2024年12月28日~2025年1月3日の話。

2024/12/28

7時起床。年内最後の休日出勤。ショッピング番組の生放送特番。裏方として試食用のカニと格闘し終了。これで仕事納め。帰宅し遅めの昼食はサッポロ一番塩ラーメン。卵と餅をトッピング。

夕方から妻、義母、義兄といっしょにお通夜へ。義姉の義母のお通夜。96歳、大往生。小さな曾孫が7人もいて親族控え室も賑やか。甥っ子、姪っ子の子供たちがかわいい。生と死、生まれて育っていくサークルを感じる。

24/12/29

朝から妻、娘夫婦と義母宅へ。年末恒例の餅つき。年季の入った餅つき機がフル稼働。つきたての餅を皆で丸める。出来たての餅、これがもう美味いのなんの。

帰宅し、妻と京都まで。ロームシアターにて「清⽔ミチコ万博 〜ひとりPARADE〜」京都公演を観る。元祖“才能が渋滞している”天才芸人。歌にピアノにモノマネ、すべての芸が一流。全方位的にあらゆるものをおちょくり、笑い飛ばす。弟である一郎氏と矢野顕子&細野晴臣のマネで「風をあつめて」なんて絶品。そして今回の目玉はスペシャルゲスト、木村充揮(ex憂歌団)とのセッション。隙あらばダジャレを挟み込みつつ、激渋かつかっこいい歌とギターを聴かせる木村氏。痺れたなー。2時間40分ノンストップの楽しすぎるショーで大満足。

24/12/30

妻は今日も仕事。ということで一人京都まで出て映画。烏丸御池のすき家でほろほろチキンカレーで腹ごしらえ。

アップリンク京都にてまずはクリストファー・ザラ監督「型破りな教室」を観る。アメリカとの国境近くにある町、メキシコのマタモロス。麻薬、暴力が蔓延し貧困にあえぐこの町の学校に新任教師ファレスが赴任。マニュアルからはみ出し、自分で考え導き出すことを教えるファレス。子供たちは型破りなファレスから様々なことを学んでいく。だが彼らの日常は優しくない。暴力や貧困が彼らの未来に暗雲をもたらすのだ…。学ぶことの喜びを知り、未来に光を見出す子供たち。だが残酷な現実が彼らを襲う。生徒の一人・パラマは数学にずば抜けた才能を見せる天才。だが貧困の中にいる父親はファレスに言う。娘に期待を持たすなと。哲学に興味を持つルペはヤングケアラー。幼い弟たちの面倒を見るために学ぶことができない。学ぶことの楽しさを知り未来を夢見るニコだが暴力の世界から抜け出すことを許されない。本来人には学びたいという欲があると思う。知らないことを知りたいと思う知識欲。教育とは違う、学び。「私の学びを妨げる唯一のものは、私が受けた学校教育である」というアインシュタインの言葉が映画の最後に飾られる。大人は子供たちが持つ学びたいという気持ちを止めてはいけない。それが大人の役割だと思う。この型破りな教室にはちゃんとした学びがある。未来を生きる子供たちの為に自分は何ができるのかと映画を観ながら考えさせられた。良き映画であった。NHKのドラマ「宙わたる教室」のことも思い浮かんだな。

で一旦マクドでマックシェイクのチョコ飲んで休憩。それからもう一本。

チャンドラー・レヴァック監督「アイ・ライク・ムービーズ」を観る。舞台は2003年のカナダ。ローレンスは映画大好きな高校生。自己中心的で他者を見下し社交性はゼロ。そんなローレンスがレンタルビデオ店で働き、店長のアラナはじめ様々な人たちと接することでちょっとずつ変わっていく。主人公ローレンスのイタさ、根拠のない優越感、自分だけは特別だという思い込みと妙な自信。だがそれと背中合わせに常に不安と自信の無さ、劣等感がある。どこか既視感があるこの感覚。そうまるで昔の自分を見るようだ。いや、今もまだどこかに残っている。若さとバカさがひたすら空回って、手を差し伸べてくれる人すら傷つけてしまう。そしてその傷が全て自分に跳ね返ってきて初めて気づくのだ。映画は自分以外の他者の世界を覗き見ることができる装置だ。未知の世界、未知の体験を覗き見し自分の無知を知る。時に共感したり、時に反発しながら、他者の中にも自分と同じように事情があり感情があることを知る。幼いローレンスは自分だけを見ている。映画を観ながらも映画を観ている自分だけを見ていて内側に高い壁を作ってしまう。他者との関係が壊れ、一人になった時にやっとその壁を壊し外に出ることができたのだ。そしてローレンスはやっと少し大人になる。これまた良き映画だったなー。

やっぱり映画館で過ごす休日は最高だな。そしてそんな今日12/30は誕生日なのであった。

夜、2024年の映画ベスト10を誰に頼まれた訳でもないのにUP。アイ・ライク・ムービーズということで。今年観たのは配信含め119本。その内劇場で観たおよそ100本から10作品を。良ければお読みくださいね。

popholic.hatenablog.com

24/12/31

大晦日。朝から郵便局まで年賀状出しに行って(遅すぎるよ)、しばし湖岸を散歩。昼は家でパスタ。それからNETFLIXで映画を一本。藤井道人監督「青春18×2 君へと続く道」を観る。ベタっちゃベタなお話なんだけど、台湾という舞台設定と清原果耶の清原果耶力でぐっと抑えた沁みる青春映画に。奇しくも中山美穂追悼にもなっていた。

夜はそばを食べて紅白。郷ひろみがやすきよの漫才に入り込んだのには笑った。そしてその画像をすぐにXにポストしていたエムカクさん(明石家さんま研究家)最高。星野源の鬼気迫る「ばらばら」も聴き応えあった。ありとあらゆる考察がSNSに上がっているけど、本当のところは彼にしかわからない。それこそ「ばらばら」だ。だが「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。本人の望む望まないにかかわらず、彼は年末の国民的番組で歌う影響力を持つスターでありヒーローなのだ。誰かを切り捨てるのではなく誰もとりこぼさないのがヒーローだ。それを背負ったものの痛みと孤独が染み入った。そして「虎に翼」パート。「虎に翼」はまさに誰もとりこぼさない、いなかったことにしないという強い意志を持ったドラマで、このパートでもしっかりとその意志を示して見せた。素晴らしかったな。

で2024年も終わり。まぁ色々大変な年ではあった。いいこともあり、悪いこともあり、楽しいこともあり、辛いこともあり、日記に書いてない、書けないことも、そりゃあるよ。まぁこれが人生。That's Life。

2025/1/1

明けましておめでとうございます。年明けて2025年。妻と2人、お雑煮とお節。貰い物のお節が超豪華で朝から豪勢。

昼前に娘夫婦もいっしょに実家まで。昼は母手製のお節。慣れ親しんだ味。美味しい。墓参りにも行って父に新年のあいさつ。父が亡くなってもう17年も経つのだな。イオンモールのユニクロで買い物。兄は娘夫婦にとてもよくしてくれる。何でも好きなもの買ってやると大盤振る舞い。小遣い制のせせこましい父(俺のことである)とは大違い。夜は皆でしゃぶしゃぶ。母はいつまでも兄や僕が高校生の頃の感覚でいて肉や野菜を大量に用意してくれている。ありがたいが当然半分も食べられない。もう50過ぎてんだから。

2025/1/2

今朝も妻と2人、お雑煮とお節の朝食。で今日は娘夫婦もいっしょに妻の実家へ。昼から夜まで食べて飲んでお喋りしてテレビ見てダラダラと過ごす。カニ鍋に鴨鍋、最後の雑炊がもう美味いのなんの。

二日続けて付き合ってくれた娘婿に感謝。

radikoで角田龍平の「蛤御門のヘン」聴く。毎年恒例、蛤御門アワード。スタン・ハンセン、金平会長をはじめとする濃厚すぎるゲスト陣の中にあって、最薄味ゲストとして不肖、私も出演させて頂いた「蛤御門のヘン」。リスナーさんでアワード候補に私の名前を挙げてくれた方がいてびっくり。番組出演後、ブログを読んでくれた人も多く、なんといいますか感謝しかない。

