすぎる。下手に詳しく書くと特定されそうなレベルで全てが良い。

この前、20年来の付き合いがあるかかりつけ医のジジイに「齢30にしてようやく普通の社会人みたいになってんじゃねえかよ」と言われたのを自分でもそうだなと思う。
なんかこれまでの人生を考えても「収束すべき場所に収束した」感が凄い。短くても十年くらいは今の会社に勤めると思うし、終の住処になるかまではまだわからないにせよ、人生の中盤を過ごす場所を無事に得られたことは間違いない。

24/1/27 【第17回サイゼミ】障害年金・因果推論

第17回サイゼミ

2025年1月26日(日)に水天宮前で第17回サイゼミを催した。

柄シャツのLW

オフラインでは過去最大規模となる20人もの参加者が集まっていて凄かった。遅刻してすいませんでした。

補足570:人気うどん屋の大行列にサイゼミ開始一時間前に並び始めて「まあギリ間に合うだろ」と思っていたのだが、入り口前まで来たところで初めて店内にも10人くらい並んでいることが発覚し、そこでようやく遅すぎる撤退判断となった。後ろに並んでいたゲッタ~としげすとひふみも回収しつつ日高屋のラーメンを急いで食ったが結局10分くらい遅刻した。

今回は障害年金と因果推論という一見すると全く関係ないように見える二つのトピックだが、実際のところ全く関係ない。障害年金を喋れる社労士のしげすぎちゃんと因果推論を喋れるデータサイエンティストの俺が適当にニコイチになっただけだ。

しげすぎちゃんがサイゼミのためにわざわざ愛知から来てくれたので前日にも新宿で宴をした。中高の友達とかもそうだが、学生時代からの友達が社会に出て一定の専門性を身に付けて互恵的な人脈となっていくことにかなり人生を感じる。学生の頃に友達を作った方がいい理由。

障害年金

障害年金の概要や給付までの注意の諸々をしげすぎちゃんが解説。
主には初診日とか申請の話で、実際に給付を受けるかはともかく、これから健康度が落ちていくにつれて病気の兆しがある場合は学びを活かして裏目を踏まないように立ち回っていけると思う。
ブログを通じてサイゼミの内容をネットに還元することは目指していないため詳しくは書かないが、さすがに現役の専門職ということでかなり勉強になった。もともと初対面の客に説明する商売なので説明も上手い。

そしてこれはサイゼミの話というよりはこの記事を介して俺が誤解を受けたくないから書くが、「不正受給を奨励し得るようなダサい文脈では喋らない」ということは最初からしげすぎちゃんと合意していた。つまりネットの一部には社会制度をハックして不労所得で生きるゴロツキもいるが、俺はその生き方に否定的であるということだ。
もちろん正当な事由によって本当に社会の援助を必要とする人がそうするのは全く構わないしむしろ活用すべきだと思う。制度の本旨からして救済されるべき人がちょっとした知識不足で人生を損なうことは望ましくなく、そこで転ばないために立ち回りや申請のコツを知っておくことには価値がある。
一方、本当は相応の事由を特に持っていない人が不労所得を得るために小手先のテクニックで救済制度にタダ乗りすることを俺はかなり下に見ている。そういう生き方がクールだと勘違いするのは中学生で終わっていてほしい。
うっかりネット上でインテリっぽいポジションにいて障害年金の話をしていると、そういう「賢い生き方」を奨励するダッセエ連中のお仲間であると誤解されそうなことは著しく不本意なので釘を刺しておいた。

補足571:もちろん実情としては「『正当』な受給者か否か」という判断自体がはっきり白黒付くものではないと承知しているが、現実的に限界事例が存在することは不正への理念的な批判を無効化しない。また、全体としては損より益の方が大きいために実質的には不正の存在を容認しているという現実的な運用方針も、やはり理念的な批判を無効化することはない。
 

因果推論

俺は「『相関関係は因果関係ではない』のワンランク上に行く」というテーマで因果推論について喋った。スライドは以下(一般向けだし口頭やホワイトボードで補足する前提で厳密ではない箇所もある)。
speakerdeck.com
これも内容を全て書く気はないが、このテーマを選んだモチベーションについては書いておく。

最初に、データサイエンスに詳しくない人も含めて「相関関係は因果関係ではない」くらいのことは誰でも知っているようになったという時代的な前提がまずある。

72%は微妙なところだが……

原因は主に二つあって、一つはデータサイエンス教育がいよいよ充実してきたこと。近年の文科省はデータ教育にかなり力を入れていて、実際、高校でも情報Ⅰが既に必修化されると共にカリキュラム内には「相関関係は因果関係ではない」の話も含まれている。
もう一点は、「相関関係は因果関係ではない」が不毛なレスバでの必殺技として普及してきたこと。「相関関係は因果関係ではない」とはアバウトに言えば「データを提示されたところでそれがエビデンスにはなるとは限らない」くらいの意味であり、レスバ中にデータを提示されてもこの呪文を唱えることでとりあえず反撃できる手軽な差し返しとしてよく振られている(しかも大抵は強ち間違いではないというのが厄介なところだ、唱えている側が本質的な意味を全く理解していなかったとしても)。

