12月31日、神社にゆく。お祈りも、お願いもしない。 ありがとうございました、とだけ小さく柏手を打ってお礼を言う。 1月1日。初日の出を拝みに桟橋にゆく。いつ…
12月31日、神社にゆく。お祈りも、お願いもしない。 ありがとうございました、とだけ小さく柏手を打ってお礼を言う。 1月1日。初日の出を拝みに桟橋にゆく。いつ…
全ての結果には原因がある。例外なく因と果が連綿と続く、と。 だが、結果になって初めて原因と言われる。 今の状態も原因があっての結果であるのだ。 今の自分という…
信じると言っても、かなり意味が違う。 お金を信じる、他人を信じる、組織を信じる、仲間を信じる、 何を信じるかで、自分が決まる。この時の信じるというのは、信用す…
なんぞ、目当てがあって仏教だの念仏だのに縋るのは、それは違う。 それは全部、自己都合や。解決とか救済とかの秘法にあやかろうという根性では 当てが外れたら、別に…
ご法話で「あんた、南無阿弥陀仏て何て聞かれてどう答える?」と問われた。 阿弥陀仏に南無します、では答えになっていない。 だから南無は、信じるとか、難しく言えば…
200年ほど前の山口県の小島に「おかる(阿軽・於軽)」という妙好人がおられたという。 こうも聞こえにゃ 聞かぬがましよ 聞かにゃおちるし 聞きゃ苦労 今の苦…
推しの仏様を選ぶようなことをしてはいけないよ。 大日如来より阿弥陀如来が良いとか、いやいや釈迦如来が一番偉いとか、 人間レベルで決めることではないよ。 例えば…
昨日は報恩講に出仕して面白い話を聞かせていただいた。 日本の幽霊の絵は、たいていパターンがあって子供が絵を描いても 手を前に垂らし、足はなく、長い髪が後ろに伸…
本願寺派の梯先生のご法話で紹介された鹿児島の正覚寺さんが サイトに「輝くいのち」を公開してくださっていた。 https://www.syougakuji.co…
アニメ化した「チ。ー地球の運動についてー」には、宗教というものの恐ろしさを 天動説を絡めて描写しているが、リチャード・ドーキンス教授は、そういう集団心理は 中…
念仏する、という。 見た目は、自分が「南無阿弥陀仏」と言うという行為に他ならない。 けれど、念仏は、出るもの。 自分が言うのではない、念仏がこの業にまみれた人…
薪を焚べて焚き火をする。 静かな時間。 雑念がなくなり、正信偈が出てくる。 理由もない。 自然に触れて分かること。
僧侶なら、悟るための修行をするのでしょう?と聞かれることがある。 していない、全く。 他宗のご法話でも、私たちは悟るために仏教をしているのだとかいうのを聞いた…
鴨長明「方丈記」を読んでいると、 方丈の庵に住む究極の生活は、自然に溶け込む生き方の達人のようであり 現代人が忘れがちなある種のASMR体験と想像するが、 精…
この自分自身、世の中の目先のことばかりが全てとなっているが故に、 死者と縁を持つ、というようなことは考えてこなかった。 死者といえば響きが悪いので、自分が生き…
御文にある高明な「白骨の章」。 蓮如さんが生きた1400年代から百年ほど前の存覚上人の「存覚法話」にある似たフレーズ。 おほよそはかなきものはひとの始中終、 …
猛暑、酷暑の日が続き、今年は10月に入ってもまだ真夏日がのこる。 危険な暑さというのは、報道されているし誰もがそれを感じている。 長年ゴルフをしていると、人間…
アジェンダといえば、会議の議題というのが通常の使われ方だが、 一般的な会話では、むしろ意図とか底意などのニュアンスがある。 あなたは、なぜそれをしているのか?…
あたりまえだけれど、仏教で言うところの罪というのは、 刑法とか、人間の社会システムで決めてある罪とは違う。 誰に罰せられなくとも、自分が一番知っている。 人を…
どれだけ何をしていようが、これでオッケーということがない。 オッケーも何も、自我が勝手に決めているに過ぎない。 オッケーもないが、もうダメということもない。 …
完全に自分を知ることはできないかもしれないが、 自分に触れてゆくことはできる。 南無阿弥陀仏と念仏して、 阿弥陀仏に触れられる、ことにする。としているが、 実…
なぜ仏教してるんですか、なぜ浄土真宗するのですか、と問われて 「仏教をする」という自覚がまるでない。 「坐禅をする」「読経する」「聴聞する」というような行動で…