2025/1/3

今朝も妻と2人、お雑煮とお節の朝食。やっとお節食べ終わった。初詣に多賀大社まで行こうということになって義母も一緒に出掛ける。高速飛ばして片道1時間ちょっと。さすが人も多い。しっかりお参りして多賀屋で糸切り餅買って帰宅。義母宅で遅めの昼食というか早めの夕食というか昨晩食べきれなかったオードブルとかお節をつまむ。

夜はTVerやNHK+で年末年始の番組などをチェック。話題の爆笑ヒットパレードでの爆笑問題のネタなど。でもまぁ太田さんがいじらないわけないだろうという感じ。というか、テレビ以外はネットも雑誌も一般人でさえ話題にしてるんだからむしろ触れない方が無理がある。そんなことよりあれだけのキャリアでもうネタやらなくていい立場の爆笑問題がずっとネタを作り、やり続けてることが凄い。ラジオを聴いてると日々ネタ作りし、ネタ合わせを繰り返してることがわかるし、ネタ後の反省をいまだに口にしている。いつまでたっても(漫才が)上手くならないと嘆く太田さん。年末年始だけでも多くのネタ番組に出てトリを務め、新ネタでしっかり笑いを取る。テレビだけじゃなく自分たちで場を作りクオリティを保ちながら常にネタを作り続けている。これ、ちょっと凄くないか。

2024年に観た映画の話。

ということで2024年マイベスト映画を

  1. フジヤマコットントン
  2. 夜明けのすべて
  3. ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ
  4. ぼくのお日さま
  5. ロボットドリームズ
  6. 違国日記
  7. ソウルの春
  8. 密輸1970
  9. ルックバック
  10. YOLO 百元の恋

2024年、社会や政治の世界に目を向けてみると酷い一年だったという印象が強い。デマやヘイトが蔓延し、人権や尊厳が軽視され、強い者に媚び、弱い者を踏みにじる。声を上げる者に石を投げつける。上か下か、右か左か、黒か白か、敵か味方か…分断が進み、対立ばかりが増えていく。そんな社会の中で生きていると知らず知らずのうちに心に無数の傷がついている。こうして10作並べてみると、そんな社会に抗うような作品を自然と選んでいた。

それぞれに意見がありそれぞれに事情がある。耳を傾け、寄り添い、共存する。弱き者たちの中にある強さ、声を上げることの大切さ、世界の美しさ、未来にあるはずの光、たとえそれが叶わぬ夢、理想だとしても、そこに一歩でも近づこうという想い…とまぁそんなことを感じられる作品が心に残った。

ではこのブログに書いたそれぞれの映画の感想を改めて採録します。

 

1.青柳拓監督「フジヤマコットントン」

山梨県、甲府盆地のど真ん中にある障碍者福祉サービス事業所「みらいファーム」。そこに集う人々、その日常を映すドキュメンタリー。青柳監督のお母さんが働いていて監督は子供の頃からよく出入りしていたのだという。それもあって青柳監督のカメラはごく自然ととけ込み、映される人たちも監督とカメラを当たり前のように受け入れている。「みらいファーム」では障害を持つ人たちが、農作物や花を育て販売したり、育てた綿花で糸を紡ぎ織物にし製品を作ったり、なかには絵を描いて個展を開いたりと、それぞれが自分たちの手でできることをしながら活動を広げている。思慮深く、丁寧にはたを織るめぐさん、お喋りでテキパキと仕事をこなすゆかさん、心優しく花を愛でるケンちゃん、ひたすらペンを走らせ一心に絵を描き続けるたけしさん、玄関の横でコツコツと綿繰り作業をしながら全てを観ているいちろうさんは森の賢者のよう。出てくる人たちはそれぞれに個性があり、それぞれに悩みや事情がある。仲の良かった職員さんがいなくなり一人ふさぎこむおおもりくん、そして最高なのがたつのりさん。「希望の花、咲かせてもいい?」などなど名言連発、恋に破れ一人泣いたりと魅力にあふれている。また彼が撮る写真がどれも素晴らしいのだ。カメラは優しく愛おしく彼らの暮らしを見つめる。そこには詩があり、絵があり、歌がある。育てた綿花を摘んで、糸を紡ぐ。糸の太さは均一にはならない。その糸を機織機でコットントン、コットントンとめぐさんとゆかさんが織り上げていく。ゆっくりと丁寧に織り上げられた綿布の風合い、その美しさ。柔らかで優しい手触りがスクリーンからも伝わってくる。そしてその感触がそのまま映画になっていた。なんだかちょっと泣けてくる。気持ちの良い涙が溢れる。大好きで大切な映画だと思った。

もう一つ観ている間に考えてたことがある。「仕事」について。僕は彼らのように「仕事」してるのだろうかと。彼らが手を動かし、身体を動かし、何かを生み出すように自分は仕事してるだろうか。口先三寸で金儲けしてるだけじゃないか。「仕事」ってなんだろう?そんな風に頭を巡らせていたらラストでたつのりさんがカメラを持つ青柳監督に問いかける「仕事って何?」と。うーんと悩みながら答える青柳監督。それにかぶせるようにたつのりさんが「仕事とは…」と語りだす。そこには明快かつ完璧な答えがあった。心が震えた。

日々の営み、そこで生まれる感情や想い、繋がり。彼らの日常を観ながら自分自身の生活や仕事を考える。「生きる」ということを足元から考えさせてくれる映画でもある。大傑作。多くの人に観ていただきたい。

2.三宅唱監督「夜明けのすべて」

三宅唱監督「夜明けのすべて」を観る。PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなく藤沢。同じ職場で働くことになった新人・山添の無気力さにイラつき、きつく当たってしまう。だが山添がパニック障害を抱えていることを知り自身がPMSであることを告白する。他人には理解されにくい障害を抱えた二人は、適度な距離を保ちながらお互いの理解者になっていく。素晴らしかった。二人はべたついた関係には陥らない、ましてや恋愛感情もない。それでも同志として理解し合い、必要な時には手を差し伸べ合う。彼らとともに働く職場の人々にもそれぞれに事情がある。そう、すべての人は他人からは窺い知れない事情があり、悩みがあり、様々な想いを胸に抱えているのだ。でもどうしても一人では抱えきれない、はみ出してしまう部分がある。そのはみだした部分を誰かが見ていてくれている、理解してくれているというだけで心は少し軽くなる。上白石萌音と松村北斗、主演二人の声が実に良い。トーン、大きさ、スピード、どこをとっても最適で素晴らしい。派手な映画ではないけれど、秀作であり良作。大切にしたい映画であった。

3.アレクサンダー・ペイン監督「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」

1970年、名門バートン校。家族から離れ寄宿舎に暮らす生徒たちだが冬休みになると、皆家に帰りクリスマス、新年を家族と過ごす。だが中には帰れないものもいる。この冬、寄宿舎に残ったのは優秀だけど何かと反抗的な生徒・アンガス。管理者として指名されたのは生徒のみならず同僚からも煙たがられている古代史の教師ハナム。そして一人息子を戦争で失った料理長メアリー。バラバラの3人が共に過ごすクリスマス。良かった。素晴らしかった!孤独を抱える3人にはそれぞれの事情がある。複雑な家庭環境で育ち、寂しい気持ちをナイフのようにとがらせたアンガス。本当は心優しく優秀なのに、やりどころのない気持ちを触る者皆にぶつけ傷つける。ハナムもまた事情がある。良き人であろうと願う善人ながら、自身の過去に囚われ、自分自身の殻の中に閉じこもっている。愛する息子を亡くしたメアリーはその悲しみからまだ立ち直れないでいる。孤独な魂が、孤独な冬を過ごす中で、それぞれの事情を知り、寄り添う。3人はただ馴れ合う訳じゃない。それぞれがそれぞれを知ることで本当の自分を知ることにもなる。3人の関係は永遠続くものじゃないかもしれない。だけど3人にとってお互いの存在が「忘れえぬ人」になる。アンガスはきっと大人になってもクリスマスのたびに、この1970年のクリスマスを思い出すことだろう。孤独な冬の日、孤独な自分に寄り添ってくれた大人がいたことを。壮大なるいい話なんかじゃなくて、ちょっとしたいい話なのがいい。人が人を思いやることの確かな美しさがここにある。素晴らしい映画だった。

