何かを書くということ

 

結局のところ書くことがないから書けないのだと思っていました。

 

でも本当はそうじゃなくて、書いてまで人に伝えたいようなことが、単に自分の中になくなってしまったということなのだとわかりました。

 

生きていれば嬉しいことも嫌なことも、それは人並みにあるけれど、それはこれから先どこかで人生を振り返った時に、到底思い出しようもないほど些末なことなのです。

 

歳を取ると時間が経つのがあっちゅー間に感じることにもジャネーの法則という名前がついていますが、きっとそうなってしまうのは、振り返った時に"くちゃっとなる時間"が、大人になればなるほど増えるからなのだと思います。

 

人生の壺の中に、塵芥ばかりがつまっているんじゃあしょうがないので、その中に少しでもいいからキラキラした何かをちゃんとしまっておきたいなと感じます。

 

今日は大学時代の先輩が、母校の大学のライブに出演するということでそれを見に行ってきました。

 

ぼくたちが入った頃にはまだぴよぴよとしていたサークルも、人が増え、組織化され、なんだかとてもちゃんとしていました。

 

何人か卒業生も見にきていて、話してみるとそれぞれに社会に出て何かをしているみたいでした。(当たり前だけど)

 

ぼくは社会人になってからというもの、もうかれこれ数年経つにも関わらず、後輩というものができたことがないので、 先輩! みたいなのは学生の頃の文化になってしまっていて、そういうのも含めて懐かしい気持ちです。

 

既に自分が去ったものが、立派に自律しているというのはとても奇妙な感覚になる一方で、

先輩や後輩との関係性のような変わらないものがあることの心地よさが、今日、書いて残して置きたかったことなのでした。

 

 

心の食指が動けば、歩きながらでも1000文字近い文章が書けることがわかったので、こうして書いて残したいと思えることに多く触れたいなあと思います。

 

そう考えると大学時代はすごかったな?

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