戦後、高度成長期を経て、娯楽が産業となり人は惰性でそれを生活に増幅してきた。 テレビがもう娯楽を超えて、思考停止の惰性の道具となり、ネットが形態の異なる娯楽に…
四国にいた遠い親戚に、お祓いをする人がいた。 その方も、そして家族も、不慮の死や事故に見舞われた。 直感した。踏み込んではいけなかったのだ、と。 自分自身怖が…
衆徒、門徒は、朝起きたら朝食前に、そして夕方にお勤めをする。 脳の1日のサイクルでゴールデンタイムと言われる時間帯がこれにあたる。 ただ、昔からの決まりだか…
よく、ダメ人間の口癖とされる言葉に4つのDがあるとされる。 「だって」、「でも」、「だから」、そして「どうせ」 「どうせ」阿弥陀仏なんておとぎ話でしょ。 「ど…
頑張って宗教をしている感がある人間とか、 自分たちの宗教が正しい、世界を救う、人類を救う、地獄行きを回避する、 そういう考え方も、実にイビツに思えてしまう。 …
どうもなあ、アンタの話は軽いんや。請け売りやのうて、自分の頭でどう思うとる? 自分はどうしようもないクソ人間、この世は邪悪に満ちて穢れておるとディスり切って、…
子供の時から、自分の人生をよくするための教育や指導を受け、 才能を開花し、能力をつけ、より良い環境に行くために努力もし、 夢を持ち、幸せを追い求め、いい人生設…
僧侶というのは、職業なのだろうか。 職業人というのなら、プロフェッショナルということになる。 何のプロなのか。仏教のプロ?あり得ない。 自分の中では、職業とし…
巡り合った色々な人のこと、自分によくしてくれた人たちは尚更、 思えば思うほどに、いつもいつも「ごめんなさい」になってしまう。 「ありがとう」というべきなのだろ…
都合、調べつつなので30時間ほどかかった気がするが、今だからできることなのだろう。 仏説無量寿経梵文現代語訳|トリコロール仏説無量寿経現代語訳注釈付.pdf …
まだまだ校正が必要だけれど、南條文雄博士が明治から大正にかけてオックスフォード大学において かのマックス・ミュラー教授のもとでサンスクリットの写本に取り組んだ…
やっとあのお爺さんのお墓参りに行けた。 不思議なご縁と思う。母の生命が尽きようとしているこの時に、 お婆さんからの便りをいただいて、ようやく伺うことができた。…
当たり前のことだけれど、宗教があって阿弥陀仏があるわけでもなければ 教団があって阿弥陀仏があるのでもない。念仏は宗派の専売特許でもない。 阿弥陀仏があって自我…
仏国土は星の数ほどあると言われていて、阿弥陀仏の仏国土は浄土とも言われる。 では、この世は何という名の仏国土かといえば「娑婆(Saha)」というが、 浄土のよ…
大経と呼ばれる無量寿経は、康僧鎧訳(魏訳)において、17,421文字の漢字で書かれている。 この漢文では、サンスクリット文からいくつかの加上が見られるが、 中…
分かることと、できることは違う。これは誰でも理解はしている。 個人においても、組織においても、 今、どういう状態に置かれているのか 周囲環境はどう動いているの…
昔から言われているように、仏教は道徳とちがう。 それは道徳を排除することではないし、何らのコンフリクトもない。 人に優しく、救いの手を差し伸べ、柔和に接し、き…
日曜礼拝のご法話を聴聞して、思わされた。 介護、うつ病、壮絶な人生を生きる人がいる。思わされるのは、 自分には、誰の真似もできない。小学校に入りたての子供を轢…
無量寿経巻下を読経中、浮かんだ。 「因位の自覚を持ちなさい」 因位とか果位というのは、仏の世界で他人事のように、そうなのですかで聞くなと。 たとえ5年先のこと…
人智を超えたところに仏智がある。 説明ができることではない。 釈迦が覚者となって人に法を説いたが、 例えば、お経の内容を見るに、後年の加上があるにせよ、釈迦以…
僧侶、と一言でいうが実に多彩なのだと今更ながら思わされる。 別に国内に限ったことでもなく、現代に限ったことでもない。 自分にとって、明らかに違うと思うのは、 …
繰り返し、くりかえし現れる「あさましい」という言葉。 現代でも、あらゆるところで見聞きする。教義のことではなく人間性なのだ。 歎異抄の十八条、 まことに、われ…
歎異抄のような伝聞形式で伝わる「蓮如上人御一代記聞書」。 内容は316条と膨大な伝聞が伝わっているが、御文とはまた違った角度でその教えを味わえる。 むしろ現代…
