ウェブでは「フリー」が基本であるというのは本当か  「ネット帝国主義と日本の敗北」岸博幸

pikarrr2010-02-13

「ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化」 


クリス・アンダーソンの 「フリー」(ISBN:4140814047)が大ヒット中だ。ウェブ上に働くフリーモデルのエコノミーを明らかにした。しかし「フリー」は前著「ロングテール」(ISBN:4153200042)と同様に、マーケティングの本である。IT企業がウェブ上でいかに収益を上げるか、ということを分析している。フリーでも、フリーだからこそ収益を上げることができる。

「ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化」 岸博幸 (ISBN:434498157X)は「フリー」の裏面というべき本である。タイトルは俗っぽいが中身は冷静な経済的な分析をしている。「フリー」がIT企業のためのマーケティング本であって、ウェブ側の「楽観的な自由主義」を基本にしているとすれば、著者は以前に大臣補佐官をしていたこともあるように、ウェブだけではなく社会全体の公共性、さらには政治的に日本の国益を考えた保守派からの分析である。といっても内容はまったく平易でわかりやすくさらっと読めてしまう。

本書でも書かれているがなぜウェブ分析にはこうも楽観的なものばかりなのか。ボクも先のいくつかのエントリーで、いまのウェブの問題点を書いてきたが、それらに近いことが書いていて共感した。

おそらく本書の内容には、多くのネット関係者が反発・批判するだろうなと思いつつ、やっとの思いで書き終えました。改めて、なぜ本書で説明したような主張が世の中に少ないのか考えてみたのですが、この分野の学者や評論家、行政のそれぞれに偏りがあるのが原因ではないかと思います。・・・つまり、ネットが当たり前の社会でのジャーナリズムや文化、国益といった公共財的なもののあり方を考える専門家が少なく、この部分が完全にエアポケットになってしまっているのが原因ではないかと思います。


「ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化」 岸 博幸 P208-209 (ISBN:434498157X)




プラットフォーム型から垂直統合型へ


本書ではネットサービスを4つのレイヤー構造によって説明する。いまのウェブサービスではグーグルを筆頭にプラットフォームの企業がウェブサービスを主導している。基本はコンテンツをフリーで提供し、高い広告収入を上げている。そのためにコンテンツやインフラ・レイヤーの企業は利益を上がられず疲弊してきている。

このような傾向は単にビジネスモデルだけの問題ではなく、著作権に関する法整備の不足やアメリカ政府のグローバルな戦略がある。ということを、本書は現実の状況とその問題としてわかりやすく説明している。

ネットのレイヤー構造


・コンテンツ・・・テレビ局、新聞社、レコード会社など
・プラットフォーム・・・グーグル、ヤフー、ツイッター、アマゾンなど
・インフラ・・・NTT、CATV
・端末

このようなレイヤーによる分析はとてもわかりやすい。iTunesなどでアップルが成功している理由を、コンテンツとプラットフォームと端末を垂直統合したことによると説明する。このような最近の流れは、SNSやアマゾンのキンドルなどにも引き継がれている。プラットフォームの巨人となったグーグルへの対抗策である。

ボクはそれとともに、大きな変化があると思う。通信費が安くなったと友に、パソコンが安価になったように高性能なハードの価格が下がり、一台で色々するよりもケータイ、iPod、DSなど、コンテンツに合わせた端末の多台持ちが可能になってきたということだ。

2009年からプラットフォーム・レイヤーの新たな展開が本格化しました。それは、プラットフォーム・レイヤーと端末レイヤーの融合です。アマゾンの電子ブック・リーダーの「キンドル」を使ってみて、私は衝撃を受けました。プラットフォームとしての完成度の高さのみならず、端末としての出来に良さも秀逸です。

・・・キンドルは大事な教訓を示しています。プラットフォーム・レイヤーはネット上でもっとも儲かる市場だけど、同時にもっとも競争が厳しいので、そこでグーグルなどの既存のプレイヤーと競争して競争優位を築くには、他のレイヤーを取り込んでプラットフォームの価値を高める、つまり垂直統合のビジネスモデルを目指すべきである、ということです。


「ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化」 岸 博幸 P173-175 (ISBN:434498157X)

ケータイ、iPod、DS・・・いまではハードが安価になりサービス毎に多台持ちしている。もはやユーザーが求めているのはハードではなく、コンテンツサービスという環境であり、ハードはコンテンツサービスを使いやすくする補助的な一部であることが求められる。

このようなケータイ世代はハードやソフトそのものへと興味はなく、フェティシズムを持たない。パソコン世代のようにウェブのコンテンツに課金することを嫌悪しないし、ウェブ上に実社会とは異なる倫理も持たない。実社会を快適に過ごすためのコミュニケーションやゲームを手軽に楽しみたいのだ。