4.パブロ・ベルヘル監督「ロボットドリームズ」

ミッド80'sのNY。孤独に暮らす「ドッグ」。寂しさの中で購入した友達「ロボット」。そして訪れるドッグとロボットの幸せな日々。だが二人に襲い来る突然の別れ。そして過ぎていく日々…。それを台詞無しのアニメーションで見せていく。可愛く漫画チックな絵。でもそこには不思議とリアルな質感がある。昔、ウディ・アレンの映画で観たようなNYの街並み。重力を感じさせる動き。そして描かれるのは誰もが感じたことのある痛みであり切なさだ。美しい日々は終わり、胸に傷を残し痛みとなる。やがて日々は過ぎ、いつかその痛みは切なくも甘い記憶となり胸を温めてくれる。くーっ!言葉の代わりに雄弁に語るのは音楽。最後の数分の展開、あんなん絶対泣くやろ!自分でもどうかと思うぐらいスイッチを押され涙がポロポロ。この先、EW&F「September」聴くたびにドッグとロボットの姿が胸に去来するだろう。こういう作品に出会えるから、映画館通いが辞められないのだ。

5.奥山大史監督「ぼくのお日さま」

吃音がある小学6年のタクヤ。同級生たちとアイスホッケーチームに入っているものの苦手。ある日スケートリンクでフィギュアスケートのレッスンを受ける中学生のさくらに目と心を奪われる。誰もいなくなったスケートリンクでさくらの真似をしてスケートを練習し始める。その姿を見たさくらのコーチでかってフィギュアスケートの選手だった荒川はタクヤにスケートを教え始める。そしてタクヤとさくらのペアでアイスダンスに挑むことに。荒川にほのかな恋心を抱くさくら、さくらに初恋するタクヤ、同性の恋人と暮らす荒川、3人が過ごしたひと冬の物語。淡くやわらかな光、少ない台詞と繊細な視線。甘くでもひどく苦い忘れ得ぬ日々。素晴らしかった。幼い二人の純粋さとそれゆえの残酷さ。Zombiesの「Going Out of My Head」をバックに3人が冬の湖で遊ぶシーン。美しく尊い冬の一日。恋人と過ごす荒川の姿を遠くに見かけたさくら。幼く小さな心の痛みが残酷な言葉となる。そして美しく尊い冬の一日は儚くも消えてしまう。幼い二人はやがて知るだろう、胸の痛みの意味を。そして月日が流れそれぞれがそれぞれの「忘れ得ぬ人」になることを。僕にとっても「忘れ得ぬ映画」となった。

6.瀬田なつき監督「違国日記」

両親を交通事故で無くした15歳の朝。朝の母親の妹で小説家の槙生は葬式の席で、衝動的に朝を引き取ると宣言。槙生と姉は不仲でほぼ初対面の二人。人見知りで人付き合いが苦手な槙生と、明るく人懐っこい朝。まるでタイプが違う二人が共に暮らすことになって…という物語。自分の感情は自分だけのもの、決して理解し合うことはできないと言う槙生。今まで出会ったことがないタイプの大人である槙生に戸惑う朝。槙生もまた天真爛漫な朝に戸惑う。ぎこちない二人だが共に暮らし会話を交わすことで、理解し合えなくとも寄り添えることを知る。これ、かなり好きな映画だなー。ちょっと「夜明けのすべて」を思い出した。姉である朝の亡くなった母親のことを許せないでいる槙生、そんな母親を大好きだった朝。人は多面的であり、同じ人であっても見る場所、関係性によってまるで違って見える。そして他人が何を想い、どんな感情を抱くかをコントロールすることも出来ない。それは当たり前のことだけど、時に人はそれを忘れてしまう。だが自分の感情は自分だけのものであるように、あなたの感情はあなただけのものであり、お互いがそれを理解し、尊重することで歩み寄り寄り添うことができる。映画は二人の関係を描きながら、例えば朝の同級生たちにもそれぞれの物語があり、事情があることをちゃんとすくい上げる。そこがとても良い。朝や槙生に事情があるように、誰もがみなそれぞれの事情がある。槙生を演じるのは新垣結衣。「正欲」に続いていい映画を選んだね。新垣結衣、そして友人役の夏帆。かっては少女を演じた二人が、ちょっとダメな大人になって少女を導く。そして朝を演じた早瀬憩が素晴らしい。眩しいばかりの生命力、子供のような天真爛漫さと揺れながら成長していく少女の繊細さ。映画は残っていく。一瞬に過ぎ去っていく青春の輝きをこうしてフィルムに残せたことは彼女にとっても大きな財産だろうな。とっても良い映画だった。

7.ム・ソンス監督「ソウルの春」

朴正煕暗殺後、全斗煥が起こしたクーデター。韓国近代史の中でも最悪の結果をもたらしたまさに負の歴史を、国を守ろうとした首都警備司令官イ・テンシンと秘密組織「ハナ会」を率い、私利私欲の為に国を乗っ取ろうと動く保安司令官チョン・ドゥグァンの一夜の攻防を描くことで炙り出す。愚直なまでに生真面目な善と、狡猾で人たらしの悪がシーソーゲームの果てに最悪の結末に辿り着く。史実に基づいているのだから結果はもう出ている。だけど緊張感が途切れることはなく、ありえない歴史のifを求めてしまう。前段をサクッとスピーディーかつしっかりわかるように見せ、映画のほとんどを一夜の攻防に割く。信念より保身、周りの者たちはいともたやすく寝返り、たった一夜で形勢は逆転、国の形が変わってしまう。あまりに切なく、後味の悪いラスト。映画はこの苦さを忘れてはならないと強烈なメッセージを残す。

全斗煥=チョン・ドゥグァンを演じるのは我らが兄貴、ファン・ジョンミン。嘘、ハッタリ、恫喝、泣き落としと巧みに軍人たちを懐柔していく憎らしさ。最高に最低で最悪。国も民も頭にない、ただ権力を得ることだけが目的だから嘘や裏切りに躊躇がない男。まごうことなき悪人なのに、皆が巻き込まれてしまうのも無理はないと思わせるカリスマ性。ファン・ジョンミンだからこその説得力に唸る。対するチョン・ウソンもまた愚直な正義を体現する。ぶれない信念ゆえに地獄を味わう。監督の前作「アシュラ」に続く二人の対決。前作以上に見応えあり。しかし自国の負の歴史をここまではっきりと描き、政治的なんて程度ではなく政治に直結する話を映画にしそれが大ヒットする。この歴史を忘れるなという強いメッセージを発する映画人、それを受け止める観客。いつか我が国もそうなれるだろうか。私利私欲に突き動かされ、権力を得ることだけが目的のチョン・ドゥグァン。国も民も眼中になく、嘘をつくことに何ら躊躇もない。最低最悪のクソ野郎なんだが、この劣化版のミニチュア版みたいな政治家が今の日本にはウヨウヨと溢れている。金儲けの手段として政治家になる。私腹を肥やすためにまずは権力を得ようとする。裏金議員におねだり知事、さらにその予備軍みたいな輩たち。隣国の過去が我が国の未来になる。そんな岐路に僕たちは立っている。

8.リュ・スンワン監督「密輸1970」

時代は1970年代中盤。小さな漁村クンチョンが舞台。工場からの排水で海が汚染され収入減を失った海女たち。海底から密輸品を引き上げる仕事を斡旋され食い扶持を稼ぐも税関の摘発で逮捕、海女たちのリーダー、ジンソクは刑務所送りに。親友のチュンジャは一人逃亡する。そして2年が過ぎ、チュンジャがソウルからクンチョンに戻ってくる。出所したジンソクに再び密輸の儲け話を持ち掛けるが二人の友情には大きなひびが入っていた。そして金塊の密輸に絡み、成り上がりのチンピラヤクザ・ドリ、密輸王のクォン、そして税関のジャンチュンが入り混じる騙し合いバトルが勃発。虐げられてきた海女さんチームが一発逆転を目論み参戦!ついでにサメもやってきてそりゃもう大騒ぎさ。果たして密輸バトルの勝者は?そしてチュンジャとジンソクの友情は?いやーもう滅法面白い!久々に胸をすく韓国産爽快アクション活劇。テンポの良い語り口、サイケでキッチュな美術、アイデア溢れるアクション、チャン・ギハによる韓国ナツメロをベースに、ファズを効かせたギターが鳴り響く音楽、どれもが最高。時にドぎつく、時にクール、ワクワクと胸躍る物語。何もうこれ最高の映画じゃん。キム・ヘスとヨム・ジョンア、タイプの違う50代の女優がど真ん中で主役を張り、シスターフッドで男どもに一泡吹かす。コアとなるこの二人の在り方がかっこよく、「今」の映画としてしっかり機能している。現代的なテーマが芯にありつつ、徹底的にエンタメとしても面白い。リュ・スンワン監督作は「クライング・フィスト」や「ベテラン」「モガディシュ」など大好きな作品が多いがまた一作加わった。俳優陣では海女さんたちに協力するコマダムを演じるコ・ミンシも素晴らしかったな。「魔女」でキム・ダミの親友を演じた子だと最初気づかなかった。あとはチンピラヤクザ、ドリを演じたパク・ジョンミン。相変わらず巧い!パク・ジョンミンに外れ無し。とにかく面白い映画が観たい!という貴兄におススメする痛快で爽快で愉快な一本!

