モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

村上春樹を読まずに批判してるって?

 なにやら「村上春樹の作品を読まずに批判している」みたいなことを書く人があちこちにいますね。一例をあげれば、「非読検閲官」などとおっしゃってるid:mnemoさんとか。というわけで、言うべきことをハッキリいっておきたいと思います。

 わたしは、村上春樹の作品への評価を、一切行っていません。*1


 エルサレム賞の受賞のしかたによっては、村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹の作品への評価とはまったく独立のことしか述べられていない、ということは、まったく明瞭なことだと思います。

 村上春樹の作品と関連付ける形で、別様にも言っておきましょう。エルサレム賞の受賞の仕方によっては、村上春樹は「村上春樹の作品の立場から批判される」か、「村上春樹の作品とともに批判される」か、そのどちらかだ、ということです。……村上春樹の作品への評価とはまったく独立のことしか述べられていない、ということです。

 これでもわからない人がいるでしょうから、もっと優しく書いておくことにします。村上春樹の作品がすばらしいとして、たとえば今回のガザ虐殺のような非道を批判するようなまっとうな方向性を示す文学であるとして、その場合には、その作品の立場から、「受賞における黙認」が批判されるでしょう。逆に、村上春樹の作品の中に、たとえば今回のガザ虐殺のような非道を黙認するような方向性が既にあったとするならば、その場合には、その作品とともに「受賞における黙認」が批判されるでしょう。そういうことは、村上春樹を読んだ人がやればいいことです。ただ、いずれにせよ、僕自身は村上春樹の作品への評価を一切行っていませんので、その区別さえつけられない方からの誹謗を甘んじて受け入れるつもりはない、ということです。


 世の中いろんな人がいますから、誤読する人がいるのも当たり前のことです。それをことさらに恥ずかしいこととも思いません。も一つ言えば、このように誤読を指摘されたとして、それを理解できない場合があることも、これまた仕方のないことです。さらに言えば、このように誤読を指摘されたとして、それを理解できたとして、自分の最初のコメントを撤回したり修正したりできない人がいることもまた、仕方のないことです。が、僕の立場から言っておくべきことは、こうして書いておくことにします。

 この申し開きを筋がおかしいと思う人は、そうおっしゃればよいと思います。できれば、少しは中身のある理屈を添えていただければ幸いです。

追記

http://d.hatena.ne.jp/icchan0000/20090129/p1 で引用していただいている部分が、修正で消えてたのですが、消えてた部分を戻しました。まぁ、論旨は変わってません。

*1:少なくとも、今のところ。