考えの整理

 

宣言通り振り返りをぬるぬるとやっていこうと思いますよい。

 

今週の範囲は、2013年の記事全体です。

10月の途中くらいまでの記事をカテゴライズして回ってたんですが、

このままだと日が変わっちまう! ってことでとりあえず書き始めることにしました。結局間に合わずに途中更新をいれることとなってしまいましたが…。

 

 

始めた頃はやっぱり文字数が少なくて、

300字以内に終わるものがざらにあるなあという印象でした。

今は最低でも600~700文字くらいは書こうとなんとなく思っています。

 

あとは家族にまつわる話や、翻弄されて精神的に参っている記事なんかもちらほらあって、むしろ今よりも自分のことをあれこれ書いていたんだなあという気がしました。2014年に入ってからの記事を見なおさずにこういうことを言っているので、もしかすると似たようなもんかもしれませんが。

個人的には、就活がいよいよ始まるぞーくらいの時期のやだなあ感丸出しの記事が読んでいて面白かったです。いや無事終わってほんとよかった。

 

 

記事を一個一個見ていくと、

「インプットが大事だよという話」で、

この間の8月に書いた「受験と人生の方法論」の下敷きになるような話をしていたりとか、「世代間交流」や「見た目が同じでも味が違う料理ってあるよねという話」、「最後に残るのは空かもしれない」あたりでずーっと何かしらの共有にまつわる話を書いてるのが印象的でした。

 

共有に関しては、「自分は自分、人は人」を書いたのと大体同じ動機から、書きました。なんかもっとみんな余裕持とうぜっていう。

そんなに排他的になるなよっていう。もっと人と、人として付きあおうぜっていう。

 

「お金と人と」は、もともと人の気持ちは金で買えるのかどうか、みたいなところで考えてたんですが、最近になって、共有と似たようなところに関心があるんだなと気づいたりもしました。

 

社会なんか人と人との繋がりなくして成り立ち得ないはずなのに、

それがなくてもお金さえあれば生きていけるぜみたいな価値観が少なからず横行するに至った原因はなんなんだろうかというところです。

 

人との繋がり、共有物なくして、それを良しとしてしまえるような価値観は、どういった経緯で生まれてきたんだろうかっていう。

 

だから、共有に端を発する問の、一番底の部分がこのお金にまつわる話になるんじゃないかというのが、今のぼくの考えです。

 

そこらへんに関することを明らかにすることが、今の自分のやるべきことだと思っています。

 

人が人を監視したり揶揄しあったりするんじゃなくて、

支えあって認め合うような方向に世の中がなっていきゃーいいんですけど。

 

明日からはいよいよ人生で最後の学期が始まります。

学生の間にしかできないアプローチもあると思っているので、

残りの学生生活を有意義に活用しちゃうぞ~という覚悟の下頑張ります!

 

 

 

 

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