9.押山清高監督「ルックバック」

学年新聞で4コマ漫画を連載する小学4年生の藤野。だがある日一緒に掲載された不登校の京本の漫画を観てその高い画力に打ちのめされる。負けたくないとひたすら書き続ける藤野だが一向に縮まらない画力の差に絵を描くことを諦める。だが、小学校の卒業式、京本と初めて出会った藤野は京本から「ずっと藤野のファンだった」と思いもしなかったことを告げられる。やがて二人はともに漫画を描き始めるのだが…。何かを創造すること。その修羅の道。人の才能と比べては打ちひしがれ、それでも作り続ける。才能の限界を突破するためには、ただひたすら作り続けるしかない。才能とは何か。倒れても倒れてもやり続けることなのだな。藤野と京本、二人の繋いだ手。やがて離れてしまう二人の繋いだ手が切なく苦しい。57分に込められた濃密な物語、アニメーションの力強く、繊細な表現、河合優実と吉田美月喜の声もまた素晴らしかった。大きな話題になるだけのとても力がある作品で、何かを作ることなんてとっくの昔に諦めた自分の胸にも強く響いた。今まさに何かを作っている人には決して人ごととは思えない物語だろう。まぎれもない傑作。

10.「YOLO 百元の恋」

安藤サクラ主演の日本映画「百円の恋」のリメイク。心の痛みを隠すように自堕落に生きてきた女性がボクシングに出会い、肉体の痛みとともに自尊心を取り戻す。主演、監督を務めるジャー・リンが、映画の魂を受け止め、体現。映画の中で50キロにも及ぶ過酷な減量を行い肉体改造。映画の前半では100キロの巨体を引きずっていた主人公が、徹底的に体を絞り上げまさにボクサーへと変貌していく。それをリアルにやってのけるのだ。そして壮絶なボクシングシーン。監督・主演のジャー・リンは鍛え上げられた肉体でボコボコに殴られて見せる。殴られ倒れ、立ち上がっては殴られる。身体の痛み、身体についた傷の一つ一つは彼女にとっては勲章で、それは初めての勝利なのだ。泣いた。沁みた。素晴らしかった。

ジャー・リンは中国の国民的コメディアンで初監督作「こんにちは、私のお母さん」は中国で大ヒット。「こんにちは、私のお母さん」は自分なんか生まれてこなければ良かったと思う主人公が、タイムスリップし若き自分の母親と出会い、自分自身を取り戻す話であった。今作とも通じるテーマであり、それは監督の最大のテーマなのであろう。エンドロールで流れる撮影と並行して行われた実際のトレーニングシーンが壮絶。その壮絶さを超える、そこまでしても映画として伝えたいという想いを強く感じた。

2024年12月21日~27日の話。

2024/12/21

7時15分起床。BSで朝ドラ「カーネーション」観て、本日も休日出勤。バタバタバタッと昼までで仕事終えて電車で野洲まで。

radikoで角田龍平の「蛤御門のヘン」。角田さんはじめ「紳助の人間マンダラ」での企画「オール巨人のオール巨人の漫才道場」に関わった人たちの30年ぶりの同窓会。それぞれの人生が交差した瞬間。今は離れてしまっていてもそれぞれが振り向いた先にその交差点がある。思いのほかグッとくる内容で良き放送だった。

野洲文化会館で義母、妻と落ち合い、「桂文珍独演会」へ。義母が観たいということで僕も便乗。というか僕も一度見ておきたかった。まずは弟子の文五郎が前座を務め、文珍師登場。ゆっくりとした喋りで観客をまさに手のひらで転がすかの如く爆笑の渦に。たっぷりのまくらで散々笑わせナンセンスな新作噺「ピー」へ。内海英華の「女道楽」を挟んで再び文珍師登場。古典「雁風呂」をたっぷりと。中入りの後もう一本は「蔵丁稚」。こちらも見せ場たっぷりの噺でぐっと観客を話芸で惹きこむ。中入り挟んで2時間半をさらっと熱演。力の入れどころ、抜きどころ、緩急織り交ぜ観客を噺の中に誘う。当たり前だけど凄い。感服いたしました。

外に出ると寒い。「ちゃっぷい、ちゃっぷい、どんとぽっちぃ」といまだに言ってしまう50代。猛吹雪の中、震えながら「ちゃっぷい、ちゃっぷい、どんとぽっちぃ」と貼るカイロ「どんと」を求める原始人。演じるのは西川のりおと桂文珍師匠だった。当時ラジオ番組「ハイヤング京都」で文珍師匠がおもしろいCM撮影したと面白おかしく喋ってたのを覚えている。「ちゃっぷい」も「ぽっちぃ」もちゃんと研究者によって調べられた原始時代の言葉だとか言ってたっけ。

妻はそのまま仕事終わりの娘と合流し石山のライブハウスであるお笑いライブへ。ということで一人帰宅。餃子と唐揚げ、天津飯で一人豪勢なディナー。全部冷凍ものだけど、手作りするよりはるかに美味しい。

2024/12/22

今日も妻とお出かけ。京橋まで出てIMPホールにて宮藤官九郎作・演出、ウーマンリブvol.16「主婦 米田時江の免疫力がアップするコント6本」を観る。出演は片桐はいり、皆川猿時、勝地涼、伊勢志摩、北香那そして宮藤官九郎。米田時江を巡るバカバカしく、くだらない連作コント。笑った。ベテラン勢の手練れのコメディ力もさることながら今やイケメンコメディ俳優としての地位を確立する勝地涼の軽妙さ、北香那の可憐さからの爆発力も素晴らしかった。幕間の映像を含めてただ面白いと思うことをゲラゲラ笑いながらやっている感じが楽しい。影響力のある表現者である以上、社会的な意義や意味を背負わされるのは当然だ。不特定多数が観るドラマなど望む望まないにかかわらずそこは重要にならざるえない。そこを取っ払って「くだらない」に重きを置いた舞台。舞台人クドカンの高田文夫イズムとでも言おうか、その振り切ったくだらなさが最高だったなー。

帰宅しすぐにTVつけM-1敗者復活戦の途中から。それにしても令和ロマン強い。1組目で名前呼ばれた瞬間に優勝したようなもんだった。好みはともかく圧倒的なヒーロー感があったな。

にしても先日の「名探偵津田」しかり今回のM-1しかり、松本人志の不在なんてこれっぽちも気にならなかった。むしろ風通しよくなったようにも思う。諸行無常というかなんというか。でもまぁ普通のことか。事情は様々なれど欽ちゃんもドリフもたけしも今はテレビの真ん中にはいない。移り変わっていくのが当たり前。変わっていくのが当たり前なのだ。

2024/12/23

誰もがM-1を語っているなー。その行為にちょっと恥ずかしさを感じる。昔は自分も散々語っていたけどね。点数付けちゃったりなんかしてね。今はもう語る熱量が僕には足りていない。

録画した「海に眠るダイヤモンド」最終回を観る。杉咲花と宮本信子が一つの画面に収まる。過去の自分を抱きしめるように、現在の自分が過去に寄り添う。くーっ泣ける。時代は過ぎ、日々移り変わっていく。忘れがたき過去、挫折や後悔、追憶それらの上で今を生きている。重層的な人間ドラマで見応えがあった。

2024/12/24

外回り営業。ランチはちょっと贅沢にブロンコビリーへ。サラダバーもドリンクバーもつけずハンバーグランチのみを頼む。50代地方サラリーマンの贅沢がこれだ!涙の塩味でライスを頬張るのであった。

