シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『ロスジェネ心理学』“はじめに”を公開します

 
 首都圏では書店に並び始めているとの事なので、『ロスジェネ心理学』の冒頭パート6ページ(“はじめに”)を公開します。
 
 ※10/25現在、アマゾンでは完売御礼になってしまい、転売屋さんが湧いてしまっていますが、じきに補充される予定です。あるいは大きめの書店か、セブンネットなどでお買い求め下さい。
 
 



 
・「私達は、空前の豊かな時代に生まれたのではなかったのか。」
 
 1970年代〜80年代にかけて生まれた世代は、有史以来、どの時代の子ども達よりも物的に恵まれた“飽食の時代”に生まれ、育てられてきました。高度成長期は終わっていましたが、それはあくまで大人の世界の話。当時の私達(私もこの世代の人間なので、本書では1970年代〜80年代前半生まれの世代のことを“私達の世代”と書きます)子どもは、テレビ・ファミコン・ビデオデッキ・エアコン・子ども部屋・漫画雑誌といったものが子ども専用アイテムとして普及していく過渡期を身をもって体感した世代でした。
 
 “末は博士か大臣か”と親から期待され、厳しい受験戦争を戦った世代でもあります。勉強さえ出来れば立身出世できるという受験システムが、知識階級の子弟ばかりでなく庶民にまで認知され、出自や親の職業とは無関係に誰でも自分の夢に向かって突き進めるようになりました。
 
 では、未曾有の豊かさに恵まれた子どもだったところの私達は、どのような大人になって、どれぐらい幸福に生きているでしょうか。
 
 皆さんもご存知の通り、私達の多くは、幸せにも満足にもほど遠い日々を、のたうつように過ごしています。とりわけ経済面において「こんな筈じゃなかった」と思っている同世代人は非常に多いと思います。
 
 そして、単身世帯が増え、配偶率だけでなく男女交際そのものが減っているという近年の統計結果が示しているように、私達は親密な人達とあまり時間を過ごさなくなりました。孤独死問題がNHKスペシャル『無縁社会〜“無縁死”3万2千人の衝撃』で特集された時、年配者のみならず若年世代からも大きな反響が起こったように、孤独は間近な問題になっています。
 
 一昔前、「21世紀はこころの世紀」というキャッチフレーズを口にする人達がいました。「モノは十分満たされたから、次はこころを充たそう」、というわけでしょう。 ところが、現に迎えている21世紀はどうでしょう、「モノ(金銭)にも恵まれないし、こころ(親密さ)にも恵まれない」――そんな期待はずれの21世紀を私達は生きています。
 
 
・「どうして私達は、こんな風になってしまったのか?」
 
 本書のなかで私は、このクエスチョンの回答に相当するような、私達の世代が生まれ育った背景について、ひとつの視点を提供してみようと思います。そのうえで、これから私達が何をやれば少しでもマシな未来を迎えられそうなのか、今からでも出来そうな対応策は何なのか、紹介してみようと思います。内容的には、“私達”、つまり1970〜80年代前半生まれの人達にフォーカスを絞る形で進めていきますので、より年長・年少の世代には少し当てはまらない部分もあるかもしれません。しかしそれだけに「いまどきの30代・ロスジェネ世代のことがよくわからない」という人の参考にはなると思います。
 
 以下、各章についての簡単な紹介をしておきます。
 
 第1章では、現在の私達の生き様や価値観がどんなものなのか、ざっと眺めてみましょう。「ロストジェネレーション」とも言われるこの世代は、現代をどのように生きていているのか・何に執着して苦しんでいるのか、点検してみようと思います。
 
 第2章では、そうした「ロスジェネ世代」が困った有様になってしまっている原因について検討します。本書ではとくに、心理的な要因に重点を置いて、ロスジェネ世代のメンタリティが形成された昭和後期〜平成初期を振り返って由来を紐解いてみたいと思います
 
 第3章では、男女交際や結婚について触れてみます。私達の世代は、お見合いが盛んだった世代のように結婚できるわけでもなく、さりとて若い世代のようにメディアコンテンツで恋愛感情を代償していればOKと割り切ることも出来ない、微妙な恋愛観を抱えている人が多いように見受けられます。世代の端境期ならではの恋愛観・結婚観について考えていきたいと思います。
 