南無阿弥陀仏の後に、阿弥陀仏と噛み締める。 同じではない。日々、読経や勤行を続けているとこの感覚になる。 理屈ではなく、音の違いでもない、明らかな違いと言える…
「アンタの南無阿弥陀仏は平和な時代の念仏やな。」 確かに、歴史を紐解くに現代ほど恵まれた時代はない。 人権のない時代に生きた人もいる、戦争に駆り出され異国で斃…
いつも、南無阿弥陀仏て言いよるな。なんでですかいな。 ワシも、よう分かりまへんねん。気がついたら口に出とるんですわ。 阿弥陀仏て、ほんまにおってですんかいな。…
無量寿経の最後あたりに慈氏(弥勒)が釈迦に尋ねるシーンがある。 阿弥陀仏の浄土で、他の仏国土から生まれてきた者たちを見たという。 蓮華の蕚(うてな)に跏趺(か…
日頃のインプットを変えてゆきなさい、と聞こえる。 一般的にいう生活習慣を改善しましょう、とかと同じなのだろうか。 日頃、見るもの、聞くもの、食するもの、飲むも…
三帖和讃浄土にある「現世利益和讃」15首には、 「南無阿弥陀仏をとなうれば」が10回現れる。 これに続く言葉に、神、鬼、龍、天、王、祇などが登場する。 不思議…
BY AGE 40 YOU SHOULD BE SMART ENOUGH TO REALIZE THIS:40になる前に気付いておくべきこと 1. Some…
昔から、戒というのがあり、戒律ということも作られてきた。 人間社会でも法律や規則はあるが、むしろ自戒という意味合いが強い。 禁止事項というよりは、十善戒という…
昔から大乗非仏説と言われ、さらに浄土教はその最たるもので、 浄土とか他力とかいうことは加上(後付け)に過ぎず、釈迦が語ったことではない 江戸時代の富永仲基をは…
本当の幸せかい?それはね、こういうことさ。 1. Always remember that there is nobody on this earth tha…
無量寿経にはいくつかの漢訳があり、二十四願や四十八願などいくつかあるらしい。 サンスクリット文の原典には四十八の誓願があるものが見つけられない。 四十七願や四…
人が社会で生きてゆくとき、チームで仕事をせねばならない時、 自分一人の思い通りにならないことは、当たり前なのだが、 正論を通せば良いという考えになることがよく…
経典の中で、釈迦が弟子に“tat kiṁ manyase”(其方はどう思うか?)と尋ねるシーンがある。 阿弥陀経には「於如意云何」と出てくるのがそれで、 無量…
毎日、声に出す正信偈。 一文字ひと文字、昔から読み継がれてきた。 繰り返し現れる文字がいくつかある。 明、楽、誓、証は8回 一、仏、来は9回 入、生、本は10…
彼岸のことを、"pāra" (पार:パーラ)波羅という。 彼岸に渡ることを、"pāramitā"(पारमिता:パーラミター)波羅蜜多 (諸説あり) 彼岸…
ビジネス啓発本やポッドキャストで仏教がビジネスに役立つ系のものがある。 詳しく読んだことがないけれど、自分のビジネス経験で思うのは、 それ仏教でなくてもいいで…
無量寿経にある有名な四十八願。全て「設我得仏」(たとい我、仏を得んに)で始まり「不取正覚」(正覚を取らじ)で括られる。私は何としても悟りたいから、悟りを得るた…
何千もあるお経のうち、自分が繰り返し読誦できるお経は決まっている。 お経のみならず、論註、偈文、和讃、御文に至るまで、 唱えさえすれば、何かが作用するから読誦…
阿難白仏 我不疑此法 但為将来衆生 欲除其疑法 故問斯義 (無量寿経巻上) 阿難、仏に申して言う。「我、この法を疑わず。ただ将来の衆生のために、その疑惑を除か…
僧侶になったが、わたしの場合ということがある。矜持とかではなく、他の人には当てはまらないからで、分かっていなければ、何をしているのかがブレてしまうこと。他の宗…
阿弥陀仏の光を讃える呼び名、現代のインド人も部分的に共通する名前を持つ人が多い。 是故無量寿仏。号無量光仏◦無辺光仏◦無碍光仏◦無対光仏◦焰王光仏◦清浄光仏◦…
母がたおれて以来、意識があるように目は動いているが 身体はもちろん声も出せない。 何もいいこともない、いつまで続くのか分からないこんな時間に価値などあるのか …
人にありがとうを伝える起床したら白湯を飲む朝に日光を浴びる散歩の時間を作る鏡にポジティブな言葉を伝える20分の入浴で浸かって流す15分のフィエスタ12時間断食…