総じて現環境では「相関関係は因果関係ではない」くらいのデータ知識では力不足と言わざるを得ない。もうワンランク上の段階に到達しなければ高校生にもレスバにも勝てない。
そもそも「~ではない」という何故か否定形の格言になっているのにもそれなりの理由がある。「~~な相関関係は因果関係である」と肯定形で断言するのはかなり難易度が高いのだ。
そんなわけで、因果推論の中でも適度に難しくて知っておく価値のある切り口としてこのテーマで喋ることにした。因果の話は日常的にも色々と豊富な事例を出せるので、思ったよりも遥かにスムーズに進行した(聴衆の平均知能がかなり高いこともあって、もっと詰まるかと思ったところも全然スッといけてしまった)。

補足572:わかる人向けに言うと要はpearl流因果推論の話である。pearl流はrubin流と違ってDAGを用いて因果をグラフィカルに表現するので直感的に理解しやすいし数式を省いてもかなり説明できる。

上のスライドには含まれていないが、質問されて初めて「言われてみれば気になるな」と思ったトピックに時間的先行性の話がある。
というのも、哲学界隈で因果性を扱うときはよく時間が出てくるからだ。ヒュームは因果性の要件の一つとして時間的先行性を挙げた、つまり原因は結果よりも時間的に先行することを指摘したが、常識的に当たり前のことだ。
が、ビジネスでのデータサイエンスの文脈では時系列データを扱うときでさえ時間的先行性が大きな論点になることはあまりない気がする。もちろんDAGを書くときなどに大いに参考にはするが、「常識的に考えて先行する事象だから原因だよね」くらいの温度感でしかなく、時間的先行性を手がかりにして難解な因果分析などを試みる状況はイマイチ記憶がない。

たぶん、時間的先行性というのは多くのデータを見て判断する統計的な事象というよりは、むしろ一つの現象をつぶさに観察して得るメカニズム的な事象だからだと思う。大量にデータを集めてようやく時間的先行性がわかりましたということは相当綺麗なデータや特殊なデータでない限りはあまりなさそうに感じる(逆に、生体をやっていた人が「脳波ではけっこうあるよ」と言っていて確かにと思った)。
また、現実的にデータはかなり粗めの時間粒度で入ってきがちという事情もあるかもしれない。一日の訪問者数とか一時間の降水量みたいな粒度でデータを扱っていると時間的先行性はそのまま均されてしまう。

打ち上げなど

終わったあとは中華屋で打ち上げをした。その写真は撮り忘れたので前日にしげすぎちゃんと行った新宿の海鮮でも貼っておく。

タカマル鮮魚店

二十人もいるので会社の飲み会より全然多くてビビったが、人数が増えているのはありがたいことだ。
ありがたいと言っても別に法人化とかマネタイズは全く考えていないので「目標に向かって順調に成長しているぜ」みたいなスタートアップ的な話ではなくて、友達がたくさんいると嬉しいねというだけの話である。世界は複雑なので色々な人がいた方がいい。違う属性の人が来ると違う属性の話が聞けるし、一度社会人になってしまうとそういうチャンネルはかなり貴重だ。
今回は特にゲーマゲのイラストを描いてくれた方とか二次創作を書いてくれた方にも初めて会って神読者すぎて頭が上がらなかった(他にもラノベ起点で来ている人が割と多かったが、考えてみたらラノベ回はTwitterで公募することが多いのでそこで流入チャンネルが開くのかもしれない)。

ニューカマーにカードができる人がいるたびに、ひふみが「ワンピースドラフトやらね?」とか言って巻き取っていくのは実はかなりありがたいと思っている(たまに「格ゲーやらね?」になる)。
サイゼミってサイゼミはやるけど他の動きがそんなにないので開催間の交流が乏しくなりがちで(俺が大抵のことを一人でやれてしまうタイプなので細かい勉強会とかをいちいち開かないがち)、特にサイゼミの開催スパンが開いてくるとちょっと勿体ない感じもある。
そこのところボードゲーム系の遊びは適度な間隔で適度に集まって遊ぶためにあるようなものだし、ゲーム側としても常に面子を求めているのでウィンウィンでいい感じだ。このコミュニティ間の互恵が生じている感じ自体もよい。

これだけ人数が増えてきても「サイゼミをこういう場所にしていきたい!!」という熱い思いが特に生まれないことには我ながら安心した。
サイゼミなんてその辺のフットサルサークルと大して変わらなくて、ボールの代わりに知識とか論理を転がすのが楽しいタイプの人々が適当に脳内のフィールドを駆けて遊べて良かったねみたいな感じで良い。蹴る玉があれば蹴りに行くし、蹴れる面子も多い方がいいが、別に強豪チームを目指しているとかは特にない。
だからアバウトに知識を求めているだけという前提だが、しかしいまどき多少なりとも専門性のある事柄について「実際のところ」を知りたければ「本物」にアクセスするしかないという難しさもある。時事的な事柄を書籍で知るにはどうしても限界があるし、AIがいなくても人力ハルシネーションだらけのインターネットはもう死んだ。結局最後は詳しい人間に聞くしかない。
と言いつつ、別に専門家がいなければ素人たちで何かを読んでもいいし、一冊しか学んでない程度のことを講義しても別にいい。今後も「まあ何でもいいでしょ」の精神でいく。

あとアップされてたのでブロッコリーマンの感想を添付しておきます(あんまサイゼミの感想ないけど)。
broccoryman.hatenablog.com

25/1/18 2024年12月消費コンテンツ

去年分、最近完結した人気漫画たちを一気に読んだ月だった。

メディア別リスト

漫画(73冊)

二月の勝者(全21巻)
推しの子(全16巻)
僕のヒーローアカデミア(37~42巻)
呪術廻戦(全30巻)

