親が「死んだ後の話」をするようになった。

空港に僕を迎えに来た父の腕は、枯れ枝のように細くなっていた。
小さい頃、丸太みたいな腕で、殴られたら死んじゃうんじゃないかと恐れていた父さんの腕が、今では見る影もない。

「空港に車で迎えに来てほしい」

と頼んだのは初めてだった。

いつもは地元に帰ると友達と遊びに行ってしまい、親とゆっくり話す時間がなかった。

今回は予定をなるべく入れず、家族と過ごそうと思った。
車に乗りながら話をしたかった。


家に帰ると、祖母の頭が真っ白になっていた。
前はもう少し黒染めしていたのに、全身から色素が抜けているようにも見えた。

最近飼い始めた新しい犬が、僕を見て吠えた。
家に帰って犬に吠えられるのは初めてだった。

前に飼ってた犬は、僕が家に帰ると全力でしっぽを振って寄ってきて、舐め回してきたのだけれど、どうも今の子には他人扱いされているらしい。


実家の周りを散歩してみた。
周りは何もなかった。

地元がこんなにも田舎であることに、改めて驚いた。
住んでいた頃はそれが当たり前だったのに、東京から帰ってくるとこんなにも暗く感じるのか。

8時を過ぎると、パチンコとコンビニ以外の商業施設は何も営業していなかった。

道が暗い。

コンビニの店員が日本人であることに安心する。
東京ではコンビニ店員はほとんど外国人だ。

暗い道をポケモンをやりながら歩いた。
ポケストップはほとんど立っていなかった。少なくとも、僕の実家の周りには。

家に帰って、実家の味噌汁を飲んだ。
懐かしい味がした。

テレビを見て、嫌がる犬を散歩に連れて行き、実家の風呂に入った。
僕が使っていた歯ブラシは、綺麗なままで洗面所に置かれていた。

夜に親と少し話をした。
何がきっかけだったのかは覚えていない。

とにかく、僕は母親の部屋で、他愛もない世間話をしていた。

すると、母は突然言った。

「私がもし死んだら」

「大事な書類は全部ここにあるから」

棚の奥に閉まってある箱を出しながら言う。

「これが生命保険で、これが貯金通帳」

ちょっと待って。
なんで死んだ後の話なんかしてるの?

「何があるかわからないから」

「死んでも、XXには迷惑がかからないようにしてあるから」

迷惑なんていくらでも掛けてくれていいのに。
俺が今までどれだけ迷惑かけたと思ってるんだ。

話を聞いていて、途中から目が回るような感覚に陥った。


「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」

なんて、昔流行った文章を思い出した。
ノルウェイの森だっけ?

一部として存在している死を、親がいない世界を、想像することができなかった。
いつか来るであろう未来、なんて言葉が空回りして、そんな未来なんて全然イメージできないし、あまり考えたくもない。

こんなことを書いているとマザコンみたいで恥ずかしいけれど、それでも僕は、中学のときは不良を志し、親に反抗するのがカッコいいと思っていた。
あの頃は家に帰ると当たり前のように家族がいて、不良を目指して悪さをするたびに叱られ、そのたびに反抗してきた。

「うるせえ!俺のやることに口出すんじゃねえ」

今は東京で仕事をして、電車に乗って一人で家に帰り、家には誰もいない。

地元にいつも帰れるわけではないから、家族と過ごせる時間は実はもうそれほど多くはないのだ。
叱られることも、たぶんもうないだろう。

よっぽど変なことをしない限りは。
あるいは、この下ネタばかりのブログがバレない限りは。

親が年を取った。
その現実を、事実を、なるべく考えないようにしてしまっている自分がいる。


自分に何ができるだろうか。
何をするべきなのだろうか。


なんて考えてながら、昔読んだことのある文章を思い出した。

「伯兪泣杖」

息子が子供の頃、いたずらをすると母に叱られ叩かれた

成長した息子が 久しぶりに故郷に帰り
母に また 叱られた

その時、子供の頃のように母が息子を叩くと
息子が 泣きだした。

母は、「そんなに痛かったのか?」
と聞くと
息子は 「痛くて泣いているのではありません。痛くないから泣いているのです。」と答えた。

息子は はじめて母の力が弱く
こんなにも歳老いてしまったのかと涙した。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11155673331

親が歳を取っていくことを肌で感じてしまうのは、悲しく、寂しい。