田中達也はあの怪我をどう感じているのか……浦和時代からのサッカー人生と生き方を語る

有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回は田中達也選手に登場していただきました。名門・帝京高校で全国的な注目を集め、浦和レッズで活躍し、30代後半となった現在もアルビレックス新潟で現役を続けるベテラン選手です。アテネ五輪や日本代表で、得意のドリブルから相手DFを切り裂いた姿をご記憶のファンも多いことでしょう。田中選手には度重なるケガやベテランとなって変化したスタイルや心境についてお話を伺いました。 (新潟市のグルメ・和食)

田中達也はあの怪我をどう感じているのか……浦和時代からのサッカー人生と生き方を語る

f:id:g-mag:20181121183454j:plain

イメージ先行で語られる選手の中に

田中達也は入るかもしれない

ケガが多い選手という印象が

一人歩きしていると田中は言う

 

もっとも過去に大きなケガをしたことは事実

その辛いリハビリの中で田中は何を見つけたのか

そして立ち上がったときに見たものは何だったのか

振り返って何を思うのだろうか

 

ケガの後には監督を救うゴールを挙げたこともある

今シーズンの好調ぶりには目を見張るものもある

ゆっくり丁寧に話してくれたが

最後の「お勧めの食べ物」のときは「即答」だった。

 

あの選手に追いつきたいと思っている

自分が苦しかったのは、やはりケガをしたときですね。大きなケガをしたときは常に苦しいです。2005年のあたりからケガをするようになってしまいましたけど、長期のケガ、試合に出られないというのが精神的にツライですね。自分はチームと一歩違うところにいるなっていう感覚が嫌で。

 

ただ、2005年のケガは、相手のフェアなタックルからだったんです。たまたま足の位置だったりボールへの入り方で運が悪くて。相手選手もボールに来てましたし。フェアだったんで、自分に運がなかっただけです。

 

ところが、あのあと相手選手やその家族まで非難されたと人から聞いて、すごく胸が痛かったですね。相手選手は悪くないし、まして家族には関係ないし。グラウンドでの出来事だし、故意にやったことでもないので。

 

そういう意味で、何と言うんですか、申し訳ないというのもおかしいですけど、僕以上に苦しんだんじゃないかと。まだ相手選手に何か言う人がいるって聞いて本当に……ちょっと……。

 

その選手とはその後も何回か試合をやって、そのたびに僕もあの選手に追いつきたいと思っているんですよ。すごく実績もあるし、選手としてまだプレーしていらっしゃるし、少しでも追いつきたいという気持ちがあります。

 

それにケガをした後に出番がなくなったんじゃないんですよ。確かに僕にはケガがちとか、そういうイメージはついちゃったのかもしれないですけど、試合には出てます。みんなに支えられてきたんで。

 

2006年以降も代表にも呼ばれてるんですけどね。ケガの後も何回か代表に呼んでもらってますから、本当にありがたいですね。代表は結局、ジーコ監督、イビチャ・オシム監督、岡田武史監督と、3人の監督に選んでもらいました。

 

そこで出られなかったのは、ケガじゃなくて実力なんじゃないかと思ってます。そんな中でも、2008年のゴールを憶えてもらってることがあって、「記憶に残るゴールだ」と言ってもらうとうれしいですけどね。僕、代表では16試合しか出てないんですけど、その中の自分にとって思い出のある1試合でしたね。

 

その試合って、2010年南アフリカワールドカップのアジア最終予選(4次予選)のカタール戦で、日本は初戦のアウェイ・バーレーン戦に勝ったけど、2戦目のホーム・ウズベキスタン戦に引き分けて。もうそれだけで次の試合に負けたら岡田監督が解任されるかもって噂に上って。

 

次の試合がアウェイのカタール戦だったんですけど、カタールはウルグアイから帰化したセバスチャンなんかもいて、いいチームだと言われていました。でも自分としては勝てる自信があったんですよ。ただ、カタール戦の前に大学生と試合をやって負けちゃったんです。そのときは少しやばいなとは思いましたけど(笑)。

 

スタジアムに着いたら緊張しました。最終予選でプレッシャーもあって、チームもそういう状況だったし。絶対勝たなければいけないという試合だったんで。

 

試合直前、スタンドにどんどん人が入ってきて、カタールの応援がすごかったらしいですね。でも、僕はは緊張して周りのことなんて憶えてないんです。プレッシャーで周りが見えなかったので、周りからの圧迫感は感じないですみました。でもその前にプレッシャーはめっちゃかかっていましたけど(笑)。

 

そうしたら前半19分、内田篤人のクロスを玉田圭司が触らないで僕のところに流れてきたので、思いっきり蹴ったらGKの股間を抜けて先制点になったんです。そこから日本は落ち着いて、だいぶ楽に進められたと思います。

 