夜はTVerで「マイダイアリー」最終回。あまり話題にならなかったドラマだけど優しさを想い出させてくれる良きドラマだった。所詮絵空事だとしても、彼らのような若者たちが今もいて世界を憂い、優しさで繋がり、未来に光を灯してくれることを祈る。

2024/12/25

晩御飯はチキン。ケーキは無かったので貰い物の干し芋をデザートに食べる。子供の頃、石油ストーブの上で干し芋をあぶってよく食べてたなぁ。冬の想い出だ。

松本人志インタビュー。なんたる自己本位な内容。ここまで酷い認識でいるとは。まるっきり反省もなければ、女性への謝罪もないのだな。都合の悪いことからは逃げ、二次加害を続ける。ダサい。ただただダサい。かって彼の笑いに熱狂したものとして、こんなにも笑えない彼の姿を観るのは悲しい。そう悲しいのだ。初めてダウンタウンを知ったのは中学生の頃だ。新進気鋭の若手コンビが生み出す笑いに驚き、感激し、追いかけ、笑った。関西で早々に天下を取り、全国へ。その一部始終を観てきた。著作やインタビューを読み、ビデオ作品を買い、映画は全て映画館で公開時に観ている。笑いの絶対王者として君臨し、圧倒的な笑いの力を誇示し続けた人。そして最新のインタビューでもそのままの姿勢で言いたいことを言っている。自分があたかも被害者で正義の様に振舞っている。踏みにじられ、傷つけられ、必死の覚悟で声を上げた者のことなど考えもしないでいる。まるで「マッドマックス」の世界に君臨する最低最悪の悪役のような振る舞いじゃないか。どこでこうなった?悲しいよ。

2024/12/26

星野源はやっぱりちゃんとしてるな。彼が「あらゆる性加害行為を容認しません。」というしっかりとしたメッセージを発信できる人であることが嬉しい。彼が歌ってきた歌との一貫性も感じる。キャンセルカルチャーなどという人もいるがお門違いだろう。踏みにじられ、傷つけられ、必死の覚悟で声を上げた者たちの声に耳を傾け、寄り添うことを選んだのだ。

会社帰りにネットカフェで文春チェック。これまたひでぇスキャンダル。ここにもまた最低最悪の悪役がいる。

2024/12/27

仕事納め。仕事をとりあえず片付け、大掃除。夜は忘年会。アルコールは止めてお茶やジュースで時間を過ごす。忘年会が終わって一人になってやっとホッと一息。自分はやっぱり一人で映画を観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりすることが一番好きで心が落ち着くし、何もかもを忘れられる。さぁ、明日がやっと映画館に。と言いたいところだけど明日は年内最後の休日出勤なのであった。

2024年12月14日~20日の話。

2024/12/14

7時起床。BS朝ドラ「カーネーション」。勘助が…。で朝から京都まで。

京都シネマにて藤野知明監督「どうすればよかったのか?」を観る。(以下ネタバレあります)

優秀で優しかった8歳違いの姉。医学部に進学した姉だったがある日おかしなことを言い出し始める。統合失調症だと思われるが、医師であり研究者である両親はそれを認めず精神科への受診をさせないまま家に閉じ込めてしまう。映像制作を学び始めた弟はそんな家族の姿を撮影の練習と偽りカメラに収め始める。呼びかけに答えることなく、時折意味不明なことを叫ぶ姉。受診させるべきと何度も何度も両親を説得する弟だが、両親は姉は病気ではないと取り合わない。姉が勝手に出ていかないようにとドアには南京錠がつけられる。そんな毎日が日常となり両親と姉は25年を過ごすのだ。観ながら胃がキリキリと痛む。やがて母に認知症の症状が出始め、その日常は壮絶を極める。深い森の奥に迷い込んだような母と姉。どうすればよかったのか?その問いかけがグサリと胸に刺さる。決して両親は娘を虐待してるわけではない。むしろ愛情を込めて接している。共に食卓を囲み、求めるものを買い与え話を聞き熱心に話しかける。だが、二人は根本でやっぱり間違ってしまっている。娘の為というよりも自分たちのプライドが故に娘が病気であるということを認めらず、治療への道を閉ざしてしまっているのだ。そして25年が失われる。母が亡くなり、やっと姉の治療が始まる。わずか数ヶ月で合う薬が見つかり姉は飛躍的に改善していく。弟の問いかけに答え、カメラに向かっておどけながらピースサインをして見せる。その姿を見ながら「どうすればよかったのか?」の問いかけが過る。家族なのに、家族だから。20年以上に及ぶ家族の記録は深い問いかけを残しながらも、今まさに壮絶な日常にいる人々にとっては大切なヒントにもなるだろう。息が詰まりそうな苦しさの先に光が見える。とにかく観るべき映画である。

小雨降る中御池まで移動。ホテル地下のレストランでハンバーグ定食。隠れ家的な感じでゆっくりと一休み。

でアップリンク京都でパク・ヨンジュ監督「市民捜査官ドッキ」を観る。クリーニング店で働くシングルマザーのドッキ。火災にあい生活のためにお金が必要。そんな時に銀行からかかってきた融資についての電話。融資に必要だからと手数料の振り込みを迫られ全財産を振り込むドッキ。だがそれは振り込め詐欺だった。警察に行っても捜査は後回しで埒が明かない。そんな中、ドッキを詐欺にかけた当事者から電話が。彼もまた詐欺組織に騙され脅され中国の地で軟禁状態にあったのだ。そしてドッキは仲間たちとともに金を取り戻すべく中国は青島に向かうのだった。実に胸アツな映画だった。騙されたドッキは、決して騙された自分が悪いわけじゃない、騙した相手が悪いに決まっているとひるまず行動に出るドッキの姿が尊い。演じるのは名脇役から今や主演作も続々封切られるラ・ミラン。彼女と行動を共にするのがこれまた名脇役から今や主演級のヨム・ヘランってのも最高。何も持たない中高年女性が自らのプライドと尊厳をかけて巨悪に立ち向かう。様々なアクシデントを乗り超え、スリルとサスペンスの果てに辿り着く爽快なラストに拍手。そしてこれ2016年に起きた実際の事件を基にしてるってんだから凄い。笑いあり、アクションありの痛快作。こんな映画が観たかった!

radikoで高野寛ゲストの、スカート澤部渡の番組「シティポップレディオ」聴きながら帰宅。ミュージシャンシップに富み高野さんへのリスペクトを感じる良き対話。

2024/12/15

8時起床。サンドイッチの朝食。昨日スーパーで見つけて買っておいた半額になった10枚切りのサンドイッチ用食パンと夜のうちに作っておいたゆで卵で。子供の頃、母がよく作ってくれた。タマゴのサンドイッチとハムときゅうりのサンドイッチ。あれは美味しかったなぁと時々ふと食べたくなる。

妻と買い物に行って昼は温かいうどん。しばしテレビ見ながらウトウト。

アマプラで映画を一本。クラウディオ・ロッシ・マッシミ監督「丘の上の本屋さん」を観る。イタリアの美しい村。丘の上にある小さな古本屋さん。店主リベロはある日、店頭で本を眺める移民の少年エシエンに声をかける。お金はないというエシエンにリベロは本を貸し与える。借りた本を返しながらその感想を伝えるエシエン。それに応え一冊ずつ本を貸していくリベロ。コミックから児童文学、中編小説から長編小説と本を通じた二人の交流を主軸にまるでオアシスのような小さな古本屋に集う人々が描かれる。本は新しい世界、未来へ通じる扉だ。その扉を開けることで世界は、未来は広がっていく。年老いたリベラは本を通じて移民の少年に語り掛ける。君には未来があると。小さな本屋の小さなお話。だがとても大きく深く大切なことが描かれている。心温まる佳き作品であった。

NHKで71年の紅白再放送を観る。スピード感があってショーアップされていて今よりずっと楽しい。皆歌がうまいし、個性的。何より生バンドの音がゴージャス。ファンキーなホーンに胸躍る。筒美京平率の高さも凄い。ドリフにコント55号、敏江玲児に仁鶴といった応援団の寸劇もテンポがあってまた楽し。

夜は「海に眠るダイヤモンド」。うぐぐぐぅと前のめりに。杉咲花ちゃんが悲しむ顔を見たくないのにぃ…。次週最終回2時間スペシャル!

