マクドナルドは身体のコインロッカー

pikarrr2009-07-06

現代の公共性としての「空気を読む」


現代は流動性が高く、見知らぬ人々が出会い、別れる場面が増えている。そのために暗黙の秩序が求められる。それを「空気を読む」といってもいいだろう。公共性(common)を他者と共有する利害のために秩序を維持することである、と考えれば、現代の公共空間は空気でできている。お互いの目的を尊重するために必要以上に干渉しないようにしようということだ。

流動性が高いとはそれぞれの目的をもち、人々が様々な場所で交差する。機能を重視することで、挨拶などの社会的な気遣いは面倒なものとなる。たとえば満員電車の中。見ず知らずの人々が肌の触れあう距離で接してある時間を過ごす。通常、人には他者との快適な距離を保つパーソナルスペースがあると言われる。社会的な関係では3m程度と言われている。だから満員電車は通常ではとても考えられない状況である。目的なくそのような状況におかれた場合に人に与える苦痛は相当なものだろう。それにも関わらず、満員電車で人々が平気でいられるのは、そのような場所だという共通認識があるからだ。電車であり人々は移動することを目的に乗り込む。そして人々がお互いに状況(コンテクスト)を理解していることを知っているという共通認識がある。

たとえば電車の中で、「ぐぇ〜ぼ〜」と大きな声を上げるとどうなるだろうか。一瞬で電車の中は凍り付くだろう。しかし同じ音量で「はっくしょん!」とくしゃみをするとどうだろうか。誰もまったく無関心だろう。この違いは暗黙の共通認識を越えるか、越えないかである。すなわちそこにある限界を持った共通認識があることを示す。

このような暗黙の公共性は、ただその環境に合わせて、人々が反応するようなものではなく、高い規律訓練を必要とする。日本では子供ころからそのような環境に慣れ親しみ自然と訓練されていき、無意識に空気を読むという高度な慣習を身につける。




街中がマクドナルド


マクドナルドはこのような現代の暗黙の公共空間を意図的に作り出すように環境を整備する。清潔で明るくて全体を見渡せる店内。無機質で機能的な机や椅子。それとともに配膳、席選び、片付けなどのセルフサービス。これらの環境作りが人々を暗黙の秩序へと導く。コストをかけて店内に店員を配置しなくても、人々はセルフサービスで公共空間を作り出す。マクドナルド環境が社会的な「パノプティコン(一望監視装置)」として暗黙の公共性の慣習をよび起こす。

そしてこのようなマクドナルド環境はいまや街全体を覆っている。整備された駅前や公園などの公共物。たとえば割れ窓理論と呼ばれて心理学的な分析にもなっている。割れた窓を放置するな。街を清潔に明るく機能的に保つこと(住人のセルフサービス)で、犯罪が減る。

たとえば最近は街中への監視カメラの設置などが進められているが、これらも単純に監視社会とは言えない。監視社会の問題はコストがかかることである。動画をどのように処理するのか。モニターを監視する人を配置するコストは?

それよりも、監視カメラが設置されていますよと、公開する抑止効果の方がずっと安価である。ただ設置すればよい。実際、だれも監視している必要もないここでは先のマクドナルド型の環境整備と併用によって効果が現れるだろう。清潔で明るくて全体を見渡せる。無機質で機能的な配置。セルフサービス(されていう痕跡)がそこに監視されていうまなざしを生み出し、実際に監視カメラが作動している。すなわち街全体が社会的なパノプティコン(一望監視装置)化している。




マクドナルドは身体のコインロッカー


マクドナルド環境は食事をするという目的を速やかに達成するだけではなく、即興で安価・安全・安心の私的空間を作り上げる。マクドナルドでは食事しつつ、内的な精神集中した場を作り上げている真横に他者がいるにもかかわらず、本を読む、勉強する、考えごとをする、おしゃべりをするなど私的なことに集中することを可能にする。

たとえばきれいに整備された道路や通路では、考え事をしながら、おしゃべりをしながら、音楽を聴きながら、あるいはケータイを見ながら通行することができる。これは現代ではあまりに当たり前であるが、整備されていなければ足下の凹凸などに気をつける、あるいは暴漢などの危険がないか、歩行そのものに集中する必要がある。

社会的なマクドナルド環境の全面化によって街中が安全・安心で機能的な公共空間となっている。このことが表すことはなんだろうか。社会全体が機能性、効率化を求めた「生産場」となっているということだ。人々は食事する、歩行するなどの単純な行為よりも、もっと「重要なこと」に集中し、効率的に行うことができるようになっている。

マクドナルド環境が全面化することと同時に情報技術が発達したことは偶然ではないだろう。情報技術は「重要なこと」を効率的に行うための重要な役割を果たしている。たとえばネットの発達によって、安価・速やかに情報、生産手段が手に入り、「重要なこと」に取り組むことができる。

大量の情報からの検索による必要な情報に到達することができる。また初対面の他者とのコミュニケーションも実社会のようなまどろっこしい挨拶も必要なく、直接的に本題にはいれる。さらにはWeb2.0などの創発性によって他者を特定することなく、かってに必要な情報が積み上がってくる。もはやマクドナルド型公共空間は安価で安全に身体を預けるコインロッカーのようなものでしかない。

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