モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

混合診療を解禁してはいけない

 保険診療と保険外診療(自由診療)を併用する「混合診療」を実施すると、本来は健康保険が適用される診療も含めて治療費全額が自己負担となる厚生労働省の運用が妥当かどうかが争われた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。定塚誠裁判長は「厚労省の法(健康保険法)解釈は誤り」と指摘し、原告患者に保険給付を受けられる権利を認めた。混合診療を原則として禁止する国の政策を違法とする司法判断は初めて。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071108k0000m040091000c.html(魚拓)

 患者の選択の自由、混合診療解禁は当然至極、と思われがちだが、これは極めて危険である。素人が弁護士の力を借りずに国に対して勝訴したこともあって盛り上がっているようだけど、冷静に議論したい。論点は、混合診療の是非ではなく、それ以前のところにある。次の本を参考に整理する。

市場原理が医療を亡ぼす―アメリカの失敗

市場原理が医療を亡ぼす―アメリカの失敗

医療サービスには事前的規制が必要

 医療サービスという財の効力・品質については、非専門家である患者は専門家である医師に対して圧倒的に不利な位置にある。少なくとも、その専門知識に関わる部分については、消費者たる患者が理解し、評価することはほとんどできない。だから、その効力を事前に専門的に評価し、評価に耐えうる医療行為だけを公的に認定することになる。医師や看護師としてはたらくために免許を要求するのも、治療法や薬剤について許認可が存在するのも、基本的には、そのためである。

 粗悪なサービスは市場で淘汰されるから、そんなものはいらない、という意見もある*1。しかし、怪しげな民間療法でさえ普通に生き残っていることを見るに、事後的淘汰だけでなく事前的規制が必要である(医学的な装いでありながら効果の怪しい治療は、いかにもな民間療法より見分けにくい)。

※ 確かに、ヤブ医者というのはいるのであって、それについては病気がちな家族もいることだし、多少は見てきたこともある。ただし、だからといって、事前的な規制をなくして市場の淘汰に任せれば、そういう医者は淘汰される、などというのは楽天的に過ぎる。もっと酷い医者がたくさん増えて、その中から良い医者を見つけるのは今よりももっと難しくなる可能性さえある。現実の免許持ちヤブ医者と理想の無免許医師を比較するのは無意味だ。

効果の確立した治療法は混合診療ではなく速やかに保険適用すべき

 医療サービスについて、以上のような事前的規制の必要性を認めるならば、次のように結論できる。効果の怪しい、科学的根拠の確立していない治療法には保険を適用しない。かつ、効果の確かめられた治療法は保険を適用して貧富の差に関係なくアクセスできる医療とするべきである。

 おそらく、これでは分かりにくかろうから、反対側から述べてみよう。つまり、混合診療を認めるとは、効果の期待できる治療法に保険を適用せず、お金を支払える人だけがアクセスできる治療法のままにしておく、ということになる。くどくなるが、もう一つ、逆に言おう。もし、効果の期待できる治療法にはちゃんと保険が適用されているならば、混合診療で広がる選択肢とは、効果が十分確認されていない実験的医療ということになる。そのような選択肢をわざわざ広げる必要があるだろうか。

 逆に、仮に混合診療が認められるならば、既に有効性が確立した治療法でも、財政状況を言い訳にして保険適用が先送りになる可能性がある。そうなれば、格差社会が医療においても貫徹する、ということになるだけである。

 だから、結論としては、混合診療は原則として認めてはならない。混合診療にしてでも使いたい治療法があるならば、できるだけ速やかに治験等必要な手続きを進めて、できるだけ速やかに保険適用にすればいいのである。そして、それがきちんとできているならば、混合診療に頼る必要はまったくない。

 問題は、混合診療を認めるかどうかではないのだ。問題は、十分に効果が確認されたはずの治療法が、いつまでも保険適用にならないことである。それは、医療行政の遅さ・怠慢であり、そのプロセスの不透明さである。

その他、付記しておくべきこと

 以上が問題に対する基本的な構えである。これを踏まえて、いくつか重要な論点を付記しておく。

 第一に、日本の医療行政は、患者たる国民の立場から速やかに治療法の評価を行なったというよりは、製薬会社等々関連企業と癒着して(そのことは、薬害エイズを見ても明らかであるし、このところの薬害肝炎において薬害エイズの教訓がまったく生かされていなかったことを見ても明らかである)、その私的な利害のために保険適用を遅らせるなど、かなり悪質な怠慢を行なってきたのである。まず必要なことは、こうした体質を一掃することであり、そのために不可欠なことは、医療行政の徹底した情報公開である。

 第二に、状況が状況であるので、混合診療絶対反対の立場で議論を進めてきたが、ここで言うのもアレではあるけれども、混合診療を認める可能性がまったくないわけではない。たとえば、有効性が期待されるが、まだ十分には確かめられていない治療法について、一部混合診療を認めてもいいかもしれない。しかし、その場合には、慎重なルールを設定する必要がある。たとえば、あらかじめ混合診療の対象とする治療法を列挙しておき、それらに限って認めるとする。さらに、そのように混合診療対象となった治療法については、必ず時期がきたら評価を行い、保険適用か混合診療対象から除外するかの判定をしなければならない、といったルールを設定する。考えれば、他にもいろいろ考えうるであろうけれども、少なくとも、この程度の慎重さを持って対処すべきであろうとは思う。

 以上、慌てて書いたので、いろいろ齟齬があると思いますが、とりあえず。

※ ついでに。冒頭に紹介した毎日の記事に比べて、産経の記事の方がずっと慎重な態度で、よい報道になっていると思う。

「「画期的」「無原則な解禁疑問」…混合診療判決に波紋」@産経ニュース(魚拓)

*1:たとえば、ミルトン・フリードマンなどは、なんかそんな風なことを書いていた。