病気になられたご主人さまの介護生活をしてがんばっておられるお参り先の奥さまいわくなかなか施設の入所先がないといいます。もしかして入所まちの方がとても増えているとかそれらの施設の職員さんが足りずに人数の制限があるのかもしれません。お仕事にみあった報酬などの問題があることも耳にし離職する方が多い業界であるとも言われます。奥さまに対し怒りっぽく暴力的なめんもあるかなしいけれど泣いてはいられないだけど・・・。このままでは奥さまが倒れてしまいますそうならないようにケアマネージャーさんともよく相談して困っていることを伝え費用の面であっても相談することをお勧めしました。ご主人さまにとってもきっと生活しやすい環境になり奥さまも健やかに生きていけるようまわりに相談すること大切です。お話ししてくれてありがとうございますなんま...かなしいせいかつ
本日は、3月の法話会でした。3月はお彼岸があるため、今日は、お参りは少ないかと思ったのですが、意外にも、多くの方がお参り下さいました。「死にたくないという思いが、人生の幸福度を下げます」逆に言えば、死を受け入れることで、幸福度は上がるということであります。私たちには、必ず、平等に死がおとずれます。それは、仕方ないと諦めて、今を大切に楽しく生きることが大事なのであります。いつまで、生きているか分からないのですから、今を、楽しまないのは、やがておとずれる死を前にした時、大きな後悔を生むのではないかと思うのであります。言葉で言うのは簡単ですが、死を受け入れるということは、簡単なことでは無いように思いますが、実は、簡単です、浄土真宗の救いは、その死の解決であります。阿弥陀如来は私に代わって、死を越えてゆく、お浄...今日は法話会でした
日本の国旗は『日の丸』 白地に赤い日の丸は、源平合戦の時の源氏の旗である。 平家が勝っていたら、赤地に黄色の日の丸になっていたのかも。 白地に赤の日の丸の方…
「心田を耕す」語源は、お釈迦様が托鉢をされている時、農耕者から、「私は田を耕し、 種をまいて食を得ている。 あなたも田を耕し、 種をまいて食を得てはどうか」と問われ、「我もまた、 田畑を耕し、 種をまき、 実りを刈り取っている。 一切の人々の 『心の田畑
Yann Tiersen - Pell (Official Video)
YannTiersen-Pell(OfficialVideo)YannTiersen-Pell(OfficialVideo)
本願寺出版刊月刊誌『DAIJO』に2022年4月号から毎月、執筆者無記名のコラムに執筆しています。出版社から三か月は掲載しないでとのことで、期限切れから掲載しています。24年11月号掲載文です。社会的役割ある寓話がある。遠い異国の海辺に近い村では、丘の上の基地の砲台で、毎日、正午に号砲が鳴り、誰もがそれで時間を合わせるのが何百年もの慣わしになっていた。村にとって正午の号砲は、日の出や日の入りと同じく一つの自然現象で、午前と午後を区切る規則正しい出来事だった。一人の少年が、ふと疑問を抱いた。「あの大砲はいったいどうやってちょうど正午を知り、大砲を鳴せるのだろう?」。ある日、彼は丘を登り砲兵に尋ねた。「どうやって毎日ちょうど正午に号砲を鳴らしているんですか?」。砲兵はにっこり笑って、「隊長の命令さ。そのために...社会的役割
お参りさきできれいにととのえたお仏壇にてお勤めをしていましたら右側の遺影写真がふたつならんでありました。先に往生されましたお父様と7回忌を迎えるお母様が並んでいて法名軸とお供えものとひなまつりのあられお菓子がお飾りされていました。お殿様とお雛様のようにならんでいて今を生きる私たちをお導きくださっておられるいちどはいのち終えるけれど往生させていただきはたらき続けていく道がなんまんだぶつ^_^おひなさま
先日読んだ本に紹介されていたのでありますが、人間にとって、最大の敵とは何か?その問いに対して退屈と答えた方がいらっしゃるそうです。私も自分自身のことを考えてみると、忙しいよりも、むしろ退屈の方が苦しみかもしれないと思います。しかし、人間は無い物ねだりであります。忙しい人は、退屈な人を羨ましいと思い、退屈な人は忙しい人を羨ましいと思うものです。忙しすぎてもダメだし、退屈すぎてもダメです。ちょうど良いバランスで過ごせたら、1番健康的だと思いますが、なかなかそうはいかないようであります。私は、仕事をしていて、1番嬉しいのは、感謝されることであります。誰かのお役に立てた、喜んでいただけた、そして、お金をいただけたら、最高の幸せであります。日本人は特に、誠実で働き者の方が多いと思います。ですから、誰かの役に立ちたい...退屈という病
