「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」

pikarrr2010-07-23

なぜ日本だけが取り残されるのか

壊滅と言われながらも急速に甦ってきたアメリカ金融業界、巨額の経済対策と土地バブルで興隆する中国経済。その一方で、世界の経済回復に完全に乗り遅れた日本。このままでは「失われる15年」を繰り返すことになる! 行き詰まる日本経済の課題と今なすべき戦略は何か? 野口教授が描く経済再生へのシナリオ。


「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」 野口悠紀雄 (ISBN:4478013497)

「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」 野口悠紀雄 (ISBN:4478013497)を読む。震源地である米国は早々と回復しつつあるのは、製造業から金融と情報産業にシフトしていたので、回復において設備償却の負荷が少なく、人員の再配置も進みやすい。

それに対して日本経済はアメリカのバブルな消費に依存していたために需要の回復の見込みはない。また不景気により低製造コストを求めて製造現場が中国へシフトした。いまだに製造業中心の日本経済は設備償却と余剰人員が重しになって回復できない。

すなわち「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」は、製造業中心からの脱却の遅れによる、 設備償却と余剰人員の重しによる。ではどのようにすべきか。本書では余剰人員を介護産業へ振り向けて内需型の経済に変換すべきと提言している。




既得正社員保護の弊害


本書がいう余剰人員の問題は実感としても納得できるだろう。日本では企業の収益(株主への配当)より既得の社員の雇用を守ることが優先される。また既得正社員保護による収益の悪化によって、新規正社員雇用を控えて低賃金の非正規雇用を増やし、若者の低所得化、世代間格差を生み出している。

また既得社員保護は企業内に「社内失業」として人的資源を埋もれさせる結果になり、日本内の人的資本の効率的な活用を妨げている。また日本企業の正社員を保守化させて成果へのインセンティブを低下させているのではないだろうか。

逆にこのような日本の人的資源をうまく活用しているのが韓国、中国企業だろう。特に韓国企業の躍進には、高額で引き抜かれた日本人技術者の力が大きいと言われている。




なぜ日本人は研究成果を利益に結び付けられないのか


日本の研究開発力はいまだに世界有数である。ネット端末としてのケータイだって、電子書籍だって、ゲーム機だって、日本が始めて製品化してきた。また最近の話題の環境技術、家電省エネ、ハイブリット車、電気自動車、太陽電池、リチウムイオン電池、燃料電池などすべて日本の技術が先端である。なのになぜか儲からない。すなわちなぜ研究成果を利益に結び付けられないのか、という問題があるだろう。

一つの理由として高付加価値の市場がなくなっていることがある。世界市場は後進国において旺盛だか、それらはすべて低価格品需要である。このような低価格品を供給しているのは主に中国メーカーである。日本メーカーが低価格のボリュームゾーンを狙っても収益を上げることが難しいのが実情である。

〇七年の一人当たりのGDPを見ると、中国は日本の一四分の一、インドは三五分の一である。「ボリュームゾーン」と呼ばれる年間所得五〇〇〇ドル(約四五万円)以上の消費者がアジア新興国に八・八億人いると言われる。しかし、そのうち八五%をしめる七・五億人は、年間所得が一・五ドル(約一三五万円)以下だ。これは、日本における生活保護世帯以下の水準である。彼らが、先進国と同じような自動車を購入するようになるとは考えにくい。一部の富裕層を除く大部分の国民は、日本がつくっているような自動車は買えない。新興国需要の中心は一台数十万円の低価格車になるだろう。これは、低賃金労働力を使える中国やインドのメーカーの守備範囲だ。P140


「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」 野口悠紀雄 (ISBN:4478013497)




技術向上(イノベーション)と収益のジレンマ


だから日本企業は高付加価値品市場をターゲットにするが、日本ではものが売れない、また頼みのアメリカの消費バブルの弾けてしまった。それでも米国のIT企業が高付加価値品で高収益を上げている状況を見ると、日本製品が広義の「イノベーションのジレンマ」を起こしているといえる。それが日本という特殊な市場で「持続的イノベーション」による消費刺激が繰り返された痕跡としての製品のガラパゴス化がある。

ここにも既得社員保護の問題とつなげるのは強引だろうか。日本企業は高付加価値品による差別化を目指して、多額の研究投資が行われ、多くの人的資源が投入されている。しかし彼らの多くは技術向上(イノベーション)を目的として収益を目的としない。