2024/12/16

TVerでドラマ「マイダイアリー」。これまたうぐぐぐぅと前のめりに。清原果耶ちゃんが悲しむ顔を見たくないのにぃ…。若い二人のちょっとしたボタンの掛け違い。優しさがすれ違う。あぁ若き日を想いだ…さないなぁ。探せども探せどもそんな切なく甘酸っぱい想い出はどこにもなかった。

2024/12/17

彦根まで外回り。商談終わり遅いランチを何にしようかと悩みながら車を走らせる。時間は午後2時半。中途半端な時間でランチタイムも終わっているだろう。がっつり食う感じでもない。ラーメンか?いやこの前食べてちょっと胸やけしたしなぁ。とんかつも重いし、ハンバーガーもちと違う。ならうどんか。和食さと?ここはなか卯か。それなら親子丼?だがここからの道すがらなか卯はなかったな。あっ天津飯は。近江八幡の王将は反対車線か。おっとバーミヤンへの右折を通り越してしまった。だーっ満州園も何となく通り越してしまった。でも大丈夫。草津の取付道路沿いに王将がある。前にあそこで食べた焼きそばがあまりにまずかったので敬遠してたのだが、天津飯なら大丈夫だろう。時間はすでに4時前。見えてきた。ハンドルを左に切りf駐車場に車を停める。さすがにこの時間一台も停まってないな。颯爽と車を降り、店に向かうと定休日だった。ズコーッ。王将に定休日なんてある?泣きながら会社まで戻ったのであった。

radikoで小西康陽ゲストの細野さんの番組「Daisy Holiday」聴く。二人の対話って今まで聞いたことないかも。ピチカートのデビューは細野さんのレーベル、ノンスタンダードからだった。当時中学生の僕はYMOチルドレンチルドレンだったのでノンスタンダードから出るとなればそりゃ買うでしょって感じで駅前のレコード屋に予約してデビュー12インチ「オードリィヘプバーンコンプレックス」を買った。ジャケットも音も最高に洒落てて一発で気に入ったなぁ。でそんな時代のことを細野さんほぼ忘れてる状態でまぁ細野さんらしい。

TVerで「若草物語」最終回を。うぐぐぐぅとまではいかないまでも、堀田真由ちゃんの悲しむ顔を見なくて済んだ最終回であった。グレタ・ガーウィグ監督の「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」を通過しての若草物語モチーフドラマだと思うんだけど、TVドラマの枠の中で健闘。途中離脱しそうになったが安易な着地にせず良かった。

2024/12/18

めちゃめちゃに気を遣う懇親会。大人って大変だなーと50を過ぎてまだ思う。

帰宅して「水曜日のダウンタウン~名探偵津田」観る。面白い!久々にTVで声出して笑ったなぁ。津田の人間臭さ、それもかなり下衆な部分が可笑しみになり爆笑を生む。一歩引きながらもバディとして的確に役割を果たすみなみかわも良いね。こんなん映画にできるじゃないの。

2024/12/19

師走。一日が忙しく過ぎていく。いつまでたっても楽にならんなぁ。

夜はTVで「トラベルナース」最終回。中井貴一と岡田将生、安心安全安定ですな。中井貴一のコメディセンスは最高。

2024/12/20

金曜。朝から猫のチャ坊が庭先にやってきた通称・クツシタと大喧嘩。以前はスタボロにやられて逃げ帰ってきたが、今日は逆に追い払っていた。育ち盛りでずいぶん大きくなった。毎日夜中の4時に起こしに来て餌をねだり、なぜか窓を開けろとうるさい。少し窓を開けると安心してソファでくつろぐ。猫とはなんとも気ままでわがまま。振り回されて腹も立つけど憎めない。猫と暮らして20年ほどになるが、猫がいない生活は随分味気ないものだろうな。

で仕事は今日もフル稼働。夕方、時間休とって病院。3か月おきの定期健診で薬を処方してもらう。それにしても急に寒くなったな。

夜はNHK+で「カムカムエブリバディ」1週間分をまとめ観る。BSの朝ドラ「カーネーション」とともに敗戦直後の時代。朝ドラは繰り返し戦争を描いてきた。いかに戦争が人々を傷つけ奪い壊してきたか。戦争なんて絶対にやっちゃいけない。そんな共通言語が今はもう通用しなくなっている。愛国だとかなんだとか勇ましい言葉がいかに胡散臭くデタラメで愚かか。非国民なんて言葉を軽々しく口にする奴らがSNSには溢れてる。戦争を美化し語る者、それがどんな奴らか。戦争の悲惨さを繰り返し描いてきた先人たちの意志、その意味を受け止め伝えていかなければならない。

2024年12月7日~13日の話。

2024/12/7

7時起床。本日も休日出勤。バタバタバタッと13時終了。京阪電車に乗って石山まで。スーパーの散髪屋でやっと散髪。行きつけだった商店街の散髪屋のおっちゃんがこっちに移ってきてていつもの感じでとさくっと10分で終了。北大路欣也ばりに真っ白になったもみあげをすかっと2mmに刈り上げ。やっとすっきりした。近くの妻の実家に寄って、妻と義母とお茶してほっこり。

帰宅してTVつけたら中森明菜91年のコンサート。アイドル的人気も落ち着き、いろいろあってシンガーとしてもう一勝負という時期のシアトリカルなステージに見入る。明るく振舞えば振舞うほど、その裏の痛みを感じてしまうという。

2024/12/8

8時起床。妻と車で京都の実家へ。車中では東野幸治の「ホンモノラジオ」。中山美穂からの康芳夫話。来日したオリバー君のお守り役をしたのは若き日のテリー伊藤。「ただのチンパンジーですよぉぉ!」と暴れるオリバー君を鉄拳制裁。オリバー君はテリー伊藤に怯えるようになったという話。テリー伊藤本人や水道橋博士で何度となく聞いた話であるが、つくづく昭和だなー。

で昨年亡くなった祖母の1回忌法要を実家にて。法要の後は皆でほっこり。母、叔父、叔母の兄姉妹。末っ子の母がもう77歳。今も仲良い3兄姉妹のお喋りを聞きながら鰻弁当を美味しくいただく。父の墓参りもして、色々お土産をもらって帰宅。

夜はTVで「海に眠るダイヤモンド」。回を重ねるごとに深みを増していく。そしてこの先の着地点が全く見えない。ここからいよいよ佳境。面白い。

2024/12/9

昼休みの読書。高野寛著「続く、イエローマジック」読了。名著。高野寛さんが音楽家として歩んだ歴史は、音楽ファンとして自分が歩んだ歴史と重なる。読みながらいろんな風景を想い出した。相変わらず自分語りが多い本の感想は↓

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夜はTVerでドラマ「マイダイアリー」。中村ゆり、いや中村ゆり様主役回。心優しいドラマで温まる。

2024/12/10

代休を取る。随分溜まっているのでなかなか消化しきれず。でドライブがてらイオンシネマ草津へ。上田慎一郎監督「アングリースクワッド」を観る。詐欺にあった真面目な税務署員、熊沢。親友の刑事の協力を得て詐欺師の氷室を突き止めるも、脱税王を詐欺にかけて税金を徴収しようと持ち掛けられて…ってなコンゲームもの。マ・ドンソク主演ながらなぜか日本ではマ・ドンソクがメインビジュアルから消されていたでお馴染みの韓国ドラマ「元カレは天才詐欺師(邦題最悪、原題は38師機動隊)」のリメイク。内容的にはドラマの前半部分のみではありますが。ま、どうしても韓国ドラマ版と比べてしまって申し訳ないのだが、感想としては惜しいなぁというところ。題材的にもっともっとスカッとさせてほしかった。映画のリズムがもたつき気味で演出が古くスマートさに欠ける。ためてためて最後にひっくり返す、その爆発力、ケレンミが足りない。内野聖陽と岡田将生でこのレベルなわけないんだから。まだまだいけただろうという思いで、ちょっと辛めの評価になっちゃった。いや十分に楽しめるとは思うんだが…。

イオンモールのフードコートでカツ丼。平日のフードコートは空いていていいね。真の成功者とは平日にぶらぶらできるような人間なのではないか。

夜はぼんやり「THE W」。忠犬立ハチ高が面白かったなーぐらいな感じで。

2024/12/11

外回り。ランチは和食さとで選べるさと御膳。カキフライに天ぷら、茶わん蒸しにミニうどん。1000円ぎりぎり切るお値段で贅沢な気分。しかし今やランチも1000円内で収めるのに苦労する。

