「ゾーンというあまりに過酷な世界を生きる」という手触りが、どうしようもなく魅了する
さて、STALKER2について……というかSTALKERシリーズについて思い出したり考えたりするとき、どうしてもひとつだけ、避けられない問いがある。それは「このゲームって本当に面白いのだろうか?」という問いだ。
正直なところ、この問いはなかなか厳しい問いである。「あなたは何が面白くてこのゲームを遊んでいるのか」と聞かれると、わりと真剣に悩む。
当然だが、面白くないというわけではない。面白くないなら、途中でプレイを放りだしているだろうから。だが最初に指摘したように、ものすごく新しい体験があるわけでもない。S.T.A.L.K.E.R. : Shadow of Chornobylの頃はゲーム世界自体がかなり新しい体験ではあったが、さすがにSTALKER2となるとその衝撃もなくなっている。
おそらくこの答えは、プレイヤーごとに大きく違うのではないかと思う。本作はそれくらい、大量の要素が詰まっている。またそれぞれの要素が、独特の……あるいは癖の強い……魅力を持っている。ストーリーはおそらくその筆頭で、STALKER3部作を愛してやまないプレイヤーはどこまでも深くハマれるはずだ。たぶん。
もう少し一般的な趣味趣向に向かって球を投げるなら、「廃墟好きにはたまらない」という評価は可能だろう。廃墟マニアにとってみれば、本作は「無限にヤバい廃墟に遭遇し続けるゲーム」だ。しかも現実なら危険すぎてとても踏み込めない廃墟にも、バンバン潜入できる。
筆者の場合、判断に苦しむところではあるが、「ゲームで描かれている世界と人間たちに魅了された」ように思う。
STALKERシリーズで描かれる世界は、原則的に人間が生きるのに適さない世界だ。歩いているだけでミュータントや動物は襲いかかってくる、野盗は襲いかかってくる、敵対派閥は襲いかかってくる、ガイガーカウンターはやかましく鳴る、腹は減るがまともなメシはない、アノマリーを踏んで燃えたり痺れたりするなどなど、とにかく快適さから限りなく遠い。
またゾーンを闊歩している人間も、だいたいがロクな人間ではない。基本的に「温和」とか「穏やか」とかいった属性は持っておらず(そういう属性持ちはそもそもゾーンに来ない)、善意はかなりのレア資源だ。
だがこの荒廃した世界には、「世界がそこにある」という、じっとりとした手触りがある。そしてゾーン内での振る舞い方を覚えていくにつれて、「自分はこの世界に生きている」という感覚が生まれてくる。
それは決して、何か怪しいなと思ったら無意識にボルトを投げるようになったり、死体を見たら反射的に漁ったりするだけではない。
遠くから聞こえてくる激しい銃撃戦の音を聞いて咄嗟に姿勢を低くし、自分のほうに飛んでくる弾丸がないことを知った瞬間、「しめた」と思うようになったりもする(なぜならその銃撃戦の音はおそらく敵対する2つの派閥の小集団による戦闘であり、一方が全滅したあたりで襲撃すれば漁夫の利を得られるから)。
それがゾーンで生きるということだと、自分の中の何かが理解するのだ。
またゾーンは果てしなく過酷で、人間はどうしようもなく脆いという現実が、ほぼ全編に渡って揺るがないというのも、「生きている」感を強く与えてくれるように思う。
ゾーンの中で、プレイヤーキャラクターは、実にあっけなく死ぬ。NPCもまた、あっけなく死ぬ。なぜなら彼らは、生きた人間だから。死ぬからこそ「生きている」ことが実感できるというのは、いわゆる死にゲーでもあまり感じない、独特の体験のように思える(STALKERシリーズは死にゲーではないのかというツッコミは受け付けないものとする)。
ともあれ筆者の場合、STALKERシリーズで描かれる世界と人間がたまらなく好きなため、クエストマーカーを目指して荒野を歩いているだけでも、かなり楽しい。
本当に楽しいのかと言われると、どちらかというと不快なことがたくさん起きるのでこれまた答えに詰まるのだが、たぶん、楽しんでいる。STALKER2をプレイして「ゾーンではこまめにセーブする」癖が復活したので、楽しむに至るまでに様々な心の動きがあったような気もするが、過ぎればそれも良い思い出である。
ちなみにこの「ゲーム内で描かれる世界で生きている(ないし最低でも、その世界の旅人になっている)」という感覚は様々なゲームで得られるが、STALKERシリーズにおける世界の手触りは、あくまで個人的には、「クーロンズゲート」のそれに近いように感じる。奇妙かつ強烈な欲望が入り乱れる猥雑な九龍城を彷徨い続けたときのことを、STALKERシリーズは思い出させてくれる。これはつまり、「万人向けではない」ということを長々と書いたに過ぎないとも言えるのだが……。
「ゾーンに魅入られた人間は、ゾーンの中こそが世界だと感じるようになる」
だいぶ散漫になったが、以上が筆者がSTALKER2をプレイして感じたり、思い出したりした体験である。
シリーズのどこかで「ゾーンに魅入られた人間は、ゾーンの中こそが世界だと感じるようになる」的なセリフを聞いた記憶があるが、この言葉はSTALKERシリーズの体験を端的に言い表しているように思える。
ゾーンの中はどこまで行っても世界の果てのような荒廃した風景で、そこに生きる人間は汚い欲望をむき出しにして殺し合う。だからこそプレイヤーは垣間見えた希望や美徳に心を揺さぶられるし、一方で幾度も幾度も「最悪の底を漁れば、もっと酷い最悪がある」ことを見せつけられる。
STALKERシリーズで得られる体験は、決して見通しが良いものではない。シリーズに精通したプレイヤーであっても、「何が何やら」と思う瞬間は、けして少なくないのではないかと思う。
だがSTALKER2の根底は、シリーズ最初の作品となる「S.T.A.L.K.E.R. : Shadow of Chornobyl」と変わらず、シンプルであり続けているように思う。「この物語は、欲望の物語だ」という点は、揺らいでいないのだ。
ゾーンでは、イデオロギーや、「物語のお約束」は、力を持たない。人間の欲望と欲望の衝突こそが、ゾーンを揺るがす。それはときに個人の小さな願いとしか言えないものでもあれば、いたって世俗的な欲望のこともあるし、「世界はかくあってほしい」という壮大な欲望であったりもする。
だが結局のところ、それらは等しく「人間の欲望」でしかない。薄汚く、弱く、脆い、人間の欲望でしかない。だからこそそれらは醜く、だからこそ崇高で、だからこそ儚い。
最後に、困難な環境の下でSTALKER2という超大作を完成させたGSC Game Worldに最大の拍手を捧げるとともに、その作品が欲望の物語であり続けたことに心からの敬意を表したい。過去と現在、すべての開発スタッフの意思が、この作品には詰まっている。