2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

自意識過剰な人

内田樹の研究室でのかの方のコメントであるが、メールアドレスを書いたりして、自分の自意識過剰さをおおっぴらに見せ付けているほうがよっぽど見苦しい。 それに「内田さんに迷惑だ」などと言わずに、「自分が迷惑する」とだけ言ったほうがよっぽどすがすが…

人間はみな「特定の思想」にかぶれているものだ

以下の文は、あるブログについていた、次のようなコメントに対する批判として書く。 >またいかなる特定団体や特定思想にかぶれているわけでもありません。 このような言い方が、一種の弁明であることは言うまでもないだろう。自分はどちらにも偏っていない…

断言する快感と断言される快感

「ずばり言うわよ」 というのは細木数子女史の決め台詞であるが、この番組、3月で打ち切りになるという噂があるらしい。本当であれば、実にめでたいことである。そういえば、みのもんたには 「みのもんたの朝ズバッ!」 という人気番組がある。こちらは、一…

「陰謀論」と「疑似科学」の相関性

新年早々、一部ブログ界をにぎわした 「水伝」 騒動について、批判を受けた側の中に、あの批判を行った連中は 「陰謀論」 批判を展開した者らと同一であり、その本当の狙いは 「9.11自作自演」 説を封殺することにあるといった声があるようだ。 なかなか興味…

オッカムも罪作りなことを言ったものである

「オッカムのかみそり」 という言葉がある。オッカムという人は、13世紀から14世紀にかけてイギリスで活躍した、いわゆるスコラ哲学者の一人であるが、本名はウィリアムという。オッカムというのは、もともと彼の出身地なのだそうで、ウィリアム・オヴ・オッ…

すべての 「行為」 は政治的である

なんだか、ずいぶんおっかないタイトルであるが、この場合の 「政治的」というのは、政党だとか政治家だとかが関係するような、厳密な意味での 「政治」ではなく、家庭の中での夫婦の争いや、学校、会社、同好会、その他いろんな組織や団体で、ごく普通に起…

「価値観の多様性」と批判への不寛容

「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」 という句が、ほんとうにかの大盗賊 石川五右衛門の辞世の句であるかどうかは分からないが、この句をもじれば、「世に争論の種は尽きまじ」 ということが言える。 たしかに、そのとおりで、人間はい…

問題を分けられない人たち

うろ覚えの話だが、その昔、レーニンがトロツキーに、冗談半分でこうささやいたことがある。 「おれは病気になったら、絶対に党の医者には診てもらわないよ。やつらはやぶ医者ばかりだからね」 さすが、夢想家であると同時に、リアリストでもあったレーニン…