 第4章では、そんな私達の心理的問題について、精神分析の一派・自己心理学の「自己愛」に関するモデルを用いて解説します。自己中心的であること・自己実現を目指すことが与件として語られる現代人のメンタリティを理解するにあたって、自己愛というキーワードは避けて通れません。21世紀の自己愛はどんなもので、20世紀のそれとはどこが違うのか、説明します。
 
 第5章では、インターネットが普及した現代におけるコミュニケーション、特に自己愛を充たすためのコミュニケーションについて紹介します。ネットメディアを用いたコミュニケーションが心理的にどのような影響を与えているのか、そして特に私達の世代にとってどのように位置づけられるのか、考えてみます。
 
 ここまでは現状分析が中心で、ここからは今後の対応策について書きます。
 
 第6章では、コミュニケーションに苦手意識を持つ人に出来る事・やっておいたほうが良い事について考えてみます。コミュニケーションの上達は、どんなに素養のある人でも必ず長い時間がかかります。なので本書では、長期スパンでコミュニケーションの技能を身につける方法や長期スパンの人間関係を育む方法に重点を置きながら、個々人の社会適応の可能性について提言してみます。
 
 最後の第7章では、私達の次の世代のことについて書きます。私達が昭和後期〜平成前期に形作られたように、次世代の子ども達は今この瞬間に形作られています。次世代の育成を引き受けている私達に出来る事・やっておかなければならない事について、提言したいと思います。
 
 
・「なぜ、現役の精神科医が、こんな本をわざわざ書いたのか」
 
 かなり前から私は、現代人の苦しみがどういうものか、その苦しみがどこから生まれてくるのかについて考え続けてきました。その理由は、一精神科医として社会との摩擦に耐えきれなくなった人に沢山出会ってきたから、というのもありますし、私自身、学校生活に適応できずに不登校を経験し、社会に出てからもコミュニケーションで散々苦労したから、でもあります。とにかく私は、社会適応がこれほど難しくなってしまっている世の中に、納得いかなかったのです。
 
 精神科医になって間もなかった頃の私は、こうした現代固有の苦しみやこころの問題について、書籍や論文を調べてまわりました。しかし、現代精神医学はこうした問題に対して多くのことを語ってくれません;なぜなら、現代精神医学は「どういう症状の人を何と診断するか」「精神疾患をどう治療するか」には研究熱心でも、「現代社会固有の苦しみとは何か」なんて話にはそれほど熱心ではないからです。
 
 例えば、発達障害の診断と治療については多くの論文が書かれていて、日々進歩しているという実感があるのですが、「なぜ、現代というタイミングで発達障害が障害としてクローズアップされるようになったのか」「なぜ、発達障害な人が生きにくい時代になったのか」といった問いには、現代精神医学は饒舌ではありません。ですから、診察室の外で悩んでいる人向けのヒントや、メンタルヘルスを損ねやすい社会全体をまなざすためのヒントを現代精神医学に期待してもしようがないな、と私は思うようになりました。
 
 一方、古い時代の精神分析家――フロイトやE.エリクソンのような――は、こうしたヒントになりそうなエッセンスを色々書き残していて、それなりに参考になりそうな様子でした。ところが古い時代の彼らは、それぞれ自分が生きていた時代・地域を前提に文章を書いているわけで、それを現代日本にそのまま当てはめるわけにもいきません。例えばフロイトは19世紀のヨーロッパ、エリクソンは20世紀中頃のアメリカの人であって、21世紀の日本を見聞しながら文章を書き残したわけではないのです。
 
 日本の有名な精神科医の本にしても、生まれ育った時代や世代が違っているわけですから、見え方や書き方には、それぞれ時代固有のものがあると思います。和田秀樹さん(1960年生)や斎藤環さん(1961年生)といった精神科医にしても、団塊ジュニア世代とは十年以上の年の差がありますし、団塊ジュニア世代以降のメンタリティについて、同世代の精神科医が何かをまとめて語っているさまを私は見たことがありません。
 
 ですから私は、この時代を生き、精神医療にも関わる当事者の一人として、私達の抱えている問題と解決案について書いてみたいと思い立ちました。良くも悪くも、私は不登校を経験し、復学後もゲームやインターネットに耽溺し、社会に出てからコミュニケーションの困難さに苦しんだ人間です。そういう当事者兼精神科医から見た現代社会の問題・現代固有の苦しみについて、精神医学や心理学の知識を借りながら、紹介していければと思います。

 『ロスジェネ心理学』“はじめに”、以上――


 ※引き続いて【第一章】がスタートします。各章一覧はこちらをご覧ください。
 

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

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