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「私を完全に狂わせた」落合博満43歳vs日本ハム名将の不仲説…「屈辱のスタメン落ち、戦犯扱い」それでも落合が43歳でマークした“誰にも破られていない記録”
posted2024/12/30 11:17
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が3刷重版と売れ行き好調だ。
1996年オフ、43歳になる落合博満は巨人を電撃退団する。「巨人軍vs.落合博満」その後の物語。あまり語られていない日本ハム時代の落合……なぜたった2年で現役引退したのか?【全3回の後編/前編、中編も公開中】
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「リズムを完全に狂わせた」監督への不満
安打を積み重ね打率3割をキープする落合だったが、誤算もあった。長打が激減していたのである。本塁打は4月20日の2号アーチ以来、2カ月以上も音なし。6月12日のオリックス戦で中前タイムリーを放ち通算1522打点目を挙げ、当時歴代5位の長嶋茂雄に並ぶも、55試合で19打点目と四番打者としては寂しい数字が並んでいた。実はその裏には、阪急時代に5度のリーグVと3度の日本一を勝ち取った、名将・上田利治との野球観の違いがあった。試合終盤に代走や守備固めを送られる起用法に対して、落合は「野球におけるすべてのリズムを完全に狂わせた」と強い違和感を覚えていたのだ。
「もちろん、パワーやスピードは年齢を重ねるに従って衰えていくが、試合の流れをつかむ感覚や勝利を呼び込む大切な場面でのプレーには磨きがかかっていくのだ。だから、シーズンの135試合、1試合では9回の表裏までグラウンドに立ち続けることができる体力と精神力は身につけているのである。そして、シーズンを通して安定したプレーをするのが私のリズムであり、私が一流と評価された中で獲得した野球観である」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)
「俺の3億円は、全試合に出てこそ…」
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一方で上田監督からしたら、43歳の大ベテランに適度な休養を与え、故障離脱だけは避けたい意図はあっただろう。だが、「俺がもらっている3億円というのは、俺が4番を打って、全試合に出て、それなりの成績を残す技術に対してもらっていると思う」(Number285号)と考える落合には合わなかった。6月下旬には早くも息切れを感じさせる失速ぶりで、若い投手の145キロの直球に押され、ホームラン性のあたりはことごとくフェンス手前で失速。巨人ではほとんどなかったデーゲームへの適応にも苦しんだ。やがて落合の打率は2割台中盤まで落ち込み、日本ハムもV戦線から早々に脱落していく。
「左翼スタンドへのいい当たり、それがオレの夜明けであり梅雨明けだ」(週刊ベースボール1997年6月30日号)