この本の著者は米Athens州立大学の文理大学長 兼 歴史学の教授ということ。言うまでもないが、この本で似非歴史という言葉の原語はpseudohistory、つまり、私が<類似歴史学>と呼んでいるそれである。
この本には興味深い話が多い。さらに、専門学者が出鱈目な歴史で大衆を惑わす行為に対し、どうやって断固とした声を出すのかということもしっかり言及している。序文からして頷かざるを得ない話が多いが、特にこの部分が秀逸だ。 似非歴史家たちはテレビのメロドラマに出る弁護士のように、論理の展開過程で可能性と蓋然性の境界をあやふやにしてしまう傾向がある。両方には厳然とした違いがあるというのにだ。「あることが可能だ」というときは、そんなことが起きたか起き得るが、実際には発生が難しいということだ。反面、「あることに蓋然性がある」というときは、起こったか起こり得る可能性がとても高いということだ。したがって、明日、誰かが私に宝くじを買ってくれるなら、億万長者になることは可能なことだ。反面、明日が平日なら、私が学校の事務室へ出向き研究をすることは蓋然性のあることだ。同様の論理で、中国探検家たちがアメリカ大陸に訪れそこに植民地を建設しながら一方で船に乗り地球を一周していた可能性はある。しかし、入手可能な信頼に足る証拠を基準にすれば、そうであった蓋然性は殆どない。 ロナルド・H・フリッツェ教授は、擬似歴史学についてこういうふうにも述べている。 歴史学者たちは解釈をめぐっていくらでも意見を違えることがあり得る。(中略)しかし、殆どいつもの場合、基本的な事実は論争の対象になり得ない。(中略)反面、似非歴史家たちの論争は、たいてい基本的な事実をめぐって繰り広げられる。ある事件があったのか、なかったのか?ある場所が実際に存在したのか、存在しなかったのか? 私は昔、イ・ユリプ(李裕岦)の子孫が<桓檀古記>を創作物と認め、著作権を主張するなら、ずっと多くの金を稼いだだろうと冗談を言ったことがあるが、この本ではそのようなことが実際に起きたことが記されている。 ダン・ブラウンの<ダヴィンチコード>は6千万部以上売れた超大型のベストセラーだが、この本にアイデアを与えたことに間違いない<聖血と聖杯 The Holy Blood and the Holy Grail>を書いたマイケル ベイジェント、リチャード リー、ヘンリー・リンカーンは、自分たちの著作権が侵害されたことに憤慨し、本を出したランダムハウスを相手に著作権侵害の訴訟を起こした。イギリスの法廷でのことだ。 しかし彼らは裁判で負けた。それは、自分たちの本をノンフィクションだと主張したためだ。ノンフィクションの本を小説家が参考にすることは著作権侵害にならないという判決が出たのだ。彼らは控訴までしたが敗訴し、6百万ドルを賠償しなくてはならない境遇に置かれたという。彼らが自分たちの著作が小説だったと主張したなら結果は変わっていたかもしれない。 似非歴史学について話すことを躊躇する人々が多い。しかも、間違いを指摘する人に対し、中立を装って嘲笑を浴びせる人も多い私たちの社会からすれば、たとえ海の向こうからでも、こういう本が出てくれたことがありがたい。 1970年代末から、ホロコースト(2次大戦のとき、ナチスドイツが犯したユダヤ人大虐殺のこと)を否定する現象が表に浮上しはじめた。1990年代になっては、ホロコーストを否定する者たちの攻撃性が、多くの学者たちが憂慮を表すほどに酷くなった。1991年12月、米歴史学協会評議会は協会レベルで特定の歴史的事実を保証しないという長年の掟を破り、短いが強力な決議案を採択した。こういう内容だった。「米歴史学協会は言論に報道されたホロコースト否認の試みを強く糾弾する。ホロコーストがあったという事実を疑う真面目な歴史学者はいない。」 わが国も1970年代から類似歴史学がはびこり始めた。そして1980年代には学者たちが恐れるほどに酷くなった。