Mysoulmybeats

不整脈。だらだらとアニメ含め色々語ります

最近ごちうさ読んでて思った感想

ごちうさ】ドヤ顔チノちゃん - YouTube

 


どうも、お久しぶりです。クリスマスに何をやってるのだろうという思いに駆られつつも、あまりにもクリスマスという実感がなさすぎて何だかんだ普通の精神状態です。今日はなんかブラッドボーンやって(最近ブラッドボーンにハマっている)スマホゲーやって今って状態ですね(笑)

まあ余談はさておき、最近ごちうさを読んでたんですよ。ごちうさ自体は初めて触れたのは中一の時アニメで見た時ですかね。そっからまあ時間空きつつ何だかんだアニメ2,3周したぐらいですかね。で、最近初めて原作の方を読んでたんですが、なんか昔は思いつかなかったけど今だからこそ感じるものみたいなものがあったので今回それを挙げていきたいと思います。(ちなみに言うとむちゃくちゃ浅いです)あと、ちなみに現時点で読んでるのは6巻までです。

 

1.みんなバイトしすぎ

いやー、みんな高校生なのに働きすぎじゃね?っていうシンプルな感想。苦学生のシャロとそもそも店の娘のチノと千夜はしょうがないにしても・・・て思ったけどまあその三人の除くと後バ畜なのはココアとリゼぐらいなのか。二人とももうちょい高校生なんだから労働以外のことしようよ(T _ T)というバイトしてない人間からの反資本主義的意見でした。

 

2.ティッピーの超ファンタジー設定

ごちうさって全体的にそんな非現実的な要素が多いかというとそうでもないんですよね。喫茶店を舞台にしてたりとか僕が見た中では遊び場所とかも現実にあるものばかりなんですが、ティッピーの設定が特殊だなぁと思いましたね。チノのおじいちゃんの魂が死後うさぎに乗り移ってしかもその状態で普通に喋れてるっていうのが本当に唯一のファンタジー要素らしいのが少し特殊だなーというか現実的な要素ばかりの中で一つだけ突出して非現実的な要素が含まれてるのがなんか気になりましたね。あれってウサギの声帯じゃ明らかに普通に聞き取れるような発声できないよねっていうメタ思考も出てきたり。あとそうなるとチノのおじいちゃんの魂がうさぎに乗り移ったならそのうさぎの魂はどこに行ったんだという話も当然出てきますよね。無職転生では、主人公が赤子の体に乗り移った際、自分の精神が乗り移ったことによって生まれてくるはずだった赤子の魂を殺してしまったという事実に主人公が苦しむシーンがあったような気がするんですが(うろ覚えですが)、ごちうさではそういう描写も見受けられないんですよね。(まあきらら作品なんで当然といえば当然ですが)ティッピー(チノの祖父)が生前そのままの知性でなんの障壁もなく喋れていることを見るとうさぎの精神をチノの祖父が完全に100%占めているのは容易に想像でき、そうなるとチノの祖父が乗り移る前のうさぎの精神は完全に消滅しているということになりますが、これは割とものの見方によっては残酷な事実とも捉えられると思うんですよね。まあ所詮うさぎの知性などしれていて、ろくにものもわからないうさぎの魂が消滅することについて何の倫理的問題もないという主張もあるかもしれませんが、僕は割と気になりましたね。元々飼いうさぎだったなら主人になついていたりとかそのうさぎ自身の趣向であったりとかそのうさぎの精神自体は確かに存在したということですからね。まあとにかくこういったわけで、ごちうさという物語におけるティッピーの特殊性とかティッピーの存在が暗に示す倫理的問題に対する描写の不存在(まあこれはくどいがきらら作品なので当然だが)について気になりましたね。

 

まあちょっと気にしすぎかもしれませんが昔はなにも考えずに見てたごちうさも今また触れてみると新しく感じることがあったりして楽しかったなと思います。そういえば短答普通にマークミスなければ受かったんでまあとりあえずだらだら8月に向けて頑張っていこうかなーと思います。では、また。ちなみによければなんかコメントくださると非常に嬉しいとだけ(T _ T)