埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

こんなダメ人間でも二人の子どもに敬われている不思議

今日は土曜日で私は休日なのですが、国家公務員の長男も地方公務員の娘も休日出勤。どちらも4月は業務多端なのだそうです。公務員様が休日にもかかわらず朝早く起床してご出勤だというのに、名もない中小企業の冴えない事務員である私のようなダメ人間が伸う伸うと新聞読んだりテレビ視たりしてリラックスしており何だか申し訳ない気分です。

長男は公務員として働き始めて2年が経過して3年目に入ったばかり。娘はまだ地方公務員になってまだ2週間。二人とも土曜日の出勤となってもイキイキと出かけて行きます。親バカと思われるかもしれませんが、本音を申し上げますと、「二人とも偉いなぁ」と感心します。

私が若いころなどは、休日出勤の際はかなりあからさまに不機嫌になっていたと思います。若いころからワガママなダメ人間だったんですね。こんな姿勢だからどんどん堕ちて行き、人生を棒に振ってしまうんですよね。

ところがこんなダメ人間でも、二人の兄妹からは敬われているといつも感じます。

「え?、勝手にそう思い込んでいるだけじゃないの?」と言われそうですが、一緒に生活していますと本当に「敬ってくれている」と思わせる場面が多々あります。

例えば、私が蒲団を片付けようと腰を上げた途端にそれを遮り、「いや、こんなことは私がやります。父さんは休んでてください」と反応してきます。また私が食後の皿でも洗おうとしますと、やはり「あ、私がやります」と飛んできます。

私が郵便物の宛先などを書いておきますと、娘は「こういう書体、いかにも大人の書きなれた文字って感じでいいなぁ、こんな字が書けるようになりたいなぁ・・・」などと言ってくれることがありますが、もう嬉しくなりますね。

これは妻の家庭教育が本当によかったのだと思いますし、このブログでも4月4日に書きました通り、親と子、大人と子どもの絶対的な力の差を見せつけたことや、一緒に勉強をして高校受験でも公務員試験でも僅かでも関与し協力して好結果を呼び込んだことも影響しているのだろうと思います。

兄妹ともに反抗期など無かったですし、親を困らせるような出来事は一度もありませんでした。学業成績はトップではありませんでしたが不満を感じる位置でもありませんので、子育てで苦労した記憶は殆どありません。

4月4日のブログ記事で書きました家庭教育法のほかにも、私が気を付けていたことがあります。それは「贅沢をさせない」ことと「不自由な環境をあえて設ける」ことです。

贅沢な生活が当たり前という感覚で育ちますと、大人になった際にその生活水準を保てない場合に猛烈な不満やストレスを感じるようになります。特に海外旅行には絶対に行きません。どうしても行きたければ大人になって自分で稼いでから行けばいいと思っています。小学生が海外旅行などに出かけても、ただの観光地巡りで得るものはないと考えますし、海外旅行に行ってきたということがきっかけで友だちの中で浮いた存在になりかねない。実際に裕福な家の子どもが海外旅行の自慢話や高価な持ち物が原因で友だちから仲間はずれになっている例を見てきています。

外食については極力行かないようにしているのですが、学校の試験で好結果であったり、兄妹のどちらかが学校を1年間無遅刻無欠席だったり、英語や漢字や簿記などの検定試験に合格した際に「安価な回転寿司の店」で食事をして祝うことはあります。

「安価な回転寿司の店」にこだわるのは理由がありまして、飲食店の方が料理を運んで下さったり、給仕して下さったり、食べ終わった皿まで片づけてくださる高級店は、子どもには適切ではないと思っているからです。つまり、お金さえ払えば(そのお金も親が払っているんですよね)、大人である飲食店スタッフが子どものお客に対しても丁寧に頭を下げ、給仕し最後に「ありがとうございました」などと述べるのですが、これは子どもが調子に乗るだけ。こういった高級店は大人になってから利用すればいいんです。

「安価な回転寿司の店」ならば自分で食べたい寿司の皿を取り、食べ終わったら皿を自分で返却皿投入口に入れる。お店のスタッフは座席の案内と会計の時に接触するだけ。子どもが調子に乗ることもないと思うんです。

贅沢云々という話ではないのですが、書店などのお店でもお金を払う際に偉そうな態度を取ってはいけない。お金と商品を交換しているだけなので、お金を払う側が偉いと勘違いしてはいけない。と小さいころから言い聞かせてきました。併せて、1万円札を使う際は「1万円札でお願いします」と一言添えることも教えています。これは1万円札で払ったのに、5千円札と勘違いされるトラブルを避けるためですね。これは贅沢とかの話題ではありませんが。

もう一つの、「不自由な環境をあえて設ける」ことについては明日書きたいと思います。