書籍(2冊)

MacBook完全マニュアル2024
統計学再入門ー科学哲学から探る統計思考の原点ー

ゲーム(1本)

クライマキナ

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

二月の勝者

消費して良かったコンテンツ

呪術廻戦
推しの子
僕のヒーローアカデミア

消費して損はなかったコンテンツ

統計学再入門ー科学哲学から探る統計思考の原点ー
MacBook完全マニュアル2024

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

クライマキナ

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

(特になし)

ピックアップ

二月の勝者

完結したので改めて全巻再読。やはりめちゃめちゃ面白かった。
まあ全体として思うところは以前に書いた単独記事と変わらないのでそっちを読んでほしい(もう4年前か……)。
saize-lw.hatenablog.com
やはり受験をテーマにした作品自体がそう多くない中、単なる勉強の話だけではなく塾講師という職業の規範や懐事情を含めた受験戦略まで満遍なく妥協なく描いたこの漫画の出来は傑出している。
実際のところ俺はトップ層以外の学校にはそれほど詳しくなかったのだが中学受験をガチったことがある人は誰でも心から楽しめると思う、バスケ部出身者がバスケ漫画を楽しむように。

たぶん賛否両論ありそうなのは随所で挿入される黒木の無料塾エピソードだろうが、受験に係る動向を広く描くというテーマには合致していたので俺はそれほど気にならなかった。
黒木が過干渉によって家庭を壊した過去とその精算は職業としての塾講師の在り方を描いていく上で必要だ。ああ見えて実は弱者救済を志向している黒木に対し、フェニックスの灰谷はひたすらエリートを育てることで社会に貢献しようとしているという立場の違いなどもきちんと描けている。また困難層とわかりやすく対比させることで、受験する塾通いの生徒は恵まれた上澄みに入る(塾に通わずに戦う受験も当然ある)と釘を刺したクリスマスのエピソードもかなり良かった。
強いて言えば、最大の誤算は単に桜花ゼミナールでの受験模様を描くだけでかなり面白くなってしまうことだったのではないか。塾外での作品の魅力として黒木に人間ドラマ的バックグラウンドを持たせたが、実際のところ塾受験パートだけで全然面白いのでそこから外れたテーマがノイズに見えてしまっているという事情のように思われる。

ただ終盤に一点だけ明確な不満があった点として、「共学に行きたい」というだけの理由で開成を蹴るオチだけはいくら何でも有り得ないと思う。それは笑いで済ませていいエピソードではないというか、子供の将来を考えるなら周りがふんじばってでも止めるべき行動だと俺は思う。いくら子供の自主性を重んじると言っても限度はある。
ちなみに補欠合格が連続したのは確かにけっこうなご都合展開だが俺はあまり気にならなかった。「受験漫画においては補欠合格を逆転の手札としてドラマチックに描ける」という発見自体がこの漫画の発明だ。

補足567:開成には上ブレした一般人も受かっていく一方、筑駒はそもそも狙える枠ではないのでフェニックス最上位層の宇宙人が当然のように受かっている以上には言及されないという温度感には正直かなりニッコリしてしまった!
 

推しの子

完結したので全巻初見で読破。最近の漫画はめっちゃ流行ってもこの巻数でスッと終わるのでありがたい。
まあ中盤以降の評判が悪くなるのもわかるが、俺は概ね最初から最後まで面白かったと思う。MEMちょとツクヨミが好き。

補足568:推しの子に限ったことでもないが、最近の週刊連載は基本的に一気読みした方が面白くなるような気がする。漫画も今や成熟した娯楽ジャンルとなって一定の複雑さが求められる中、毎週の小分け提供では途中で中だるみしたり話がわからなくなったりすることも多いだろう。複雑なストーリーを味わうには全ての収拾がついてからまとめて読む方が適する。例えば推しの子をリアタイしていたら最後の映画編でアクアの策謀が見えずに何をしたいのかわからないまま話数が進むのはストレスが大きそうだと思った。

全体的にかぐや様の悪かったところが治って赤坂アカのポテンシャルが発揮された良漫画だったと思う。
赤坂アカの白眉は少年少女の表面的なコメディの裏に思春期的な内面をきっちり結びつけられる点にある。コメディ用の尖った性格を提示する割には「そういう性格のキャラ」というだけでは全く終わらせず、いちいちそこに至る論理的な経緯や意識された振る舞いなどを描けてしまう。それも(基本的には)少女漫画のような過剰な内面描写に陥らずにギャグの範疇で処理できる。
ただ、それは裏を返せばコメディがいちいちコメディで終わらずにネチャネチャした内面の話が常に付随してしまうということでもある。また、事あるごとに裏表を描きたがるせいでキャラが迷走して手綱を握れなくなることも多い。そういうコメディと内省のバランス繰りが破綻して自壊したのが氷かぐや編あたりだったと感じている。

しかし今回は本線のストーリーがずっとブレなかったのが偉い。
具体的には「アイの死を巡る復讐劇」というラインが主人公格に通底しており、かつ、それは外部の出来事なので内省的な変遷の影響をほとんど受けない。
このおかげで訳のわからない堂々巡りの内省に陥ることがなかったし、外の目標がしっかり立っているのでルビーやアクアの瞳に黒い星が灯るような説得力を伴った熱いシーンが描ける。だから最後までアクアが復讐を貫徹したのもやむを得ないことだったと思う(それが終盤の悪評の主因だとしても)。
作品全体を貫く復讐劇だけではなく、各エピソードでもきっちり芸能活動として外的に設定した目標を達成しているのが良かった。