技術向上の先に収益があるわけではない。技術向上は終わりのない過程であるのに対して、それに対して収益を求めることは結果系で終わりがある。儲かるにしろ、儲からないにしろ、期限までに結果を示さなければならない責任がともなう。製品化には技術開発とは異なるインセンティブが必要である。保護された既得社員は変化を好まずむしろ研究を延滞し続けることを望む。

新規参入企業と実績のある企業の成否を分ける原因はどこにあるのだろう。・・・技術や市場構造の変化、成功と失敗の関係について、新しい見方を組み立てていく。その中心となるのは「バリュー・ネットワーク」という概念で、企業はこの枠のなかで顧客のニーズを認識し、それに応じ、問題を解決し、資源を調達し、競争相手に対応し、利益を求めていく。バリュー・ネットワークのなかでは、各企業の競争戦略、とりわけ過去の市場の選択によって、新技術の経済的価値をどう認識するかが決まる。各企業が、持続的イノベーションや破壊的イノベーションを追求することによってどのような利益を期待するかは、この認識によって異なる。実績ある企業は、期待する利益のために、資源を持続的イノベーションに振り分け、破壊的イノベーションには振り分けない。このような資源配分のパターンが、実績ある企業が持続的イノベーションではつねにリーダーシップをとりつづけ、破壊的イノベーションでは敗者となった要因である。P59


「イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」 クレイトン・クリステンセン (ISBN:4798100234)




日本が研究開発し韓国、中国が儲ける


このような状況から、日本が研究開発し、韓国、中国が世界中に売るという構図ができているのではないだろうか。中国の躍進は単に中国の人件費が安いだけの問題ではない。彼らはもっとどん欲である。

先進国は安い人件費を求めて中国に生産を移し、中国は「世界の工場」と呼ばれるようになった。彼ら先進国メーカーの売り先は先進国である。それを真似て中国人が生産を始めたが先進国メーカーに勝てない。そこで彼らが見いだしたのは後進国市場の開拓である。

後進国の人々はなにもない状態から製品を手に入れるので安価であれば品質が悪くても買う。少し前は憧れとして棚に飾られていた日本製品に変わって世界中の商店の棚に実際に手に入る中国製品が並べられている。先進国市場が成熟する中で後進国の市場が活発化している。

家電製品からケータイまでがこのように広まっている。そして自動車も時間の問題だろう。また韓国企業は低価格品を売った資金力で高付加価値品でも成功しだしている。




先進国とは異なる後進国の新たな産業


しかしこのような傾向は単に安価品の拡散という現象にとどまらず、先進国とは異なる新たな産業を生み出しているのではないだろうか。

たとえば太陽電池は先進国でもまだまだ普及率に低い製品である。先進国で「環境にやさしい製品」の普及率が低いのは高付加価値品であり、「環境にやさしい製品」を買うことは「誠意」である。あるいは国策としての推進であるが、回り回って国民が税金として負担している意味で「誠意」である。

しかし途上国で太陽電池が普及し始めいているのは異なる理由である。電力インフラが十分に行き渡っていない後進国では太陽電池は安価で電力を手に入れる方法である。多少効率が悪くても安価であるなら導入する価値はある。あるいは生命線でもある。

あるいは日本では電気自動車と言えば高付加価値品であるが、電気自動車は簡単にいえば電池とモーターで動く「大きなプラモデル」であり、ガソリン車よりもずっと安価にできてしまう。現に中国ではまだ違法であるが、中古のガソリン車のエンジンを取り除き、バッテリーのせた自動車が安価に売られはじめているという。

ハイブリッド車で日本が先行しているのは事実だ。しかし、電気自動車は、従来の自動車とはきわめて異質な製品である。電気自動車では、ガソリン車と違ってトランスミッションのような複雑な機構が必要ない。だから、日本はこれまで強かった「すり合わせ」の技術で優位性を発揮できない製品になる。したがって、ハイブリッド車のように機械技術的に高度な製品にこだわっていると、電気自動車の分野でおくれを取る可能性がある。

電気自動車が主流になれば、自動車生産は、現在のエレクトロニクス製品のように、水平分業化した生産に移行する可能性が高い。新興国需要に対応する場合には、たとえばモーターやバッテリーだけを担当するというような分業が考えられる。調達先が広範囲になれば、同一の部品をより安価に製造できる相手を見出すことができる。P124-125