「なぜiPadに魅力がないのか」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100202#p1



ウェブでは「フリー」が基本であるというのは本当か


本書では触れられていないが、このような垂直統合型でもっとも早く成功したのが日本のドコモだろう。端末、インフラ、プラットフォーム、コンテンツまでの垂直統合によって独自のウェブサービス体系を作り出し成功した。いまの垂直統合型の成功の流れは明らかにどこの成功例を手本にしたと言って良いだろう。「ガラパゴス」などと批判されているが、アメリカの「帝国主義」状態にあるグローバルなIT市場で日本のプラットフォームを世界標準になることは困難だろう。

垂直統合型の魅力は、ウェブ上の「安全」を構築したことである。それが課金を可能にする。ボクが思うのは、ウェブはフリーが基本であると言われているが本当にそうだろうか。日本のケータイを見ても、ウェブユーザーが金を払うことを敬遠していると思わない。フリーはコンテンツを探すなどめんどくさい。またウィルスなど信頼性が低い。当然だがセルフサービス、自己責任を基本にしている。

IT技術に長けた人や暇な人、そしてウェブにもっとも多い手間隙こそが好きな「ITフェチ」は良いが、普通の人は速やかに信頼でき安全なサービスを受けられるなら、金を払うだろう。このような高いサービスと安全性のためには垂直統合型のビジネスモデルが重要なのである。

これが日本のケータイが世界に先駆けて発見したものである。そして日本であったのは必然であったといえる。「安全」構築は日本の得意とするところである。




アップルはアメリカ型セルフサービスと日本型過剰サービスとのハイブリット


「フリー」モデルはグーグルが発明したものではない。アメリカで発明されたいまのIT技術はハッカー文化というパソコンの時代から「セルフサービス」や「自己責任」による「低コスト・フリー」を基本としてきた。「サーバーリバタリアン」といわれるようにいまもアメリカ型IT文化の根底にある。

パソコンが故障したり、ソフトのバグ、通信の不安定さなどで苦労したことは誰にでもあるだろう。そしてIT文化ではアフターサービスは期待できない。アメリカ型では「IT技術は苦労の経験によって学ぶものだ」、さらには「セフルサービスできない者はIT技術を楽しむ権利はない」とまでいわれる。しかしこれでは、より多くの人がIT技術を使うことができない。

日本はそもそも世界でも有数の高サービス・高品質の文化をもつ国である。そしてだれでも安全に簡単に使いこなせるIT技術として考えだされたのが、ドコモの垂直統合型モデルである。ドコモは日本のサービス文化をアメリカ独占のIT文化に持ち込んだ。

最近では、海外のシンプルな家電に対して、日本の家電は機能が過剰すぎて売れないといわれる。日本ほどに豊かで貨幣依存していない世界では生活はまだまだ自給自足を基本としている。日本の製品は過剰サービス、過剰品質、高価格なのである。

まさに日本型モデルが世界に受け入れられず「ガラパゴス化」している要因の一つは、日本の独特な過剰性にあるのではないだろうか。それに対してアップルは日本型を手本に垂直統合型モデルを継承しつつ、アメリカ型モデルと融合させて成功した。そしていまドコモ、そしてアップルによる垂直統合型は次のビジネスモデルの主流になりつつある。




なぜグーグルは信頼されないのか


このように考えると、いまアメリカ型の正当な継承者であるグーグルが信頼の問題に苦労しているのは必然である。本書でも様々な既存営利団体や政府と衝突するグーグルの現状が紹介されている。これを単に既得権益者の抵抗と考えるのは間違いである。

フリーモデルには「継続した信頼関係が築けるか」、「いつか降りるかもしれない」という懐疑がつきまとう。検索のような単発なサービスなら良いが長期的な関係を築く場合には、絶えずサービスや品質、安全について、「信頼」されない。

グーグルも最近では、SNSの開拓やアンドロイドなどのモバイル用のプラットフォームやケータイ端末そのものを開発するなど、垂直統合化を進めて同じ方向を目指しているようであるが、他の垂直統合型と根本的に違うのはあくまでフリーモデルを基本にしていることだろう。あくまで安価なプラットフォームの提供にあり、課金して責任をおって安全なサービスを提供し続けることまでは考えていない。

この問題はさらに高い信頼関係を求められるクラウドコンピューティングで深刻である。フリーモデルが逆にグーグルの「躓きの石」になる可能性がある。




ネットのローカライズとコンテンツの逆襲


プラットフォーム優位な水平型はグローバル化を目指すが、垂直統合型はコンテンツにそってウェブをローカライズする。今後、このようなローカライズがネットの一つのトレンドになるのではないだろうか。誰もが品質よいサービスを安全に使う、「日常の便利で楽しいツール」としてのウェブサービス。