補足569:演劇編が完全にアクタージュじゃんとは思った(面白かったけど)。アイドルものからの発展として成立するかと思われた演劇ものは意外と描ける空間が狭いのかもしれない。

俺はツクヨミが煽られて子役をやることになるエピソードが一番好きだ。
「極度に内省的な用途で配置したキャラをコメディ文脈の方に引き寄せる」という、今までのやり口とは真逆のアクロバティックなことをしているからだ(今まではコメディ用のキャラクターが内省的な方向に向かうのが全てだった)。
いまや赤坂アカが弱点を克服して自由に強みを活かせるようになった瞬間であり、インスタントバレットからの深読みをするなら遂に「逆・セカイ系」に到達した瞬間でもあるのだが、それは推しの子というよりはいよいよ赤坂アカ論の範疇になってくるので今は見送る。

呪術廻戦

saize-lw.hatenablog.com面白かったので単独記事を書いた。記事内では触れなかったけど、どの呪いも最初から最後まで呪いとして在り続ける(宿儺を含めて誰も絆されることはない)という呪いサイドの一貫性も良かったね。

僕のヒーローアカデミア

ようやく完結したのでやっと最後まで読んだ。
実績としては名実共にジャンプの屋台骨を担っていたはずなのに、オタクの間で話題になることが少ない謎のポジションという認識を持っている。周りが高齢化しているだけで今の小学生たちにとってはドラゴンボール的な一丁目一番地の漫画なのかもしれない。

まあ面白かったが、最終決戦がとにかく長い! 連載の長期化に伴って「ピンチに助けに来れるキャラ」のプールが肥大化しており、「もうダメかと思ったら意外なキャラが救出に来るやつ」を無限回やりすぎている。
最終決戦では誰と誰のバトルが何回繰り広げられたのかもう覚えていないが、OFAを失ったオールマイトがテクノロジーでAFOに対抗するバトルは熱くて良かった。作中でも極めて稀な「個性を持たない者の戦い」でありながら(無個性者がちゃんと戦ったのってこれが作中唯一?)、オールマイトだけが持っている莫大な経験値と好戦的な人格によって成立しているという説得力が異彩を放っていた。

ヒーローものとしてはいまどき特に珍しくもないことに、ヒーロー側だけではなくヴィラン側についても同じくらい長く尺を取って背景を描いてきている。(忘れている読者も多そうだが)プロローグの時点でハッピーエンドが保証されていたヒーロー側は別にどうでもいいとして、ヴィラン側が最終的にどう収拾されたのかと言えば、まあいかにも令和らしい妥当なところに落ち着いた気はする。
「悪者にも事情があったことは理解する、彼自身というよりは彼が生きた環境や星の巡りが悪かったのかもしれない、だが可能性があったことと実際にやってしまったことは別だし、バックグラウンドは理解した上でそれでも排除する」というのが令和の悪の末路として一つのスタンダードだ。別に雑な社会反映論を語る気もないけど、今の世代的な感覚もまあざっくりこんなもんだよなと思う。あらゆる悪性には環境要因が付きまとうことは共通了解になっているが、だからといって別に悪行は免罪されない。鬼滅の刃での(無惨を除く)鬼もだいたいそんな感じだった。
トゥワイスもトガちゃんもそういう流れの中で良い落としどころを見つけられたと思う。どちらも完全に改心したわけではないし、最後まで自分の可能性を追い求めていただけだ。善寄りであれ悪寄りであれやってしまったことは取り消せないし前のめりに倒れていくしかないというのは前向きでいいと思う。五年前くらいの俺なら「トゥワイスは救われなかったがトガちゃんは救われた」という見方をしていた気もするが、加齢の影響で少し視野が広くなっている。

とはいえ、死柄木に関してはシンプルに描写を失敗していたような気がする。
死柄木も環境の犠牲者かつ前のめりに倒れた末路なのはわかるが、それなりにコミカルだったり仲間思いだったりした他のヴィランたちに比べると、頭に残るキャラが薄っぺらいまま終わってしまった。終始暴走している舞台装置としてのイメージの方が強く、結局死柄木がどういう人なのかという立体的な手触りが最後まで得られなかった。
もし何か一つでも過去が良い方向に変わっていたら、トゥワイスはホークスの良い仲間になっていたかもしれないし、トガちゃんはお茶子の一生の親友になっていたかもしれない。だが死柄木はデクと友達になっていた感が全然なくて、ワンチャンないやつがなんか良い雰囲気で死んでも別に全然エモくないのだ。

クライマキナ

ほしいものリストから頂きました。ありがとうございます。
前作のクライスタよりはギリギリで面白かったが、よくあるつまらないJRPGの域をまだ出ていない。ただキャラデザを中心としたアートはかなり良かったのと、アクションはめちゃめちゃ面白いわけではないにせよレベルデザイン班のこだわりを感じる仕上がりで好感を持てた。

アクション以外の話を先に済ませてしまうと、ストーリーもキャラもどこかで見たようなものに過ぎず「この作品の魅力」を語るラインに達していない。特に「エゴを描きたい割には失うものがないので響かない」というガッカリ感はクライスタと同じだ。
とはいえ、逆に言えば薄っぺらいだけで明確な瑕疵があるわけではないのでコンセプトがハマる人は十分に楽しめる予感もある。