無量寿経の冒頭にあるこのシーン。 尊者阿難 承仏聖旨 即従座起 偏袒右肩 長跪合掌 而白仏言「爾の時に、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして、光顔巍巍とまします。尊…
あのな、もし仏教して得々とした顔で人より偉くなったと思うようになるなら せんほうがマシやで。ほんまに仏道を歩んでいる人間は、誰かより優越になることはないんや。…
仏教徒は三宝に帰依する。これは宗派問わず共通している。 ただこの三宝というのが、個々人でかなりな違いがある。 宗派によっては、仏が違うし、教義も異なる。僧に至…
吉川英治「宮本武蔵」地の巻に光明蔵という章があった。 姫路城の開かずの間に三年間幽閉される身となった武蔵に、 沢庵房が言い残した言葉、和漢の書籍だけはいくらで…
阿弥陀仏のことを無碍光如来(Amitābha)という。 南無阿弥陀仏は、帰命無碍光如来ということでもある。 無碍の光とは、遮られない光なのだが、すごい光なのだ…
「我欲手伝う仏おわざす」という池田勇諦師のご法話で、はっきり言い切られた通り、 そういう仏も神秘的な力もありはしない、がそれがあるのですよという宗教の方が多い…
喜び、歓び、慶び、悦び、つまり嬉しいということなのだが、 喜びは喜びでしょ、で終わっている現代人の私には、文章を書く教養で漢字を変えていても、 日常的にここま…
般若波羅蜜多(プラギニャパーラミター)प्रज्ञापारमिता Prajñāpāramitā はPrajñā(般若=智慧)pāramitā(波羅蜜多=完成…
だから何、それはどういう意味があるのか、は他人に問うことでない。 唯識、だから何?は教えてもらうことでもない。 自問するが、勝手な思い込みを無学に広げても仕方…
天親による意識(仮想的な性質の存在)を説く三十の偈頌 1. 意識の特徴意識から離れた抽象的な外的現実の存在があるのかないのか。もし意識の仮想的な性質しかな…
現時点でのデジタル技術で、十分可能なこととして例えば バーチャル僧侶みたいなものができる。チャットやリモート会話ではつまらないので、 ホログラムに姿を現して表…
唯識三十頌(じゅ)という天親菩薩の著とされる30の詩歌。 梵文とそのアルファベット表記があり、法隆寺の漢文が残っている。 問題は、現代人の自分からしてみて漢文…
心肺停止になった母が蘇生を受けて持ち直したものの、 ICUに担ぎ込まれてからは、意識もない状態が続いた。 ホスピスに移送する中で、何度か目を開けては私の顔を見…
日曜日は彼岸の入りで父の墓にお参りして、 今日は彼岸の中日で嫁の祖父母の墓を参った。 父の墓は、近所の公園墓地に建てた。桜が見える芝生の開放的な区画にある。 …
潜在意識とされる末那識と阿頼耶識に至るまでのところで、分かりやすく纏めてくれていた。 On the Construction of Non-Existent …
執着を捨て、怒りを捨て、欲を捨て、思い込みを捨て、 そして自我を捨てる。これらは引き算になるだろうか。 自分が抱えるものの上に足し算する仏教はないし、 あやか…
2024年3月7日。東本願寺得度式。 お寺というのは、そういうことなのか、僧侶とはそういうことかと 認識を新たにした。 特別な思い入れもないまま、導かれるまま…
よく聞く「仏弟子」という言葉。 思えば、自分は仏弟子などと思えたことがない。 「私は仏弟子」という主語の「私」は自我なのか。その自我が決めることか。 そんなこ…
人が覚って仏陀となり、如来として迷う衆生を救済する。 とかいうのは頭で想像し得ても、生きているうちに俯瞰できるようなことではない気がする。 そもそも、救済とい…
お爺さんの言葉。 人の一生は川の流れみたいなもんでな。 雪解け、湧水、雨雫が小さな流れになってゆく。生まれた頃のヨチヨチ歩きやな。 それが続いていって岩間を縫…
今頃はもうデリーに着いているはずだった。 午前のフライトに合わせ早朝に家を出て、ラウンジで朝食中に電話が鳴った。 母が心肺停止、という。覚悟はしていたが、突然…
父が肺がんとなって、数年入退院を繰り返していたころ、 仏壇屋に立ち寄ることがあった。一緒にいた自分にとって違和感があったのを覚えている。 その後、ホスピスへの…
人というのは、何かのプレッシャーとか願望とかがある方が、真摯に生きられる。 真摯に生きようとしていなくても、そういうゾーンに入ると真摯になっている。 それに向…
