美術史は歴史修正主義のカタマリ

ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥)


だんだん記憶が蘇ってきたので、トークイベント実況Togetterに拾われてない自分発言を、若干言葉を補いながらメモしておきます。


「歴史修正主義*1と言うと政治の論争になるのだけど、アートはむしろ歴史修正主義のカタマリ。というか、それまでの歴史を誰がどう書き換えそれを「正史」とするかの、闘争の歴史だった。たとえば椹木野衣企画の『日本ゼロ年』展(1999〜2000、水戸芸術館)は「リセット」を謳って、現代アートの村上隆、会田誠など(奈良美智の名を出したけど入ってなかったですね、すみません)から岡本太郎や横尾忠則、そして成田亨でしたっけ‥‥(すかさず速水・斎藤両氏から「特撮の怪獣の‥‥」とフォローあり)まで入れていた。アートからサブカルまで横断的に。でもラッセンはそこから漏れていた」*2


ここから補足。
『日本ゼロ年』展にラッセン(やヒロ・ヤマガタ)が入っていなかったこと。これは展覧会に「日本で活動してきた日本人作家」という枠がある限り、仕方のないことかもしれない。「日本人」はもちろん、「作家」に重点を置いても‥‥(キュレーターが)ラッセンを「作家」「アーティスト」と見なさない限り‥‥ラッセンは入ってこない。
アートは「外」に領域拡張しつつも、作家という表現主体を中心として見る作家主義は、アートの言説に深く根を降ろしている。「ラッセン展」およびラッセン本はそこに疑問を投げかけるものでもあったと思うので、このあたりをトークで展開できなかったのがやや心残り。


ところで90年代を中心にした前後合わせて20年くらいは、アートでは新しいコンテクスト構築とその破壊、再接続が盛んに行われた時代だった(ちょうどこの時期に私はアーティスト活動していて、その流れの中にいた)。*3
森村泰昌が90年前後にBTだったかのインタビューで「「もの派」ってのはなかったことにしようと思った」と語っていたのを覚えている。「もの派」の記憶がある限り前に進めない‥‥といったニュアンスだった。
今でこそアメリカで大々的に回顧展が開かれるまでになっているが、70年代の日本の現代美術シーンを席巻した「もの派」は80年代後半から90年代以降、ほとんど再評価・批評の対象になっていない。通史的言説に登場するのを除いては、むしろ積極的に忘れられていたと言ってもいいのではないかと思う。*4


美術史に限らず、歴史は「上書き」されるものだけれども、美術史ではそれが顕著だ。美術の「歴史修正主義」においては、あったことを全然なかったことにはしないが、重み付けはかなり変わる。そこで行われているのは意図的な「記憶喪失」と「記憶の捏造」(もちろん記憶とは捏造されるもの)。「歴史修正主義」は美術においては批判されるべきことではなく、「新たな視点の導入」「新しいアートの見方」として歓迎されることが多い。
そういうところに関わってきたアート業界の特にメディアの人々は、ラッセン本収録の大山エンリコイサム氏のすばらしくアクロバティックなエッセイ『日本とラッセンをめぐる時空を越えた制度批判の(ドメスティックな)覚書(「エピソード」と振り仮名)』を、大笑いしつつも若干青ざめて読まねばならないのではないか。


最近、通時的な美術観は後退し、共時的(あるいはジャンル横断的)な美術観の方がウケがいいようだ。だがそれもそのうちやり尽くされて、原田裕規氏の言う「ごく真面目に「絵に向かおう」という態度」だけが残るのかもしれない。そこでは「記憶喪失」は当たり前のことになる。
それを押し進めれば、美術のコンテクストなど全然知らない、「記憶喪失」どころか「記憶」そのものがないラッセン・ファンのような立場に、誰もが立つべき‥‥ということも言える。*5


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最後に、速水健朗氏の以下の問い(Togetterより抜粋)にちゃんと答えてなかった気がするので。

ラッセンはまだ質が良いイルカの絵だから批評の対象になる。文学では、ラノベ、携帯小説が出てきてだれでも書ける状態になり、質の悪いものが溢れている。そして批評家はいるのだが、それを無視して市場でそれが売れ、買う状態が出てきた。そのような文学の状態もアートであるのではないか?
つまり誰もがアートを作り、質の悪いアートが出てきて、そして買われるという