一方、デザイン周りは全体的に優れていて特にキャラデザは明確に良かった。
ファミ通のデザイン独占インタビューが詳しいのでこれだけ見れば十分な気もする(→)。フィールド上の3Dモデルがジャギジャギしていて微妙だった件も立ち絵の解像度で相殺して不問としたい。
特にyoutubeでバズったトリニティMVは名作。
www.youtube.comフリューのプロモ動画の中でこれだけが頭一つ抜けた再生数を誇っている。クライスタがシャフト謹製の神OPを遺したように、クライマキナもこのMVが最大バリューだ。

大健闘

アクションパートはそれなりに楽しめた。少なくともクライスタよりはかなり良かった。
全体的に敵の火力が一貫して非常に高めなところにきちんと攻略させたいレベルデザイン班の意志を感じて好感度が持てる。いちいち細かくレベルキャップが付与されるのも「この難易度でプレイしてほしい(レベリングによるゴリ押しは許さない)」という強い意図があってのものだろう。
ボスの火力がヤバすぎて一瞬でハメ殺されるから負けイベかと思ったら普通にゲームオーバー画面になって「これ俺が倒すの?(重面春太)」ってなってるときが一番面白い。上に貼ったトリニティMV(専用BGM)を好きになれたのも、トリニティが強力なネームドエネミーとしてしっかり立ちはだかってくれたことが大きい。

意図したものかは微妙に不明だが(怪我の功名のような気もしているが)、なんか単独ではダメな感じの要素が絶妙に組み合わさっていい感じのアクション体験を生んでいるのが憎い。

  • ヒットストップや被ダメモーションが存在しない
  • その割には敵火力が異様に高いので気付いたらヌルっと死んでる
  • そのくせ敵は基本棒立ちからたまに攻撃予告してから動くだけでそれを見逃すと死ぬ
  • なのに味方の攻撃エフェクトが無駄に派手すぎて敵のエフェクトが見えない
  • しかも攻撃音が敵と味方で同じなので攻撃手順を意識しないと判別できない
  • でも味方独立支援機の攻撃がやたら長尺で全て完了するのに数十秒かかる

などのクソ仕様が全て重なった結果、「味方の攻撃タイミングや手順を意識しながら、稀にだけ来る敵攻撃をきっちり回避しつつ、しっかり殴り続けないと気付かないうちにこっちが死んでる」という普通に緊張感あるプレイが実現されている。

面白いんだかつまらないんだかよくわからないアクションの感想をnoteで検索すると色々な評価が見つかる。
note.com

 本作の手触りは最悪だ。自機は3機とも挙動が軽過ぎて制御し辛く、派手過ぎる演出が判断を妨げる。敵はモブもボスもボッ立ちの時間が長く、戦闘は単調。埋め合わせる様に一発の被ダメが極端にデカく、おまけに大半の敵がスパアマ持ち。そのくせ打撃感が無く、ダメージを与えている感覚も受けている感覚も極端に薄い。素振りの様な手応えで、気が付くと死んでいる。

マジでわかりすぎる!! 手触りが最悪すぎて一周回って逆にスリリングという説もあり、まあ敵が柔らかすぎたり敵の火力が低すぎるよりはいいとは思う。
note.comこっちは縛りプレイでめちゃめちゃやり込んでいる人。手触りが悪すぎるだけでよく見てちゃんと動けばパーフェクトクリアできる硬派ゲーのように見えなくもなく、やり込もうと思えばやり込むだけのポテンシャルはあるのだ。

賛否両論の問題作と言いつつ、こうして珍しく他人の感想を検索しているあたりなんだかんだで楽しんではいるという説もある。でもやる必要はないと思う。

統計学再入門ー科学哲学から探る統計思考の原点ー

そこそこ面白かった。
クラシカルな分布や統計の考え方についてのTipsを三つほど提供する本。ちなみに「数式を極力使わずに詳述」などと自称しているが、だいぶ使っているし統計学を一通り修めた上でないと通読は難しい水準だと思う。

最も気合を入れて書かれている仮説検定の話よりは、冒頭の演繹と帰納の話が一番面白かった。
統計学は肝心なところに流派が色々あってコンセンサスに乏しい謎の学問であることが知られているが(最も典型的なのは無根拠で決められた有意水準)、それは「そもそも統計学は厳密な正しさを求める演繹タイプの学問ではなく、誤りの可能性が残る代わりに新しい知識を発見できる帰納タイプの学問だから」という筋が通ったのは良かった。発見と誤りはトレードオフであり、そのウェイトをどう取るかは各人が恣意的に決めるべきで厳密な論理が働くところではないので流派が色々生じるのだ。

MacBook完全マニュアル2024

仕事でMacを初めて使うことになったので経費で買ってみた(正確に言うと大学の情報センターみたいなところで使ったこともあるがもうよく覚えていない)。
体系的な技術書ではなくこういう一般向けのTips集が今求めているものであり、仮想ディスプレイやclipy(mac用のクリップボードアプリ)など一定得るものはあった。

25/1/13 呪術廻戦の感想 領域展開とはいったい何だったのか?

呪術廻戦完結

完結したので全巻一気読み。かなり面白かった!