やっぱりアウェイで先制点が取れると大きかったし、後半に日本はあと2点取って3-0で勝って、大きな自信になったと思いますね。特にアウェイだから上出来だったと思います。個人的にも「やった!」という気持ちはありました。代表ではあまりゴールできなかったんですけど、その中でもいいゴールでした。

 

ただ、僕はケガがあったのにいろんな監督が選んでくれていたんで、もっとゴールしなければいけなかったですね。

 

長期のケガはサッカーと向き合うための時間

ケガは全部やりましたけどね。やってないところはないです。足首、膝、腰、肩……。肩も肩鎖関節脱臼して。3回か4回ありますよ。競り合いの中で自分が相手の服を巻き込んで離せないときに相手が走って行って、引っ張られて脱臼したというのが1回目でした。

 

どの脱臼も2、3週間ぐらいで復帰してましたけど、繰り返す人は手術するみたいですね。でも、僕はそのとき足首もケガしてたし、休みたくないって手術しないで保存療法にして、そのままやりました。

 

腰はヘルニアです。浦和のときに3、4カ月休んだんですけど、その前にぎっくり腰をやっていて、そのあと大きな腰痛が出たんです。膝は去年ですね。半年ぐらいプレーできなくて。でも新潟でプレーできなかったのは去年だけですよ。

 

ケガをしてチームから離れて、何カ月か1人でトレーニングをやりますよね。みんながボールを使ってプレーしているのを見るのが嫌で、リハビリの時間をずらしてもらったこともありました。

 

トレーナーの人の忙しさにも関係しますけど、リハビリが自分しかいなかったときは、メンタル的にちょっと厳しいときに少し時間をずらしてもらったり。

 

オフの時もリハビリですし、あとは精神的に休めないですよね。オフはあるんですけど、気持ちは休まらないというか。試合に出られるときだったら、しっかり試合に出て勝って、そうやって迎える次の日が休みだったら気分も楽だけど、自分は何もしないまま「明日休みです」っていう状況になっても、何となくメンタル的に休めてないしリラックスできてないし。だったら練習しようって感じでしたね。

 

でもそのとき、「サッカー人生は短いから」って、途中からはそう思えるようになりました。今、ケガして辛くてサッカーできないけど、サッカーと向き合っていられるのは短いのだから、そのためにはこのケガの時間も無駄に出来ないぞって。

 

長期のケガって、そこで何かを補わなければいけない時間だと思います。だったら、よりサッカーに向き合えるんじゃないかなって。なかなか最初はそう思えないですけど。だけど本当にサッカーを真摯に見つめられる時間だから。

 

そう思えるようになるのは長期のケガの場合、ケガの程度によっては1カ月とか時間がかかりますけど。ただ、半年のケガだったらその半年間しっかり向き合えるんです。どうしてもリハビリのときじゃないと向き合えないこともありますし、ボールは触れないけど、よりサッカーと密接な関係になると思います。

 

2005年のときは、大きなケガが初めてだったから、気持ちを切り替えるのにやっぱり時間がかかりました。復帰できるのかなって。でも実際にボールを触って、痛いけどボールが蹴られるようになって、復帰できて、試合に出てゴールが出来て。そのときが自信になりましたよね。

 

ゴールできて、それで「自分はまだまだプロでやれるんだ」って思えて。そこから何回も長期離脱しましたけど、最初の1回目が自信になったし、ゴールした感覚がもう一回自分を奮い立たせてくれるというか。ゴールの度に家族が喜んでくれたり、友達だったりサポーターが喜んでくれている姿が頭の中に残っていて、そのためにリハビリをやりましたね。

 

ケガしてるときって、家族も気を遣いますからね。やっぱり妻はケガをすると毎回元気なかったですね。今もです(笑)。少し肉離れして家に帰ると妻の元気がないんです。そういう姿は見たくないし、だからいい準備していいケアして、いいトレーニングして。そうすれば僕も幸せだし、家族も幸せだし。応援してくれてる人も幸せなんじゃないかなって思います。

 

2005年のときの経験で、みんなの思いを感じることができたなって思います。それまでは代表にも入れたり、少し調子に乗っていたのかもしれないけど。ケガで気づくのもダメなんですけど、でもそれで気づけて、今となったらプラスになったって。選手としてもそうだし、人としても。今に役立ってると思います。だから僕がケガしてチームから離れている選手にアドバイスしてあげるとしたら「ポジティブに捉えてほしい」ということですね。

 

f:id:g-mag:20181121184821j:plain

 

歳をとってプレースタイルは変わった

新潟に来たシーズンは32試合に出場しましたし、そこから出場を重ねて、今年は最初試合に出られてなかったんですけど、みなさんのおかげでサッカーが出来る環境をつくっていただいてます。

 

浦和のときの背番号は31番、18番、11番をつけていましたけど、新潟に来て最初が9番、そのあとずっと14番です。僕は帝京高校時代に14番をつけていて、好きな番号なんですよ。だからずっとつけたいと思ってたんです。

 