2024/12/12

外回り。野洲に来たので来来亭の本店へ。以前の場所からは移転して新しくなっているが。まだ来来亭がチェーン店化する前、近くで働いてたこともあって仕事後によく同僚たちと食べに来たもんだ。ついこの前のような気もするが、余裕で20年以上前なんだよなぁ。食べ終わって若干胃もたれ。随分歳とっちゃったな。

2024/12/13

やっと金曜に辿り着く。疲れが一向に取れず、足を引きずるように寄り道もせずに帰宅。NHK+で「宙わたる教室」最終回を観る。がぉーっと久々にドラマ観て涙。えがったえがった、皆よくやったと科学部員の発表に拍手。知性や教養、学ぶということがないがしろにされる時代。学ぶこと、知ること、考えることによって世界が開かれ、未来が拡がっていく。それぞれの事情を抱えた者たちが、それぞれの事情を知ることで互いに寄り添う。金や権力なんかより大切なものがある。冷笑や論破なんて恥知らずのバカがやることだ。権力者のケツをなめて、弱者を踏みにじって強くなった気でいることの愚かさ。こんな時代だからこそ、物語は理想を、優しさを、本当の強さを描かなければならない。実によいドラマだった。

高野寛「続く、イエローマジック」の話。

高野寛著「続く、イエローマジック」を読む。ミュージシャン、高野寛がYMOとの出会いを主軸に自身の音楽家としての歩みを書いた随筆集である。工作好きの少年が江口寿史の漫画「すすめ!パイレーツ」で描かれた「YMO」に興味を持ち、ラジオでその音と出会う。そしてすぐさまレコード店に走り「ソリッドステイトサヴァイヴァー」を手にする。この後の描写がいい。「全力で自転車を漕ぎ、急いでレコードプレイヤーがある部屋に駆け込んだ。ターンテーブルに慎重にレコードを置き、前のめりに針を落とす」。この感じ、まるで中学生の頃の僕と同じだ。年齢で言えば僕は高野さんの6つ下。だからYMOにはちょっと遅くてむしろアフターYMOの音楽をこんな風にして聴いた。細野さんのノンスタンダードレーベルから出たShi-ShonenやピチカートV、幸宏さんとTENTレーベルを作ったムーンライダーズ、坂本龍一が居たMIDIレコードから出た鈴木さえ子なんかのレコードを駅前のレコード屋で買って「全力で自転車を漕ぎ、急いでレコードプレイヤーがある部屋に駆け込」み「ターンテーブルに慎重にレコードを置き、前のめりに針を落と」した。家までの坂道を自転車で駆け上がる高揚感は今も忘れることはできない。だからYMOのレコード買い自転車を走らせる高野少年の気持ちがすごくよくわかる。YMOを原点に工作少年から音楽少年へ。そして音楽の旅が始まる。運命を変えるTENTレーベルオーディション。高橋幸宏と鈴木慶一のユニット、THE BEATNIKSのツアーメンバーに抜擢。そして高橋幸宏プロデュースの下、ついにソロデビューとなる。劇的な音楽人生の始まり。この時点で自分は一リスナーとしてずっと高野さんのことを観ていたんだなと思う。高野さんが大学時代に在籍したSOFTのレコードは確か「宝島」誌のインディーズレコードの紹介ページに載っていたはず。TENTレーベルの究極のバンドオーデションの記事は愛読していた「テッチー」誌によく載っていたし、THE BEATNIKSのライブメンバーに抜擢された若きギタリスト・高野寛のことを知ったのも「テッチー」誌だった。矢部浩志(カーネーション)、渡辺等(Shi-Shonen、リアルフィッシュ)、小林武史に鈴木祥子、矢口博康にベテラン大村憲司。今考えても凄いメンバーだが、その中に高野寛というギタリストがいて、年齢もまだ20代前半だと知って驚いた。「夜のヒットスタジオ」にTHE BEATNIKSが出演したのは2回でどちらもVHSビデオに録画した。アコースティックギターを抱えた動く高野寛を観たのはそれが最初だ。ツアー後、2回目に出演した際のグルーヴィーな演奏に興奮したのを覚えている。そしてデビューシングル「See You Again」、デビューアルバム「hullo hulloa」発売。どちらもすぐに買った。一聴すると爽やかなアコースティックポップ。だけどよく聴いてみればちょっとひねくれていて一筋縄ではいかない詞とサウンド。エヴァーグリーンな響きがあり、聴くたびに発見があるそんなアルバムで僕はソロアーティスト・高野寛のファンになった。そうそう「テッチー」誌の最終号は高野寛と遊佐未森の二人が表紙だったっけ。「虹の都へ」が大ヒットした時のことも忘れがたい。当時はバンドブームもそろそろ終わり、でも渋谷系なんて言葉もまだなくて、いわばポップミュージック不遇の時代だった。「YMOには遅すぎて、フリッパーズには早すぎた」ポップ大好き学生だった僕は一人悶々とポップミュージックにのめり込んでいた。そんな時に飛び込んできた「虹の都へ」オリコン2位の報。そりゃもう胸のすくような想いだった。ポップソング不遇の時代に光輝いた希望の星だったのだ。そして続いてリリースされた「ベステンダンク」。「虹の都へ」がヒットしてテレビで歌う彼は「爽やかなポップシンガー」として扱われることが多く、時に窮屈そうだった。そんな中で出た「ベステンダンク」で「この窓は小さすぎ」る、でも「叫ばずにいられない」と歌ってみせた音楽家としての志の高さ。批評性がありながら幾層にも意味が重なり、それでいてポップに突き抜けていく。「虹の都へ」のヒット、その渦中での想いを歌ったこの曲によって僕は高野寛というミュージシャンの凄味を知りさらにファンになった。心底凄いと思ったし今も大好きな曲だ。それから高野寛の活動の中で忘れられない仕事の一つがNHK「土曜ソリトンSIDE-B」だ。毎週感性が刺激され、知的好奇心をくすぐる。難しくはないけど、考えさせてもくれる。音楽だけにとどまらず様々なカルチャーを裏から表から探っていく番組だった。ラストに歌われる高野寛の弾き語りも毎週楽しみだった。坂本龍一との「夢の中で会えるでしょう」や細野さんとの沖縄でのセッション。今も目に耳に浮かぶ。それから10数年後、僕はラジオ局に勤務しいくつか番組を作った。制作者としていられた期間は短かったけど、その中で作った番組のすべては「土曜ソリトンSIDE-B」がお手本としてあったと言える。そうそう、ディレクターとしてキューを振っていた番組にアルバムのプロモーションで高野さんがゲストに来てくれたことがあった。その時の感動は今も忘れない。(↓その日、2009年11月18日の日記)

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異動になって番組を去ることになり最後の最後にかけた曲は高野さんの「GLOW」という曲だった。ライブにも幾度か足を運んだ。99年、大阪のバナナホールで観た弾き語りライブ「TIDE」。自分が今まで見てきたライブの中でも屈指の良きライブだった。その時に書いた文章もこのブログに残っている。(↓)

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こんな風にこのブログの検索窓に「高野寛」と入れればいくつもの文章が出てくる。高野さんの音楽活動がいかに自分の人生とも密着していたかがわかる。高野寛の音楽の旅を辿れば、そこに自分の音楽ファンとしての旅もまた浮かび上がるのだ。

さらに本を読み進める。様々なミュージシャンとの交流を中心に語られる高野寛の音楽遍歴は日本のポップミュージック史にも重なる。YMOの面々や忌野清志郎といった日本のポップミュージックの礎を築いた音楽家たちに見出され、育てられ、腕を磨き、やがて信頼され、サポートを任される。宮沢和史など同世代の音楽家と連帯しともにポップミュージックの地平を広げてゆく。スーパーバタードッグやクラムボン、星野源といった下の世代の音楽家たちを的確にサポートしながら音楽家としての矜持を継承。さらにのんや中村佳穂といったさらに若い音楽家たちを導き、未来につなげていく。こんな音楽家、ほかにいるだろうか?このブログの中でも何度も何度も書いているが、高野寛は日本のポップミュージック史において最重要人物の一人である。この本を読んで彼が辿ってきた音楽の歴史を知れば、その意味を分かってもらえるだろう。そして彼の音楽の旅はまだまだ続く。最新アルバム「Modern Vintage Future」を聴けば、今なお彼の音楽が未来に向けて進んでいることがわかる。工作好きの少年が、YMOと出会い、導かれるように進んでいった音楽の旅。その軌跡の中で音楽の種をまき、花を咲かせ、実を育て、また新たな種を生む。ModernでVintageなFutureは終わることなくまだまだ続いていくのだ。