誰もがアートを作り、アーティストと名乗り、結果、粗製濫造っぽい状況があるのは確かだと思う。そういうものが、市場でどこまで売れているかはわからない。たぶん市場に出る前に大半が淘汰される程度の淘汰機能は、まだ残っているのではないか(片岡鶴太郎の売れ具合とか見てるとそうでもないか)。結局、アート、美術と名指されたもの全体を見れば、そこにあるのは玉石混合としか言えない。
印刷されて市場に出回る文学と違い、アートは一点ものであることが多く、美術館や学校という制度に守られて「権威」づけもされているので、ブランド商品的側面はいまだにしっかり持っている(名も無いアーティストの作品に数十万円払う人は滅多にない)。そこが、複製を前提とするがゆえに比較的安価で作品が手に入るジャンルと、同じように論じにくいところ。
歴史を書き換えるくらいの勢いのアート批評は後退した。一つには、歴史が循環していることが誰の目にもわかるようになってきたから(それを知らないで自分の作品を「これまでにない新しいもの」として提示するとバカにされる、というのがちょっと前まであった)。もう一つは批評というもの自体が読まれなくなってきたから。
同時に、「これからこの人売れまっせ〜(これが一番いけてるアート!今がお買い得!)」的な情報が幅を効かす雰囲気が、この10数年で高まった感じはある。もっとも、もともと資本主義的ブランド商品として位置付けられていたアートの「身分」からすると、ある意味「本来の姿」がはっきり見えてきたと言えるのかもしれない。
消費主義的な流れを憂えたり抵抗したいと考えるのは「健全」だけれども、たぶん行き着くところまで行くんだと思う。もうこうなったら誰にも止められないのだよ‥‥的な感じで。なので「あとは野となれ山となれでいいんじゃないか」と煽り気味の発言をした。しかしナウシカは現れるだろうか。


(あと、何か思いついたら加筆します→続きはこちら)

*1:これ、Togetterでは「歴史修正主義」ではなく「歴史闘争主義」になっていますが、私が発した言葉は前者です。

*2:これはラッセン本鼎談で、中ザワヒデキ氏が自身の立ち位置と「ヒロ・ヤマガタ問題」というテキストについて、(『日本ゼロ年』展は)「ウルトラマンとかサブカルチャーの系譜からはいろいろなものを引っ張って来たり、微妙な位置にいる横尾忠則を入れて来たり、そういうことは手落ちなくやってるんだけど、ヒロ・ヤマガタ派は入っていなかったんです。そこは周到に排除しているんじゃないか、という批判の意味もありました」というかたちで言及していることを受けている。

*3:近代以降のアーティストの課題は、既成のコンテクストの「批判的継承」(「継承」より「批判的」に重点)ないしは「切断」(リセット)にあった。大雑把な言い方になるが、日本人アーティストで「批判的継承」をしている人の代表は岡崎乾二郎、「切断」した人の代表は森村泰昌(別のラインに接続)、村上隆は一見「切断」の人に見えるが、実は両方をもっともわかりやすいかたちでやった。

*4:例:戦後日本の美術史のエアポケットに入り込んでしまっている80年代の現場についてのシンポジウム。

*5:この態度は、アートのコンテクストをある程度知っている観客からすれば、究極の「リセット」(リセットし続けること)とも言えるもので、だからトークでは「原田さんの言う、個々の作品単位に還元して見るというのは、今までの(美術内の文脈云々の)見方をひっくり返す(「放り出す」が近いか)わけだからそれは実はすごいってかヤバいことなんです」と言ったのだけど、説明不足だったかもしれない。そして、美術教育についての質問に「さっき言ったことと矛盾するようだけど」と前置きしたのは、「学校では美術についての見方(教養)を教えるべき」と答えたからだ。まとめると作品体験とは、いくら美術の教養やコンテクストについての理解があっても、作品に対面した時にそれらが吹っ飛ぶ(=記憶喪失になる)ような体験であるべきだし、そういうものしか残らないということ。