2020年 2月1日 宮城県登米市の柳津虚空蔵尊

2020年02月15日
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宮城県 登米圏
前々回の記事の続きです。
横山不動尊を後にして,人気の高い柳津虚空蔵尊に来ました。
柳津の虚空蔵尊といえば,福島県の柳津町にあるのと,ここ宮城県の登米市津山町柳津地区にもあるんです。
 福島県の柳津虚空蔵尊の過去記事はコチラ→2017年 11月3日 福島県会津地方 柳津町の福満虚空藏菩薩圓藏寺,湯川村の勝常寺,磐梯町の慧日寺跡,猪苗代町のアクアマリンいなわしろカワセミ水族館
 宮城県の柳津虚空蔵尊の過去記事はコチラ→2016年 8月15日 宮城県遠田郡涌谷町箟峯寺と黄金山神社,登米市津山町柳津虚空蔵尊
両寺の間に直接的な繋がりはないようです。

「津」はもともと港や船着き場の意味があります。
福島県の柳津は只見川,宮城県の柳津は北上川に面しており,両者とも河川交通の要衝です。
加えて「柳」は河畔の樹木としてメジャーですから「柳津」という地名も,あちこちにあっても不思議ではないでしょう。
福島の柳津虚空蔵尊は法相宗の高僧徳一上人ゆかりのお寺ですので,規模や知名度においてはちょっとあるかな。
とはいえ,宮城の柳津虚空蔵尊もなかなか人気のあるお寺で,参詣客が多いのです。

昼過ぎに着いたので,まずは腹ごしらえです。
ここは「お寺cafe夢想庵」なるものがあって,お茶やスィーツ,打った蕎麦やうどんをご祈祷した厄除け蕎麦,うどんがあります。
厄除け蕎麦(800円)をいただきました。
蕎麦はちょっと柔らかめですが,仙台麩,山菜,エビ天があって,おつゆもなかなか美味かったのです。
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仙台麩推しでスイーツや蒲焼きなどもあります。
仙台麩は商標で,仙台は特に麩が名産ではないのです。
これって登米市名産の油麩なんですよ。

民家風の一軒家の玄関から靴を脱いであがって,テーブルとイスのある席や小上がりの席などがあります。
お一人様だったのでテーブル席に案内していただきました。
テーブルもイスもアンティーク調,手荷物を入れるかごなどもあり,女性らしい気遣いを感じる店内です。
厨房に2人,ホールに1人の3人の女性で切り盛りしていました。
思ったより早く着丼し,温かい蕎麦を堪能しました。
器が楽しいですね。
重ね置きするには不合理ですが,特別な感じがあって嬉しくなります。
ちょっと大きな仏壇があったり,御朱印がおいてあったりと,不思議な感じだったのですが,後で調べたら,もともとお寺の庫裏だったのですね。
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玄関にお寺の名前の寶(宝)性院とありました。
レトロモダンを感じさせるオシャレなカフェでありました。
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お腹を満たしてあらためて山門から参拝です。
ここは先の台風19号で大きな被害を受けました。
最近の集中豪雨被害は大きな河川だけではなく,小さな谷川でも起きますよね。
ここも大きな被害があったのですが,本堂は何とか被害を免れて,再開までこぎつけました。
数年前までは山形県,秋田県などで大きな被害があったのですが,最近は太平洋側でも被害が出るようになりました。
我が家でも浸水まではいかないまでも,ハラハラの状態でしたから,もう気候変動は想定内のこととして対応せねばね。

山門は楼門などではなく,どことなく茶室を思わせるような優しい門です。
杉林にたたずむ中,ポツンとした燈色に暖かさと安心を感じさせます。
HPによると約250年前に建てられたもののようです。
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仁王門ですよ。
HPには伝説も紹介されていました。
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境内です。
右手側には鐘楼,地蔵堂,観音堂,寺務所があります。
左手側には手水舎,お寺cafeなどがあります。
本堂奥には奥の院入り口や弘法大師堂があります。
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手水舎です。
このお寺には七不思議の伝説があるとかで,ここのお水もそうみたいですね。
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龍の口に青竹が突っ込まれていて・・・(^_^;)
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狛犬です。ユーモラスな表情ですよね。
参拝客を笑顔で出迎えてくれる優しい狛犬さんです。
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本堂です。
江戸時代末期に建てられたそうです。
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向拝の蟇股には龍が彫られていました。
蝶結びのようでちょっと変わったデザインです。
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木鼻には唐獅子,手挟みには牡丹があしらわれています。
本堂の蟇股には鶴亀が彫られていました。
扁額下の欄間は天女の絵かな?
コンパクトにまとまっていますね。
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本堂の右手側から寺務所に行く途中には撫で牛と撫で虎がいました。
虚空蔵様は丑年,寅年の守り本尊だそうです。
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植栽も歴史を感じさせるものばかり。
これはユズリハだと思います。
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本堂側面の蟇股には鳥の彫刻がありました。
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振り返って,山門が良い感じだなぁ眺めていたら,あーっ!
良く見ると山門の屋根は玄昌石のスレート葺きになっていますよ。
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早速,寺務所で聞いてみると,ご住職様ご不在とのことでしたが,どうも登米産のスレートではないかとの話。
これは凄い!
スレート葺きの山門も稀少だと思いますが,登米産のスレートですからね。
道理で山門に惹かれるわけです。素敵です。
修繕したときにスレートに変えたのかな?
大事に後世に伝えたいものです。
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宮城の柳津虚空蔵尊は七不思議などの伝説やオシャレなカフェ,多彩なお守り,気を感じる植栽などもあって,人気があるのです。
そしてスレート葺きの山門。
「レトロモダン」という印象がぴったりでした。
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縁起についてHPよりコピペします。
行基菩薩は、天皇から勅を受け東国を巡遊してこの地に来て、御修法21日間一刀三礼を勤めて自ら虚空蔵菩薩を刻みます。丈、一尺二寸にて、天下泰平、国家安穏を祈り、翌月13日一宇を黄土山の嶺に創立し、安置して法を7日間説き、一村の守護仏として尊崇しました。
その後、宝亀3年(771年)3月、大伴家持が宮城郡多賀城にありし時、黄土山に登山してご本尊様を拝して「日本三所の秘仏である、かくも尊いものなれば、33年目毎に開帳する外、みだりに衆人これを拝すること恐れあり」と言われました
そして弘仁9年(818年・第52代嵯峨天皇)5月3日 弘法大師が比の堂に籠り、21日間密行を勤めて、大黒天長さ八寸のものと、毘沙門天長さ一尺二寸のものと2体を刻し、 本尊の左右に安置して本堂を今の地に移すこととなります。
さらに後に、中古にいたってはしばしば野火にあいましたが、幸いにして本尊の安泰をえており、貞享2年(1685年徳川綱吉の時代)3月13日智積院大法王来山して、仏像を拝して、行基の作であることの鑑書を受けました。
大祭は4月・10月の13日で、平成28年には37回目の御開帳が行われました。なお、現在の住職は第51代杉田観龍です。

ちなみに万葉集の歌人兼編者で著名な大伴家持は晩年,陸奥按察使・鎮守将軍兼任で多賀城に赴任して,当地で没したと言われています。
蝦夷討伐では奥州38年戦争の真っ最中で,焼き討ちされ荒廃した多賀城の再建に尽力されたのではと思われます。
没後は朝廷へのクーデターの疑いもかけられたようですが,後に子孫によって名誉回復がされたそうです。

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Snufkin
Posted by Snufkin
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