公務員増加論

ここのところ公務員を削減しろ、という声はテレビをつけた瞬間耳に入るくらいよく言われている話である。戦後60年以上たって、従来の行政制度と新たな現実の間に齟齬が生じたり、組織を維持すること自体が自己目的化するようなって身動きが取れなくなっている状態になっていることは確かである。年金記録の保存・整理状態も把握できていなかった社会保険庁の不祥事がまさにそうであるように、中にいる役人たちも自分たちで自分の組織をほとんどコントロールできない状態なのである。

では行政組織や公務員は削減すべきなのかというと、全体としてはもっと増やす必要があることはあまりに明らかだと思う。医療の問題一つ考えれば明らかなように、40年前は自宅で分娩する人が少なくなかったのに対して今はほぼ全ての人が病院で出産するし、「普通に太っている」ことまで「メダボリック症候群」であるとして医療保険の対象になる。一世代前は普通に家族で介護をまかなっていたのが、今は介護保険制度を通じて支援を受ける。年金も1980年代に全国民が原則加入となり、これから年金を受け取る人はますます増え、仕組みもより複雑化している。耐震強度の問題でも、昔は一部の建物以外は厳格に検査しなかったのに対して、今は一戸建てからアパートに至るまで、新築の建築物は厳格な検査を通らなければならない。「食の安全」の問題にいたっては、消費期限などの法令遵守への視線は昔よりはるかに強まっている。さらに、人々の働き方が農業・漁業、小商店主などの自営から、会社で働くサラリーマンになったことは、残業代などをめぐる労働基準監督署の業務を増大させる。「治安の悪化」に対する不安によって、警察のよりしっかりしたパトロール活動が要求されているし、近年の貧困層の増大に対する行政支援の拡大の声も高くなっている・・・。

いろいろ思いつくだけでも、公務員が間接的・直接的にやるべき業務は、明らかに戦後一貫して(最近は特に)増大しているように思う(例外があるとすれば、少子化による学校の教師(特に国公立大学の)くらいだろうが、なぜか教師が多すぎるという話は聞いたことがない)。上の業務は民間に任せても出来ると言う人もいるかもしれないが、業務が滞りなく進んでいるのかどうかを指揮・監督し、最終的に責任をとるのはやはり行政の仕事である。私の理解では、「官僚は楽している」というイメージが最近になって強まっているのは、あくまで業務量の増大に既存の官僚組織が対応しきれていないのと、民間企業で働く人の状況が悪化していることが重なった結果であって、実際に「楽している」かどうかは全く別問題であると考えている。「国民の生活水準の底上げをするための官僚組織の再編」という課題から、「行政職員がどこにどれくらい必要か」という当たり前すぎる話をしなければならないのに、たいした精査もなく「楽をしている」から「削減すべきだ」という議論を専門家とおぼしき人まで振り回すことがある。

しかし、公務員の増加は今の世論では容易に受けいられそうにないし、個人的にもそれがベストの選択だとは思いたくないところがある。では、どうするのか。一つは民間企業に任せることであるが、これは生活保護のような「市場の失敗」に対するセーフティネットの構築を強めなければならないこと、そして民間業者を選定する際の資格審査、公共入札、認可や監視といった新たな業務が必要になることによって、むしろかえって官僚の役割や権限が高まる可能性もある。もう一つは非営利組織(NPO)でやるというもので、たしかにこれが理想的ではあるが、正直なところ、そうした収入も少なく「めんどくさい」ことに誰がどうして喜んで参加するのかを考えた際に、あまり現実的ではない。

最近の世論調査では「高福祉・高負担」の「大きな政府」に対する支持が強まっているという。それは個人的には健全なというか常識的な感覚だと思うが、その一方で「公務員を減らせ!」という声が一向に止まないどころか強まっている感さえあるのは、一体どういうことなんだろうか。


3/4 追加

ブックマークでhttp://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5190.htmlのデータを教えてもらった。公務員数で言えば日本は既に世界で最も「小さな国」の一つであるという厳然たる事実は、もちろん知らないわけではなかったが、国によって抱える固有の事情は異なるし、「政府が大きすぎる」という一般の人々の感覚を上手く説明できなかったので、きちんと取り上げられないできてしまった。

だがやはり、事実として公務員の絶対数は少なく、そして国家と政府が市民の生活の介入する問題が膨大になったにも関わらず、それでも国民が「多すぎる」と感じてしまうという事実は重要である。その理由をあらためて考えてみると、一つにはまさに政府の請け負う業務が膨大になって財政支出が増えたこと自体に求めることが出来る。つまり、特に医療や介護などにおける政府の業務と歳出が増え、財政の負担がますます厳しくなっていった結果として、「財政が厳しいのは公務員の数が多すぎるからだ」という気分が皮肉にも強まっていったのである。

もう一つ考えられる理由は、公務員の絶対数が少ないという事実そのものによる。つまり、身近な日常に公務員があまり存在せず、たまに市役所に用事があって接触する程度の存在だとすると、公務員は自ずと心情的に「遠い」存在となり、手の届かないところにいる「お上」であるように見えてしまう。

しかも公務員というのは、民間のように自分で仕事を作り出して忙しくするわけにはいかず、周りから仕事が来たらそれに対応するという性質上、常に忙しくしているというわけにはいかない。また、接客サービスで商売しているわけでもないので、愛想や対応もぶっきらぼうなことが多い。民間企業で少ない人員のなか長時間働き、コンビニやファミレスの馬鹿丁寧な接客に慣れきっている人々にとって、公務員はどうしても「真面目に仕事をしていない」ように見えてしまう。

さらに公務員は、日本社会のトップエリートなのでもなければ(本当のエリートは給料のよい民間の一流企業に行く)、給料が飛躍的によいわけでもないでもない。いわばそういう、われわれと何の違いもない「平凡」であるはずの連中が、「公務員」であるというというだけで安定した地位と(「血税」から出ている)給料を獲得し、「権力」をふるっているというのに「我慢がならない」ということなのだろう。

でもどうなんだろうか。こう書いても、「公務員を減らせ」みたいな、少し考えればおかしいとわかるはずの感情論に誰もツッコミを入れず、その削減が政治家の実績であるかのようにまでなってしまっている理由が皆目わからない。誤解されると困るけども、減らすところが必要な部分はもちろんあると思うが、「必要なところは増やせ」という話と平行しなければおかしいと言っているのである。なんでそういう話にならないのか・・・・。もう少し説得力のある理路整然とした「公務員削減論」が出てくれば(今まで聞いたことがない)、考えが深まるのかもしれない。