アップルは、「水平分業」(一つの企業が組み立てまで全行程を行うのではなく、多数の企業が一つの製品の部分部分を担当し、市場を通してそれらを統合する生産方式)という製造業の新しいモデルを提示している。この点で、ソニーとは対照的だ。P155


「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」 野口悠紀雄 (ISBN:4478013497)




後進国の電気革命グローバリズム


実は環境対応とはエネルギーの分散化であり、途上国向きの面がある。これは後進国における電気革命である。世界中に電気が行き渡り、それにともない電気製品が普及するこれにより一気に生活レベルが向上し、また労働力が解放され、産業が生まれ、市場が生まれる。

このように先進国とは異なる電気革命によるグローバリズムが中華ネットワークにより広がっている。後進国グローバリズムは単価が低く、まだ先進国グローバリズムに比べて市場としては小さいだろう。しかし先進国グローバリズムが非実体経済で膨れ上がり金融の不安定さに翻弄されつづけるなか、後進国グローバリズムは生活に密着している点で着実に根をはって広がり続けている。

ここには日本発の技術が使われ、日本は間接的に世界へ向けて大きな貢献をしている。たとえば日本メーカーのケータイはほぼ日本のみで販売されて世界シェアはわずかでありガラパゴス化の象徴として批判されるが、ネット端末としての携帯電話技術は日本に始まり、いまやケータイは世界のネット端末の主流になっている。ここにも日本が耕し韓国、中国が刈り取る構図が働いている。

アフリカではいま携帯電話が広く普及しはじめているという。・・・ここで重要であるのがインフラである。広大な国で地方まで電力、さらには通信インフラを張り巡らせるには膨大な費用がかかる。しかし太陽電池などの高効率な分散化電源によって、地方でも安価に電力をえることができる。電波塔をたて足下に太陽電池を設置することで、安価に携帯電話の基地局を作るができ地方まで通信網が広がっている。

分散化電源によっていま大きく変わろうとしているのが自動車である電気自動車といえば日本ではハイブリッドのプリウスなどの高級車のイメージがあり、日本が技術的に最先端ではあるが、電気自動車の革命は電池とモーターでできてしまうことでプラモデルのように組み立てられるということだ。

アフリカや中国のような貧困層のたくましさをすれば、日本のような安全基準は?走行距離は?インフラは?などという高いハードルをもうけて膨大な費用をかけなければ普及しないという次元とは異なり、あちこちに太陽電池をおいて、充電しながら乗り回すようなことが起こるのだろう。それらが輸送インフラになって経済が発展していく。

いま起こっていることはこういうことなんだろうと思う。地球への善意のために普及を強制される先進国と、安いインフラという生きるための経済効果として普及を促進する途上国とではどちらのインセンティブが高いか。


「なぜ情報革命は途上国から訪れるのか」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100505#p1



中国が耕し日本が刈り取る構造転換は可能か


最近の今後の日本経済がいかにあるべきか、の議論には、経済成長型か、成熟配分型かが問われている。自民党から民主党への政権シフトは、保守派の経済成長型からリベラル派の成熟配分型へのシフトであったと言える。

しかし日本人がリベラルを気取っても結局金の分配の話だけに終始している。そのあげくが膨大な国家予算と借金をさらに増やすだけだった。本来、リベラルな議論は金の分配だけでなく、市民社会と補完する相互扶助制度の並立が必要だろう。

日本人はハイコンテクストな社会と言われが、それゆえ逆に相互扶助を空気のように感じてしまう。相互扶助はわざわざ制度化するようなものではない。日本人ならわかりあえる。最後は誰かが助けてくれる。相互扶助を制度になるなど恥だ。そして現代の日本社会では貨幣依存=他者回避が進み、現実には頼る人がなく、国からの金の分配だけが関心のまとになる。

日本人にすぐに苦手な民主主義的な相互扶助制度を根付かせるような意識革命は困難だろう。その代わりに日本人はハイコンテクストな社会の特性を生かして、生産性効率を向上させて技術立国として成功してきた。だから日本人はいままでどおり産業による経済成長を目指して国を豊かにする、自由主義経済の「神の手」によって人々に富を分配するしか道はないのだ。

そのために日本が耕し中国が刈り取る構造を逆転させ、中国が耕し日本が刈り取る構造を作り出せないか。たとえば中国が耕している後進国需要が高付加価値品へ展開するタイミングで狙う。このためには日本に様々な改革が必要になるだろう。人的資本の流動化、研究開発支援、国際知財権の強化、グローバル交渉力の強化などなど。

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