新潟に来たとき、9番よりも14番をつけたかったんですけど、もう選手が決まっていたんです。2015年シーズンの前に、14番が空いてて、じゃあお願いしますって。

 

14番って……かっこよくないですか? ヨハン・クライフのイメージもありますし、高校のときにつけたので愛着が元々あったんですけど、14番ってオシャレでかっこいいイメージないですか。だからどのチームも14番が誰か見てます。10番じゃなくて。

 

今のコンディションはいいですね。矢野貴章との2トップは貴章ががんばって潰れ役をやってくれるので、雰囲気で合わせてます(笑)。それから体のケアとか準備は、一番大事にしています。練習も大事ですけど、同じぐらい大事に。

 

歳を取ると、プレースタイルを変えるというのはあると思うんですよ。僕も少しずつ変わってます。やっぱり、ドリブルで抜くんですけど、縦に大きく抜くような回数が減っていて。1人をキレでググッとかわして、それを何回か繰り返すイメージです。今はブロックを作ってスペースを消すチームが増えたというのもありますし、今チームがやっている戦術もありますし。

 

浦和のときはFWで「1人ででも攻めてこい」というイメージでしたけど、現代サッカーはブロックを敷いて1対1でしかけるという場面はないですし、より戦術的になっているというのはありますね。でも自分というのはキレがないと自分じゃないと思っているので。

 

最近はずっと大きいケガというのをしてないんですけど、「ケガがち」というイメージだけが先行しちゃってる気がします。確かに去年はケガしたのでなんとも言えないんですけど、体が整えればまだまだ若い選手には負けたくないという気持ちがあります。

 

僕たちはまずピッチの上でプレーすることで、監督や仲間の信頼だったり、サポーターの信用を得られると思うので、とにかくプレーすることしか考えてないです。もしまだ「達也はケガがち」だという印象だったり、そういうイメージを持っている人がいたら、それは僕がもっとピッチでやらなきゃいけないということだし、僕にはそれしかないんです。

 

どれだけ口で言っても、「だって練習してないじゃん」とか「試合に出てないじゃん」って言われたらそれまでですからね。そのイメージがあるなら、まだまだやらなきゃいけないなと。自分もやりたいですし。まだまだ。

 

ただ、先は見ないようにしてます。常に次の試合、次の試合。明日、明日。そういう近いところしか今は見てないです。「明日また練習をしっかり出来ればいい」って、常に思ってます。先を見ると……やっぱり……見過ぎるとよくない感じがして。

 

僕より上の世代でやってるみんなのレベルが高いですからね。ヤット(遠藤保仁)さんとかボンバー(中澤佑二)とか。だからもっとやんなきゃって。そういう選手に少しでも追いつけるように頑張っていきたいです。

 

新潟は「のど黒」や「のっぺ」が美味しい

新潟でご飯を食べに行くときは和食レストランですね。「えびす鯛」とか「いかの墨」なんかです。そこで焼き魚を食べたり炊込み御飯を食べたり、新潟らしいものを食べてます。

 

お勧めは、やっぱり「のど黒」ですね。高級魚です。新潟はだいたいどの店にもあるんじゃないですかね。ちょっと贅沢ですけど、試合に勝ったりしたら、のど黒の焼き魚はいつも注文します。おいしいですよ。関東にはなかなかないんですけど。こっちには大体あります。

 

あとは元々ご飯がおいしいから、炊込み御飯がおいしいんですよ。ご飯はおいしいというか、食べ慣れちゃって、もう麻痺してるくらい。当たり前ぐらいな感じって、贅沢してる感じですかね。

 

新潟に来たらやっぱり白いご飯ですよ。子どもたちはお刺身とご飯という組み合わせが大好きですね。子どもたちは枝豆も大好きです。新潟の枝豆、おいしいですよ。

 

それから「のっぺ」という新潟の料理もおいしいです。里芋でとろみがついている冷たい煮物で、にんじん、さやえんどう、こんにゃく、しいたけやちくわだったり、そういうのが入ってるんです。妻は料理が好きなんで、お店で食べておいしかったら「ちょっとマネしてみようかな」って作ってくれたりしますね。

 

新潟って本当においしいものがたくさんありますから、来たらいろいろ食べてみてくださいね。

 

えびす鯛
〒950-0901 新潟県新潟市中央区弁天1-3-3
4,500円(平均)

r.gnavi.co.jp

いかの墨
〒950-0087 新潟県新潟市中央区東大通1-5-24
4,500円(平均)

r.gnavi.co.jp

 

田中達也 プロフィール

f:id:g-mag:20181121190254j:plain

2001年、帝京高校から浦和レッズへ入団。1年目から出場機会を掴み、2年目からはオフト監督のもと主力に成長。2004年にはアテネ五輪代表、2005年からは日本代表にも招集された。

2013年からはアルビレックス新潟へ移籍している。
1982年生まれ、山口県出身

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

f:id:g-gourmedia:20150729190216j:plain

佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

バックナンバー

 
                           
ページ上部へ戻る