http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/033d5401fb39cff08a62fb868a131041
そういう訳で、昔の人々の知恵を「そんなの科学じゃない。トンデモだ」と言い切れる人というのは、きっと相当に優れた能力を持つ人なんだろうなー、と思いますね。それ以上のことを自力で考え出す、自信と才能を有しているんだなー、って。羨ましい限りですね。
仮想敵に向かって全力射撃メソッドでしょうか。
この文章で注意すべきところは、『昔の人の知恵(=有益な知識)を「トンデモ(=有害な理論)」であると「言い切る」(=全称命題)』という論理構造になっているところです。このようなことを、全ての『昔の人間が提唱した命題』に対して「言い切る」人間がいたら、私も見せて欲しいです。きっと、太陽が東から昇ることも、息が出来ないと死んでしまうことも、トンデモと言い切ってくれるでしょう。昔の人が提唱した命題には、現在でも有用なものが沢山ありますし、そうでないものも沢山あります。有用性を、どう立証するかというのが一つの課題であって、っていうか、有用性の実証プロセスが科学ではないでしょうか。
もうひとつ、経験則は科学と対立するものではありません。十分に観測された経験則は科学です。問題は、ここから先です。DHMOの逸話を出すまでも無く、複数の要因が関わったプロセスでは、因果関係と相関関係とたんなるパラレルの分離は困難です。犯罪者がゲームのプレイ歴がある、ことからゲームが犯罪者を産む、と結論付けることは、水が犯罪を引き起こす、と同じくらい無意味です。今のところは。
ともあれ、「知識」と「知恵」は異なること、「知識」や「知恵」を集積しやすい手法があり、その一つが「科学」と呼ばれること、あたりを知っておくとよろしいのでは。