日車好き👍

Twitterで流れてくる断片から薄々感じてはいたが、だいぶ独特な感性で描かれていてジャンプらしくない漫画であった。この世の高評価作品を「期待に手堅く応える作品」と「見たことがない新しい作品」の二タイプに分けるとすれば呪術廻戦ははっきり後者に入ると思う。

確かに作中では漫画の枠すら超えて様々なコンテンツがオマージュされているし、特に術式がハンターハンターの念能力を下敷きにしていることは誰もが知る暗黙の了解ではある。
しかし要素の活かし方や根本的な感性は似たコンテンツのいずれとも異なる。こういう新しい作品が後続を巻き込んで一つの潮流を作っていくのかもしれないし、作者が持つ唯一無二の武器としてこれからも発展していくのかもしれない。その未来は今はまだわからないが、何か新時代の到来を予感させる良い漫画だった。

もう少し具体的に前置きすれば、表面的なストーリーラインは各編でボスが更新されていくオーソドックスなバトル漫画でありながら、そういうマクロな展開というよりはミクロな台詞・キャラ・能力・戦闘などに唸らされるところが多い。物語全体を駆動する大義や信条よりは、もっと個人的で主観的な世界の見え方や流れが強く意識されている。
とはいえ、そういう視座の高い内面を必ずしも心理描写として描くわけではないのが面白いところでもある。つまりセカイ系のように極端に内省的になることがなければ、熱い少年漫画のように気持ちの絶叫で一点突破していくこともない。むしろバトル上でのシステマチックな要素において世界との関係の在り方が表現されていることが呪術廻戦の白眉であると思う。

正確な台詞回しが気持ちいい

本題であるバトルの話に入る前に、まずは呪術廻戦における台詞の正確さについて触れておきたい。
というのは、呪術廻戦ではどのキャラクターも紋切り型の表現や不正確な省略を嫌い、今話すべきことを正しく話す傾向があることについてだ。個人的な感覚で言えば、呪術廻戦の作中で発せられる台詞の精度は哲学書のそれに近いと感じた。

例えば最初に好ましく感じた台詞として、主人公の虎杖が口にする「正しい死」というやや独特なフレーズがある。

何?

これは「(人が死ぬのが嫌なのではなく)人が理不尽な死を迎えるのが嫌だ」という思想を表現したものだが、本当に正しいことを言っていると思う。ちなみにここで言う正しさというのは「倫理的に善」ではなく「論理的に正確」という意味だ。

正しいものは正しくないものと対比するのが一番わかりやすいのではっきり書いておこう。他の漫画や現実世界でよく発せられる、正しくないフレーズとしては「誰も死なせない」が対応する。
これはよく考えるとかなり不自然な文章、多くの前提を落とした論理的に不正確な表現だと常々思う。人が必滅である以上、長期的に見て「死なせない」という目標は絶対に達成できないからだ。それに市井の感覚とも実はそれほど一致していないようにも感じる。実際、トロッコ問題を持ち出すまでもなく自らの命と引き換えに多くの命を救う自己犠牲の死は普通に称賛される(プラマイプラスなら死んでもよい)。
全てが言い間違いとまでは言わないが、冷静になって世界の前提を正しく整理すれば、本当に言いたいことは「死なせない」ではなく「正しい死」である状況は意外なほど多いはずだ(しつこいようだが、これは死生観や善悪の話ではなく論理的に正しい言葉遣いの話である)。
だから虎杖の思想自体は特異だとは思わない。ありきたりな死生観ではあるが、しかしありきたりな表現に逃げずに高い視座できちんと言語化したときに「正しい死」というワードが出てくるのだと思う。こうして生じた虎杖の発言は他にも「殺すという選択肢が入り込む」「(来栖が)野薔薇の代わりみたいになるのが嫌」など枚挙に暇がない。

また、この発展としてまず少し誤った表現を言いかけて自分で訂正するシーンも頻出する。正確な言葉遣いを心がけるとき、何かを言おうとしてから違和感に気付いて言い直すことはよくある。その過程自体が相手に正確なニュアンスを伝える言語的ジェスチャーだったりもするものだ。
特に夏油や真人などの饒舌な悪役たちがベタな台詞を言いかけて自分でストップをかけたりするのも面白い。あまりにもクリシェじみたことを言おうとすると、それが本当に自分が言いたいことなのかわからなくなってしまう気持ちはよくわかる。

何にせよ、日常的には怠惰や誇張によって様々な前提を捨象した粗雑な言葉が流通するが、正確な言語化を行うためにはまずは高い解像度で世界を捉えなければならない。
そういう「世界の捉え方」が言語的なやり取りだけではなくバトルシステムとしても組み込まれているのが呪術廻戦の真骨頂であり、具体的には領域展開や黒閃に表象されてくる。

渋谷事変:必中と黒閃という発明を見よ

最初に領域展開という奥義を見たとき皆はどう思っただろう?
正直に言えば、俺は設定ミスだと思った。そのくらい奇妙な設定だと感じた。

局所的な世界を展開するタイプの能力自体はよくある。
例えば「固有結界」「領域(テリトリー)」「虚軸(キャスト)」「異天空間(トバリ)」「世界種(ワールド)」など。タイプとしての通称が与えられていないものまで含めば、スタンド能力、念能力、卍解能力の一部なども同じカテゴリーに入るだろう。
その手の能力は領域内に限って「質的に新しい能力」を発現するのがスタンダードだ。異なる世界では異なるルールが適用され、それまでとは違う強力な攻撃を可能にすることでバトル上での機能が果たされる。

一方、呪術廻戦の領域展開では最初に提示される効果が単なる「必中」だ。質的に新しい能力は出てこず、領域展開をしなくても使える術式がただ必ず当たるだけ。

なんで?