 

2024年11月30日~12月6日の話。

2024/11/30

7時起床。休日イベント仕事。近江八幡まで車を飛ばす。車中ではradikoで角田龍平の「蛤御門のヘン」影山教授ゲストのドラマ回で「団地のふたり」話。つくづく良きドラマだった。

でザクッと仕事終え大津まで。肉体的な疲労は少ないけど精神的には若干疲労気味。夕方の近江八幡-大津は渋滞ポイントだらけで行きの倍の時間がかかる。「爆笑問題カーボーイ」聴きながら。二人の会話聴いてると気が晴れる。

夜、何とか日記を書きあげUP。

2024/12/1

今日も休日イベント仕事。7時過ぎには家を出て今日は野洲まで。そりゃまぁしんどいですわ。今日は精神的な疲労は少ないけど一日立ちっぱなし動きっぱなしで肉体的に疲労。で仕事終え今日も渋滞に巻き込まれながら帰宅。

夜は「海に眠るダイヤモンド」。もはや杉咲花ちゃんの顔を観るだけで泣いちゃう。ちょっと演技レベルがずば抜けている。

2024/12/2

月曜。もういい歳なので8連勤となるとさすがに堪える。昼休みの読書、杉作J太郎「あーしはDJ」読了。過去の日記と現在の言葉が入り混じり、入れ子状態になった中に宇宙が拡がる。ラジオへの想い、自らの経験から語る生と死、そして「ある愛の詩」と題された女性いや人間賛歌と呼ぶべき一連のエッセイ。現実と妄想が交差しラジオと同様、脱線に次ぐ脱線、いつのまにかそれが本線になりそこからまた脱線していく杉作グルーヴ。「で、何の話してましたっけ?」という杉作さんのトークが好きだ。まさにそのトークが文字として展開されていく。くだらなくもバカバカしく、だがなぜか真理に辿り着く。その根底にある優しさ。徹底的に孤独な魂に寄り添う杉作さんは心のセーフティネットである。

何とか仕事終え帰宅。TVerで「マイダイアリー」。こちらも優しいドラマ。もうこの5人観るだけで泣いちゃう。通じ合える人達、孤独に寄り添ってくれる人たちがいるというのは幸せなことだ。大人になると残念ながらそのような関係性を築くのは難しい。決して戻ることができない過ぎ去りし日々を想う様に観ている。

しかし相変わらずSNSは地獄の様相。いがみ合い騙し合い、デマとヘイトとエロに乗っ取られたXの世紀末ぶり。これが人間の本性だとは思いたくないのだが。

2024/12/3

さすがに今日は休み。朝から行きつけの商店街の散髪屋まで自転車で。開店から10分ほどの時間ながら、受付しようとしたら愛想の悪い店員から「…2時間待ちですよ」と冷たく言い放たれる。さすがに待ってられないのでそのままユナイテッドシネマへ移動し映画。

片山慎三監督の新作「雨の中の慾情」を観る。売れない漫画家・義男と妖艶で訳ありな福子、そして自称小説家・伊守の愛と慾にまみれた三角関係…ってな話かと思いきやこれがもう全く違うところに持っていかれる。現実なのか幻想なのか、辻褄が合わず歪でまるで悪夢か淫夢かのようだなと思いながら観ていると、まさにそうだった。「戦争」という極限状態から生まれるエロスとタナトスのせめぎ合い、夢と現実の境界線がやがて崩壊し、曖昧になった夢と現実に落ちていく主人公。中盤からの展開にぐっと引き込まれた。湿度が高く、淫靡で憂いのある映像。シャープかつ驚きを与えるショットの数々、「岬の兄妹」「さがす」ともまた違った衝撃があり、片山慎三監督の映画作家としての強さを見せつけられた。思ってたんと違う!そんな映画はやっぱり面白い。

で昼はどうしても食べたくなり、車飛ばしてバーガーキングで好物のBBQワッパー。ボリューム満点、スモーキーで肉々しい味わいで大満足。

でさすがにもう空いてるだろうと再び散髪屋覗くとまたも「1時間、いや1時間半はかかりますよ」と冷たく言われる。待ち人数は2人と出てるのにホンマかいなと思いつつ、諦めて帰ってくれと言わんばかりの愛想悪いおっさんの対応にイラっとして店を出る。ただ、今日こそは髪を切りたいと思ってたので石山のスーパーにある系列店へ向かう。車を駐車場に止め、スーパー3階の散髪屋に到着すると「火曜定休」の張り紙が。これは神が与えた試練なのか。ただ髪を切りたかっただけなのに。泣きながら帰宅する。

途中脱落しそうになってたのだが地元滋賀出身の堀田真由主演ということで見続けてきたドラマ「若草物語」をTVerで。いつもあともうちょっと深みというか掘り下げが欲しいという思いがあったのだが、今回はそこを突き抜けた感があった。

2024/12/4

NHK+でドラマ「宙わたる教室」。雨降って地固まる。とそりゃもうわかってた展開なれど、それぞれに事情を抱えた面々がそれぞれに寄り添いながら一つの目標に向かって結束を固めてゆく姿は応援したくなる。もう科学部の皆を観てるだけで泣いちゃう。

韓国の戒厳令に驚く。それに対してすぐに抵抗し解除を成立させた民力に感嘆する。「タクシー運転手」「1987ある闘いの真実」そして「ソウルの春」韓国映画で垣間見てきた韓国の歴史とそれに対する国民の想い。民主主義を絶対手放してはならないという強い意志。

でSNS覗くとなぜか戒厳令を敷いた側にのっかる頓珍漢な政治家…

2024/12/5

家に帰ると妻と娘が熱心に「M-1」準決勝を観ている。もはや僕は「M-1」に関しては以前ほど熱量は持てないのだけど、妻と娘は一組ずつチェックし予想までしている。

で数時間後、決勝進出者決定で一喜一憂。なんでマユリカ入らへんの?ママタルト面白いかぁ?などなど二人の会話が面白い。

録画してた明石家さんま特番。芸能人運動会、最後のリレーでトシちゃんに勝った逸話をドラマ化。エムカクさんのいい仕事。司会者役のマキタスポーツに笑った。

2024/12/6

再放送中の朝ドラ「カーネーション」「カムカムエブリバディ」はともに戦争中。濃厚で見応えのある1週間だった。名作は何度観てもいいもんだな。

夜、駅前で飲み。比較的気楽な飲み会。とにかく僕は飲みの席で仕事の話するのが大嫌いなので、多少気は使いつつもそれがなくて良かった。

中山美穂死去の報。1970年生まれの同い年でありデビューの時からずっとテレビや映画で観てきた人だから少なからずショックを受ける。「ラブレター」はもちろんだが竹中直人監督の「東京日和」は良かったなぁ。デビュー当時から少し大人びていて、スーパーアイドルでありながらどこか影がある。特別ファンだったわけでもないけどヒット曲の数々を容易に頭の中で再生できる。しかし同い年か。

ふと亡くなった叔母さんのことを想い出す。父親のお姉さんで、とても穏やかで優しい人格者。親戚中から慕われていて甥っ子である僕のことも随分かわいがってくれた。大好きな叔母さんだった。僕が小学4年の時、叔母さんは55歳の若さで亡くなった。叔父は出張中で、泊まっていた祖母がお風呂場で亡くなっているのを発見したのだった。翌日、叔母は祖母と一緒に改築したばかりだった僕の家に遊びに来る予定で大好きな叔母さんに会えると楽しみにしていたので大きなショックを受けた。あの時からずっと「55歳」が頭の中に刻印されている。自分も「55歳」で死ぬのかもな…という想いが長く胸の中にあった。まぁ55歳が目前の今は、いや俺は叔母さんほど「いい人」じゃないし、もうちょっと生きるんじゃないのと思ってはいるんだけど。