(中略)この問題が酷くなるとイギベク(李基白)教授は問題の根本的解決のために<韓国史市民講座>を作った。しかし2005年に出た<韓国史市民講座>37刷の<イギベク先生1周期追悼座談会>では類似歴史学の問題については一言たりとも語られなかった。嘆かわしいことだ。 本の話に戻ろう。ホロコースト否定論は法廷にまで飛び火した。イギリスの作家デイヴィッド アーヴィングは米国エモリー大学の歴史学科リップシュタット教授がホロコースト否定論を論駁しつつ自分を名指したことに憤慨し、イギリス法廷で名誉毀損の訴訟を起こした。訴訟にかけられたペンギンブックスは積極的にそれに応じ、アーヴィングは裁判で負けた。 この結果、アーヴィングはオーストリアでホロコースト否定のせいで逮捕され10ヶ月間服役することになるが、おかげでアーヴィングは「迫害される殉教者」のイメージを得るという驚くべき成果を上げた。これがまさに、いくら出鱈目な主張にも表現の自由を与えるべき理由の一つだろう。 この本については一つの記事では語りつくせないので、この国の似非歴史学を相手にした末に本まで出版することになった私の涙腺を刺激する部分を一つ紹介しつつ、記事を終えたいと思う。ヴェリコフスキーという擬似歴史家についての話だ。 ヘンリー H. バウアーはヴェリコフスキーを徹底解剖し、その虚構性を明らかにすることが完全に可能だということを証明した。残念ながら、その過程はとても退屈で、確認と執筆に多くの時間を費やすしかない作業だった。読み手にとっても退屈であることに変わりはなかった。 - 韓国語版の書評…もとい、紹介記事の訳です。原著はこちら。 元々は青文字に韓国版におけるページなども記されていました。 (レビュアーの著作はこちら。韓国の擬似歴史徹底批判本です) #
by no_moyan
| 2011-01-08 10:07
北朝鮮専門家のアンドレイ・ランコフ氏が今回の延坪島事件の後に書いた短い論文(原文リンク)を韓国のCreteというハンドルネームの方が韓国語に訳してくださいました。(訳者曰く、かなり強引に要約した部分が多いとか)それをさらに日本語訳したのが以下の文章。そのため元の表現との差異が激しい部分があるかも。ご了承下さい。(強調はCrete氏による)
THE YEONPYEONG ISLAND INCIDENT: WHY IT HAPPENED, WHY NOTHING CAN BE DONE, AND WHAT TO EXPECT: SOME THOUGHTS. 延坪島事件が発生すると、国際言論はすかさず「戦争間近(On the Edge of War)」というヘッドラインで記事を出した。このような書き方は販売部数や広告売上を伸ばしてくれるだろうが、「内容」において正確な記事とは言えない。なぜなら韓半島で戦争が起きる可能性は本当に微々たるものだからだ。しかし、今回の延坪島事件はわれわれが今まで経験し得なかった新たな形の終わりのない「北朝鮮発危機」が始まったことを示唆する。 More #
by no_moyan
| 2010-12-06 22:24
数日前、ソウル西大門区一帯と麻浦区の新村にまで貼られた広報物を見て人々は唖然となった。G20首脳会議(以下、G20)期間に生ゴミの排出をやめてくれという西大門区庁のポスターは瞬時に強い反発を呼び起こした。「世界が注目しています」という標語に対し、市民は「だからご飯も食べるなということか?」と言い返した。 ハンギョレが報道したこのエピソードはG20をめぐる社会的不一致の端的な顕れである。国家にとって重要な行事だと声高に広報してはいるが、当の市民はそれがなぜ必要で、なぜ不便に耐えなくちゃいけないのか納得できずにいる。民心が天心という言葉があるが、今のように当局と市民の声がズレている状況を望ましいとは言いがたい。 More #
by no_moyan
| 2010-11-09 08:54
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