『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)阿部恭子 著 ③ – メディアの偏向報道と苛烈な上級国民バッシング-
事件の概要 2019年4月19日、東京・東池袋で飯塚幸三氏が運転していた車が暴走し、二名が亡くなり、九名が負傷…
昨日は振替で土曜日のKコーチ(♀)のクラスに行ってきた。 レッスン前の自主練習では、仲良しの男性と女性、2人を相手にラリー。 レッスンは、いつも12,14人ほ…
『共感の共同体:感情史の世界をひらく』(2023/10/20・伊東剛史・森田直子編集)、まえがきの転載です国立国会図書館の検索サービスを利用すると、共感に関する刊行物が今世紀紀以降、急増したことがわかる。グーグルが提供するNブラム・ヴユーアで英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語の共感に相当する語の出現頻度を追ってみても、似たような傾向か見られる(序-2)。学術研究の領域に限定しても、日本の科学研究費補助金の助成をうけた研究課題には、共感をテーマとするものが分野の垣根を越えて増加した。中国の学術研究に関しても、回様である(序‐3)。私たちの世界は今、共感を標榜する声、それに懐疑する声、そして共感とはなにかを突き止めようとする営みであふれている。本書は、そのような営みからいったん距離をとって、なぜ、私たちが...共感という言葉が流行っている
福住寺の雅楽練習会の例会がありました安定したリードの調整ができるようになると安定感がまします。篳篥ひとりで笙や龍笛の音色を聞きながら合わせていくことで打ち合わせが成り立ちます。鞨鼓の練習にもはげみ様々な場面での調整力がついてきたような感覚。ますます楽しくなっていきます。なんまんだぶつ(*^-^*)雅讃クラブ
よく聞く「仏弟子」という言葉。 思えば、自分は仏弟子などと思えたことがない。 「私は仏弟子」という主語の「私」は自我なのか。その自我が決めることか。 そんなこ…
私は、何のために生きているのか、何のためにこの世に生まれてきたのか。そんなことを、皆さんも1度は考えたことがあるではないかと思います。仏教は、この世に生まれた目的は、ただ1つであります。仏に成る、成仏のためであります。私は、長年救われたいと思い続けています。今も同じです。でも、死にたくはないのです。お浄土に生まれ、仏に成るという救いが、いただけません。だからこそ、今も仏教を学んでいます。しかし、私が、もしお寺に生まれることなく、僧侶になることもなければ、仏教を学ぶこともなかったと思います。私は、それが、今とてもありがたく思います。仏道を、歩ませていただいているということが、救いなのではないかと思うのであります。私の心を、あてにしていては、一生不安なままであります。つまり、救われないのです。浄土真宗では、...空しいなぁそう思った時が仏縁です
副住職の唯真です。傾いている石柱に注意書きを付けました。すぐ飛ばされてしまうかもしれませんが…。予算の目処が付いてないので撤去できませんが、危ないのでお近づきにならないよう…!もう片側はこれを貼るのも怖いくらい傾きがあったのでそのままですが、2本ともご注
霊長類最強女子と言われたレスリングの吉田沙保里さん。 レスリングのタックルは素早く、相手のバックをとっていましたね。 動画では、意外や意外、女の子の一面を見せ…
お坊さんの法話2024年2月28日「原点回帰ーいまにいたるまで」
お坊さんの法話2024年2月28日「原点回帰ーいまにいたるまで」お坊さんの法話2024年2月28日「原点回帰ーいまにいたるまで」
『社会問題の社会学』(赤川学著)よりの転載です。ラベリング理論である。その代表格であるハワード・ベッカーは、犯罪や非行などの逸脱は、社会によって生み出されると主張した(Becker1963=1978)。逸脱行動が生じたとき、普通の人は「なぜ彼らは犯罪を犯すのか?」と問いを立て、個人の性格や成育環境のなかに、その答えを求めようとする。それは日常的な思考法といってよい。しかしラベリング理論は、逸脱があるから社会はそれにラベルを貼るのではなく、社会がラベルを貼るからこそそれは逸脱になると考えたのである。これは逸脱行動の原因論に関して、画期的な視座の転換をもたらした。なぜなら「社会集団は、これを犯せば逸脱になるような規則を設け、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのレッテルを貼ることによって、逸脱を生み...ラベリング理論
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