そしてそこで決定的に重要になるのが課金の普及だろう。ウェブ上で安全な課金が整備されれば、いまのアメリカ型フリーモデルからウェブは劇的に変化する可能性がある。すなわち再びコンテンツ・レイヤーが息を吹き返す。

これは、いまのコンテンツ・レイヤーを独占するマスメディアが息を吹き返すということではない。もはやコンテンツ製作は「総表現社会」といわれるように、ウェブに広く浸透している。コンテンツ・レイヤーが息を吹き返すとは、ウェブで創作活動をする人々へ収入を与えるということだ。生活を犠牲にして創作活動しても、「アテンション(注目)」を集めるだけの貧困のクリエーターへ対価に見合った収入を保証する。いま、儲かっているのは多くの無償のコンテンツを使い多額な広告収入を得ているグーグルなどのプラットフォーム・レイアーだけである。

ボクは本書のようにウェブに国策としての規制まで必要であるかは疑問であるが、日本にとってのローカライズ開発とその輸出促進は重要な政策になるだろう。

ネット上は国境が存在しないグローバルな世界であり、そこでの自由競争、実力勝負の結果が米国企業の一人勝ちなのだから、やむを得ないと言われる方が多いと思います。しかし個人的にはそういう考え方に賛同できません。ネット上には国境が存在しないなんて虚構です。・・・確かにプラットフォーム・レイヤーには国境が存在しませんが、コンテンツ・レイヤーに目を向けると国境だらけです。

米国のネットワーク局は、今や最新のドラマなどの人気番組の90%をネット上でも提供していますが、それらをネット上で見られるのは米国内にいる人だけです。日本からアクセスしようとしても拒否されます。パソコンのIPアドレスに基づいてアクセスをコントロールしているのです。・・・結果的にネット上にも国境ができているのです。


「ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化」 岸 博幸 P126 (ISBN:434498157X)



ウェブの根本的な欠点は、いくらウェブで労働しても収入が得られず生活を支えられないことだ。ネットで成功した人々は多数いるがほんの一握りであり、実社会のように成功せずとも労働が対価に結びつく賃金がない。だからウェブの労働と別に実社会労働の二重生活を生きる必要がある。

ニコニコ動画などをみているとあの創造労働のすばらしさに対価を与えないことはもったいないと思う。ウェブはもっと課金システムを広めて、ウェブでの対価で生活できる人々を増やすことができないだろうか。

そもそもグーグルにピンハネされる理由などないだろう。むしろ検索にのせるならグーグルから対価をもらうべきだ。グーグルはウェブの無償の労働を担保に大量の金を稼いでいるのだから。グーグルはウェブ労働者に対価を支払うべきだ。グーグルの搾取からの解放を!


「安楽死2.0とウェブ労働で対価をもらう可能性」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20091220#p1

ウェブも何でも自由というのは古くなりつつある。ある種初期の幻想だろう。・・・多くの人がもはやウェブに自由のみを求めていない。無法地帯をおもしろがる時期もすぎた。

その理由の一番が、ウェブサービスへ求めるものが現実的な日常の便利で楽しいツールへと変容しつつあるためだ。ウェブ上のグローバルなシームレスではなく、ウェブと日常とのシームレスへ向かっている。そのために今まで放置されていた、知財権やプライバシー、そして貨幣交換について、実社会の規範、法制度と折り合いをつけていく作業が必要になる。

その兆候として、Googleのグローバル「フリー」モデルが各所のローカルと衝突している。グーグルアースのプライバシーの問題、本の読み込みでの知的財産権の問題。さらにはGoogleが目指すクラウドコンピューティングも国外へ情報がでることが問題になっている。

もはや楽観的にGoogleは自由な正義と考えることはできない。むしろこのような対立こそ健全だと思う。より実生活と密接に便利につかうために、グローバルでフラット化したウェブをいかにローカライズして安全を確保するか。もうGoogleのなんでもフリー思想は古い?


「ウェブへ求めるものが日常の楽しいツールへと変容しつつある。」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100105#p1




<ウェブでは「フリー」が基本であるというのは本当か>

1.ウェブでは「フリー」が基本であるというのは本当か 「ネット帝国主義と日本の敗北」岸博幸
2.ドコモがいかにウェブに革命を起こしたか 「古き良きインターネット」の終焉
3.[議論]なぜドコモが時代を先取りしえたのか
4. ガラパゴス化するウェブ

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