もちろん現実的に考えて攻撃が絶対ヒットするのがかなり強いのはわかるが、しかしそうは言っても能力バトルの究極奥義が「必中」というのはちょっと地味すぎやしないか。わざわざ独自の印相によって独自の世界を展開するにも関わらず、その効果は使用者によらず同じ。実質的にはほぼ即死を意味するので展開上の差分も出ない。
実際、作中でも領域展開対策は「必中効果を無効にする汎用抵抗能力(簡易領域や彌虚葛籠)」を発展させる方向で進んでしまう。攻撃が一律なら対策も一律、相手の領域展開が何であろうと必中をシャットアウトする抵抗能力を使えばいい。能力バトル的な相性とか攻略を考える余地が残らない。
もっと身も蓋もないことを言えば、必中なんてわざわざ奥義として設定しなくても作者の匙加減で当てたり当てなかったりすればいいのではとか、少なくともハンターハンターで念能力者が領域展開を取得したとしてもあまり面白そうじゃないなとか考えたりもしてしまう(リッパー・サイクロトロンが必中必殺になってフィンクスがネテロを倒すバトルが面白いか?)。

続けて登場する「黒閃」も同じくらい変な技設定だ。

つまり?

「誰でも使い得る技であってそれ自体は固有能力ではない」というところは領域展開に似た立て付けだが、今度は必中とは真逆に「狙って出せない」「ほぼランダム」という設定がわざわざ与えられている。鍛えて強化した末に習得する技ではなく、運さえ良ければ誰でもいつでも使える技に必殺技としての格が与えられている謎。
更に、黒閃は発生がランダムである割には進化イベントまで兼ね揃えている。つまり一度発動に成功すれば「呪力の核を掴む(?)」ことで使用者が明確にワンランク強化されるのだ。「強くなったから黒閃が打てる」のではなく「たまたま黒閃を打てたから強くなる」というのは順序が逆で、少年漫画によくある修行パートへのアンチテーゼですらある。

しかし、呪術廻戦では己から見た世界の在り方が重視されていることに気付くといずれも腑に落ちる。要するに、領域展開の必中も黒閃も「世界の流れが良いこと」の表現なのだ。
仕事でもスポーツでも勉強でも恋愛でも何でもいいが、人生において「流れ」が来る時間は誰にでもある。全てが絶対にクリーンヒットする自信、そして2.5乗(?)の出力。
それは「ツキ」とか「ノリ」と呼ばれるものでもあって、本質的にアンコントローラブルなはずの領域への不合理な確信があるが故にスペシャル足り得るのだ。そして運良くそういう成功体験を一度通れば、その流れを思い出すことで一定の再現性が得られたりもする(核心を掴む!)。

人がワンランク上に進む奥義の本質とは何か。
この問いに対し、肉体的精神的に確実な成長ではなく、逆に運によって感覚される「己と世界の流れ」を答えとした表現が領域展開の必中であり黒閃でもある。そういう「感じ」は善悪や思想とは無関係に誰にでも生じるものだから、固有の術式によらず誰でも使い得る汎用スキルとして設定されているのも納得だ。

死滅回游:真のルール設定能力を見よ

死滅回游編からは領域展開の必中効果はそれほど強調されなくなり、さっき色々挙げたような「いわゆる世界展開系の能力」に近付いていく。つまり領域内では独自のルールが設定され、それに従って戦闘が進行する立て付けの領域展開が増えていく。

とはいえ「領域内の専用ルールに自他を巻き込む」という一見するとありきたりな世界展開系能力にシフトしてもなお、呪術廻戦における描写は依然として極めて特異だ。その理由は展開される世界の異常な解像度の高さにあり、その徹底ぶりは一つの発明と言える水準にまで達している。

特にわかりやすく完成度が高いのは坐殺博徒で、このページを開いたとき芥見下々は天才だと確信した。

ここヤバすぎる

坐殺博徒が凄いのは、パチンコをモチーフにした能力というよりはもはやパチンコそのものを持ってきてしまっていることだ。

他の多くの発明と同様、こうして一度提示されれば当たり前の話ではある。確かに秤が持っているはずの世界の認識をそのまま領域展開にすればこういう詳細ルールを伴うのがむしろ自然だ。
常識的に考えて、パチンコの能力を発現するようなキャラが単なる「パチンコをモチーフにした攻撃能力」程度で満足するだろうか。例えば「殴ったときにスロットが回転して揃ったら大ダメージ」程度のしょうもない能力で満足するだろうか? しないだろう。
パチンコを術式にするほどやり込んでいるのなら、パチンコの再現はもっと厳密なものであるべきだろう。遊技機として最大の目標である大当たりが終着点に設定され、そこに至るまでのルールも完璧に組み込まれるべきだろう。
彼はパチンコをモチーフにした何かによってではなく、まさにパチンコそのものによって世界と関係しているのだから。

弁護士や芸人だって全く同じだ。
弁護士が裁判の能力を発現するのであれば、六法と法解釈をそのまま持ち込むべきだ。彼が普段から接している世界のルールは簡略化された作中独自ルールなどでは決してなく、職能としてはっきり定義された法律とその運用なのだから。
芸人が漫才の能力を発現するのであれば、漫才の面白さ以外のあらゆる干渉を拒絶できるべきだ。ただ漫才が面白いかどうかだけが彼が接している世界のルールであり、ギャグ補正の能力を発現したいと思っているわけでは決してない。ウケるかどうかが全ての能力基準になるべきだし、彼のバトルは一週丸々使って漫才が描かれるものであるべきなのだ。