私が時間を過ごしているが、時間は私を相手にしているのか。 私が陽の光を浴びているが、太陽は私を相手にしているのか。 私が命を持っているが、命は私を相手にしてい…
阿弥陀如来は、無碍光如来(Amitābha Tathāgata)とも呼ばれるが、 無碍光は、何にも遮れない光、影を作らない光、どこまでも届く光をいう。 源信僧…
人間がその国の社会で積み上げてきた人類の叡智が、 社会システム、法規制、インフラ、運用、学術、組織、文化など 多くの現代の基盤に生かされている。 日本はそれで…
言葉というのは、実は怖いものだと思う。刃物にもなるし、 人を輝かせることもできる。言うことも、書くことも、言葉は 誰よりそれを発した人の業になる。業は結局、因…
教育というと、人は勉強と直結しがちだが、 本当に人が教えを通じて、まともな人間に育ってゆけば IQとか知識量とかでは測れない、品格が備わると思う。 別の言い方…
もうほとんど反応しなくなった母親に、 「あっとゆう間やったなあ」と言ったら、「そうやな」と口を開けた。 ずっと子供の頃からの記憶に母の姿があって、 ベッドで横…
今ある全てを削ぎ落としても尚、残る何か。 お金、家族、仕事、趣味、健康、未来、これら確かに全て我が身から消えてゆく。 今ではなくても、老いて、病んで、死期を迎…
現時点で、未来予測や史実に基づく洞察など生成AIは不正確な情報を出力しているが、 当然、AIなので学習をしてゆく。良質なデータとフィードバックから精度は指数関…
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12月31日、神社にゆく。お祈りも、お願いもしない。 ありがとうございました、とだけ小さく柏手を打ってお礼を言う。 1月1日。初日の出を拝みに桟橋にゆく。いつ…
全ての結果には原因がある。例外なく因と果が連綿と続く、と。 だが、結果になって初めて原因と言われる。 今の状態も原因があっての結果であるのだ。 今の自分という…
信じると言っても、かなり意味が違う。 お金を信じる、他人を信じる、組織を信じる、仲間を信じる、 何を信じるかで、自分が決まる。この時の信じるというのは、信用す…
なんぞ、目当てがあって仏教だの念仏だのに縋るのは、それは違う。 それは全部、自己都合や。解決とか救済とかの秘法にあやかろうという根性では 当てが外れたら、別に…
ご法話で「あんた、南無阿弥陀仏て何て聞かれてどう答える?」と問われた。 阿弥陀仏に南無します、では答えになっていない。 だから南無は、信じるとか、難しく言えば…
200年ほど前の山口県の小島に「おかる(阿軽・於軽)」という妙好人がおられたという。 こうも聞こえにゃ 聞かぬがましよ 聞かにゃおちるし 聞きゃ苦労 今の苦…
推しの仏様を選ぶようなことをしてはいけないよ。 大日如来より阿弥陀如来が良いとか、いやいや釈迦如来が一番偉いとか、 人間レベルで決めることではないよ。 例えば…
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念仏する、という。 見た目は、自分が「南無阿弥陀仏」と言うという行為に他ならない。 けれど、念仏は、出るもの。 自分が言うのではない、念仏がこの業にまみれた人…
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僧侶なら、悟るための修行をするのでしょう?と聞かれることがある。 していない、全く。 他宗のご法話でも、私たちは悟るために仏教をしているのだとかいうのを聞いた…
鴨長明「方丈記」を読んでいると、 方丈の庵に住む究極の生活は、自然に溶け込む生き方の達人のようであり 現代人が忘れがちなある種のASMR体験と想像するが、 精…
この自分自身、世の中の目先のことばかりが全てとなっているが故に、 死者と縁を持つ、というようなことは考えてこなかった。 死者といえば響きが悪いので、自分が生き…
御文にある高明な「白骨の章」。 蓮如さんが生きた1400年代から百年ほど前の存覚上人の「存覚法話」にある似たフレーズ。 おほよそはかなきものはひとの始中終、 …