各キャラが職能や趣味を通じて世界を見ている解像度がそのまま表現されたものが死滅回游の領域展開だ。俺が今まで読んできた漫画によくある「モチーフ系攻撃能力」は読者の可読性に配慮して妥協された産物だったのだと初めて気付いて頭を殴られた思いだった。

一旦まとめよう。
渋谷事変では主観的な「世界の流れ」を掘り下げることで領域展開に必中効果を与えたのに対し、死滅回游では更に「世界の見え方」を掘り下げることで超具体的なルールを付加している。いずれでも世界の感じ方を重視してそのまま能力に落とし込んでいる点が通底する。

新宿決戦:領域展開の領域展開を見よ

最終的に、新宿決戦で描かれたのはいわば領域展開の領域展開だった。

各編ごとに領域展開の描写方法が変わっていく中、最後に新宿決戦でフィーチャーされたのは非常に細かい仕様部分である。
つまり作中最大戦力である五条と宿儺を筆頭にしたハイレベルな戦闘の表現としては、ここまで積み上げてきたルールの確認と手続きを厳密に進める戦闘が描かれた。無量空処を何秒展開するだとか、領域内での防衛が何だとか、魔虚羅の適応条件が何とか。戦う当人たちの認識をモノローグや観戦者たちが語る独特な立て付けは新宿決戦で初めて導入されたものだ。

そんな将棋の実況みたいな

こうして緻密に分析される領域展開はそれ自体が世界に存在する対象物でもある。
もともと顕微鏡のように世界の解像度を上げて捉える仕組みが領域展開だったとして、その領域展開自体もまたこの漫画における創造物として世界に存在する対象の一つなのだ。だから領域展開そのものを分析対象として解体して使い尽くすことは領域展開の領域展開に等しい所業である。

この発動者はもちろん作者だ。弁護士の日車寛見が裁判に詳しいように、領域展開に最も詳しいのは作者の芥見下々である。
もともと作品全体に通底する正確な言葉遣いや世界認識は、各キャラクターの造形というよりは芥見下々自身の世界認識に属するものだろう(キャラクターごとに個別設定されているわけではなく作品全体をカバーしている)。実際、芥見は一巻の頃からオマケページにおいて設定の整合性を異様に気にする素振りをよく見せていた。この振る舞いが新宿決戦では戦闘描写に活かされ、プロットを語る物語というよりはルールが厳格なTRPGのように所与の要素が細かく精密に運用される。
特に新宿決戦が決着したあとの僅かな話数で少なくない紙面を使ってバトルの反省会をしていることにはかなりの異様さを感じた。素朴なバトルの結果にはほとんど関心がなく(宿儺を倒したこと自体は世界の見え方を変革するほどの事態ではないから)、それよりはバトルを語る解像度に抜け落ちがなかったのかという確認作業を作中でやってしまうあたりがこの漫画にしてこの作者ありだ。

真人は気付いてた本質設定

あまり注目されていないが、非常に印象に残っている真人の台詞がある。

地味な名言

魂と肉体の関係に関して術式を跨いで一貫した説明を試みる夏油(羂索)に対し、真人は「それって一貫してないといけないこと?」と素朴な疑問符を浮かべてみせる。
意外にもこの見解は作品全体で支持され続けているように思える。つまり真人が単に呪いとしての行動原理の延長で答えたというよりは、術式の本質的な在り方をたまたま真人が看破したシーンであるように思える。

ただ、この一貫性のなさに関しては粒度を慎重に捉える必要がある。
というのも、呪力や術式や領域といった専門用語を定義する「共通ルール」においてはむしろ異常なまでに整合性が志向されているように思われるからだ。さっきも書いたように、それはおまけページでの解説や新宿決戦のモノローグで強く現れる。
一方、矛盾が容認されているのは各術式の個別具体的な内容についてだ。「魂がどう肉体がどう」とかいう細かい術式内容については術式を跨いで一貫していなくても構わないことに真人は気付いている。

形式的な整合性と内容的な矛盾の両立!
これは領域の衝突でも描写されていることだ。複数の領域が同時同地点に展開した際の基本ルールが「より洗練された方が残る」という択一方式であることから明らかなように、領域とは物理的な媒質のように押し付け合ったり打ち消し合ったりするものであって、領域の効果内容が相互作用することはない(ゴムゴムvsゴロゴロのような勝負にはならない)。
真人が正しく指摘したように、個別の術式はそれ自体が世界だ。所与の世界とは現にそう感覚していることが全てであり、「矛盾しているのではないか」という議論をそもそも受け付けない。

芥見先生の新作に期待

まとめよう。
呪術廻戦では、各々が高い解像度で主観的に世界を感覚していることが本質的な意味を持っている。それは紋切り型ではない正しい言葉遣いの前提であると同時に、世界の流れを掴むことが本質的な強さに直結する所以でもある。個々人が感じる世界は独断的に妥協なく定義され、その志向性は作者自身の語りとしても浮かび上がる。

個人的には、こういう感性はきっと作品というよりは作者に紐づいたものだと思う。たまたま哲学的な素養と漫画家としての資質を併せ持つ特性が週間少年ジャンプのバトル漫画というフォーマットで発露する、異質掛け合わせによって類稀な傑作が成立した。芥見先生の今後の作品も楽しみにしている。