猛暑、酷暑の日が続き、今年は10月に入ってもまだ真夏日がのこる。 危険な暑さというのは、報道されているし誰もがそれを感じている。 長年ゴルフをしていると、人間…
アジェンダといえば、会議の議題というのが通常の使われ方だが、 一般的な会話では、むしろ意図とか底意などのニュアンスがある。 あなたは、なぜそれをしているのか?…
あたりまえだけれど、仏教で言うところの罪というのは、 刑法とか、人間の社会システムで決めてある罪とは違う。 誰に罰せられなくとも、自分が一番知っている。 人を…
人間は、とかく比較をしたがる。 自分の方が知っている、自分の方が価値がある、自分の方が優れている。 自分そのものでなくとも、の帰属するもの、自分の持ちもの、自…
どれだけ仏教を理解したと思い込んでも、 どれだけ悟ったと実感が持てたとしても、 自分というのは、そのままの人間を続ける。 死を超越することもできなければ、老い…
母から表情がなくなった。 意識が薄い状態でいることが増えて、 食事も理解できていない様子で、少し痩せきたように思う。 アルツハイマーになって実家の一人暮らしが…
転生とか輪廻とか、ほとんど興味がないけれど、 生命である以上、DNAを引き継いで生きている。 直近であれば親のDNA。その親もまたその親もDNAを引き継いでい…
武田先生のご法話から。 1.死について 人間誰しも死という現象を認識している。これは人間だけであり、動物やその他生命には死の認知がない。 現象として死というこ…
人間は死ぬ。けれど人間は死ぬことを考えて生きていない。 当たり前だ。 死を実感した時、それを超越したくなる。 どういう考え方をすれば、どういう儀式をすれば、ど…
毎年元旦はここから始まる。 星がまだ残る藍色の空が、東の水平線からオレンジに変わってゆく。 低く棚引いた一朶の雲が、下から赤く照らされはじめ、徐々に雲そのもの…
阿弥陀仏がある、本願の力がはたらく、これは存在とシステムをいう。仏と法と言える。 この私が決めることでも、判断を下すことでもない。そういうものなのだ、で終わる…
古い友人とランチをした時、ふとそう聞かれた。「死んだ後も魂は残ってゆくのか」 魂って何だ?何でそこが気になるのか、と不思議な思いに駆られた。 魂とやらがあろう…
人を画一的、同質的なモノサシで値踏みしても、何も本質を見抜けないが 自分の半生を振り返ってみて、人間的な成長をどのように見ているかといえば、 肉体的には、老化…
十二支といえば、年の干支を連想してしまうが、 十二支縁起は十二因縁(Dvādaśāṅgika-pratītyasamutpāda)をいう。Dvādaśa:12…
ネット記事を鵜呑みにして、あれも陰謀これも陰謀というような 自分だけは騙されない、自分だけが気づいている、と思い込む滑稽な光景は、 情報の大衆化に伴って増幅さ…
南無阿弥陀仏とは「阿弥陀如来を信じる」という意味なんでしょ、と言われれば、 自分にはそういう意識が希薄であることに気付く。 多分、神様を信じるとか言うような「…
娑婆においては人間には格というが厳然と存在する。 有名人とか、お金持ちとか、そう言う尺度ではない。 人格や品格といった無形の属性と言っていい。 お坊さんにも格…
鳩摩羅什訳版の「阿弥陀経」は、玄奘訳版「般若心経」についで、広く読誦されている。 浄土真宗では枕経の定番でもあり、また仏事法事でも最も読誦されるお経と言える。…
浄土にて生命をもつ無数の存在があり、彼らは清らかな求道者であり悟りを求める心から退くことがないという。 又舎利弗 極楽国土 衆生生者、皆是阿鞞跋致 其中多有 …
阿弥陀経には三宝を記述したところが二箇所ある。 其土衆生、聞是音已、皆悉念仏念法念僧その土の衆生、この音を聞き已りて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念…
釈迦は浄土のの情景を描写するにあたって、そこに生まれたいと願うことが大切と説く。 一方で、少々厳しい言葉を添えている。善行をしたら浄土に行けるのかへの答えがこ…
仏教が、仏教である所以。それは釈迦以前にも多くの仏が存在したことに由来する。 釈迦は仏教の開祖とされているし、釈迦以前に仏教はなかった。 しかし釈迦はあらゆる…
浄土の光景を描写する釈迦の説法の中で、 修飾的な表現ではなく、そこにいる住人の生活とも取れる一節があり極めて不思議な情景がある。 其国衆生 常以清旦 各以衣裓…